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2  いつかの約束


 その日の晩、皇城から帰宅したディラーナ侯爵にフィオレンツァはこっぴどく叱られた。リゼッタはさすがに黙っておくわけにいかず執事長に報告し、その執事長が侯爵に話したのだ。一日中憂鬱に過ごしていた彼女は説教を話半分に聞きながら内心ではどうやってこの先を生き残ろうか考えを巡らせた。


 基本はワガママをなんでも受け入れ可愛い盛りの娘を甘やかす両親だが、皇室との取り決めで決まった婚約を勝手に解消しようと言い出した彼女には呆れてしまった。


 実は侯爵は今日、皇城で第一皇子とすれ違い、『とりあえず黙っとくから安心してくれ』と何やらよくわからない言葉をもらっていた。なぜかサムズアップのポーズまで取られたのだ。帰宅して初めてその真意を知り、第一皇子の寛大さに感謝した。


 フィオレンツァはアルヴァーノと同じ8歳。つい最近決まった婚約は内輪でのお披露目は12歳、正式には学園に入学する年齢である15歳の社交界デビューに合わせようという話だった。しかしながら当の本人が駄々をこね始めている。候爵はアルヴァーノのどこが気に入らないのか、幼い娘を問いただした。


 アルヴァーノ・カンデラリオは皇帝の正室、つまり現皇后の子。皇位継承権第一位を有する彼はいずれは皇帝となるだろう未来が見えている。皇帝が世継ぎを別の兄弟に与えてしまう場合もなくはないが、アルヴァーノほど優秀な者はそういない。


 学も才も持ち合わせる彼は皇帝となるべくして生まれてきた器だと言っても過言ではない。家臣にはときに厳しくときに寛容な姿勢を見せ、上に立つものとしての教育が徹底的に叩き込まれている。彼本来の素質がそうさせるのだろう。

 加えて、黒髪や琥珀色の瞳は代々皇室で受け継がれている血の証。建国の際黒髪の初代皇帝と婚姻を結んだ琥珀色の瞳を持つ女神、その両方の色を持って生まれることは皇室のなかでも栄誉あることだ。端正な顔立ちには気品や知性が備わっている。ぶっちゃけ第一皇子は引く手あまたなのだ。


「それを断るか?」

「断ります」

「なぜ?」

「いつか処刑されるかもしれないので」

「はぁ?」


 言葉足らずにもほどがある。しかし馬鹿正直に乙女ゲームの世界がウンタラカンタラなど言っても信じてもらえるはずもない。女神もお告げでウンヌンカンヌンと嘘をついても、より信心深い教会にお告げが出ずになぜ小娘のところに出るのか説明できない。ヒロインならば信じられるだろうが、フィオレンツァだ。無理に決まっている。最悪信託を騙る娘として火炙りに遭う。彼女は父に号泣して懇願した。



 そういうわけでアルヴァーノとディラーナ候爵一家でお話しましょうの会が催された。もちろん皇帝や皇后にはただの茶会としか伝えていない。ニコニコと笑顔でやってきた皇子は今度はマカロンを携えていた。


「それじゃあ話を聞こうか」

「ふっ あ、あのう、ですねぇ」


 無礼千万なあの事件から約一週間後のことである。ディラーナ侯爵にようやく休みが取れ、話し合いの場を設けることになった。その間、礼儀作法がすっからかんになっているフィオレンツァに優秀な侍女や執事らが気づかないはずもなく、彼女は記憶喪失ということで結論づけられた。きっと婚約解消の話も頭が混乱してとっさに言ってしまったのだろう。それなら謝ってなかったことにしてもらえれば万々歳。さぁ謝れ。

 侯爵夫妻は娘に圧をかけた。


「婚約のお話はなかったことにしましょう!」


 両親の期待もむなしく、フィオレンツァはまた同じことを繰り返した。しかし今回は前回より緊張はしていない。両親というギャラリーが増えたことは嬉しくないが、子どもというのは単純なもので両親がそばにいることが支えになっている。ところが今にも沸騰しそうな侯爵夫妻を見るに、彼らは娘に全面的に味方しているというわけではない。良くも悪くも貴族という生き物なのだ。


「ははっ いいよ。フィオレンツァがどうしても俺を嫌いだと言うなら皇帝になんとか話を通そう」

「本当ですか!?」

「しかし、殿下!」

「ただし、どうしても『生理的に無理という場合に限り』ね」


 喜んだのも束の間、ニコッと微笑む彼の笑顔に瞬殺された。


(無理に決まってるゥゥゥウ! だってどストライクだもんよォォォオ!)


 典型的な毒親の下で育ち、必死に勉強して奨学金を得ながら大学に通った。人間関係にいい思い出はない。唯一良かったのは妹との仲が良好だったこと。大学を卒業して仕事を探しているところで息抜きにと紹介されたゲームだった。

 暇つぶし程度にしか思っていなかった。けれど優しく甘い言葉を吐く攻略対象がひどく魅力的に見えて、現実逃避だとわかっていても縋りたくなった。アルヴァーノルートしかプレイしておらず、ブラック企業に就職したためゲームを再開する時間を持てずに死んでしまったのだが、死ぬ間際、ふと浮かんだのはあの世界に残してしまう妹とゲームのことだった。

 走馬灯というのであったか。きっと死ぬ瞬間にまで思い浮かべたこのゲームに、いるかわからない神は不憫な彼女を転生させてくれたのだ。だからこそ今度は悲惨な死を迎えるわけにはいかない。絶対穏やかな生活を手に入れて天寿を全うしてみせる。そう彼女は別世界にいる妹に誓った。


「その様子じゃ、別に俺のことが嫌いってわけじゃなさそうだけど」

「うっ」

「じゃあ婚約続行でもいい?」

「ウグッ」

「良くなさそうだな」


 ハラハラドキドキの展開に目を白黒させる侯爵夫妻を置いてけぼりにして二人の会話は続く。まるでイタチごっこのようなそれは、フィオレンツァ側の事情を話せば解決するのかもしれないが、やはり話すことはできない。ゆえに堂々巡りとなる。ギロリと睨みを利かせる従者が恐ろしく、フィオレンツァは顔を上げることができない。


 少し考える素振りをしたアルヴァーノは突然立ち上がると、向かいのフィオレンツァのそばに近づいた。優雅に膝をつき、彼女の手を取る。繊細な宝飾品を扱うように、そっと。


「フィオレンツァ、俺は必ず君を護ると約束する。絶対に裏切らない⋯⋯それでもだめかな」


 困ったように眉を寄せて微笑するアルヴァーノを見てフィオレンツァは限界に近かった。羞恥で顔は真っ赤に染まり、口がパクパクと声にならない声を上げる。


「⋯⋯そういうセリフを吐く子どもなんてかわいくない」

「そう?」

「⋯⋯まったくもってかわいくない。却下」

「えぇー」


 恥ずかしさで涙まで出てくる。けれど、優しい彼ならこの約束を守ってくれるかもしれない。もう人間関係で苦しむのは嫌だ。けれど、愛しい彼が愛情を向けてくれている現実を手放したくはなくて、フィオレンツァは彼の手を握り返した。

 俗に言うゲームの強制力とやらがどんなものかわからないが、それでもアルヴァーノだけは信じてみようと思った。


 涙腺がガッタガタのフィオレンツァは号泣した。包みこんでくれるアルヴァーノの高い服を鼻水と涙で汚して、両親は真っ青だった。しかし彼は『これくらい安いものだ』と言って気にも留めない。


「フィオレンツァ、落ち着いた?」

「……うん……ごめんなさい……」

「謝らなくていいよ。泣かせたのは俺だし」


 その言い方がまた優しくて、フィオレンツァは胸がきゅっとなる。涙を拭おうと袖で目元をこすった瞬間、アルヴァーノがそっと手を伸ばした。


「だめ。目、赤くなるよ」


 そう言って、彼は自分のハンカチでフィオレンツァの目元を丁寧に拭った。距離が近い。子ども同士のはずなのに落ち着いた仕草でフィオレンツァは息をのむ。精神年齢的には彼よりはるかに大人のはずだが、子どもの彼に翻弄されているようでなんだか泣けてくる。


「……フィオレンツァ」

「な、なに……?」

「さっきのかわいくないってやつ、ちょっと傷ついた」

「えっ……あ、あれは……!」


 言い訳しようとした瞬間、アルヴァーノがフィオレンツァの手を包み込む。その手は温かくて、逃げられない。


「でも、フィオレンツァが俺のこと……嫌いじゃないってわかったから、いいや」

「っ……!」


 心臓が跳ねる。彼はフィオレンツァより何枚も上手だった。


「ねぇ、フィオレンツァ」

「……なに?」

「俺のこと、怖い?」

「……こ、怖くは……ないよ」

「じゃあ、嫌い?」

「……それも……違う……」

「そっか」


 アルヴァーノはふっと微笑んだ。その笑顔がフィオレンツァの胸の奥をじんわり温かくする。そして彼はフィオレンツァの手を持ち上げ、その甲にそっと唇を触れさせた。ほんの一瞬。けれど、彼女の世界が止まった。


「俺は一生君を大事にする。約束だ」


 その言葉に、フィオレンツァは耳まで真っ赤になった。


(……ずるい……こんなの、ずるいよ……)


 婚約を解消したかったはずなのに、胸の奥がじんわりと甘くなる。アルヴァーノはフィオレンツァの手を離さず、まるで当然のように言った。


「俺は、フィオレンツァと一緒がいい」


 その声は、幼いのにどこか大人びていて、彼女の心を静かに揺らした。


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