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19,母の決断

 理は高いバス賃を使って再び青陵大学にやってきた。電話を受けて待っていた亀潟教授は呆れた顔で言った。

「ずいぶん早い再訪だな? 月曜まで待てなかったのか?」

「知ってるでしょう?僕は来週末に地区大会ですよ? こっちはさっさと片づけて、練習に専念しなくちゃ。教授は、どうするんです?、応援はもうよしますか?」

「君が許してくれるんなら行きたいがねえ?」

「熱心なファンですねえ? 観覧は無料ですからどうぞお友だちお誘い合わせの上。

 で、訊きたいんですけど、母の遺伝上の両親は誰なんです?」

「ノーベル賞物の天才とオリンピックメダリスト級のアスリート、と言ったところかな? 実は我々も知らん。前任者から受け継いだだけだからね。国家的プロジェクトだったとも言うし、実は一研究グループの単なる趣味だった、とも思えるしね。わたしも調べたが、よく分からん。ただ、

 同じ受精卵が複数あったらしい。

 この意味は、分かるね?」

 理もさすがにビリッと戦慄して言った。

「クローン……」

「そうだ。分裂を開始した受精卵を8つに分けた1つが、君のお母さん、明川理花だ」

「受精卵のクローンって、そんなに簡単に出来るんですか?」

「それが限界だ。それ以上は胚として機能しなくなる。

 学界の噂を総合するとこの世には時をずらして8人の明川理花が生まれたはずだが、他に突出した明川理花は世の表舞台に登場していないようだから、君のお母さん以外は失敗作だったらしいねえ?」

「ひどいことを言いますねえ? まるで実験動物扱いだ?」

「わたしのやったことではないんだがねえ? じゃあもっと教えてやろう。明川理花はプロジェクトの第1世代ではない。人工授精の技術が開発されたから一気に8人もの実験体を生むことが出来たが、それまでは一世代一世代、昔ながらのやり方で『天才』を生み出す組み合わせがなされてきたのだよ」

「そうした天才同士を結婚させて、子どもを生ませる?」

「そう。だが人間は感情の動物だ、なかなか当人同士は周りの思惑通りの行動は取ってくれなくってねえ、うまく子どもができてもなかなか期待通りの天才には育ってくれなかったようだ」

「そりゃそうでしょうよ。そもそもそんなことを考えるのがいびつなんです」

「その点、今はいい。

 精子と卵さえ提供してもらえれば、数度に渡って異なった組み合わせの受精卵を作ることができ、さらにそれをクローンし、複数の同じ人間を作り、異なった両親、異なった環境で育てることができるからねえ」

「そんなことやってるんですか?」

「いや、やってない」

 教授はあっさり否定した。

「出来るようになった、ら、他でも同じようなことを始めた。別に研究機関が頼まなくたって天才科学者やトップアスリートや人気俳優の精子は高額のギャラで精子バンクに買われ、彼らの子を欲しがる母親たちに高額で売れ、天才の子どもがごろごろ世に生まれるようになった。まったく、馬鹿馬鹿しい。

 そして、天才の子は天才の素質を持つが、育つ環境によって必ずしも天才に育つものではないということが分かって、天才の種計画はすっかり目標を失ってしまった、というわけだ。

 けっきょく明川理花がその方法を試された最初で最後だったと思われる。そして君のお母さんが証明した。

 人が育つのは、環境だよ」

「当たり前の結論に、ずいぶん遠回りして辿り着きましたねえ?」

「そう思うかい?」

 教授の思わせぶりな微笑みに理は首を傾げた。

「わたしの目の前に、その例外がいるじゃないか?」

「僕は、母さんみたいなすごい天才じゃありませんよ? 母さんが人類史上まれにみる超天才だとしたら、僕はその50パーセントのハーフサイズのそこそこの天才に過ぎません。がっかりでしょう?」

 教授はニヤッと笑って理を見つめた。

「いいや、とんでもない。君は天才だ。君は自分がどれだけすごい天才か、まだ気付いていないだけだ」

 理は教授が何を考えているのか怪しみ、その不気味な微笑みに、ゾッと背筋が寒くなった。


「わたしの立場から順を追って話そうか。

 わたしは元々理学部の院生で、そのまま研究員として講師を務めていた。その時やっていたのが日進月歩の研究開発の行われていたバイオ工学だ。平たく言ってしまえば遺伝子組み替え技術の商品化だ。

 そんなわたしに新設される医学部生物理工学科への移動が打診された。医療とは畑違いのわたしに何故と思ったが、要するにバイオ技術のヒト細胞への応用を見据えたものだった」

「人の遺伝子の組み替え、ですか?」

「研究は必要だ。遺伝子治療も遺伝子組み替えの技術が必要とされる。単純に入れた取った、切った貼ったは出来ないのでね。

 わたしはそちらへ移動し、1期生として君のお母さんが入ってきた。

 日が経つに連れ明川君の優秀さは際だっていった。単なる秀才ではなく、常識の連続をいとも簡単に、まったく別の飛び石を蹴って、飛び越え、結論に到達する、天才にしか持ち得ないひらめき力がずば抜けていた。彼女の前では、我々は原始時代のサルに過ぎなかったよ。

 そうすると、わたしや優秀な研究員や学生が選抜されて教授の下へ集められ、彼女が何者か、教えられた。さる国家機関の機密プロジェクトの産物だという」

 教授は可笑しそうに笑った。

「我々は命じられ、その場でチームを結成し、明川君の観察を開始したのだ。

 君に断っておくが、我々は彼女を突然変異のミュータントやモンスターといったグロテスクかつネガティブな目で見ていたわけではない。我々は皆彼女の天才に憧れ、崇拝していたのだ。美人だったしな。実際彼女のしでかすことを見ているのは楽しかった。我々研究者にとっては、毎日がハプニングの連続で、発見の連続で、毎日、浮き浮きしていたよ。あの頃は…、本当に楽しかった………」

 昔を懐かしむ教授は目にうっすら涙を浮かべていた。

「そうそう、君のお父さんだ。まったく、腹立たしい」

 教授は笑いながら睨んだ。

「なんであの天才明川理花が馬場忠穂なる凡人を恋人に選んだのか、まったく、彼女のすることはさっぱり訳が分からん。我々、特に男どもが、どれほどあいつを妬ましく思って嫉妬に狂ったことか」

 あっはっはっはっは、と教授は喉で笑った。

「あいつがアメリカに留学したときはなんて馬鹿な奴だと大喜びしたよ。

 だからね、我々は本当にあるんだかないんだか分からない国家機関なんてどうでもよく、純粋にファンとして、彼女を見守っていただけなんだ。そう、熱烈な明川理花ファンクラブだよ。ファンクラブの会員は、崇拝するアイドルに決して手を出してはいけないのさ」

 と、教授はちょっと寂しそうに笑った。

「彼女は卒業するとカネギ製薬に就職した。教授はいずれ彼女を教授に迎えるからと約束までして引き留めようとしたが、彼女の才能に目を付けたあちらさんに即刻もっといい条件を提示されて、引き抜かれてしまった。条件もそうだが………我々の監視から逃れたかったんだろう。彼女は研究しかできない研究馬鹿ではなかった。もっと広範に、自分自身の人生を楽しみたかったのだろう。

 後に、彼女が我々の監視から逃れたかった一番の原因が、君だ、ということが分かった。

 彼女も我々を仲間だと思ってくれていたと思う。我々は彼女が相談してくれればなんだって喜んでお手伝いしただろう。しかしその我々にも秘密で、彼女は君を生みたかったのだ。

 君を生んで、恋人馬場忠穂と結婚した彼女は……、幸せだったのだろうねえ?」

 教授の優しく寂しい目に理は頷いた。

「ええ。息子の僕が保証します。母は、毎日楽しそうに笑ってましたよ」

「そうか。……まったく、羨ましい……」

 教授はわざと悪ぶった憎々しい笑いを浮かべた。理は訊いた。

「母が僕を生んだのは、父と結婚するためでしょうか?」

「多分、そうなのだろうね」

「何故そうしなければならなかったのか、知っているんですね?」

「うん。知ってるよ」

「父が原因なんですね?」

「いや、違う。忠穂君は正常だ」

 理は眉を寄せて首を傾げた。教授は愉快そうに言った。

「推理が外れたか? じゃあ、君の推理を言ってみたまえ」

「母は、父が留学した後、流産したんじゃないですか?」

 教授は頷き、続けるよう促した。

「流産の原因は父の精子の遺伝子異常でした。父自身に異常は発現しないが、その子どもには、何か重大な疾患が生じる。

 母は父の精子を使ってその疾患を生じさせる遺伝子を除去する研究をし、そうして完成させた精子で受精し、僕を身ごもったんです。

 僕の父は、馬場忠穂です」

「どうやってアメリカにいる忠穂君の精子を手に入れたんだね?」

「あらかじめ冷凍保存していたんでしょう。元々恋人同士だったんですから、精液を採取する機会ならいくらでもあったでしょう。何かの研究用にと手っ取り早く取っておいたのでしょう」

「何かの研究に、ねえ? ちょっと弱い気がするが、では、何故忠穂君が帰ってくる前に妊娠してしまったのだね? 結婚してから妊娠すれば良かったじゃないか?」

「子どもの安全が確認できなかったからでしょう。母は流産の悲しみを味わっていますから、父に同じ悲しみを味わわせたくなかったのでしょう。おそらく、十分成長し、遺伝子検査でも異常が出ず、生んでも大丈夫と確認できてから父に会ったのでしょう」

「何故父親が忠穂君だと言わなかったのかね? どうしてわざわざ他に父親がいるようなことを匂わせなければならなかったのかね?」

「それこそ実験動物のように、遺伝子をいじくったからでしょう。生命倫理に反すると、父に嫌悪感を抱かれるのを恐れたんじゃないですか? 僕が大人になって十分色々なことを理解できるようになったらその時に僕にも父にも本当のことを明かす、という約束だったそうですから。その時までに僕が十分健康に、お利口に、育っていれば、父も僕や母に嫌悪感を抱くこともないでしょうから…………………」

「どうしたね?」

 理は、ぎょっとした、張り詰めた目で教授を見た。

「母は……、自分で堕胎したんじゃありませんか?…… あらかじめ遺伝子検査して、お腹の子どもが重大な疾患を抱えて生まれてくることが事前に分かってしまった。当時母はまだ3年の学生で、お金もそうないでしょうし、重大な疾患を持った子どもを育てていくことは不可能と判断して……、自らの手でその子を堕ろしたんです………。その罪の意識もあって、今度こそ、絶対に、健康な赤ん坊を生まなければならなかった。だから、そうした倫理的に問題のある研究を敢えて行い、実践した……。それを、父に言うわけにはいかなかったんじゃないですか?…………」

 教授は、

「ま、60点というところかな?」

 と言った。

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