ツンデレ女子召喚セット
湯川遵、二十六歳、独身。
中堅商社で働く彼のささやかな生きがいは、仕事帰りに啜るこってりしたラーメンと、深夜アニメ『魔法少女☆ラブリーミルキィ』を鑑賞することだった。特に作中のヒロイン、三島さゆり――通称「さゆりん」への熱量は凄まじい。クールな毒舌の裏に繊細な優しさを隠し持つ、黄金比のようなツンデレ美少女である彼女は、現実の世知辛さに疲れた遵にとって唯一の救いだった。
ある夜、遵はネットの海を彷徨ううちに、妙な通販サイトに辿り着いた。サイトの名は「damason」。どこかで聞いたことのあるような、それでいて決定的に怪しいそのページの片隅で、彼はある商品に目を奪われた。
『ツンデレ女子召喚セット(税込二万八千円)』
商品説明にはこうある。「これがあれば、あなたの理想のツンデレ女子が現実に! 効果は十日間! ※開発中のため、まれに不具合あり」。
普通の神経ならスルーする怪しさだったが、深夜のテンションと、独り身の寂しさが遵の判断を狂わせた。「さゆりんに会えるかもしれない!」。遵は迷わず高速ポチを敢行した。
数日後、届いたのは毒々しいほど鮮やかなピンクの箱。中には魔法陣が描かれた安っぽいレジャーシートと、殴り書きのような「召喚の呪文」が書かれた説明書が一枚。
遵は期待に胸を膨らませ、ワンルームの部屋の真ん中にシートを広げた。テレビの前のフィギュア棚が見守る中、彼は真剣な面持ちで呪文を唱える。
「我、汝を召喚す! 三島さゆり、出でよ!」
ドカン! という、およそ現代の集合住宅で鳴っていいとは思えない爆発音が響いた。部屋中がピンク色の煙と、どこか焦げ臭い匂いに包まれる。遵は目を閉じ、心臓を激しく脈打たせた。
――ついに、画面の向こう側の彼女が、僕の目の前に!!
煙がゆっくりと晴れ、そこには一人の女性の姿が。
期待に潤んだ遵の瞳に飛び込んできたのは、予想を遥かに超える、暴力的なまでの存在感だった。
「はんッ! あんたが私のマスターってわけ? ふん、冴えない男ね!」
そこにいたのは、身長百八十センチ、肩幅は往年のモビルスーツ級、丸太のような太ももに大腿四頭筋が猛り狂う、筋肉の巨塔であった。
ピンク色のフリフリワンピースは、はち切れんばかりの大円筋と上腕三頭筋によって今にも悲鳴を上げそうだ。顔立ちは確かに整った美人なのだが、その圧倒的な威圧感は霊長類最強の格闘家を彷彿とさせた。彼女はムキムキの腕で仁王立ちになり、ドスの利いた声でこう名乗った。
「三河サオリ、通称さおりん! まあ、よろしく。べ、別にアンタのことなんて好きじゃないんだから!」
遵は、開いた口が塞がらなかった。さゆりんは華奢で可憐な、今にも折れそうな美少女のはずだ。目の前のこれは、物理的に遵を折りそうだ。
「え、ちょっと待って! 君、さゆりんじゃないよね? 返品、返品できる?」
慌てて説明書をひっくり返すと、隅の方に極小の文字で「返品不可。召喚結果はランダム」と書かれている。遵は膝から崩れ落ちた。二万八千円という大金が、プロレスラーのような美少女に変身して消えた。
「ふん! うっさいわね! 私がサオリよ! ツンデレ度なら負けないわ!」
サオリはドスドスと床を鳴らして歩き回り、棚のフィギュアを一瞥した。「へぇ、こんな趣味? まあ、悪くないけど…別に褒めてないわよ!」と、はにかんでみせるが、照れるたびに胸筋がピクピクと躍動し、遵は生きた心地がしなかった。
* * * * *
最初の数日間は、文字通りの地獄だった。
サオリは初日から「腹減った! 何か作れ!」とテーブルを叩いて催促した。遵が怯えながらカップ麺を差し出すと、「こんな不健康なジャンク、食べるわけないでしょ! …ふん、でも仕方ないから食べてあげるわよ!」と言い放ち、瞬く間に三個を平らげた。
夜は夜で、「あんた、床で寝なさい! 私がソファよ!」と遵を蹴散らし、ソファで大いびきをかいて眠る。遵はフローリングの上で、damasonの詐欺師どもへの呪詛を吐きながら夜を明かした。
しかし、三日目を過ぎたあたりから、遵の心境に変化が訪れた。
朝、仕事に行こうと重い体を起こすと、キッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。
「べ、別にあんたのために作ったんじゃないから! 材料が余るのがもったいなかっただけ!」
差し出された皿には、こんがり焼けたトーストと目玉焼き。目玉焼きにはケチャップで「バカ」と丁寧にデコレーションされていた。
また、仕事で酷いミスをして落ち込んで帰宅した夜には、サオリが無言で何かを差し出してきた。
「ふん、しょぼくれた顔してんじゃないわよ。ほら、これでも飲んで元気出しなさいよ!」
手渡されたのは、キンキンに冷えた特製プロテインシェイクだった。恐る恐る口にすると、これが驚くほど美味い。
「これ、私の特製よ。まあ、せいぜい感謝しなさいよね!」
サオリは照れ隠しに勢いよく腕を振ったが、その際の風圧でお気に入りのフィギュアが数体なぎ倒された。遵は泣きそうになったが、彼女のどこか不器用な優しさを否定しきれなくなっていた。
五日目、遵は悟った。サオリは、確かに「ツンデレ」なのだ。
言葉は鋭く、体格は強靭だが、深夜に「怖い夢見たからって、べ、別に寂しくないんだから!」と遵の布団に無理やり割り込んできたり(遵は潰される恐怖で一睡もできなかったが)、コンビニで遵の好きなアイスを「間違えて買っちゃっただけ!」と突き出してきたり。
見た目はマッチョな怪物だが、その魂は紛れもなく、彼が憧れた「さゆりん」と同じ周波数の乙女心を持っていた。
十日目。召喚の期限が切れる夜。
サオリは荷物をまとめる風でもなく、ただ月明かりの差す窓辺で、いつになく穏やかな表情を見せていた。
「ふん、そろそろ帰るわ。…まあ、あんた。意外と、悪くなかったわよ。別に、嫌いじゃなかったんだからね!」
そう言って見せた笑顔は、不思議なほどに可憐だった。遵は喉の奥が熱くなるのを感じた。「また、会えるかな?」と小さく漏らすと、サオリは顔を真っ赤にして拳を握って見せる。
「バーカ! そんなこと言うなんて…ほんとバカね!」
ドカン、と再び派手な音がして、ピンクの煙が立ち込める。煙が消えた後、そこには誰もいなかった。静まり返った部屋に残されていたのは、彼女が飲み干したプロテインの容器と、一枚のメモだけ。
『あんたの推し、さゆりんってやつ。……悪くない趣味ね。サオリより』
遵は、誰もいない部屋で苦笑いした。
* * * * *
翌朝、遵は出社前にコンビニに立ち寄った。
気づけば手が伸びていたのは、かつては全く興味のなかったプロテインシェイクだった。
一口飲むと、その少し粉っぽい甘さが喉を通り、どこからか「バーカ!」という、地響きのような、けれど愛おしい声が聞こえた気がした。
遵は、澄み切った朝の空を見上げる。
二万八千円と十日間。失ったものは小さくないが、彼の胸には、三島さゆりでも三河サオリでもない、確かにそこにいた一人の「ツンデレ」との、奇妙で温かい記憶が刻まれていた。
(終)




