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05,彼女の出番

 県高校総体陸上競技会、大会3日目。

 今日は多喜子の出場する100メートルがある。理も4×400メートルリレーの予選がある。4×400メートルリレーは今日の予選、明日の決勝の2本だ。

 朝のウォームアップをしながら

「今日のカモシカちゃんの状態はどうかなー?」

 とイガグリ部長のスケベな手が理の太ももからお尻を撫で上げた。

「部長〜〜」

「うむ、今日も完璧なようだな」

 部長はムフフと気色悪く微笑み、

「いや、マジで、おまえの脚はどうなってるんだ?」

 メガネの奥から鋭く下半身を見つめながら言った。

「昨日400、3本走って凝りも見られん。おまえはどれだけ特別な筋肉してるんだ?」

「さあ?」

 理は肩をすくめた。そんなこと本人だって分かりようがない。

「こいつなんかもうガチガチだぞ?」

 昨日念願の8位入賞を果たした山崎を指して言った。

「トレーニングウェアの上から見ただけでなんで分かるんだよお?」

 と山崎は口を尖らせたが、

「バーロー、てめえ歩きがよたよたしてんじゃねえか? 午後のリレー大丈夫かよ?」

 と部長は睨んだ。

「ううー…、自信ない」

「マジでオーダー考えにゃならんな」

「そんなあ〜」

 泣きつく山崎を足蹴にして部長は腕を組んだ。1年生の理は作戦は上級生に任せて、多喜子に話しかけた。

「おまえは準決勝とか決勝とか考えなくていいから全力で行け。当たって砕けろだ」

「ええーい、うるさい!」

 多喜子はヒステリックに早口で言った。相当ナーバスになっている。こいつは子どもの頃から内弁慶の上がり性だからなあと理は思った。

「相手は2年3年なんだからさ、勝負の駆け引きなんて考えられる実力はまだないだろう?」

「あんたは決勝進んで優勝して、おまけにジュニアレコードじゃない?」

「俺はどうやら特異体質みたいだからな。生まれながらのドーピングみたいなもんだ」

「えーえー、あんたは特別よ。まったくもう、嫌味な奴」

 いつもの言葉も冗談ではなく本気みたいだ。理はリラックスさせるのを諦めた。

「じゃあ頑張れ。応援してるからな」

 多喜子はふっと、自分が怖い顔に固まっていたのに気付き、慌てて

「あ、ごめん…。ありがと…」

 と言った。

「長いつき合いだよなあ俺たち」

 理は腕を組んでニヤニヤした。

「うるさいなあ、もー…」

 多喜子は顔を赤くして横を向いた。


 理と山崎は夕方のレースに備えて体を休めておくように言われ、理は朝一番の女子100メートル予選の応援にゴール地点に向かった。

「おはようございます」

「よっ、おはよう」

「今日も朝からご苦労様ですねえ?」

「今日は君のレースは4時の1600メートルリレーだけか?」

「それまでいるんですか? 大学の部のコーチはいいんですか?」

「勝手にメニューをこなしているさ」

 理は呆れて、地元の国立大、青陵大学の陸上部のコーチだという亀潟のとなりに座った。

「昨日はおめでとう。さすがサラブレッド、見事な走りだった」

「いえいえ。頑張っちゃいました」

「見たかい?」

 亀潟は地元の地方新聞を差し出した。理は受け取って眺めた。

「いえ。うちは新聞は一日遅れなんですよ」

 理が読む新聞は父が店で読んだお古だ。

「スポーツ欄を見たまえ。君が載っているよ」

 開いてみると、でかでかとゴールをフィニッシュする理の写真とインタビューに答える上半身の写真が載っていた。理は眉を上げ、呆れたように笑った。

「地元の甲子園並の扱いですねえ?」

「当然だろう。高校1年生でジュニア記録更新だ、ひょっとすると来年にはもう35年ぶりの日本記録更新、世界陸上、オリンピック出場だって当然ありえるぞ?」

「どうでしょうね?」

 理は新聞を閉じて亀潟に返した。

「僕は多分もう、そんなに伸びませんよ」

「おい、なんだよ、まだ1年のくせに、引退が見えたロートルみたいに言いやがって?」

「僕はね、なんというか、見えちゃうんですよ、自分の『先』がね」

 理は涼やかな目になって言った。

「自分で言うのもなんですが僕は起用で、たいていなんでも人より上手く出来てしまうんです。どうすればいいか?パッと道筋が見えてしまうんですよ。自分の体だってそうです、この体をどう使ったら一番上手く、速く走れるか? もう見えてしまっているんですよ。僕の記録が伸びるのは後ほんのわずかです」

「なるほどな」

 亀潟は顎に手をやって無精ひげを掻き、ニヤリと優越的に笑った。

「君の欠点が分かった」

 理ははて?という顔をした。

「君は器用すぎて自分の限界を突破するという、不器用な一般人が成長する上で何度も経験するチャレンジを知らないのだ。俺みたいな一般人は何度も『駄目だ』と思いながら『こんちくしょう』とその壁を這い上がって、ぶち破って、成長してきたんだ。君は、自分に甘いな」

 理は新鮮な驚きを感じて目をパチパチさせた。

「そうなんでしょうか?」

「ああ、そうさ」

 亀潟はコーチらしく自信満々で言った。

「君の潜在能力はまだまだ君が一般レベルで思っているようなものじゃない。君の内には素晴らしい無限の可能性が秘められているのだ。もっと高いレベルに立って自分を見つめ、引き上げろ! 君の伸び代は学生レベル、日本レベルの物じゃない、世界レベル、人類レベルだ! 頑張れよ!? 君は自分が思っているよりずっとレベルの高い人間だ。この俺が保証するよ!」

 理は亀潟の大げさな言いようが可笑しくて笑った。

「それはすごいですねえ? なんだか本当にオリンピックに出られる気がしてきましたよ?」

「おう、そうだ、その通りだ。でも、大学はうちに来てくれよ?」

「考えておきます」

「よし。昨日よりだいぶうちの株が上がったな?」

 二人は笑って、

「さて、そろそろ君の彼女の出番かな?」

 レースに注目した。

 二人は正確にはゴール少し手前の位置で見ている。向こうの方でスタートした選手たちが徐々に斜めに迫ってきて、横向きに通過し、ゴールしていく。予選は選手紹介のアナウンスもなく淡々と進行していく。

 4組に多喜子が登場し、スタート、理たちの前を通過して、ゴールした。選手8人とも大きなばらつきなくゴールに駆け込み、多喜子は上位だったが順位は微妙なところだ。

「どうだ?」

 亀潟は理に訊いた。理は身を乗り出し、

「代根ー、ナイスラン!」

 と大きな声を掛けてやった。多喜子は驚いて振り向き、ニッと笑ってVサインをした。亀潟はニヤッと笑った。

「てことは?」

 理は答えなかったが、顔は明るく微笑んでいた。スクリーンにすぐに結果は出ない。レースが進行し、だいぶ経ってから前の方のレースの結果がやっと出た。

 4組で多喜子は2着だった。準決勝進出である。

「おっ、よかったな」

 亀潟はけっこうな厚さの本のプログラムをチェックして言った。

「23年に混じって準決勝進出はたいしたもんだ。だがなあ……」

 ゲート付近で結果が出るのを待っていた多喜子は「よしっ」と両手を握って喜び、理と応援してくれていた女子たちに小さくガッツポーズを見せ、別の誰かに笑顔で手を振った。理はうん?とゴールの方を見た。

「ああ。ちょっと失礼します」

 理は立ち上がり、そちらに向かった。


「おはようございます」

 笑顔で挨拶する理に、

「マコちゃん。おはよ。昨日の試合、テレビと新聞で見たわよお? かっこよかったじゃない?」

「あはははは。どうも」

 理はまいったなあと頭を掻いた。日よけのつば広の白い帽子を被り紫色のサングラスを掛けてニコニコ笑っている、多喜子の母だった。

「最近ご無沙汰ねえ? また前みたいにうちに遊びにいらっしゃいよお?」

「いやあ、この年になって女子の家に遊びに行くのはちょっと……」

 厚顔無恥の理もさすがに彼女の母親相手にセクハラトークは出来ない。

「あら? 色気づいちゃってえー。うふふ、マコちゃんならお家に入ってくれておばさんは大歓迎よ?」

 うふふと笑いかけられて、理の方がまいったなあとやられた顔になった。多喜子の母はなかなかおしゃれで、明るくチャーミングな人だ。今は髪に隠れているが(小)悪魔のように尖った耳が多喜子とそっくりだ。小柄な人で、この点娘は大違いだ。理も背が高いが、多喜子もクラスの女子で一番高く169ある。つい猫背になる癖があるので理はよく「背筋を伸ばせ!」と腰を叩いて公然とセクハラのネタにしている。

 仲のいい母娘だ。近所の幼なじみで母子ぐるみの公園づきあいであったこともあり、小2で母を亡くした理は多喜子の母を見て、ああ母さんも生きていたら今頃は、とよく思ったものだ。母の葬式では多喜子の母もぽろぽろ涙をこぼしていたのを印象的に覚えている。たしか理の母より4つ年上で、今年47歳だったと思う。今の47歳なんて若いものだ。

「マコちゃん、ますます理花さんに似てきたわねえ? そっくりね?」

 と、多喜子の母は懐かしそうに言った。

「おかげさまで、男女を問わずモテモテです」

「まあっ。いいわねえー?」

 母はニコニコ笑い、理に訊いた。

「あの子、準決勝はどうかしらねえ? ずいぶんマコちゃんにライバル心を燃やしていたみたいだけど、身の程知らずって言うか、相手は2年生3年生だものねえ?」

「簡単じゃあないでしょうけど、でも1年で予選突破しているのは他にもいますよ。タッキーのタイムだとレース次第ってところでしょうね」

「そう。じゃあ一生懸命応援してあげなくちゃね」

 ね?と多喜子の母は理に笑いかけた。理も笑って

「はい。応援します」

 と答えた。多喜子の母は理がいた席を見て、

「あちら、どなた?」

 と亀潟のことを訊いた。

「青陵大学陸上部のコーチですって」

「ああ、そうなの。たしか中学の時の大会でも見た覚えがあるなあって思ったんだけど?」

「暇なコーチですよねえ?」

 理は笑って、

「僕、青陵にスカウトされてるんですよ? 君なら既に内定だって」

「あらいいわねえ? でもマコちゃんは東大経済学部でしょう?」

「違いますって」

「東大じゃあ……」

 多喜子の母は競技の終わったトラックを見た。

「さすがにあの子には無理でしょうねえ……」

 理は口を曲げてどうしようかなあと横目で多喜子の母を眺めて考え、ええい言っちゃえ!、と顔を向けた。

「ねえお母さん」

 多喜子の母はうん?と理を見上げた。理はちょっと赤くなって多喜子の母の顔色を窺いながら言った。

「僕をタッキーの家庭教師に雇いません?」

「アルバイト?」

「お代はお茶菓子でけっこう。雇ってもらえたら、大いばりでタッキーの部屋に入れますからねえ」

「あら、」

 多喜子の母はニヤッと理を睨んだ。

「さすが大胆ねえ?」

「母親の監視付きでさすがに大胆なことなんて出来やしません」

 うそぶきながら理も顔をまっ赤にしていた。母は笑って。

「ま、多喜子と相談してからね。勝手に決めたらあの子絶対怒ってへそ曲げるから」

「前向きな検討をよろしくお願いします。お母様」

「はい」

 多喜子の母は楽しそうにニコニコ笑った。


 お昼の準決勝、理はサイドスタンドの端に回って真っ正面から見た。ここは学校の団体応援は禁止されている。理の他に他校の女子生徒が2、3人ずつ仲間の応援に来ていたが、理を見て『きゃっ』と嬉しい悲鳴を上げていた。

 準決勝は3組。各組上位2着とタイムでプラス2名が決勝に進出する。多喜子は第1組に登場した。

 スタートし、全力で走り、ゴールした。ゴールの瞬間多喜子は『どうだろう?』という不安の表情をした。

 正面から見ている理も順位は分からない。

「代根ー、ナイスラン!」

 理が声を掛けてやると多喜子は軽く手を上げ、ぎこちない笑顔を見せた。多喜子は母親にも手を振った。

 2組目が走り終わったところでスクリーンに1組の結果が表示され、多喜子は3位だった。

 最終3組が走り終え、2組3組の結果が出て、多喜子は祈るような顔でプラス2名の発表を待った。

 残念ながら多喜子の名前は出なかった。多喜子はガッカリして、うなだれてゲートに入ろうとした。

「タッキー」

 すぐ上から声を掛けられて多喜子は反射的に顔を上げた。理が優しい顔で見下ろし、言った。

「おまえ頑張ったぞ。自己記録更新だろ? いい走りだったよ」

 多喜子は青白い顔を前に向けるとゲートに入っていった。

 理はしょうがない奴め、と腰に手を当て、ふと振り返って多喜子の母と目が合って苦笑いした。


 理は下へ下りて多喜子を捜した。

 多喜子は競技ユニホームのまま柱の陰でコンクリートの壁に向かって肩を震わせていた。ぞろぞろ歩く高校生たちがあーあと見て見ぬ振りをしていく。

 理は多喜子の後ろに立ち、しばらく待ったが、

「こら、猫背」

 と声を掛けた。

「胸を張れよ。おまえはベストを尽くしたんだからさ、勝った相手を称えてやれよ?」

「うっ、うっ、うるっ、さい!……」

 多喜子はぐずぐずとすすり上げながら言った。

「どうせあんたなんかに、わたしの気持ちなんか……」

 肩をしゃくり上げる背中に、

「おーおー、負け犬の気持ちなんか知りたくねえよ」

 と憎まれ口を言い、理は地面に投げてあるスポーツタオルを取って肩に掛けてやった。

「おまえは頑張ったって。おまえは負け犬なんかじゃないよ」

 多喜子は向こうを向いたまま手を後ろに伸ばして理のトレーニングウェアの胸を掴むと顔を見られないように素早く振り返り、理の胸ぐらを掴んで

「わあああん」

 と声を上げて泣いた。

「おーお、よしよし」

 理が頭を撫でると多喜子はますます大声を上げて頭を理の肩にくっつけた。理は両手を多喜子の肩に置いた。

「頑張ったよ、タッキー」

 あーあ、見られてるだろうなーと背中に人の行き交うのを感じ、

『俺たちって、青春だなあー』

 と思った。


 多喜子に鼻をかませて、顔を洗わせて、みんながアップしているサブグラウンドに連れていった。

「多喜子。惜しかったわね? でも、ナイスラン!」

 先輩に誉められて多喜子は赤い目で照れくさそうに笑った。女子の先輩は後ろの理と見比べて

「ほっほおー」

 といやらしく笑った。

 理はテントで休んでる山崎の所へ行った。

「先輩! やりましょうね、決勝進出!」

「うえ〜」

 とイガグリ部長にやりこめられた山崎はやる気のなさそうな返事をした。

「無理だろう? おまえと青木はいいけどさあ〜、俺と井上じゃあなああ〜ん」

 とまるっきりやる気が失せてしまったようだ。青木というのがイガグリ部長の名前だ。部長は3000メートルの選手だ。

「ああ〜、そうですか? ……先輩、表彰台に上がってみたくありません?」

「表彰台〜?」

 寝そべっていた山崎がいささか光を取り戻した目を上げた。

「そりゃなあ、一度くらい上がってみたいけどさあー…」

「上がりましょうよ? 俺は上がる気満々ですよ?」

「ほんとかあ?」

「ええ。ただし、いくら俺でもリレーで一人で表彰台には上がれませんからねえ? 走りましょうよ、全力で!、限界の壁をぶち破って!」

「なんだよ? おまえってそう言うキャラだったっけ? まあまだ2ヶ月だけのつき合いだけどさあー」

 山崎はむっくり起き上がって理の顔を覗き込んだ。

「行けると思うか?」

「行きますよ、俺はね。何せ俺には無限の可能性がありますから」

「はああ?」

 山崎は目を輝かせて自信満々の理を見ているうち、ヒッ、と笑い出した。

「俺はこれがラストだもんな。よおし! やるぜ、1年坊主!」

「やりまっしょお!」

「こおらこら、おまえら二人だけでなに盛り上がってんだよお?」

 部長と井上もやってきた。リレーメンバーは理以外の3人は3年生だ。

「よし、やっぱこの4人で行くぞ。山崎い、てめ、死ぬ覚悟しろよ?」

「おまえら卑怯者だな? おまえらは長距離じゃん?」

「そうだ、俺たちに期待するな」

「天下御免の卑怯もんだな?」

 理は仲のいい先輩たちの憎まれ口の言い合いをニヤニヤ見ていた。

「よし、馬場。やっぱおまえに任せるわ」

「周回遅れだけは勘弁願いますよ?」

「するか、アホ!」

 4人で笑い合い、

「よおーし! 行くぞお!」

 部長が出した手に3人手を重ねた。

「ほっこーー、ファイッ、」

 オーーッ!、と、グッと手を押して、声を上げた。

 盛り上がる男子リレーメンバーに女子たちから

「がんばれよー」

 とからかい混じりの声援が飛んだ。


 夕方の4×400メートルリレー、女子は1着で決勝進出を決め、男子も2着で決勝進出を決めた。

 第1走を必死で走った山崎は

「俺、陸上やってて良かったよお〜」

 と大喜びし、他の二人も「やったぜえ!」と盛り上がった。

 アンカーの理はハアハア息をつきながら、スタンドを見上げるとニッと笑い、勝利の親指をグッと立てた手を多喜子に突き出した。多喜子は『よしっ』と口で言ってガッツポーズを取った。

 理は『どうだ!』と腕をまだ熱心に観戦していた亀潟にも向けた。

 多喜子は、あ、いたんだ?、と亀潟を見てちょこんと挨拶した。

 多喜子の母は残念ながらもう帰ったようだ。



 帰り道。理は途中のスーパーで多喜子にアイスをおごってやり、二人で食べながら歩いた。

「おまえさ、あのコーチと話してただろ? 何話したんだ?」

 あの後亀潟は多喜子を手招いて何事か話していた。理はちょっと気になっていた。

「あたしは中距離の方が向いてるんじゃないかって言われた」

 多喜子はちょっと不服そうに言った。

「うん…、そうか……」

「なによお?」

 睨む多喜子に理は言いづらいなあと目を泳がせながら言った。

「たしかにそっちの方が向いてるかなと思ってさ」

「えー、そうかなあ?」

 多喜子はふてくされて下を向いた。

「なんだよ? そんな顔すんなよ?」

 理はアイスを囓って、言った。

「おまえはバネもあるし持久力もある。中距離が向いていると正直俺も思うがなあ?」

「その代わりショートトラックに欠かせない爆発力がないって」

「嫌なのか? 中距離?」

「嫌じゃん、負けるみたいで……。あんたこそ、どうして100じゃなくって400なのよ? 速いくせに?」

「俺はスタートが駄目だ」

「ええ〜? うっそお〜?」

「俺は100じゃトップになれねえよ。400が一番身体能力を発揮できる……って言うかライバルが少ない」

「ジュニア記録出しておいて何を言いやがるのよ〜」

 多喜子は肘で理を小突いた。理は笑い、言った。

「そもそもさー、なんで陸上部入ったんだ? おまえ高校はテニスがいいなあって言ってたじゃん?」

「だって〜〜…、そう言って誘ったのにあんたが陸上部入っちゃったんじゃん……」

「テニスはおまえの方が上手いからやだ」

「今やあたしの唯一あんたに勝てる勝負なのにい〜〜」

 理は多喜子の蹴りを笑ってよけた。多喜子は「フンッ」と鼻息を荒くし、ちょっと悔しそうに言った。

「テニスだって、どうせ本気でやればすぐあたしよか強くなるくせにさ……」

「さあ、どうかな」

「あんたってさ、1対1の勝負は避けるよね?」

 痛いところを突かれて理もむっつりした。

「そりゃそうよね、誰と何やっても勝っちゃうんだから、そりゃ友だちなくすわよね?」

 多喜子はわざと怒らせることを言って理の顔を覗き込んだ。

 そうだ、こいつは何をやっても本当に上手だった、と多喜子は振り返った。

 多喜子は5月生、理は1月生で、子どもの頃は多喜子がお姉さんで背も高く、たいていなんでも多喜子の方が上手に出来た。

 ところが。ああ、そういえばあんなことがあったっけと思い出すのは小学4年生の時だった。

 教室の掃除をしていて、たまたま数人の男子と女子は多喜子が一人だけ教室にいた。多喜子はその頃から背が高く、自分より背の低い男子たちが「やーい、のっぽ」と多喜子をからかった。多喜子は「なによ、ちび」とやり返したが、これが男の子たちのプライドをひどく傷つけてしまったようで、本気で怒ってしまった。「なんだよ女子のくせに」と迫ってくる男子たちは、多喜子は自分の方が背が高く運動神経も良くて強いと思ったが、本気で怒った顔で迫ってくる男子たちはやはり怖かった。

 そこへ理が現れたのだ。理は男子たちの後ろから

「そうだ、でかいからって威張るな、女」

 と言った。多喜子は幼なじみの理までがと悲しくなったが、理はずいと前に出て多喜子を指さし言った。

「てめえ、威張ってられるのも今のうちだからな。ぜってえーすぐにおまえより背が高くなってやる!」

 と思いっきり力んで言った。当時はまだ多喜子の方が5センチも背が高かった。多喜子は「ちび」の理がいきがるのが可笑しくって思わず噴き出した。

 理の登場で男子たちは「今に見てろよデカ女!」と現時点での「負け」を認めることになって、他の女子たちも帰ってきて一件落着となった。

 5年生になって、春の身体測定の時には理の方が5ミリ高くなっていて、「ざまあみろ!」と大いばりした。「はいはい、よかったね。悔しいわ」と呆れ返ったふりをしながら多喜子は内心嬉しかった。それからも多喜子は背が伸びたが、理はもっと伸びた。

 子どもの頃は何をやっても自分の方が上手かったのに、理は何もかもみーんな自分を追い越していく……。

 多喜子から目を逸らしていた理は、はあっと息をついた。

「天才ゆえの孤独だよな……」

「自分で言って哀愁に浸るなよ」

 多喜子はアイスの残りをぺろぺろ舐めて食べてしまった。

「ま……、あたしはさ、子どもの頃から慣れてるからさ、あたしは、あんたを見捨てたりしないからさ……」

 言いながら多喜子は下を向いた。

「猫背」

「うるさい」

 家々の壁を夕陽がまっ赤に染めている。

 理が思い出したように言った。

「そうだ、おまえじゃあハードルやれよ? おまえ反応はいいからな、上手いんじゃないか?」

「そっか。ハードルも短距離だもんね? やってみよっかな?」

 多喜子は新たな希望ににっこり微笑んだ。

「やっと機嫌治った。あーめんどくさい」

「うるさいなあ」

 二人の家の分かれ道に来た。

「じゃあな、また明日」

「うん、また明日」

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