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06,意外なつながり

 4日間の大会の最終日。

 理はコンビニで父から差し入れのクーラーボックスを渡されて多喜子とは別のバスに乗った。父が店長をするコンビニは家から歩いていける距離だったが家の近所とは別のバス路線になる。

 スタジアムコンコースの青シートにカバンを置き、サブグラウンドのテント前に行くと部員たちが集まり、多喜子ももう来ていた。

「よっ、おはよう」

 と挨拶すると、

「うん……、おはよう……」

 と、どうも多喜子はぼうっとした元気のない様子で返事した。理はやっぱり昨日決勝に進めなかったのが堪えているのかなと思ったのだが……。


 4×400メートルリレー決勝は大会最後のレースだ。最終日は終わるのも早く、3時にはすべて日程が終わる予定だ。

 高校生たちには3日間の大会の慣れと疲れと、ああ今日でお終いだなあ、という祭りの後の寂しさ的な雰囲気が漂っている。

 理もさすがに脚に疲労を感じ、リレーメンバーの先輩たちと軽いアップとバトンパスの練習をして、無理のないように過ごしていた。

 正午に弁当=相変わらずコンビニの売れ残りおにぎりを食べに北光高の青シートに上がると、いそいそと多喜子がやってきた。

「はい、おかず」

 と自分の義務のようにお弁当箱を出してくれて、理は

「サンキュー」

 と箸を受け取った。

「あのさー、マコ。あのー…、お父さんの話、どうなった?」

「ああ、あれ」

 理は肩をすくめてみせた。

「あれっきり。案外あっちの早とちりの人違いだったのかもな?」

 理はこともなげに言っておかずとおにぎりにパクついたが、多喜子はなんだか、

「そうなんだ…。あのさ、ひょっとしてね、いや、違うかもしれないんだけどー……」

 と、はっきり言いたいことを言わない。

「なに?」

 おにぎりをモグモグしながら訊くと。

「いやあー…、やっぱり違うかなあー……。あのさ、マコの実のお父さんって、佐津川家の、重要人物かもしれないんだよねえ?」

「かもな。推測だけど」

「それでさ、………今、たいへんなことになってるかもしれないんだよねえ?………」

 多喜子は理の顔色を窺いながら慎重に訊く。

「そうみたいだな。至急、と言いながら、事情が急変して、ってぱったり連絡をよこさないんだからな」

「そう……なんだよね………。あのね、マコ」

「なに?」

「間違ってたらごめん!」

 多喜子は最初に手を合わせて理を拝んだ。

「あのね、もしかしたらあたし、マコのお父さんかも知れない人、知ってるかも知れない……」

 多喜子は不安そうに理の反応を見た。

「ふむふむ。それで?」

 理はおかずに箸を伸ばしながら促した。多喜子は理が食べるのを眺めながら話した。


「お父さんの友だちでタツミさんっていう人がいるの。お父さんの高校時代からの親友で、ずっとテニス仲間で、あたしも子どもの頃からお父さんに連れられてよくテニス場で会ってたの。去年までずうっと、月1くらいで会ってたかな? 今年になってから、あたしも受験と入学で忙しくて、お父さんもなんだか用事があるとか言って別の所に出かけているみたいで、しばらくずっと会ってなかったんだけど……、実はタツミさん、病気だったらしいのね。去年の末からずっと入院していたらしいの」


 多喜子は理の表情を窺い、理は口をモグモグさせながらふむふむ頷いて先を促した。


「あたしずっとタツミさんは名字で、お父さんにもタツミおじさんってなんて名前なの?って訊いたことがあるの。そしたらお父さんは『あいつはタクロウって言うんだ』って教えてくれたの。でもそれ、嘘で、ほら昔食いしん坊の俳優がいたじゃない? その食いしん坊に掛けてのあだ名だったのね。そのタツミおじさんが……、危ないらしいの。昨日お母さん途中で帰っちゃったでしょ? お父さんに携帯で呼ばれて、いっしょに入院している病院に行ったんだって。かろうじて意識を取り戻して、お父さんお母さんに頷いてみせたけど、それっきりだったって……。それでね、わたしも子どもの頃からずっと仲良くしてもらって、よくアイスとかケーキとかおごってもらって、ラケットももらったりして、だからおまえも万が一の時にはお通夜に挨拶だけでもしてほしいって。それで教えられたの、タツミおじさんの本当の名前。おじさんね、本名は、」


 多喜子はじっと理を見つめて言った。


「佐津川 辰巳、っていうんだって。佐津川グループの会社の社長をいくつも兼任する、佐津川グループの現当主と言ってもいい、会長さんの長男なんですって」


 理は口をモグモグさせて、

「ふうーん」

 と言った。

「あのー…、それだけ?」

 モグモグ、ごっくんと飲み込んで、理は言った。

「やっぱ違うんじゃないか?」

「? あんたの実のお父さんじゃないってこと?」

「そう。俺が実の息子なら、せめて一目だけでも、って呼ばれるんじゃないか? 放ったらかしってことは、やっぱり俺は違ったってことじゃないの?」

「そっかー…、じゃ、違うんだ……」

 多喜子は自分を納得させようとしたが、やっぱりどうしても納得しきれないようだった。理は言った。

「それに、俺、多分その人に会ったことあるぜ?」

「えっ!?」

「覚えてないのか? 小学校の…3年の時かな? 日曜におまえんちに遊びに行ってさ、これからテニスに行くって言うんで、おじさんがいっしょに来るかい?って誘ってくれて、いっしょに連れてってもらったじゃん? それで俺もラケット借りていっしょにテニスしたぜ?」

「そう……だったっけ?」

「覚えてないのか?」

 理は多喜子を不思議そうに見たが、ああ…、と思いついてニヤリとした。

「分かったぞ。おまえ、俺に負けたのが悔しくて忘れてるんだ?」

 多喜子はむっとした。

「テニスであんたにセットで負けたことなんてないわよ!」

「ほおーらそうやってムキになる? だから忘れてるんだよ。タツミさんって、背が高くて、筋肉質で、髪の毛の量が多くてすごく癖があって、イケメンの人だろう?」

「…そう……。よく覚えてるわね?……」

「最初俺とおまえで試合して、俺はおまえに一方的に負けたんだ。そしたらタツミさんが俺にコーチしてくれて、次の試合で俺が勝ったんだよ。そしたらおまえ、インチキだあ!って大泣きして、みんなでなだめるのに必死だったんだぜ?」

「……うっそだあ〜〜、そんなことないよお〜〜……」

「あったんだよ。俺はタツミさんに教わってアングルショットばっかり打ってさ、それでかろうじて勝ったんだよ。そうしたらおまえはそんなのインチキだあ〜って怒って泣いちゃったんじゃないか?」

「…………………あった………かな?……………」

 どうやら多喜子は思いだしたようで赤くなった。ギロリと理を睨み、

「あんなのインチキだ」

 と子どもの頃と同じことを言った。理は肩をすくめた。

「はいはい、すみません。だから俺はちゃんとリターンしてるだろ?」

「あ〜〜〜〜〜っ!」

 多喜子は髪を振り乱した。

「悔しい〜〜〜っ! なによおっ、じゃあ今もあたしの方がテニス強いのはあんたがアングル狙いを封印してるからなの? キイイ〜〜ッ、とこっとん、にくったらしい奴う〜〜〜」

 多喜子は理を絞め殺しそうなポーズを取った。理は笑って、いたわるように多喜子を見つめた。

「おまえは、大丈夫か?」

「え?」

「ずいぶん良くしてもらったんだろ? 泣くおまえをなだめるのにそのタツミさんが困ってたのを覚えてるよ。おまえ幼稚園児みたいにイヤイヤをしてずいぶんタツミさんも困らせてたよなあ?」

「そう……だったかなあ…………」

 多喜子は急にしゅんとした。

「お父さん、なんであたしを病院に連れていってくれなかったんだろう?」

「多分タツミさんの方が遠慮したんだろう。なんの病気だって?」

「急性白血病だって」

「そうか……。じゃあ、無菌室に入ってたんじゃないか? 面会も制限されていただろうし、きっと…、子どもの頃から知っているおまえに病気で弱った自分を見せたくなかったんじゃないかな?」

「そっか……。うん……、素敵な人だったものねえ……………」

「頭のいい人だよな?」

「うん?」

「教えるのが上手かったもん」

「そうだね」

 多喜子は今になって親しい人の入院というショックが収まって、その人が今日明日にも死んでしまうかも知れなという悲しみがじわじわと溢れてきたようだ。

 瞳の潤んできた多喜子に理は

「泣いてもいいぜ? そういうのは表に出しちゃった方がすっきりするぞ」

 と言った。多喜子は潤んだ目で恨めしそうに理を睨んだ。

「あんたこそ平気なの? ねえ?本当にタツミおじさんはあんたのお父さんじゃないの?」

 理は考え、言った。

「ふうー……ん。そういうこともあるか……。

 タツミさん……と言うより佐津川家が欲しかったのは、長男の息子という後継者じゃなく、タツミさんの近親者かも知れない」

「どういうこと?」

「白血病の治療は化学治療と骨髄の移植だ。骨髄は確か白血球の型が合わなくちゃ駄目で、これは遺伝で決まるから、どうだったかな?、2分の1×2分の1で、兄弟同士で4分の1の確率、親子は……かなり下がるだろうな? それでも赤の他人よりはだいぶ可能性は高いのか? タツミさんに兄弟はいるのかな? いたにして、けっきょく合わなかったんだろうなあ? それで治療のために少しでも可能性の高い肉親……子どもを、捜していたんじゃないかな? しかしそれもタイムリミットに間に合わなくなってしまって、今さら捜し出す必要もなくなった……、と」

「あんたさあ……」

 多喜子は涙も引っ込んで冷めた哀れな目で理を眺めた。

「実の父親かも知れない人に、そういう見方しか出来ないわけ?」

 理はいつも通りのクールな目で多喜子を見た。

「仕方ない。俺がタツミさんに会ったのはその1回きりだもん。実はあれが父親だった、なんて今さら言われても、ふうんとしか思わないよ」

「実の父親なのよ?」

「と、決まったわけでもないしな」

「あんたさ、お母さんが亡くなったときも泣かなかったよね?」

「そうだったな」

 多喜子は理をじいっと見て、

「ごめん」

 と謝った。

「あんたがそういう冷たい人間じゃないのは知ってる。ごめんなさい。実の父親に対しても……、わたしなんかには分からないあんたなりの気持ちがあるんだよね? ごめんなさい」

「いいよ。俺もどうも自分が変な人間らしいのは気付いているから」

「変じゃないよ。頭が良すぎて色々考えちゃうだけだよ」

 多喜子は自分の浅はかな感情と言葉にすっかり自己嫌悪に陥ってしまった。

「あたしって、最低だ………」

「おまえこそ、混乱しているだけだ。よく知ってる人が亡くなりそうなんだ、それが当たり前だろう」

「うん………。ごめんね? うんっ、もうよそう! あたしはあたしで一生懸命生きよう! 仲間を応援しよう! きっとタツミおじさんもそれを喜んでくれるわ!」

「そうそう。おまえは元気が一番だ」

「なによそれ?」

 理のふざけた言葉に多喜子もようやくいつものように笑った。

「あたしもお弁当食べちゃおうっと」

 自分の弁当箱を開いて食べはじめた多喜子を理は静かな目で眺めた。

 良さそうな人だったな、と心の中で佐津川辰巳氏のことを思いながら。

 自分があの人に会ったのはあの一度きりで、あれは全くの偶然だった。辰巳氏の親友である多喜子の父が、それと知って誘ったわけではあるまい。たぶん………。



 4×400メートルリレー決勝、北光女子チームは2位で大喜びだった。総じて女子の方が成績がいい。

 男子決勝がスタートし、第1走の山崎が走った。山崎は相当筋肉が疲労し、もう限界のようだった。400メートルファイナリストではあるが、5位とかなり出遅れて第2走者井上にバトンタッチした。1600メートルリレーは第2走者からオープンコースだ。井上は1500メートルの選手だ。スタミナは問題ないが、短距離のスピードではない。第3走者部長青木。青木も3000メートルの選手だ。

 審判に順番を指示されスタートラインに並んだ理は冷静を通り越してひどく冷めた目で必死に走っている仲間を眺めた。自分でもひどく冷淡な目をしているのが分かる。多喜子が見たら怯えるだろうと思う。理は自分で分かっている、自分は表面が冷めているときこそ中の感情はぐつぐつと煮えたぎっているのだ。

『くそ……』

 理はひどく不機嫌で、怒りに充ちていた。その原因がなんなのか、考えたくもない。

 1位2位と内側から続々バトンが渡されて各校エースたちが走っていく。目をつり上げて必死の形相で走ってくる青木を見て、理の怒りがカッと表面に燃え上がった。俺は俺だ、走るのは、この俺だ!

「馬場!」

 自然なダッシュでバトンを受け取った理は猛烈な加速でコーナーに突っ込んでいった。

 ハッハッハッハッハッハッハッハッハッ

 自分の体内で呼吸をカウントしているが、空気は吸い込まない。無酸素状態でひたすら走るマシンと化して全力疾走してトップスピードを極めていく。

 ハッハッハッ

 自分の呼吸音しか聞こえない。全神経が走ることだけに集中される。1人越し、2人越した。理のスピードはまだ上がる。

 ・・・・・・・・・・・

 もはや無音だ。視界も白く狭まっている。自分の走る道しか見えない。

 俺は超える、前を走る俺の想像上の理想の走りを、越え、突き抜け、更に先へ。

 突然足下の地面が消え、眼前に灰色の壁が現れ、理はわっと反射的に手をついて、抑えきれずに肩からぶつかり、斜めに弾かれ、平衡感覚を失って転倒した。イテッ、と思ったら脚を激痛が突き抜けた。まっすぐ伸びたまま強張り曲げられない。つった。ビシビシビシッ、と激痛が臀部に駆け上がった。イッテエーー、と理はのたうち回った。ケツ割れだ。初めてのことだ。頭がガンガンに痛んで、吐き気がした。腹部がビクビクと痙攣を繰り返した。死ぬ、と思った。ようやく聞こえてきた耳にワーワーと人の声がうるさい。

 ああ、くそお、うるせえ…………………

 苦悶しながら、理は意識を失った。



 目を覚ますとベッドに寝かされていた。

「マコ? 大丈夫?」

 多喜子がひどく心配そうに覗き込んだ。

「はいごめんね。これ見て」

 白衣の男性が理の目をこじ開けペンライトを揺らした。

「はい、オッケー。軽い脳しんとうだと思いますが、23日は静養して、運動は控えるように。少しでも目眩などしたらすぐに病院で検査を受けること。よろしいね?」

 医者は理に言い渡し、

「どうもお世話になりました」

 顧問の教師が理に替わってお礼を言った。

「まったく無茶苦茶しやがって」

 顧問の歴史教師は顔をしかめて呆れ返ったように言った。

「え……と、俺、ゴールしたんですか?」

「それも分からないのか?」

「うーーん……」

 理は起き上がろうとして、

「無理しないの」

 と多喜子に押さえつけられた。

「ゴール、したのか?」

「したよ、もちろん」

 多喜子は泣き笑いの顔になって言った。

「優勝だよ? ナギ、5人も抜いて、1等でゴールしたんだよ? ものすごい歓声だったんだよ? それなのにあんたそのまままっすぐ走って、審判が止めるのも間に合わないで壁にぶつかって倒れて、痙攣して……、もうー、バカあー、すっごい心配したんだからねえっ!」

 多喜子は最後は怒って理を叱った。

「へーー、そうだったんだ………」

 ちっとも覚えてないが…、理はそんなに熱くなった自分が可笑しくなって笑ってしまった。

「馬鹿だな、確かに」

 ふっふっふっふっふ、とすっかり笑いのつぼにはまってしまった理を一生懸命睨んでいた多喜子の表情が、次第にほどけて、まっさらになった。

 笑っていた理は多喜子の異変に気付いて、真顔になって訊いた。

「どうした? 何かあったのか?」

「…………亡くなったって。タツミおじさん……………」

「そうか。残念だな」

「うん……。通夜は明日だから、わたしもそのつもりでいてくれって」

「そうか」

 理はよいしょと起き上がろうとし、差しのばされる多喜子の手を断って自力で起き上がった。

「それじゃあさ、俺も連れていってくれよ?」

「……行く?」

「ああ。もう一度、ちゃんと会ってみたい」

 多喜子は悲しい顔で

「うん」

 と頷いた。

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