8 夢は今に繋ぐ
まぶたの裏に、まだ夢の残滓が揺れていた。燃えるようなピンクレッドの髪。優しい琥珀色の瞳。抱きしめられた温度。『護る』と言ってくれた声。
そのすべてが、遠ざかるように薄れていく。
(あぁ、夢だったんだ)
そう思った瞬間、指先に温もりを感じた。右手と左手、それぞれに違う温度が絡んでいる。ゆっくりと目を開けると見慣れない天井があった。白くて無機質で、どこか冷たい。
病院だと気づくのに時間はかからなかった。
右側には妹がいた。泣き腫らした目で、手を握ったまま眠っている。その姿だけで胸が痛くなる。そして左側には、高校のときバレンタインにチョコレートを渡した相手がいた。彼は椅子に座ったまま上半身をベッドに預けるようにして眠っていた。握られた手は、夢の中のアルヴァーノよりずっと大きくて、でも同じくらい優しい温度だった。
胸がぎゅっと締めつけられる。
どうして。どうしてあなたがここにいるの。
そう思ったとき、彼が目を覚ました。
「……起きたのか」
まばたきをして、ベッドの住人と目が合う。声が震えていた。驚きと安堵と、長い時間の緊張がほどけたような響き。彼は勢いよく身を起こし、食い入るようにこちらを見つめた。
「ごめん! 謝っても許されないのはわかってる! だから償いをさせてほしい」
いきなりの言葉に、頭が追いつかない。
「償い、って何?」
かすれた声で問い返すと、彼は唇を噛んだ。そして、絞り出すように言った。
「高校のとき、お前がいじめられてるの知ってて何も言い出さなかったこと。お前にチョコもらって浮かれて、その後のいじめから目を背けたこと」
思い出されるのは苦い記憶ばかり。ひとときの幸せは彼を好きだという少女に壊された。いろいろなものを諦めて、捨ててきた。
「なんでいまさら⋯⋯」
いまさらそんなことを言わないでほしい。もう思い出したくなんてない。幸せを思い出すと、後から後から苦しい思い出が何倍にもなって襲ってくるから。夢だと諦めてしまえればどれだけ幸せなことか。どうしてこの人はそれをわかってくれないのだろう。泣きそうになる涙腺をキュッと締めて、彼を見つめる。泣いても涙を拭いてくれるアルヴァーノはもういないのだから。
けれど、『私』の思いとは裏腹に彼は、必死そうな顔で叫んだ。
「好きだからっ」
胸の奥が跳ねた。
「お前のことがずっと好きだから! そばにいさせてほしい!」
その言葉は、夢の中で何度も聞いた『愛してる』と同じ重さで落ちてきた。
「⋯⋯じゃあなんで⋯⋯なんで今までそう言ってくれなかったの!?」
気づけば叫んでいた。堪えていたはずの涙が勝手にあふれてくる。夢の中のフィオレンツァが泣いていた理由と、『私』が泣いていた理由が重なって、胸の奥がぐちゃぐちゃになる。彼は苦しそうに顔をゆがめた。
「俺が意気地なしだから、だから、言えなかった……ごめん! 苦しいときに声かけなくてごめん! ずるい人間でごめん!」
その言葉は、夢の中でアルヴァーノが何度も言ってくれた『護る』と同じくらい、真っ直ぐで、痛いほど優しかった。
泣きながら、握られた手をぎゅっと握り返す。
「……遅いよ。ずっと、ずっと欲しかった言葉なのに」
「遅くなっても……言わせてくれ。俺は、お前をひとりにしたくない。これからは、ちゃんとそばにいる」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。彼の左手が背中に、右手が頭の裏に回って、顔が首へ押しつけられる。しっかり受け止めてくれる彼の胸に顔をうずめて泣いた。今までの分を取り戻すように大声を上げて。まるで子どもみたいに。
「俺さ、夢見てたんだよなぁ」
「夢?」
「おう。なんかめっちゃファンタジーな世界で、お貴族様とかいんの」
だいぶ落ち着いて、急に恥ずかしくなって離れようとすると彼はガッシリと強い力でホールドしたまま離してくれなかった。代わりに何かを話し始めて、それに耳を傾ける。
「でさ、めっちゃ可愛い子がいてさ。俺、なんでかその子がお前としか思えなくて。だから今度は絶対護んないとって思って⋯⋯⋯⋯なんか俺めっちゃ恥ずかしいやつじゃね? 忘れて!」
「えぇ? なにそれー」
またぎゅうぎゅうと抱きしめられる。それがすごく嬉しくて恥ずかしい。苦しいと伝えると少しだけ力を緩めてくれる。人の体温のあたたかさで心も温まっていく。
「私も見たよ。おんなじ夢じゃないかな」
今まで寝こけていた妹が寝ぼけ眼をこすりながら目を覚ました。ちょっと口元がニヤニヤしている。いったいいつから起きていたのか知れやしない。
「お姉ちゃんがいて、私、今まで世話かけてばっかりだったから今度は私が代わりにって思ってね。でもお姉ちゃんてばひどいんだよ? めっちゃ髪引っ張ってくるし、頭を踏んでくるし、ハサミ首に突きつけてくるし」
「えっ」
それはフィオレンツァが目覚めたときに侍女のリゼッタが言っていた内容そのものだった。『私』が憑依する前のフィオレンツァの話。しかしもしかしたら、そのフィオレンツァもまた『私』だったのかもしれない。
「あ、でも最後には悪役みたいに笑って解放してくれるんだけど。かわいいから痛くもなかったし」
妹が笑った瞬間、夢の中のアルヴァーノの姿が重なった。彼が誓った『一生大事にする』という言葉が、現実の彼の声と混ざる。
あぁ、そうか。あの夢は、ただの夢じゃなかったんだ。
『私』が欲しかったもの。『私』がずっと求めていたもの。そして、彼が、妹がずっと後悔していたもの。三人の心が、夢の中で繋がっていたのだ。涙が止まらないまま、『私』は笑った。こんなに泣けるほど泣き虫だった覚えはないけれど、彼や妹のおかげでたくさん泣けるようになったらしい。
「……なぁ」
「ん?」
「髪、染めねぇ? ピンクレッドにさ」
彼は照れくさそうに笑った。
「似合うと思う。すごく」
「……じゃあ、そうしてみようかな」
それは夢の中のフィオレンツァがくれた色。愛されることを知った色。新しい人生を始めるための色。その色を、今度は現実の『私』が選ぶ。
彼の手を握ったまま、静かに目を閉じた。もう、ひとりじゃない。
夢の中で願った『あいして』は、現実でようやく届いたのだ。
裏設定
一応なんとなく文章に書いてますが、しっかり残せなかったのでここで供養
フィオレンツァ→『私』
『』がついてるのは、昔、中学時代の現文の教師が、小説の『私』の心情を答えなさいという問題では解答欄に私ではなく『私』と書くべきですと強く言っていたのが頭にこびりついて離れなかったからです。腹立つくらい何度も言われて笑。ずっと天の声で書いていたのに途中で一人称になるのは気持ち悪い。けれど7話なんかは本人の声でしゃべったほうが立体感が出る。作者に天の声で書ききる能力がなかったんです⋯⋯。甘えの表れです。すみません。
アルヴァーノ→彼
名前は出していません。この物語は究極ハッピー脳による馬鹿げた妄想で、現実にこんな都合の良い人間は現れないからです。しかしそんな馬鹿げたハッピーエンドがあってもいいと思うのです。現実はすごく厳しい。けれど必死に生きようと足掻いた人が報われるのは当然のことであってほしい、という作者の願望。あと彼はカッコつけの激しい誠実人間なので声をかけなかった理由を言いませんでしたが、本当は主人公に話しかけることでいじめが加速するのを恐れたためです。が、臆病にちがいはありません。本当に助けたかったのなら話しかけるべきだった。肩を並べて戦うことができたなら、彼は真につよい人間になっていたでしょう。しかし実際にそんな人は少ないでしょうね。好きな人へのいじめが加速するのも自分にヘイトが向くのも嫌だから顔を背けてしまうことはあると思います。それが人という生き物でしょう。
リゼッタ→妹
彼女もまた彼と同じ理由で名前はありません。それをいったら主人公もですが笑。誰かを守る行動をとれる人はいつだって強いものです。妹は姉の必死な姿を見て育ち、恩返しをずっと考えていました。彼女は世渡り上手で姉ほど苦労はしていませんが、心根は優しい人間です。
アンジェリーナ→彼に想いを寄せていたクラスメートの女の子?
彼女に関してはチョコ事件でチョコを渡しそびれた子という意識で書いてましたが、最後には別に他の人間でもよくないかと思い、正体について言及しませんでした。これは皆さんの独自解釈におまかせします。
皇国エリュシオン
実は別作品MONOの帝国ランスホルストの少し離れた西側に位置する国です。つまりこの世界にも魔法はある。しかし今回は魔法を書きたかったわけではないのでカットしました。MONOのほうは一応続きを8つくらい用意してるんですが、今の展開の次の話が書けてなくてその8つの話と繋がらないので休んでます。多分更新はだいぶ遅いです。待ってくださっている方がいらっしゃったらすみません。
皇国の名前はイタリアの神話に出てくるエリュシオンという天国から。あまり神話をモチーフに書くという経験がなく、全然伝えられなかったのですが一応そういう設定がありました。主人公はたくさん頑張ったから幸せの世界へ行ったのです。なんでイタリアなの?って感じですが、それは名前を先に考えたせい。
最後に
みなさん笑いましょう! 内側からあふれる活力と幸福は人を引きつけあなたの原動力となります。笑うという行為は本当に大事なことです。さぁみなさん笑いましょう!
※この間夢を見ながら覚醒間際だったときにヒヒッと笑い出してしまって友人にドチャクソ引かれました。完全に無意識だったんですが、気持ち悪いと軽く一ヶ月くらいネタにされています。みなさんもお気をつけて。
それではお読みいただきありがとうございました。




