表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

4  生きるために


 貴族は縦横の繋がりが必須だ。身分が高ければ高いほど、皇帝からの信頼が厚ければ厚いほど縦の頂点に立ち、横のリーダーになれる。その他の大半はトップを崇め奉り媚びへつらっていればそれなりの見返りを受け取ることができる。エキセントリックな人格も馬鹿正直な正義感も不要で、ただ従順にしていればいい。


 ただそれだけで、貴族という生き物は生きていけるのだ。仲間意識や絆のような尊さはまったくないけれど、腹を満たし見栄を張れる。食べることと身の安全が必ず約束され、きらびやかな石や滑らかな布を漁り求める。欲望に欲望を重ね、物足りなくなると今度は他人の不幸を見たくなる。


「ねぇお聞きになりまして?」

「フィオレンツァ様のお話でしょう? 本当なのかしら?」

「でもとっても⋯⋯⋯⋯⋯⋯おもしろそう」

 

 才色兼備のディラーナ侯爵令嬢。音楽の都と言われる豊かな国から嫁いできた姫君を母に持ち、皇帝の右腕たる宰相を務める父の血を色濃く受け継ぐ。透き通るような声や天女のような微笑みで多くの者を魅了する。皇国エリュシオンの貴族たちは彼女についてこう語る。


―――まるで、魔女であると。


 前世を思い出した日からゲームのなかの極悪非道なフィオレンツァ・ディラーナと同じ轍を踏まないよう、縦ロールだった髪をストレートにし、睨むばかりだった顔に笑みを乗せた。暴力や口汚く罵ることをまったくしなくなり、常に人から求められるような優しい人間を演じてきた。そうなれるよう足掻いてきた。―――つもりだった。


「アンジェリーナ嬢を階段から突き落とそうとした、って」


 人を誑かし、あまつさえ天使に手をかける巨悪。フィオレンツァ自身の人格を元にした些細な努力は何の意味も持たず、ゲームの強制力は大きな壁となって立ちはだかる。いつも、いつも、彼女の周りは敵だらけだ。


「そんな噂を聞いたんだけど」


 あたたかな光をたたえていたはずのアルヴァーノの瞳が冷えきっている。そして、その視線はフィオレンツァに向けられていた。最後に縋れる藁だったはずなのに、彼女が掴む以前に藁は刈り取られてしまった。


「ッあ⋯⋯わ、わたし、」


 ついに、恐れていたことが起きた。『君を護る』と言った彼の言葉が触れただけでほろりと崩れていくようだった。

 周囲の貴族の目が怖い。入学式後の講堂で接触して以降、アンジェリーナとは会った覚えはない。ならば彼らの間で囁かれている噂の出処はどこだ。なぜそんなことをする必要がある。


 なぜアルヴァーノはそんな目で見てくる。


 のどが震える。腕と手に痺れが走る。口が思うように動かない。やはりあのとき、前世を思い出したあの日に心を決めて、すべてをなげうって逃げ切るべきだった。優しい人間だからと容易く受け入れるべきではなかった。


 今、何を信じればいい。何を信じれば人間として生きていけるのか。フィオレンツァにはすべてがわからなくなった。


「その通りですよ、殿下。アンジェリーナはあの悪女に突き飛ばされたのです」

「幸いにも擦り傷程度で済みましたがね」

「それでも怪我したことに変わりはねぇだろ」

「フィオレンツァさんってコソコソ嫌がらせするタイプだったんだねぇ⋯⋯⋯⋯ま、そうだろうなとは思ってたけど」


 アルヴァーノの左右に並ぶのはこのゲームの攻略対象である四人の少年たち。しかしヒロインに見せるような甘やかな顔はどこにもない。冷たくフィオレンツァを見下す冬のような鋭さを持っている。


 誰も味方がいない。誰も助けてはくれない。誰も。


(あぁ、またこれか)


 この世のすべてを敵に回しても、必ずあなたを守り通す。そんな台詞を吐くヒーローに守られる恋愛物語が若い少女たちの間で流行った。どんな悪意からも全力で守ってくれる。真っ先に駆けつけてきてくれて、害なす者を蹴散らし正義の名のもとにヒロインは幸せを迎える。


 おとぎ話の主人公なら誰からも愛され、守ってもらえる。それどころか人を説得できるだけの主張を通す強さを持つことが許される。生きているだけで祝福されるのだ。


「何を呆けている?」


 愛する人から冷たい視線をもらうなんてことは一生で一度もないのだろう。身体の中心が冷えていくのがわかる。


「ははっ ほらどうにか言ったらどうです?」

「フィオレンツァ様、どうなんです?」

「なぁおいッ!」


 彼らの声はもはや正義ではなく、ただの侮蔑と苛立ちだった。喉がひりつくほど乾いて声が出ない。


(私は、いつまでだんまりでいるつもりなの? 誰も助けてくれないのはわかってたことでしょ?)


 己の身は己で守らなければ、他人を頼ることのできない人間に助かる術はない。誰かに縋ることを許されないのなら、己の足で立つしかない。それしか、生きる方法はないのだから。


(甘ったれてないで、立たなければ⋯⋯ッ!)


 そうでなければまた同じことを繰り返すだけだ。立ち上がれ。震えなど相手に見せるな。怯えを悟らせるな。歯を食いしばって前を見据えなければ。


 フィオレンツァは顔を上げた。覚悟を決めた人間の精悍顔つきたるや。皇太子の目が瞬く。


「おい」


 冷ややかな声が空気を刺す。皇太子たる威厳を持った声だ。四人は頼もしい背中を隠れ蓑に、フィオレンツァを鼻で笑う。返事をしない彼女を嘲笑する。周囲の貴族たちもまた、彼らと同様薄笑いを浮かべた。


 ところが、アルヴァーノは背後を振り返った。



「勘違いをしてくれるな。私は貴様らに問うている⋯⋯何を呆けているかと聞いているのだ」


 

 厳しさを孕んだ視線は四人を射殺すようなプレッシャーを放ち、思わずたじろいでしまう。普段の穏やかさをかなぐり捨て、こめかみには青筋が浮かんでいる。その怒気に身がすくむ。


「フィオレンツァがアンジェリーナ嬢を突き飛ばそうとした? その情報は誰から聞いた? 目撃者は? 場所は? そもそもフィオレンツァ自身にも聴取をしたのか?」

「え、殿下?」

「あの、」

「⋯⋯まさか、一方の話のみを聞いて彼女を犯人扱いしていたのではあるまいな?」


 周囲の空気が一瞬で凍りついた。誰もが息を呑む。皇太子の声は決して大きくないのに、その一言一言が、天井の高い空間に鋭く響いた。

 四人の少年たちは、互いに視線を交わす。その顔には、明らかな動揺が浮かんでいた。彼らは正義のつもりでフィオレンツァを責め立てていたのだ。アンジェリーナの涙を信じ、彼女の震える声を信じ、疑うことすらしなかった。しかしそれはアンジェリーナを盲信するがゆえの行動であった。


 そして、問われてなお彼らはアンジェリーナに執着する。不安はかき消え、キッと強くフィオレンツァを睨む。


「殿下まで誑かしたか、この悪女めッ!」

「恥を知れッ!」


 ツバを吐き散らすように叫ぶ彼らの目には憎悪が宿っている。眉間にシワが寄り、アルヴァーノとフィオレンツァの間に割って入る。彼女は、ただ立ち尽くすほかなかった。足元が揺れるような感覚。視界の端が暗くなり、呼吸が浅くなる。


 何を言われているのか理解できない。


 それでも、アルヴァーノだけは公平性を保とうとしてくれた事実が胸の奥に微かな熱を灯した。


 疑われるのは苦しい。今まで仲良く笑って話していた友人から嘲りと罵倒をもらう。味方は沈黙し、敵は増え、中立だった者たちは安全な側へと逃げる。そして、孤立する。孤独は抗いがたい痛みだ。フィオレンツァは唇を噛む。じわりと、血の味がした。


「私の婚約者と知ってその発言か⋯⋯痴れ者が」


 アルヴァーノはいかっていた。四人から離れるように歩を進め、フィオレンツァの隣に並んだ。


「⋯⋯え」

「すまないな、フィー。怖い思いをさせた」

「え⋯⋯え?」

「これほど優しい君を疑うなんて、やつらは何を見てきたのだろうね」


 彼女の肩を抱き、いつも通りの優しい笑みを向けられる。フィオレンツァは困惑した。彼は自分を見捨ててはいなかったのだろうか。それなら先程の冷たい視線は何だったというのか。


 しかしながら冷え込んでいた身体がじんわりと温かくなるのがわかり、微笑みを向けられるだけで安心してしまった。心からの安堵とはこういうものか、と妙な感心を覚える。それは泣きそうになるほど優しくて穏やかだった。


 アルヴァーノは周囲に睨みを利かせる。その効果は絶大だ。皇太子は次期皇帝と目される人物。すなわち縦の頂点に君臨し横の中央に位置する人間。身分と序列を意識する貴族にとって大きな存在だ。


 貴族というものは一枚岩ではない。さまざまな思想が派閥をつくり、序列が明確な差をつける。皇太子の傘下に下った者は必然的に彼の援護に回る。長い物には巻かれろと。


 ただし、この世界はヒロインであるアンジェリーナを中心に回っている。彼女の望む方向がこの世界の進む道だ。つまり皇太子であろうと彼女の邪魔をする者は、彼女を盲信する者によって阻まれる。


 混乱していた攻略対象の貴公子たちは腹からドス黒い感情が湧き上がってくることに気がついた。熱とともに頭に押し寄せるそれは、真っ赤な火花を散らして弾ける。


「魔女を殺せェ!」


 懐から取り出される鉄砲が皇太子の隣の女に向けられる。光を吸い込む闇のような黒穴から重たい音がしてすぐ小さな弾丸が真横をかすめた。


「ひっ」

「チッ フィー、こっちだ!」


 その場は大混乱に陥る。四人の発砲が招いた事態だ。身の危険を感じた人間は名誉やよりも安全を求める。根底の欲などそんなものだ。四方八方から叫び声が上がる。

 アルヴァーノは自らの背でフィオレンツァを庇いながら走った。暴走した四人に何の武器もなく立ち向かうほど愚かではない。避難誘導ができないのは痛手だが、あとは学園に常駐しているはずの衛兵に任せるのが適切だ。

 まずは四人に命を狙われているフィオレンツァを隠さなければ。


 できるだけ遠くへ、彼女を安全な場所へ。彼は走りながら辺りを見回した。


「ッ! あそこに入ろう!」


 アルヴァーノに促されるまま、フィオレンツァは小屋に身体を押し込める。奇しくもそこは、皇太子ルートのヒロインが彼と逢瀬を重ねる場所であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ