6 愛するということ
ラブコメ要素はどこへ行ったのか
気づけば外は静かだった。足音も声も聞こえてこない。あれほど耳をつんざく悲鳴と怒号が飛び交っていたのに、今は風の音すら聞こえない。不自然な空白。音が消えたというより、世界が息を潜めているような沈黙にアルヴァーノは眉をひそめた。
侯爵令嬢に向けて鉄砲を構えた人間が、そう簡単に諦めるはずがない。ましてや隣には皇太子がいたのだ。向けただけで輝かしい将来は潰えるが、加えて引き金を引いた。あれはもう、理性ではなく狂気だ。
狂気は、静けさの中でこそ牙を研ぐ。この不気味さにアルヴァーノは強く不安と怒りを覚えた。フィオレンツァを抱き寄せ、言い聞かせるように言葉を並べる。
「フィー、よく聞いて」
彼の声は低く慎重で、しかし焦りを隠しきれていなかった。
「⋯⋯」
「俺は今から外に出て様子を見てくる。それから衛兵を連れてくるよ。君はここで待っていてほしい。できる?」
フィオレンツァは唇を噛んだ。胸の奥がざわつく。それは嫌な予感だ。どうしても彼を行かせたくない。でも、彼の言うことは正しい。ここで立ち往生していても事態は何も変わらない。相反する感情がせめぎ合う。
「⋯⋯足手まとい?」
「そんなことない! 狙われているのは君だ。君が傷つけられることはあってはならない。わかってくれ」
その言葉は、彼の恐怖の裏返しだった。フィオレンツァを失うことへの恐怖。それが声の端々に滲んでいる。もう裏切りだなんだとは思わない。彼の深い愛情を知っているから。フィオレンツァは笑った。
「私は大丈夫。それより外に出てアーノが怪我をしないか心配⋯⋯大丈夫なの?」
その言葉に、アルヴァーノは一瞬だけ目を見開く。そして、微笑んだ。優しく、痛いほどに。
彼はフィオレンツァを弱く脆い人間だと思っていた。自分が守らなければ壊れてしまう。そんな気さえしていたのだ。しかし彼女はそうではなかった。強くたくましく、信念を持って生きられる女性だった。自分以外のその他大勢が嘲笑しようと罵ろうと、彼女は折れずに立ち向かおうとした。その姿勢を先程まざまざと見せつけられ、己の理解が浅かったことを反省した。
彼女は守られるだけの人間ではない。だが己が命を賭して護りたいと思える女性だ。
「すぐ戻る。絶対に」
そう言い残し、彼は小屋の扉を静かに開けた。外の空気が流れ込み、陽光が二人を照らす。扉が閉まると同時にその陽光が遮られ、暗い小屋の中にフィオレンツァはひとりだけ取り残された。
心臓がうるさい。鼓動が耳の奥で跳ねる。アルヴァーノの温もりがまだ身体に残っているのに、世界は急速に冷えていく。
―――静かすぎる。
息を呑んだそのとき、ギィ…… と蝶番の軋む音がした。今しがたアルヴァーノが出ていったばかりの扉からだ。身体がこわばる。
「……誰?」
おそるおそる問いかけるが返事はない。代わりに扉は全開になった。
「ッ」
扉の前には、頬を染めたアンジェリーナが立っていた。呼吸が止まる。今もっとも会いたくない人間が会いたくないタイミングで現れた。
「やっと見つけた」
その声は、甘く、冷たく、底がなかった。アンジェリーナは迷いなくフィオレンツァの腕を掴む。爪が食い込み、皮膚が白く変色する。
「痛っ……!」
「黙りなさいよ。誰か来たら困るでしょ」
その声は、いつもの天使のような声ではなかった。濁り、乾き、怒りでひび割れていた。フィオレンツァは引きずられるように外へ出された。乱暴に放り投げられ地面に膝をつき、砂が制服に付く。
「どうして……どうしてアルヴァーノ様はアンタなんかを庇うの……?」
アンジェリーナの目は狂気に濡れていた。涙ではない。怒りと嫉妬で濁った光だ。美しさがより拍車をかけ、フィオレンツァよりもよほど『魔女』の称号が似合う狂気を全身で表している。髪をかきむしり皇国エリュシオンの神である太陽を見上げる。皇帝が座す皇城を照らし、彼女はうっとりとした表情で城の旗を指さした。
「私はね、欲しいものは全部手に入れてきたの。宝石も、ドレスも、地位も、名声も。みんな私にひれ伏した。私が望めば、誰だって笑って差し出した」
声が震えている。怒りで、悔しさで。
フィオレンツァは絶句した。彼女の言わんとするところを理解したからだ。何だって手に入れてきた彼女が今一番欲しいと思っているものは、彼女の指さす先、つまり皇城だ。すなわち、皇城の主である皇帝さえ手に入れたいという願望の表れ。現皇帝に近づくことは叶わないならば皇太子をものにしてみせようという魂胆であろう。皆が崇める天使アンジェリーナは強欲だった。
「なのに……アルヴァーノ様だけは違った。私じゃなくて……アンタを選んだ」
フィオレンツァは息を呑んだ。アンジェリーナの手が震えている。
皇城や国のトップという地位と富と名声が欲しくてたまらないのだ。そして同時に見目麗しい殿方からの愛情を一身に受けることにも貪欲。攻略対象の四人だけでは飽き足らずアルヴァーノが自分を愛することを望んでいる。彼女にとってそれは当然でなければならなかった。
「許せないの。私より下のアンタが私より愛されるなんて」
その瞬間、アンジェリーナの表情が歪んだ。地面に膝をついた状態のフィオレンツァを見下ろし侮蔑の感情を瞳に乗せて睨む。
「だから消えてよ。アンタさえいなければ、全部元通りなのに」
彼女は隠し持っていた鉄砲を取り出し、銃口をフィオレンツァの額に当てる。
「き、聞いてもいい? どうやってあの四人をあれほどまでに心酔させたの?」
四人は異常だった。ゲームのシナリオ通りならば彼らは将来的に皇帝の側近や政治の重鎮として名を馳せるのだ。しかしながら仕えるべき主君に向けて発砲するという暴挙を犯した。自分の未来を棒に振り、憎い魔女を滅ぼそうと躍起になる。不可解な話だ。
「⋯⋯あぁ、あれね。フフッ まぁあなたじゃあ皇太子一人を落とすだけで精一杯だったのでしょうけど」
「なっ 私はそんなんじゃ!」
「本当に?⋯⋯皇太子に愛してほしくて仕方なかったんじゃなくて?」
転生したと気づいて恐怖した。暗い人生を歩んだ前世のように破滅してしまうかもしれない未来に。だから護ると約束してくれたアルヴァーノに縋った。その事実は紛れもなく真実だ。アンジェリーナと同じように彼女もまた彼からの愛を欲しがった。
顔を歪ませるフィオレンツァを見てアンジェリーナはため息をついた。
「ま、別にいいわ。どうせ聞いたところで真実の愛がどうのこうのとかくだらないことを言うんだから⋯⋯四人が私だけを愛するよう仕向けるのは簡単だった。それぞれの悩みを私が解決していきながら調教すればいいの」
「⋯⋯調教?」
「家の重すぎる期待だったり、虐待の過去だったり、比較されるコンプレックスだったり、誰にも理解されない欲求だったり。そういうものをカウンセリングしながら、徐々に徐々に私なしではいられないようにするの。身も心も文字通りね」
ときには身体の関係になることもあったという。甘い言葉で誘導し洗脳を続けた。その結果がアレだという。アンジェリーナを崇拝する彼らは、彼女の一言で簡単に自滅する人形となったのだ。
「アンタは、そうね。何かにずっと怯えてるわ。入学式のときも泣いてたわね。皇太子の気を引こうとしたの? 授業中も移動時も、休みの日でさえアンタは皇太子の隣にいた。離れがたいのね? 周囲は離れていく一方だものね。それなら⋯⋯自分に優しい彼を手放したくないと思うのも当然だわ」
乙女ゲームのヒロインは必ず愛される。だからこそアルヴァーノの愛を奪いに来る彼女が怖かった。いつか崩れてしまうものかもしれない。安心などできるはずもなかった。彼の愛を失うということはイコール残忍な死を迎えるということなのだから。
フィオレンツァは彼女を睨んだ。
「アンタの非難がましい目、とても嫌いよ。アンタに私を責める権利があると思う? アンタだってアルヴァーノ様が欲しくてたまらないんでしょ。私と同じじゃない」
「私はそんなんじゃないって、」
「どうかしら。気を引きたくて怯えてるんでしょ。弱い人間なら守ってもらえるから⋯⋯自分は悲劇のヒロインだと思い込んで男に縋るばかりの女なんて死んでしまえばいいわ」
「違うって言ってるじゃない!」
フィオレンツァは叫ぶ。もう惨めな思いをしたくない。苦しんで死にたくない。最初はそれだけだった。けれど今は違う。
「アーノは私を助けてくれた。いつだって私に優しくしてくれた」
「姫扱いが嬉しかったの? アンタ幸薄そうだものね」
「私は彼が皇太子だから惚れたんじゃない。彼だから好きになったのよ」
「はぁ?」
アンジェリーナのように見た目や地位に惹かれたのではない。もちろんだからといって彼女の欲しがりと自分の欲が違うとは言えない。だが彼女にないものを持っていると自負している。
「私は! 彼の優しさと誠実さに癒されて、それに恩返ししたいと思ったの! それが愛するということでしょう!」
愛するということは部分的には欲しがるということだ。しかしそんな淡白なものであっていいはずがない。心を通わせて初めて愛し合うことができる。思い合うという尊い関係になること、それこそがフィオレンツァの求める愛だ。
「⋯⋯ほら言うと思った。真実の愛? 愛に飢えた女がよく言う台詞よね⋯⋯アンタなんかが愛されるわけないでしょ。思い上がんなよ」
同じ言葉を昔、誰かに言われた記憶がある。フィオレンツァは頬が引きつるのがわかった。絶望はいつも足に絡んで彼女を奈落へ引きずり落とそうとする。もがけばもがくほどそれはより強く彼女を縛りつけるのだ。
アンジェリーナはうっそりと笑って引き金に指をかける。
「フィー!」
そのとき、遠くから走ってくるアルヴァーノの声が聞こえた。その顔は銃口を突きつけられた彼女を見て恐怖している。
「アーノ!」
駆け寄る二人。フィオレンツァは即座に立ち上がって最愛の人の胸へ飛び込もうとする。しかし、その背後。怒りに染まったアンジェリーナが鉄砲の引き金を引くのがアルヴァーノの目に映った。
「危ない!」
アルヴァーノがフィオレンツァを抱きとめかばうのと、アンジェリーナの鉄砲から飛び出た弾丸が彼の背中に刺さるのは同時だった。身体が大きく揺れ苦悶に顔を歪める。愛する少女を守れるならば、と力を振りしぼる。
「〜〜〜〜ッ! だからアンタが嫌いなのよ、この根暗女!」
アンジェリーナは命がけでアルヴァーノに守られるフィオレンツァを見て嫉妬した。どうあっても自分は手に入れられない愛を見せつけてくる彼女が憎かった。
自暴自棄になったアンジェリーナの暴走は止まらない。必死に庇おうとアルヴァーノが覆いかぶさったフィオレンツァに発砲する。弾丸はアルヴァーノの腕をかすり彼女の脇腹に撃ち込まれる。続いて移動したアンジェリーナは隙間を狙って残りの弾をフィオレンツァの首や腹や腕に撃った。半数はアルヴァーノに当たったものの、フィオレンツァは急所を攻撃され、二人は互いを抱きしめたまま意識を失った。
二人の少女がなんかケンカしてるんですけど、書いててとてもイラッときました。不快になった方、すみません
あと皇太子はフィオレンツァをかばうまではよかったが、その後アンジェリーナから鉄砲を奪って拘束しないから二人とも容易く撃ち込まれる結果になった。他作品の異世界モノのヒーローのように動けないのが今作のヒーローです。
なんでこんなもの書こうと思ったんだろう⋯⋯




