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芸術棟・美術室。
大きな窓から差し込む午後の光が、室内に並べられたキャンバスと絵具を柔らかく照らしていた。油絵具特有の匂いと、少しざらついた空気。書道室とはまるで違う、色と音に満ちた空間だ。
「……へえ。まふゆと一緒じゃなかったのは残念だが……美術もなかなかいいもんだな」
レオンハルトは、壁際に立てかけられた見本の絵を眺めながら、感心したように低く声を漏らした。
筆を持つより剣を握る方が性に合っている彼だが、こうして並ぶ色彩の奔放さは、嫌いではなかった。
「今日は自由制作だ。好きなものを描いていい」
教師の言葉に、教室が一斉にざわめく。
題材を決めかねている生徒もいれば、早くも下描きを始める者もいる。
レオンハルトは空いている席に腰を下ろし、キャンバスの前で腕を組んだ。
(……さて、何を描くか)
その時だった。
「……あ」
小さな声が、すぐ近くから聞こえた。
顔を上げると、隣の席にダークエルフの少女が立っていた。
どこか遠慮がちに視線を伏せ、両手でパレットを抱えている。
「……リリア、だっけか。まふゆの友達の」
その名を呼ばれた瞬間、少女の肩がぴくりと跳ねた。
「う、うん……っ!あ、あの、あーしの名前……覚えててくれたんだぁ……」
魔物侵入事件の時の光景が、レオンハルトの脳裏を一瞬よぎる。
瓦礫、魔物、泣きじゃくる女の子……そして、守ると決めたあの瞬間。
「美術、選んだんだな」
「……うん。えっと、描くの、好きだし」
控えめな声。だが、その頬はわずかに赤く染まっている。
実は、リリアはこの授業を選ぶ前から知っていた。レオンハルトが美術を選ぶかもしれない、という噂を。
それだけで、胸の奥がそわそわして、気づけば名簿に同じ科目を書いていた。
「隣、座っても、いいー……?」
「ああ、もちろん」
レオンハルトは即答した。
特別な意味はない。ただ、それが自然だと思っただけだ。
リリアはほっとしたように微笑み、静かに席に着く。
キャンバスを前にしても、ちらり、ちらりと隣を気にしてしまうのは、どうしようもなかった。
(……すんごい、近いしー……)
剣を振るう時よりも、ずっと穏やかな横顔。
真剣に色を選ぶその姿を見ているだけで、胸がきゅっと締めつけられる。
「……あの時」
リリアが、小さく口を開く。
「あーしを、助けてくれて……ありがとぉ……」
レオンハルトは一瞬手を止め、彼女の方を見る。
「今さらだな」
そう言って、少し照れくさそうに視線を逸らした。
「当然のことをしただけだ」
当然。
その一言が、リリアの胸に優しく落ちる。
「……あーし、頑張って描く」
「おう。困ったら言え」
レオンハルトはそう言って、再びキャンバスに向き直る。
その距離は、まだ一歩分。
けれど、確かにリリアの世界と彼の世界は、少しだけ近づいていた。




