18,関係X
理は大学から祖父母の家を訪ねた。
理を迎える祖父母の顔は嬉しいようでもあり、何かを恐れるようでもあった。
麦茶を出されて、理は二人に言った。
「亀潟教授から問題を出されました。大学で母さんの講師だった人です。
お祖母さんのDNAと僕のDNAを調べられて困るのは何故か?
ごく単純に考えて、お祖母ちゃんの遺伝子の半分が母さんに受け継がれ、母さんの遺伝子の半分が僕に受け継がれ、ま、単純に考えればお婆ちゃんの遺伝子の4分の1が僕に受け継がれているはずです。
その両者を比べられて困る事態とは、
両者に共通点が全くない場合じゃないですか?」
祖父と祖母の顔から笑みが消え、実に悲愴な顔になった。理は努めて冷静に言った。
「母は、お祖父ちゃんお祖母ちゃんの実子ではないんですね?」
「違う! それは違うぞ!」
祖父が感極まったように言った。
「理花はわしとこれの娘だ。誰がなんと言おうと、わしらの娘だ!」
理は冷静に言う。
「お祖父ちゃんは高美さんの遺伝子検査の申し出を頑なに断ったそうですね? 母にはお祖父ちゃんの遺伝子も受け継がれていないんでしょうか?」
「理…………」
祖父はなんとも哀れな目で孫を見た。理は言った。
「母はお二人をとても慕ってましたよね? お二人もこんなに母を愛してくださっている。母は、」
祖母を向いて。
「受精卵の提供を受けてお祖母ちゃんが生んでくれた子だったんじゃありません?」
祖母は頷いた。
「そうだよ、理。理花は確かにわたしが生みました。理花はわたしの子で、わたしたち夫婦の子です」
理は言った。
「ええ。母はお父さんお母さんに感謝していたと思います。僕もです。ですからね、
単純な興味で訊くんですけれど、母さんの遺伝的な両親は誰なんです?」
祖父が答えた。
「それはわしらも知らない。ただ、非常に優秀で健康な両親だと聞かされた」
「どういう経緯で母さんを生むことになったんです?」
「わしのせいなんだ。
わしは無精子症で、元から子どもを作れない体だったんだ。医者でそう診断された。わしらががっかりしてると、その医者に大学の病院を紹介された」
「青陵大学病院ですか?」
「そうだ。そこで薦められたのが、人工受精卵を使って妊娠する方法だ。今から40年以上前の話だ、当時も既に体外受精の方法は使用されていたが、まだそうしたことに抵抗があり、成功の確率……妊娠することもまだ低かったように思う。それに、費用も高かったしな。
だが、大学の研究室から秘密裏に提示されたのは、あちらで提供する受精卵を使って妊娠すれば、費用は全てあちら持ち、最高の環境で出産していただく、ということだった。我々は心身共に健康な両親を捜していた、あなた方はとても幸運ですよ、と。
わしらも馬鹿じゃない、いったいどんな種なのだ?と怪しんだ。彼が説明したのはこうだ、
これは日本国に優秀な人材を生み育てるプロジェクトであり、その受精卵は最高の父親の精子と最高の母親の卵を掛け合わせた物で、非常に優秀で健康な子どもが生まれるのは保証されている。我々はこの子に成長する、日本国民として一般的な良い環境を与えてあげたい。あなた方は我々の設定する条件にぴったりなのです。あなた方はただその子を我が子として可愛がり、育てていってくれればよい。その成長に関して、我々は一切の干渉をいたしません、と。
わしらも迷った末、その条件を受け入れることにした。どうしても自分たちの子が欲しかったし、自分たちの子として育てればよいということで、決心が付いたのだ」
理は祖母に訊いた。
「お祖母ちゃんはそれで良かったの? お祖母ちゃんの側に子どもを作る上での問題はなかったんでしょう?」
「わたしは、かえってその方が気が楽だったわ。こう言ってはなんだけど、自分の体に他の男性の種を受け入れるのは抵抗が強かったから。いっそ最初から出来上がった受精卵を自分の体で育てる方が気が楽だったわね」
祖父が言った。
「そうだな。養子をもらうことも考えたが、妻がお腹を痛めて生んだ子を自分たちの子として育てる方がずっと愛情を持てるだろうと思ったんだ」
祖母はうつむいて静かに微笑み、祖父は見つめながら照れくさそうに渋い笑いを浮かべた。祖父が言う。
「結果的に選択は大正解だったよ。理花は、それはもう可愛い、利口な子で、性格も穏やかでいつもニコニコしているようないい子だった。特に病気らしい病気もせず、高校生まで育てるのにほとんど手は掛からなかったな」
祖母も頷いた。理が訊く。
「母さんが青陵大学に入学したのは? 自分の意志で?」
祖父が答える。
「そうだろうと思う。もしかしたら、裏で何らかの手が回っていたのかも知れないが、理花がそのことで何か悩んでいるようなことはなかったな。とにかくやたらと頭のいい子だったから、自然とわしらの実の子ではないと気づき、自分の与えられた役割を考えていたのかも知れない」
「母さんが与えられた役割…ねえ?」
理はちょっと気に入らなく思った。それだけ優秀ならもっとレベルの高い、トップの大学にだって入れたんじゃないかと思うが、自分の出生にまつわる地元の大学のしかもルーツである医学部に入学するなど、ちょっと出来過ぎで、裏で何らかの意志が働いていたんじゃないかと疑われる。例えば競技場で熱心に入学を誘ってきた亀潟教授のように……。新設された医学部生体理工学科なんてまさに母のために用意されたようなものじゃないか?
理はもう一度訊いた。
「母さんの両親が誰か? 具体的には分からないんですね?」
「分からん」
祖父も祖母も首を振った。
「あちらもそれは教えられないと言ったし、あなた方も知らない方が自分の子として愛せるでしょう?と言い、わしらもその通りだなと思ったから、敢えて追求もせんかったよ」
「そうですか。そりゃちょっと残念だなあ」
「なあ、理」
祖父が遠慮がちに顔色を窺うように言った。
「おまえの父親のことなんだが……」
「ああ。お祖父ちゃんたちは知らなかったんですよね? 父さんも気が利かないなあ。まあ、佐津川家の跡取りかも知れない、なんて騒ぎになっちゃって、潮時と思ったんでしょうね。あーあ、高美さんは貧乏くじだ、かわいそうに」
ニヤニヤする理を祖父母は心配そうに見た。
「じゃあ、本当に……。理花の奴、なんで自分まで父親のいない子を産もうなどと考えたのか……」
落ち込む祖父母を理は明るい顔で慰めた。
「ああ、それも多分分かってます。母さんの名誉のために申しますが、母さんは、僕を本当に生みたくて生んでくれたんだと思いますよ? 自分たちのために」
「自分たちのため?」
首を傾げる二人に、
「ええ。まあ、その答えは教授をとっちめてやりますよ」
と悪戯っぽく笑い、麦茶の残りを飲み干した。
「ごちそうさま。また遊びに来ますよ」
「ああ、いつでも来なさい」
ほっとしたように微笑む祖父母に、理は、あ…、と思い出して愛想笑いを浮かべた。
「あのーー……、お小遣い、いただけません?」