15,家族の食卓
尚大の運転するセダンカーで城下町に下り、駅前の一等地の住宅に着いた。さすが会長室室長はかなりの高給取りらしい。
尚大が先頭で
「ただいまー」
と玄関の戸を開けると、
「ねーねー」
と若い女の子の声が奥からパタパタ駆けてきた。
「お兄ちゃん今日……」
尚大がお客を連れているのを見て高校生らしき女の子は目を丸くした。
「えっ、本人?!
キャー、どうしよう!?」
女の子は顔を赤くにやけさせて手足をバタバタさせた。尚大がニヤニヤして言った。
「妹の瑞希(みずき)。ごらんの通り君の大ファン」
「瑞希です! よろしくね?」
妹瑞希はかしこまって挨拶したが顔はこみ上げてくるにやけ笑いが収まりきらない。
「お邪魔します。馬場理です。こちらこそよろしく」
理が挨拶すると瑞希はぽ〜っと見とれ、また『キャ〜〜ッ』とバタバタした。かなり可愛い妹の狂乱ぶりを見て、理は兄貴に『フッ、勝ったぜ』と思った。
奥から母親も出てきた。
「お帰りなさい」
夫に挨拶し、
「うん。ただいま」
「あら、よくいらっしゃいました。どうぞお上がりください」
と理を招き、息子にニコッと笑い掛けた。どうやら二人の間では最初から理を招く計画が出来ていたらしい。
理は手洗いをさせてもらって、テーブルと椅子の食卓に招かれた。テーブルにはしっかり理の椅子と料理が用意されている。
「理くんは瑞希の隣でいいよね?」
普段は4辺を一人ずつ使っているらしい。十分大きなテーブルだが、大人5人になるとちょっと狭く感じる。
「はい」
と理が返事をすると尚大はニヤッと笑って、
「さすがスター。まったく気後れがないね?」
と皮肉に誉めて、よかったな?と妹をニヤニヤ見た。瑞希は、
「裕子おばさんが来るんだとばっかり思ってた。となりじゃ顔が見られないなあ…」
と言いながらニヤニヤ嬉しそうだ。席は奥から時計と反対回りに、お父さん、お母さん、尚大、瑞希と理、となっている。
「あなた。お酒はどうします?」
「いや、今日はいいよ」
と、妻は夫の分もご飯をよそい、父高美は
「では、いただこうか」
「いただきます」
と、皆食事を始めた。高美家の今日の食卓は揚げ物と冷や奴だ。
まだ熱々のカニクリームコロッケを食べて理は、ああいいなあ、と思った。
瑞希は高校2年生で理より一つ上だ。
「理くんが辰巳おじさんの子でもわたしは関係ないもんね?」
と言う瑞希に父高美は何故か渋い顔をして妻と顔を見合わせた。兄尚大がニヤニヤ言った。
「残念でした。理くんには彼女がいるぜ。ね?」
「ええ、まあ」
理も照れ笑いを浮かべながら言うと、瑞希は負けずに
「わたしより可愛い?」
と挑戦的に訊いてきた。理はう〜〜むと考えた。
「そりゃあ瑞希さんの方が美人だけど、あいつとは幼なじみの、まあなんと言うか、いいなずけみたいなもので」
「ふうーん、じゃやっぱり可愛いんだ?」
「可愛いっちゃ可愛いけど、どちらかって言うとじゃじゃ馬って言うか……」
尚大が口を挟んだ。
「通夜の時理くんの前にご焼香してただろう?」
「あっ、あの子? う〜〜む、そうかあ〜…」
瑞希はしかめっ面で考え込んだ。理は尚大に訊いた。
「そうか、皆さんも通夜に出席されていたんですね?」
「うん、いたよ。まあ僕らは目立たないようにひっそりしていたからね。妹が君を見つけて、え〜なんでなんでえ?、ってこっそり大騒ぎしてたんだよ?」
「だってびっくりしたんだもん」
と瑞希は大きなくっきりした目を丸くして理を見た。
「あの時はなんで理くんがいるのか分からなかったから、きっとお父さんが会社の偉い人で、家族で来たんだろうなって思ったのよ」
通夜の席順は高美の計らいで前の方で「偉い人たち」に混じって座っていた。
「妹さんだと思ってたのよね。あの子ならわたしの方が勝ってると思うんだけど?」
と、まだ諦めずにアピールした。
「けっこうキャラ被ってない? 美人度ならわたしの方が上よね?」
さすが尚大の妹、かなりの自信家だが、確かに美貌が裏打ちしている。
困っている理を兄貴が助けてくれた。
「理くんはストイックに彼女が大好きなんだよ。ね?」
「そんなこと言ったらまっ赤になってグーのパンチが飛んできそうですけどね」
理のおのろけ(?)に瑞希が羨ましそうに言った。
「あーあいいなあー、わたしにも理くんみたいな可愛いくてかっこいい幼なじみがいればよかったのになあー」
「瑞希さん、もてるでしょ?」
「そりゃもてるけどね。兄貴ほどじゃないもん。あーあ、わたしは男を見る基準が高すぎるのよね。なにしろバレンタインデーのチョコ500個の伝説の男だから」
と呆れたようにむっつり兄を睨んだ。理もまたライバル心を燃やして尚大を見た。尚大は余裕で、
「はっはっは」
と笑った。
「いやあー、登校の道々で女の子たちの待ち伏せに合って、すっかり遅刻して担任に怒られてしまったなあ。もっともチョコのお裾分けで買収したけどね」
とぬけぬけと言った。こういうことを言っても爽やかで嫌味な感じがしないのがまた嫌味だ。理とは別の意味で男子からも人気がありそうだ。
父も母も困ったようにニコニコしながら子どもたちを見ている。高美氏もかなりのハンサムだが、奥さんもこれまた感じのいい美人で、こちらもなんとも恵まれた家庭である。
「尚大さんは、大学はこちらなんですか?」
「青陵だよ。佐津川は未だ古くさい体質で地元採用を好むからねえ?」
と皮肉に父を見た。理は尚大に訊いた。
「じゃあ最初から佐津川グループに就職するつもりで大学を選んだんですか?」
「そうだよ。まあこちらも佐津川なら雇ってくれるだろうって腹づもりもあって、父上様の希望でもあったからねえ」
理はふうーんと高美を見た。
「やっぱり息子さんに跡を継いでもらいたいものですか?」
「ええ、それは…」
高美は気まずそうにしながら、微笑むと、嬉しそうに言った。
「やはり息子に自分の仕事を認めてもらって跡を継いでもらえるのは嬉しいですよ」
理は、例えば伝統工芸の職人なんかでなくても、サラリーマンでもそういうものかなあ?と思った。まあ、理がコンビニの店長を引き継いでも父は嬉しくはないだろうが。
食事が終わってすっきりしたハーブティーを出してもらって、居間で話した。
「高美さん。あの脅迫文のことですが……」
理は奥さんと娘さんの前でいいかな?と思ったが、尚大が
「そうなんだよ、父さんの所に理くんの素性を調べるなって脅迫文が送られてきたんだ」
と父が襲われたことは伏せて注釈した。女性二人はまあ?と驚いた顔をして、理はありがたく頷いて、尋ねた。
「弟さん妹さん以外に誰か心当たりは?」
「いや……、わたしも考えたんだが、どうも思い当たらないねえ」
「ですよねえ?」
理も頷いて言った。
「僕のDNAと辰巳さんのDNAを比べて、配列に共通点がなければ、はい、他人でした、で終わっちゃう話ですものねえ? 調べるなと言う意味が分からない」
「そうだね。その脅迫者は遺伝子検査という物を知らないのか? いや…」
犯人は理の祖母の髪の毛を奪い取っていっている。知らないということはないだろう。
「遺伝子に関する知識がないのか? それとも、ひょっとして……」
「なんです?」
「いや……」
高美は言いづらそうにしながら言った。
「もしや会長自身の差し金ではないかと」
「それはまたどうして?」
「辰巳さんが殺されたという疑惑を強固にし、徹底的に大樹さん星華さんたちを排斥する機会にしようと…」
理は呆れた。
「自分の子どもでしょう? 会長さんはそんなにあの二人を嫌っているんですか?」
「それはだねえ……」
高美はあまり子どもに聞かせる話でもないだろうと渋ったが、尚大が言った。
「駄目だよ、探偵さんにちゃんと情報を与えなくちゃ? それに、俺も後学のために確認しておきたいねえ」
と、尚大はだいたい事情を知っているようだ。高美氏は渋々話した。
「会長と、奥様のご実家との関係も影響しているんです。
佐津川グループは大吉会長が一代で築いたように言われていますし、実際事業を拡大して定着させたのは会長なんですが、その元々の資金は奥様のご実家、齋藤(さいとう)家から出ていたのです。齋藤家は戦前からの地元の大地主だったのですが、戦後は他の土地持ち同様大部分を接収されて、お大尽様でありましたので没落の一途を辿るところだったのを婿の大吉様の商才に助けていただいて、その資金源でありながら頭が上がらないと言う状態だったんです。
辰巳さんが生まれて、大事な跡取りの長男ですから会長はそれはそれは大事に可愛がって育てました。あんまり会長が辰巳さんを可愛がるものですから、次男大樹さん、長女星華さんが生まれると今度は奥様の実家齋藤家があれこれと手を出して可愛がって、会長も辰巳さんの秀才ぶりに満足して放っておいたんです。それが……
時が経ち、子どもたちが独り立ちすると、それぞれの器量の差が歴然として、会長はますます辰巳さんを頼みとし、後のお二人を遠ざけ、お二人をバックアップする奥様の齋藤家も二人が能力を発揮できず失敗したのは会長の意地悪な冷遇のせいだと憎み、会長はますますお二人を邪険にするようになったんです」
「うわ〜〜、嫌ねえ〜〜? あたしあっちに生まれなくてよかったあー」
と瑞希が肩をぶるぶるさせて言った。理は訊いた。
「会長の奥様はお元気ですよねえ?」
通夜の席で会長のとなりに座り、渋い顔をしていた。見たところ夫に負けじとまだしっかりして、お年の割りには背筋もしゃんとして大柄なお婆さんだった。
「ええ。ご健康です」
「旦那さんとは仲はいいんですか?」
「それは…」
高美は苦笑した。
「まあ背後にそうした対立がありますからねえ、お二人の間にもピリピリとした空気が張り詰めることもありますが、長く連れ添ってこられたお二人ですからね、お互いに対する理解と尊敬は当然あります」
結局仲がいいのか悪いのか今ひとつ分からないが。
「奥様は会長の決定をどう思っているんでしょうか?」
高美はまた顔を曇らせて言った。
「もちろん反対されてます。齋藤家の反発も強いです。お二人を切り捨てるというのは実質的にバックアップする齋藤家を佐津川グループから追い出すことにもなりますから」
「やっぱりそうしたドロドロしたものがあるんですねえー」
理もため息をつきたくなった。
それでも理を佐津川家に近づけさせないようにする「脅迫文」を書くのは、弟妹たち同様メリットがない。
メリットがあるのは二人を憎む会長だけ、ということか。あーあ、なんて嫌な話だろう。
「あのさー」
と瑞希が訊いた。
「遺伝子検査って、そんなに簡単に出来るものなの?」
嫌な話題から逃れることが出来て父高美氏は笑顔で娘に講義した。
「遺伝子というものがどういう物か? 学校で習っただろう?」
「苦手分野」
父親は勉強しろ!と笑って。
「遺伝子が生物の体を形成する設計図だというくらいは分かるな?
全ての体細胞の核の中に存在する。
遺伝子とはDNAと言う物質であると言っていい。
DNAはA=アデニン、T=チミン、G=グアニン、C=シトシン、の4つの塩基で構成されている。
この、ATGC、4つの組み合わさり方で、人間という生物種が成り立ち、それぞれの個人が成り立っている。
ATGC4つの組み合わせは人間という種として共通した部分と、一人一人個人で違う部分がある。
この一人一人で違う部分を参照して、親から受け継いだ部分を比較して、親子関係が成立するか判定するわけだ。
その比較する部分もDNA全てを読みとって比べるわけではない。
人のDNAは22対(つい)プラスXYの計46本の染色体に、およそ30億対の塩基、2万2千のDNAがあるからね」
瑞希はちんぷんかんぷんの顔をした。
「塩基というのはATGCで、そのいくつか組み合わさった1ユニットが1DNAだ。染色体はそのDNAの鎖を納めた棒状の袋と考えればいい。
人の染色体は2本の袋が途中でくっついていて、それぞれの染色体には途中にくびれがあって23本ずつ、計46本に分かれる、と考えればいい」
父親に目で確認され、瑞希は
「XYって何?」
「性染色体だ。XXの組み合わせで女性、XYの組み合わせで男性。Y遺伝子は男性しか持たないから通常YYの人間は生まれない」
「了解」
コクンと頷いた。
「男女が結婚して、子どもが出来ると、23本ずつの染色体がそれぞれから受け継がれて組み合わされ、新たに46本の染色体を持った子供が生まれるわけだ」
「結婚して、じゃなく、エッチして、でしょ?」
「こら。
23本の染色体は対になった2本の染色体からランダムに選ばれる。つまり、2の23乗の組み合わせだ。これが両者から持ち寄られて……、まあ、膨大なパターンの子どもが生まれる確率になるわけだが、親と子を比較した場合にはある遺伝子は2分の1の確率で父親母親どちらかから受け継がれた物であるわけだ。
さて、今度は世の中にどれだけ『同じ遺伝子』を持つ人間がいるか、という問題で、どれだけの遺伝子を比較すればその2者を親子と判定できるか、と言うことになるが、
現在信用できるDNA鑑定法としてSTR5システムというのが採用されている。
STR=Short Tandem Repeat、縦列反復配分と言ってな」
またもちんぷんかんぷん。
「DNAには同じ塩基の組み合わせパターンが繰り返し現れる物があるんだ。それは座、つまり全体における位置が決まっていて、その長さと組み合わせパターンを調べることでいくつかのタイプに分類できる。その代表的な5つのDNAを調べることによって、計算上、50億通りの組み合わせがあり、両者が合っていれば、その親子関係は99.8パーセントの確率で保証されることになる」
「ふうーーん」
「だから1週間から2週間あれば検査できるそうだ」
と、思い出したように高美は理を見た。
「理さん。真偽のほどは分かりませんが、何者かがあなたの遺伝子を調べるな、と警告しているのです」
「正確には『馬場理を調べるのはやめろ。彼は佐津川家とは無関係だ』でしたね? この文面を素直に受け取れば、相手は僕の素性を知っていて、ご丁寧に佐津川家の人間ではないよ、と教えてくれているわけですね? 佐津川家とは別に僕が拙い出生の秘密を持っている、ということでしょうかねえ?」
面白がって言う理を高美は心配そうに見つめて言った。
「相手にどういう事情があるのかは知らないが……、万が一、君に危険の及ぶようなことがあれば、わたしは君の父上に申し訳が立たない」
「でしたら」
理はあっけらかんと言った。
「さっさと調べちゃいましょう。僕が佐津川家に無関係だと分かれば、そちらは用無しで、それ以上親切に僕の身元捜しなんて続けないでしょう?」
「それはそうですが……、ではやはり辰巳さんの息子だったら?…」
「それならその脅迫者は嘘をついていて、やはり佐津川家に何らかの利害関係のある者だ、ということになるでしょう?」
「そうですねえ……」
「ですからはっきりさせましょう。元々高美さんもそれをご希望なんでしょう?」
「ええ…。わたしはあなたを辰巳さんの息子さんだと思っていますので……」
「では、そうしましょう。決定。よろしいですね?」
「分かりました。それでは、明日、青陵大学病院に来ていただきましょう。車を迎えに行かせます」
「リムジンはご勘弁を。乗り心地が良すぎまして。
青陵大学ですか?」
「はい。公正と正確を期しまして。あちらとは特につながりはありませんので」
「と言うことは……、例えばカネギ製薬なんかは?」
「ええ。取引があります。それもあってお母様のことはすんなりと」
「ふうん、そうか。じゃあなおさら母さんと接点はあったわけだなあ…。
ああ、そうそう」
と、理は高美に父忠穂の「代理出産説」を説明した。高美は、あ、と言う驚いた顔をした。
「代理出産ですか……。なるほど…、その方が事情は肯けますねえ………」
辰巳の精神と肉体の潔癖さが保たれて、高美は嬉しそうに納得した。
理は意地悪に笑って言った。
「これで母さんが生きていたら、辰巳さん殺害は母さんを犯人に出来るんですけどねえー」
不遜な謎掛けに高美は顔をしかめて聞き返した。
「お母様が辰巳さんを殺すとは、どうした理由で?」
「辰巳さん夫妻は不妊治療を受けていて、辰巳さんの精子は元々検査用に提供された物だったんです。ところが、母さんは相手があの佐津川家の御曹司だと知り、しかも夫人に子どもが出来ないのを知ると、奸計を案じたわけです。佐津川家にいずれ後継問題が起こることを見越し、自分が検査用に提供された精子を使って辰巳さんの子どもを身ごもったんです。そうして後継問題が起こったときに、実はこの子こそ佐津川辰巳その人の子どもである、と差し出すわけです。この時に辰巳さんに生きていてもらっては話がややこしいので、死んでもらって、自分が実は辰巳さんの秘密の恋人であったと名乗り出るわけです。大財閥の莫大な財産を狙っての犯罪です。いやあ、悪い女ですねえ、うちの母さんは?」
理はあははと笑ったが、高美家の人々は暗い顔で理を見つめていた。
「いえ、冗談です。母はそんな人ではありません」
と、理は言い訳せねばならぬ羽目になり、故人をネタにした冗談はその人をよく知る人相手でなくては通じないなあと反省した。