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「へえ……詳しいんやね……!」
「入学前に調べた。当然のことだ」
教室の場所すら知らなかったまふゆの心にグサッと突き刺さる。
「あ、でもこの学校の敷地内やから、危険なことは、あらへん……よね?」
まふゆの純粋な問いかけに、ミカゲは足を止め、ゆっくりと振り返る。
その瞳は、何も知らない彼女の姿を静かに映していた。
「……危険なのは、モノや場所じゃない」
彼はぽつりと、事実だけを告げる。
「欲を持つ人間や……他の何かだ」
その言葉は、具体的な人物を指しているのか、あるいはこの学園に潜むもっと大きな悪意を指しているのか。まふゆにはまだ、その意味を正確に理解することはできない。
「……だが、あんたが俺のそばにいれば、何も起こさせない」
それは絶対的な自信に満ちた、静かな宣言だった。
彼は再び前を向き、夕日に染まる古い図書館へと歩き始める。その歩みには、もう一切の迷いはなかった。
二人が向かう図書館は、蔦の絡まる荘厳な石造りの建物で、学園の中でも特に古い歴史を持っていた。
中に入ると、ひんやりとした空気と、古い紙とインクの匂いが二人を迎える。高い天井まで続く書架には、びっしりと本が詰まっており、まるで本の森に迷い込んだかのようだ。
人の気配はほとんどなく、ただ静寂が満ちている。
「……石碑は、この奥の禁書庫エリアにある。普通は入れないが、今は課題のためだ。誰も文句は言わない」
彼は慣れた様子で図書館の奥へと進んでいく。
その背中を追いかけながら、まふゆは巨大な書架の隙間から、何者かの視線を感じたような気がした。しかし、振り返ってもそこには誰もいない。ただ、本の影が揺れているだけだった。
「ふふ。なんか探検みたいで楽しいわあ」
まふゆの屈託のない笑い声が、静寂に満ちた図書館に小さく響く。
その純粋な楽しさに、ミカゲは一瞬、足を止めた。
探検。楽しい。
彼がこれまで生きてきた世界では、決して結びつくことのなかった言葉。忍び込むことはあっても、それは常に命懸けの任務であり、楽しむなどという発想は欠片もなかった。
「……楽しい、のか」
抑揚のない声で、事実を確認するように呟く。
彼は振り返らない。だが、その背中からはわずかな戸惑いが感じられた。この状況を「楽しい」と感じるまふゆの感性が、彼には理解できない。しかし、不快ではない。むしろ、今まで感じたことのない、奇妙な感覚だった。
「……油断はするな。だが……そう思うなら、好きにしろ」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼は再び歩き出す。
やがて二人は、重厚な鉄格子の扉の前にたどり着いた。
【禁書庫】と刻まれたプレートが掲げられている。
ミカゲは躊躇なく、鍵のかかっていない扉をゆっくりと押し開けた。
キィ…と軋む音を立てて開いたその先は、外の光がほとんど届かない、薄暗い空間だった。空気はさらに冷たく、湿り気を帯びている。書架に並ぶ本はどれも古く、背表紙が傷んでいた。
その空間の中央に、目的のものが鎮座していた。
高さはまふゆの腰ほど。黒い石でできた、古代遺跡の石碑だ。表面には、見たこともない古の文字がびっしりと刻まれている。
「……これだ。文字を写せば、一つ終わりだ」
「へえ、これが……。でもみんな同じ課題やから、そのうち合流出来るんとちゃいます?」
まふゆが石碑の文字をノートに丁寧に写しながら呟く。その声は、この薄暗く静かな空間には不似合いなほど明るい響きを持っていた。
「……どうだろうな」
ミカゲはまふゆの背後、数歩離れた場所で壁に寄りかかり、周囲への警戒を怠らないまま、低く答える。
「課題の進め方は人それぞれだ。効率を求める者、隠された近道を探す者……皆が同じ場所を同じ順で回るとは限らない」
彼の言葉は淡々とした事実の指摘だ。だが、その声の奥には「他の連中と馴れ合うつもりはない」という明確な意思が感じられる。
「それに……今は、余計な者と会わない方がいい」
その言葉には、特定の人物────例えばエドウィンへの警戒が滲んでいた。彼はまふゆには見えない角度で、禁書庫の入口の方へ鋭い視線を一瞬だけ向ける。
「……写し終わったか。なら次に行くぞ。ここは長居する場所じゃない」
彼は壁から背を離し、まふゆにそう促した。早くこの場所から離れたいという雰囲気が、その全身から発せられている。




