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7  あいして


 何十回何百回と夢に見た。いつか誰かがこの苦しい毎日から救い出してくれる未来を。痛いくらい抱きしめて、『もう大丈夫』だと笑ってくれる未来を。


 そんな夢には手が届かないことを知っている。


 小学四年生のとき、両親が離婚した。五つ下の妹とともに母と三人で暮らすことになった。毎日の騒がしい大喧嘩から解放されてようやく楽になったのかと思った。


 否。


 そこが絶望の始まりだった。


「お前んち、父ちゃんいねぇんだろ?」

「貧乏はこっち寄らないでくださーい。ニオイが移るじゃん」

「ついでに貧乏も移るかもぉ!」


 キャハハハハハッ


 無邪気な笑顔で悪意を隠して笑う子ども。みんな誰かに愛されて生きている。それでもなにか満ち足りないのだろう。目につく者を攻撃し、傷ついていく様を嗤うのだ。そんなもので何かが満たされるとは思わないが、彼らは『遊び』感覚の延長線上で踊っている。


 物を盗んでも隠しても捨てても汚しても、『私』のものな平気でなんでもできる。ほんの小さな勇気を出せば簡単に崩れる脆いものたちは、『私』の悲しむ顔を見たいからという理由で消えていく。一つ失うたびに『私』の中から何かが欠けていく。涙の雫をいくつ落としても、何も変わらなかった。


「アンタはほんとグズねぇ。なんにもできないんだから」


 手先が不器用なのは昔からだった。学校の工作の時間が嫌いだった。人より失敗が多くて、それを笑われて何かが減っていく。年齢が伸びるとみんなある程度は上手くできるようになっていく。だから、下手なのがより顕著になった。美術の授業が大嫌いになった。見ているだけならおもしろいのに、作ってみたいと思うのに、完成形は誰にも認められない。


 高校のとき、クラスメートの男の子の手先がとても器用で羨ましくなった。文化祭でも体育祭でも、普段の教室でも彼は引っ張りだこで、正反対に立っている彼に近づきたくなった。ないものねだりという言葉が頭をよぎって、伸ばした手を引っ込める。


 母は料理をしない。洗濯をしない。知らない男を家に連れ込んで、毎晩毎晩狂ったようにに吠えている。そのくせ『私』の料理には塩気が多いだの不健康だの文句をつける。辛いものも甘いものも好きで自分で買ってくるくせに。バツが悪くなると『私』や妹をなじるようにネチネチと口撃してくる。お金に執着して、買い物に依存して、男にいれこんで。姉妹を雁字搦めにしてくる妖怪だ。


「きょ、今日はバレンタインだから。ちょっとくらいならいいでしょ」


 バイトして貯めたお金で妹と、少し奮発していいチョコレートを買う。甘くてとろけそうになる。『私』より生き方が上手な妹はそれほど苦労はしていないらしい。問題なのは母親だけだと。でも変わらず姉妹で仲良く過ごすのは心地よくて、仲間がいることに嬉しくなった。


「お姉ちゃん、それ、前に言ってた人に渡してきたら? なんだっけ? めっちゃ器用な人?」

「え、いや別にそんなんじゃないし」

「いいからいいから! 母さんにはバレないようにテキトーになんか言っとくから、ちょーっと遅くなってもいいよ!」

「そんなんじゃないんだってば!」


 妹に背中を押されて気恥ずかしくなる。情けないし、勇気を持てない自分が悔しくなる。それでもせっかくならと一歩を踏み出してみるのは、思っていたより胸が弾んで。


「こ、これ、う、受け取ってくれる?」


 放課後の教室で顔を真っ赤にしてチョコレートを渡す。どもりながらで恥ずかしくなる。もっとかっこよく渡せたらよかった。


「マジで? いいの?」


 びっくりしたような顔で受け取ってくれる彼を見てまた赤くなる。部活帰りに忘れ物をして教室に戻ってきたところだったらしい。本当はこっそり机に入れて帰るつもりだったのに、ばったり出くわしてしまった。見つけてもらうのはバレンタインの翌日になってしまうけれど、それでもいいから渡したかった。妹が勧めてくれたから。勇気を出してみたから。


 でも、そのチョコレートと同じように束の間の幸福は溶けてしまうもので。チョコレートを渡してからその人と関わることはなかった。


「アンタのことなんか誰も好きになるわけないでしょ⋯⋯思い上がってんじゃねぇよ」


 チョコレートを渡すのを見ていたらしいクラスメートの女の子が、『私』に対して苛烈になった。彼女もあのときチョコレートを渡そうと追いかけきたところを、『私』に先を越されて渡せなかったという。それからいじめが加速して、『私』は不登校になった。


 不登校になっても勉強は諦めなかった。必死こいて無様でも何でもいいから、人の扱いをされたかった。生きていたかった。奨学金を勝ち取って大学へ行く。友達と遊ぶ余裕なんてないし、友達もできなかった。


「あいつ暗くねぇ?」

「近づきたくはないよね」


 バイトをしながら就職先を探して、妹の学費と生活費を貯めていく毎日。見た目や性格について何を言われても傷つかないように努めた。そんなことにかまけている暇はないのだと自分を叱咤して。


 でも、やっぱり心無い言葉は鋭く研磨されて身体に刺さってくるものだ。白い目も笑う声も全部嫌いになった。痛くて苦しくて辛い。


 愛想笑いが多くなって、それすらできなくなったとき、あぁもうだめだと思った。


 幸福は愛されている人間の中からあふれてくる。それがない、しぼってもしぼってもカスカスな埃しか落ちてこないような人間を求める人はいない。結局就活もボロボロの結果ばかり。ようやく繋がった縁はブラック企業で、『私』の人生ってなんだろうとふと思わずにはいられなくなった。


 だからフィオレンツァとしてアルヴァーノに愛されている瞬間は、ほかのなによりも嬉しかった。もうなにもいらないから、これがまやかしでもなんだっていいから、このまま彼の腕のなかで夢見ている自分でいさせてほしい。ただそれだけでいいから。


 お願いだから、『私』をあいして。


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