01,プロローグ〜結婚の条件
*自己申告。この小説には推理する上で卑怯な設定を使用しています。そのヒントは明記してありますので注意してお読みください。最後にあとがきで種明かしします。
馬場忠穂(ばばただお)は喫茶店で明川理花(あけかわりか)を待っていた。
忠穂がアメリカ留学に旅立ってから実に4年ぶりの再会になる。
忠穂の心中は複雑だった。旅立つ前、理花は笑顔で「待っている」と言ってくれた。向こうに着いてからもたびたび電話やメールで連絡を取っていた。それが3ヶ月くらいして急に連絡が取れなくなり、どうしたのだろうと思っていると、メールで「ごめんなさい。あなたとわたしは合わなかったようです。わたしたちはもう会わない方がいいと思います。さようなら」と一方的に別れを告げられ、けっきょく、それっきりになってしまった。「待っている」と言った笑顔を思い出し、女心の不可思議さを思った。忠穂と理花は同じ大学の3年生で、恋人同士だった。彼女を置いてきた自分が悪いのだと諦めようとした。貧乏学生の自分が学費を出してもらって留学できるチャンスなどこれっきりだっただろうし、彼女を選んで大学に残っても、きっと、自分の将来を諦めた不満を生涯抱え続けることになっただろう。彼女が言うとおり、自分たちは「合わなかった」のだろう。
それが、4年間あちらの大学での留学を終え、帰国が決まった途端に彼女から電話が掛かってきた。
『お久しぶり。ごめんなさいね、突然。あなたにお話があるの。ううん、お願い、ね。会って…もらえないかなあ?』
忠穂は今さらなんだという腹立たしい気持ちもあったが、会うと答えた。急な別れの理由が知りたかったし、やっぱり、今でも彼女が忘れられなかった。向こうで忠穂は女に関して「硬い奴」とからかわれたが、それは理花がずっと好きだったからだ。
もう一度彼女に会いたい。
やはりその思いをずっと引きずっていたのだ。
現れた彼女を一目見て、忠穂はぎょっと胸に矢が突き刺さったように感じた。
理花は、大きなお腹をしていた。
「驚いた?」
開口一番彼女の言葉がそれだった。
「うん。びっくり」
「ふふ」
彼女はすっかり開き直ったような悪戯っぽい笑いを浮かべて忠穂に向かい合って座った。ウェイトレスにアイスティーを頼み、運ばれてきて、「ごゆっくりどうぞ」と行ってしまうと、さすがに緊張した様子で言った。
「お元気そうね? よかったわ」
「うん。君も。……その、順調なの?」
「ええ。6ヶ月。お腹をけっぽられて痛いわ」
忠穂は、少し斜に構えて、理花を見つめた。理花は、4年前と変わらず綺麗だった。
忠穂は、俺は馬鹿だな、と内心自分をののしり、苦笑いした。
「幸せそうだね?」
「ううーーん……、そう…なんだけどねえーー」
理花は大きなお腹を撫で、モナリザのような不可思議な笑みを浮かべて忠穂を見つめると、言った。
「忠穂君、まだわたしのこと好き?」
「うん。なんだかすっごい敗北感を感じるけど、やっぱり好きだ」
「そう。嬉しいな。わたしも好きよ」
「そのお腹で言われてもなあー」
「ちょっと訳ありでねー」
うふふ、と笑い、じいっと忠穂を見つめると、静かな口調で言った。
「今でもわたしが好きなら、この子を自分の子どもとして受け入れて、わたしと結婚してくれない?」
忠穂は、さすがに不快を感じ、眉をひそめて理花を睨んだ。
「いきなり無茶言うなよ。なんだよ?その子の父親とは結婚しないのか?」
「結婚は出来なかったの」
「どうして駄目だったんだ?」
「理由は今は言えない。この子が大人になって色々なことを理解できるようになったら、その時あなたにもいっしょに話すわ」
「それまで、何も聞かずに俺にその子の父親でいろって言うのか?」
「そうよ。こう言っても信じてもらえないでしょうけど、わたし今も忠穂君のことが大好きよ? 愛してるわ。あなたがわたしとこの子を受け入れてくれたら、わたしはすごく幸せよ」
「まいったなあー……」
忠穂は顎をのけ反らせ、天井を見た。扇風機のプロペラが緩やかに回っていた。
「いきなり子持ちかよ」
顔を前に戻すと、理花はニヤニヤ笑っていた。既に忠穂の答えが分かっているように。
「心配しないで。この子は絶対、すごくいい子に育つから。わたしが保証するわ」
忠穂は諦めて、口を曲げて笑った。
「参りました。幸い俺は身軽なんでね。どうせおまえ、それも見越してのことなんだろう?」
「関係ないわよ」
理花はほっとして、安心した笑いを顔いっぱいに浮かべた。
「身勝手で悪いけど、わたしは忠穂君に受け入れて欲しかったの。ありがとう。感謝するわ」
忠穂はふっと息を漏らし、頷くと、微笑んだ。
「悪かったな、4年間も放っておいて」
「ええ。わたしもいろいろ苦労したのよ? これから、親子三人楽しく過ごしていきましょうね?」
「了解しました、奥様」
すっかり自信満々の彼女の笑顔を眺め、
やっぱりこいつにはかなわねえな、
と忠穂は可笑しくなった。