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12,母の契約

 夕方、早番の父が帰宅するとなにやら上機嫌だった。

 台所でご飯とみそ汁をよそってきた理は手洗いを終えた父がやってくると訊いた。

「なんかいいことあったの?」

「分かるか?」

「そりゃね、声を聞けば分かるよ」

「ふっふっふー。おお、理くん、豪勢だねえー?」

「ただのアジの開きだよ。いっつもコンビニの油っぽい弁当ばかりなんだから十分だよな?」

「けっこうけっこう。いやあ、出来のいい息子を持ってお父さん幸せだなあー。いっただっきまあーす」

 とみそ汁を一口飲むと「美味い!」とご機嫌な笑顔で言った。

「母さんが何をしたか分かったぞ?

 母さんと辰巳さんは無関係かも知れん。いや、きっとそうだ!」

 いかにも嬉しそうにご飯を食べた。理もご飯を食べながら訊いた。

「俺は辰巳さんの子じゃないってこと?」

「知らん。ま、そうであったにしてもだ。

 あ、そうだ、午前中店に高美さんが訪ねてきたぞ」

「そう。で、父さんの素晴らしい推理の根拠は?」

「そう、実に素晴らしい。

 母さんはおそらく、代理出産でおまえを妊娠したんだ」

「ああ、なるほど、子どもを産めない奥さんの代わりに?」

「なんだ、おまえ知ってるのか?」

「いや、タッキーのお父さんの話でそれとなく」

「そうか。じゃあ…、いいか?多喜子ちゃんにもべらべらしゃべるんじゃねえぞ?」

「イエッサー」

「よろし。辰巳さんの奥さんは一度ひどい流産をして子供が産めなくなったらしい。それで産婦人科に通っていたらしいんだな。でも結局駄目で、どうしても子どもの欲しかった夫妻は自分たちの子どもを代理出産してもらうことにしたんだ」

「いや、父さん。俺が辰巳さんの子かどうか分からないけど、母さんの子であるのはほぼ100パーセント間違いないぜ?」

 と理は自分の顔を指さして言った。

「ああ。きっと夫人は気の毒に卵巣が駄目になっちゃってたんだろうな」

 理は反論した。

「それでもさ、卵は奥さんの身近な人から提供してもらうんじゃないか? 姉妹とか、母親とか?」

「姉妹はいない。母親は……」

 忠穂は言葉に詰まった。辰巳と妻の母に血縁関係はない。しかしその父との間には子=高美をもうけているわけだから、その子との間にまた自分の卵で子どもを作るのは気持ち的な抵抗が強いんじゃないか?

 忠穂は考えて言った。

「母親は、年だ」

「そう」

「うむ。母さんなら、研究室の主任を務めるくらいの秀才で、超美人だから、母親として文句無しだろう?」

「どこでどうして母さんと知り合ったんだ?」

「それは、誰か優秀な母親役を捜したんだろうな………、いや、そうだ!

 不妊治療には夫の辰巳さんも通っていたんだ! 念のため精子を調べて、子どもができないのが父親と母親どっちに原因があるか確認したんだ! その精子の検査が母さんの所に回ってきたんだ!」

「それってもう母さんがカネギ製薬に入って研究主任になってからのことだろう? なんでそんな仕事が母さんとこに回ってきたんだ?」

「だって……、母さんは遺伝子研究の専門家だろう? 大事な佐津川家の跡取り問題だもんな、特別念入りにってことじゃないか? って言うより単純に、夫妻の通っていたクリニックがカネギ製薬か国際悠久カレッジの関係だったんじゃないか?」

「なるほどねえ」


 理は改めて代理出産というものを考えてみた。

 子どもを作るには父親の精子と、母親の卵と、受精卵を育てる母親の子宮が必要だ。

 母親の卵に父親の精子を受精させる方法として、父親の体から母親の胎内へ精液を射出するという昔ながらの原始的な方法もあるが、今どき婚姻関係のない男女でそれはないだろう。第一それでは遺伝的に依頼夫婦の 父親の子ではあるが母親の子ではない。子宮に精液を注入するのに必ずしも体を合わせる必要もなく採取した父親の精液を機械的に子宮へスポイトしてやればよい。

 代理出産を依頼する夫婦の多くは子供を作りたくても作れない、生みたくても生めない夫婦たちであろうが、その原因はいろいろある。母親の母胎に問題がある場合、母親の卵に問題がある場合、父親の精子に問題のある場合。それぞれの原因によって代理母への依頼内容も変わってくるだろう。

 母胎に問題がある場合、妻の卵を取りだし、夫の精子を採取し、人工的に卵に精子を受精させ、受精卵を代理母の胎盤へ着床させる。

 妻の卵に問題がある場合、代理母の子宮に採取した夫の精液を注入し、胎内で受精させる。または本人もしくは別の女性の卵を用意し、夫の精子を人工授精させて代理母の胎盤へ着床させる。この場合生まれてくる子は遺伝的に依頼夫婦の夫の子ではあるが、母は出産した女性もしくは卵を提供した女性になる。そもそも代理母を頼まず卵だけ提供してもらい妻が自分の子宮で妊娠すればよい。

 夫の精子に問題がある場合、妻の卵に別の男性の精子を受精し、代理母に産んでもらう。この場合遺伝的に依頼夫婦の妻の子ではあるが夫の子ではない。このパターンでも妻が別の女性に代理母を頼む必要もない。

 夫の精子に問題はないが妻の母胎と卵に問題のある場合、一番最初のやり方になってしまうわけだ。もし理が辰巳夫妻の依頼による代理出産の子ならこのパターンだろう。残念ながら理は辰巳の子ではあるが妻の子ではないわけだ。


 理は考えて訊いた。

「で、誰が頼んだの?」

 話によると明川理花の名前を知っていたのは佐津川辰巳だけらしい。

「そりゃあ辰巳さんだろうな」

「奥さんは?」

「そうか、…知らなかったんだろう…な? 内緒で事を進めたんだろう」

「うーーん……。辰巳さんってそういうことする人かなあ?」

「なんだかんだ言って佐津川家の跡取りだ、長男として家を存続させる義務ってやつがあったんだろうぜ?」

「まあいいや。で、その俺が、どうして父さんの子になっちゃったわけ?」

「母さんの気が変わったんだろうな? そういうニュースがあるだろう?代理出産で妊娠した母親役が、自分のお腹で赤ちゃんを育てている内に愛情がわいて生まれた子の引き渡しを拒否するって話? 母さんもそうして自分の子として育てたくなったんだろう。母さんの場合卵も自分の物であるわけだしな」

「なるほど。一応筋は通るか……。しかしそれじゃあ訴訟にならないか? 母さんは契約違反をしたわけだろう? 大事な佐津川家の跡取りになるわけだから、あっちは黙っちゃいないだろう?」

「辰巳さんが個人的に決めたことなんだろうな。母さんからやっぱり自分の子として生んで育てたいって相談されて、辰巳さんも考えて、やっぱり奥さんへの愛を取ったんだろうな。子供の産めない奥さんに別の母親の子を押しつけるのがやはり残酷だと考え直したんだろう。奥さんを愛してたんだよ」

「美人だったからなあ。そりゃ無理ないか」

「だろう? なにせ母親は………」

「……なに?」

「いや…」

 忠穂は高美の出生の秘密を漏らしそうになって危なく言い直した。

「奥さんは高美さんの妹さんなんだろう? なかなか渋いハンサムだったじゃないか?」

「うん。そうだね」

 理が素直に答えたので忠穂は内心ほっとした。

「というわけだよ!」

 忠穂はまたすっかり機嫌が良くなって言った。

「母さんは父さんを裏切って他の男と浮気したわけじゃあなかったわけだ!」

 忠穂はすっかり納得したようだが、


 理は

『そうかな?』

 と思っていた。

 どうも自分の感触として母と実の父の関係はそんなにあっさりしたもののようには思えなかった。

 それでは何故夫忠穂との間に第二子を作ろうとしなかったのか?

 何故事情を話さず頑なに父親のことを明かさなかったのか?

 何故実の父と結婚しなかったのかの理由は説明が付くとして、前二者の説明が付かないように思う。

 しかしすっかり上機嫌でおかずに箸を伸ばす父を見ていて、まあしばらくはそういうことにしておいてやろうと思った。


「じゃあ、高美さんに遺伝子検査の返事、正式にお願いしちゃっていいな?」

「おう。おまえがそうしたいんならしろ。父さんはかまわないぞ」

「なんだよ、母さんが辰巳さんとエッチしてないって分かった途端にずいぶん前向きな返事だな?」

「いやあー、おまえの人生だもんな、父さんは老後の面倒見てもらえるんなら大歓迎だぞー?」

「現金だなあー」

 食事の終わった理は部屋から高美の名刺を取ってきて、携帯電話の番号に電話した。


『もしもし』

「こんばんは、理です。遺伝子検査のことですが、父にも承諾を得ましたので受けたいと思うんですが」

『申し訳ない。事情が変わりまして、しばらく待っていただきたい』

「なんだ、またですか?」

『あ、いや、申し訳ありません。すみませんが事情を整理し次第ご連絡いたしますので、それまでそちらからの連絡はお控えくださいますか?』

「はあ…、承知しました」

『申し訳ありません。それと、……理さん、この件について外で話すのも控えていただけますか?』

「ええ、気をつけます」

『よろしくお願いします。それでは、失礼いたします』

 切れてしまった。


「なんだ、また延期か?」

 忠穂が呆れて言った。理は腑に落ちない顔で答えた。

「うん。なんだろね? 妙に硬い声で、なんかあったみたい」

「ま、大財閥さまだもんな、いろいろあるんだろうぜ?」

「そうなんだろうねえ」

「おまえも、面倒なことに巻き込まれないようにせいぜい気をつけろよ?」

「なんかもう手遅れって気もするけどねえ?」

 理は茶化しながら、高美のどこか怯えたような様子を心配した。

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