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3  大切なもの


「そういや、そんなこともあったな。あんまりフィーが泣くものだからビックリした」


 七年後、二人は晴れて学園に入学した。今日は学園の入学式であり、二人は学園の正門で校舎を見上げた。ついに乙女ゲームの本編が始まる。すなわちヒロインが登場しゲームの強制力なるものが本格的に働き始めるのだ。一応知識として持っている他の攻略対象たちとは、身分が近い関係で何度か小さな茶会で会ったことがある。しかしながらどうもそりが合わないようで、フィオレンツァはことごとく嫌われ腫れ物扱いを受けた。


 良い子にしていようと、雰囲気が気に入らない、目つきが気に入らない、着飾っているのが気に入らない、皇子のそばにいるのが気に入らないなど散々な言われようである。

 改めて無条件に受け入れてくれたアルヴァーノの懐の温かさに涙した。


 その彼といえば。


「フィー、その髪飾りつけてくれてるの? 嬉しいねぇ」

「アーノにせっかくいただいたので。その、あ、ありがと」

「かわいい」

「かっ かわっ」

「うん。かわいい」


 フィオレンツァに手作りの宝飾品を度々贈るようになっていた。プロの職人の腕には劣るものの、年々技術は向上している。皇城の一角に自分の工房を持っているらしく、暇さえあればそこでさまざまなものを作っているのだ。髪飾りだけでなくレザーのバッグや靴、シルクのスカーフや帽子、金属加工もお手の物。出来上がったものは家臣や皇帝夫妻にも贈られているが、その大半はフィオレンツァのもとへやってくる。花を模したものが多く、彼女にとってもお気に入りの品々である。

 フィー、アーノと呼び合うようになり、二人の仲は他が羨むほどだった。


 が、油断は許されない。ヒロインがもうすぐそばまで忍び寄っている。つまりフィオレンツァの破滅エンドはもう目の前だということだ。今まで以上に気を張らねばならない。彼女は小さく嘆息した。


「大丈夫だ、フィオレンツァ。俺は必ず君を護ると約束した。それを違えたりはしないよ」


 まるでフィオレンツァの心の内を見透かしたように言うアルヴァーノはさらに美しく成長した端正な顔に微笑をたたえて、惜しみない愛情を彼女に向けた。これにはいまだに慣れない。真っ赤に染まる顔を背けてか細い声で礼を言う。


 入学式は講堂で行われるという案内に従い、二人は連れ立って向かった。自然とエスコートしてくれるアルヴァーノの手を取る。きゅっと握り返すと彼は心底嬉しそうに破顔する。その顔を下から見上げるのが好きだ。まるで魔法のようにその人の心を変えているようで、なんだかわくわくする。つられて笑ってしまうのはご愛嬌。


 講堂には名のある貴族から錚々たるメンバーが参列し、我が子の新たな一歩を見守っている。公務で忙しい皇帝夫妻が並ぶことはなく、フィオレンツァの両親もまた仕事でここにはいない。それでも二人は悲しくなかった。隣にいるのが大切な婚約者で、それ以上に望むものは何もないから。


 入学式が始まり、教頭によって名前が読み上げられていく。産業大国であるこの帝国オルビリズ


「続いて、特別特待生。アンジェリーナ・マルキ」

「はい!」


「⋯⋯ッ!」


 豊かなプラチナブロンドが揺れる。小柄ながら華奢で美しい彼女はまるでおとぎ話の妖精のようで、見るものすべての心を動かす。小さな形の良い鼻とアーモンド形の目。濃い青色の瞳がシャンデリアの火に照らされて輝く。その姿はこの世に舞い降りた天使のようで、フィオレンツァでさえも彼女から目を離すことはできなかった。


 桃色のやわらかな色を乗せた唇が謝礼の言葉を述べ、校長は薄く目に涙を浮かべているらしい。そう、彼女こそフィオレンツァが恐れる乙女ゲームのヒロインである。愛想の良い笑顔と人柄で身分に関係なく人を集め味方を増やしていく。それに反比例するように悪役であるフィオレンツァは味方を失っていく。


 待ち受けるのは孤独だ。


「⋯⋯」


 人と触れ合うことで生きていける人間から、友を、仲間を、家族を奪ってしまえばどうなるだろうか。


「⋯⋯ー」


 涙で錆びた心を抱える寂しい人になってしまう。誰にも愛されず、許されず、生きていていいと、ただそのひと言を求めるような悲しい生き物。真っ暗闇に放り込まれ、もう二度と満たされない寂しい生涯を送るだけの人形に成り果てる。


「フィオレンツァ!」


「!」


 気がつくと入学式は終わっていた。眼の前には心配そうな顔をするアルヴァーノがいる。フィオレンツァの手を握り肩を抱いていた。たくさんいた学生たちはもう講堂の外のようだ。


「ぁ、アーノ」

「大丈夫?」

「え、っと」

「⋯⋯いいよ。しばらくここにいようか」


 頭を優しくなでられ、不意に涙が落ちそうになる。優しい人に出会える人生というのは幸せそのものだ。前に生きた道では、妹以外には誰も手を差し伸べてはくれなかった。少し足を止めて待ってくれるだけでよかったのに。たったそれだけのことを望んだだけなのに。

 それでもこの人は隣を同じ歩幅で歩いてくれる。それどころか、笑顔を見せてくれて話をしてくれて、フィオレンツァは彼からたくさんのものをもらった。それが嬉しくて思わず涙を流す。


(今日は泣くつもりなかったんだけど⋯⋯)


 緩んだまま栓を締められなくなった涙腺は、アルヴァーノが事あるごとに刺激してくる。今も、フィオレンツァがプレゼントしたハンカチを取り出して涙を拭いてくれる。彼と違って不器用な彼女が刺繍を施したハンカチをずっと大切に使ってくれているのだ。嬉しくないはずかがない。


 教師陣も退散したガランとした講堂にフィオレンツァのすすり泣く声が響く。トントンと背中をたたかれるリズムが気持ちいい。まもなく、涙はあとを残すのみとなった。


「あのぅ、ごめんなさい」


 そのとき、背後から誰かが声をかけてきた。小鳥のさえずりのような高く可愛らしい声。間違いなく、アンジェリーナの声だ。あたたまっていた心がスッと冷えていくのを感じる。


「ん? あぁ、なんだ?」

「道に迷っちゃって。校長室への案内をお願いできませんか?」


 うるうると潤んだ瞳。ぷっくりとした桃色の唇に当てられた指。庇護欲を誘うような様子の彼女は、いまだ椅子に座ったままのアルヴァーノに声をかけてきた。この世界でヒロインは皇太子ルートを選んだということだろうか。


「悪いが今忙しいんだ。ここを出て右手に行ったら、この時間に必ずそこを通る教師が現れる。彼に聞くといい」

「え、でも私はあなたが、」

「ほら早く。あと十秒もないぞ」

「え、ちょ、え」


 なにか言いたそうな彼女を追い立てるように講堂から出し、アルヴァーノは振り返った。一仕事終えました、とでも言いたげなさわやかな表情で微笑む。フィオレンツァはあっという間にヒロインが消えたことに頭が追いつかなかった。


「⋯⋯え」

「ん?」

「い、いいの? よかったの?」

「何が?」

「あ、あの子放っておいて」


 皇太子ルートならここでの出会いは重要なスチルだ。二回目に大階段で相見えるときに『入学式のときに逢ったよね』作戦ができるからだ。だがどういうわけか、アルヴァーノはヒロインには興味を示さず早々に追い返してしまった。


「放ってはいないよ。教師に任せた。それに俺は今、フィーのそばから離れたくはないからね」

「ッ!」

「それとも、俺にどっか行ってほしかった?」

「べ、別に、そんなことは⋯⋯言ってない、けど」

「じゃあいてもいい?」

「ウッ」

「だめ?」

「⋯⋯」


 素直に頼めないフィオレンツァはの性格をよくわかっているアルヴァーノは、下手に出れば彼女が拒めないことを知っている。そんな彼女が愛おしくて触れたくなる。壊してしまいそうなほど弱いのに、手を伸ばさずにはいられないのだ。


「⋯⋯よくない、こともない」

「よし! じゃあここにいる」


 今日もまたアルヴァーノは勝利する。誰にも邪魔されないように、大切に彼女を包みこんで。


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