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しかし、純粋な善意の中で育ってきたまふゆは、エドウィンの言葉に含まれた粘つくような執着に気づかない。ただ、先生に褒められたのだと思い、素直にぺこりと頭を下げた。
その無垢な反応に、エドウィンは満足げに目を細める。
「ふむ。素直なのは良いことだね。……さて、自己紹介はこのくらいにして、早速だが諸君には最初の課題を出そう。ペアを組んで、学園内にある七つの『古代遺跡の石碑』を探し出し、そこに刻まれた文字を写し取ってくること。期限は明日の日没までだ」
その言葉に、教室がざわつく。入学初日からの、いきなりの課題だった。
「ペアは……そうだな、公平を期すために、私が決めさせてもらおうか」
彼は楽しそうに言いながら、名簿に視線を落とす。周りの生徒たちは、誰と組むことになるのかと息を飲んだ。
「レオンハルト・アルヴァレインは……そうだね、セリウス・アルヴァレインと。兄弟でちょうどいいだろう」
レオンハルトとセリウスは、互いに顔を見合わせて頷く。
「そして……影人のミカゲ」
……影人。
その言葉を聞いてクラスメイトが騒めく。
影と闇に親和性を持つ亜人種族。光のない場所では、影そのものに身を溶かし、物理的障壁を透過したり、気配を完全に消し、生命の気配すら感知されない特性を持つ種族。
存在を消すことに長けており、古来から暗殺者や密偵として活動してきたと話には聞いていたが……確か、絶滅したのではなかったのか。いや、絶滅したと見せかけて存在を隠していただけかもしれない。
しかしクラスメイトにとってはあまりにも希少な存在であり、思わず視線を集める。
「静かに。……それで、ミカゲ君には単独行動を許可しよう。君はそれが得意そうだ」
黒装束のミカゲは何も答えず、ただ静かに座っている。それが肯定の証のようだった。
エドウィンは名簿の残りに目を走らせ、そして、意地の悪い笑みを浮かべて顔を上げた。
「……では、最後に残った水鏡まふゆ。君のペアは、この私だ。教師と生徒が交流を深めるのも、教育の一環だからね」
……その決定に、教室の空気が凍り付く。
前の席のレオンハルトが「先生、それは…!」と何か言いかけたが、エドウィンはそれを手で制した。
「これは決定事項だ。異論は認めない。……では、放課後、私の研究室に来るように。いいね、まふゆ君?」
彼は有無を言わせぬ口調で告げると、まふゆにだけ分かるように、にっこりと微笑んだ。その瞳の奥は、一切笑っていなかった。
すると、まふゆがおずおずと手を挙げながら、発言する。
「あ、あの。ミカゲさんが一人やと可哀想やから。うち、ミカゲさんと組んでええですか?」
まふゆの予想外の、しかしあまりにも純粋な申し出に、教室の空気が再び変わる。
誰もがエドウィンの意図を感じ取っていた中で、まふゆだけがその悪意に気づかず、ただ一人ぼっちになるミカゲを心配したのだ。
エドウィンの眉が、ぴくりと動いた。
計算し尽くされた盤面を、思いがけない場所から崩されたような、僅かな不快感。しかし、彼はすぐに完璧な教師の笑顔を取り戻す。
「……ほう。まふゆ君は優しいんだね。だが、ミカゲ君は単独行動を望んでいる。彼の意思を尊重するのも、また優しさではないかな?」
彼は諭すように言うが、その声には「余計なことをするな」という冷たい響きが混じっている。
その言葉に、まふゆの後ろの席で、それまで石像のように動かなかったミカゲが、初めてはっきりと反応を示した。
彼はすっと立ち上がると、無機質な声で、しかしはっきりと教室内によく通る声で言った。
「……いや。俺は、こいつと組む」
その短い言葉に、今度こそ教室中が驚きに包まれた。
ミカゲはエドウィンを一瞥すると、その視線をゆっくりとまふゆに向ける。その黒にほんの少し青が混ざったような瞳の奥に、今まで誰も見たことのない、確かな意志の光が宿っていた。
前の席のレオンハルトは驚きと安堵が入り混じった表情でミカゲを見つめ、セリウスも「え…」と小さく声を漏らす。
エドウィンの完璧な笑顔に、微かな亀裂が入るのを、まふゆだけが気づいていない。
「ふふ。これで、みんながペアになれました。良かった」
まふゆはにっこりと微笑む。
その屈託のない、花が綻ぶような笑顔に、教室内の誰もが言葉を失った。
エドウィンの策略、ミカゲの異例の行動、レオンハルトたちの懸念。その全ての緊張感を、まふゆの純真さが見事に霧散させてしまったのだ。
「……フッ。ははは、そうか。それは、よかったねえ」
エドウィンは一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐに声を上げて笑い出した。しかし、その笑い声は教室の天井に空々しく響くだけで、目だけは一切笑っていない。計画を邪魔された苛立ちと、獲物に対する歪んだ独占欲が、その瞳の奥で渦巻いている。
「よろしい。では、まふゆ君はミカゲ君とペアだ。教師との交流はまた別の機会にしよう。……ただし」
彼は言葉を切ると、教壇からゆっくりとまふゆの席まで歩み寄る。そして、彼女の耳元に顔を寄せ、他の誰にも聞こえない声で囁いた。
「課題が終わったら、必ず私の研究室に来なさい。君のその『果実』が、一体どんな力を秘めているのか……じっくりと見せてもらう必要があるからね」
甘く、それでいて蛇が這うような声色。彼はまふゆの胸元に一瞬だけ粘つくような視線を送ると、満足げに身を起こし、教壇へと戻っていった。
その一連の行動を、前の席のレオンハルトはギリッと奥歯を噛み締めて見ていた。セリウスは嫌悪感を隠そうともせず、エドウィンを睨みつけている。
そして、後ろの席のミカゲ。
彼はエドウィンが囁いた言葉を聞き取っていたのか、その黒装束の下で、静かだが確かな殺気を立ち上らせていた。その冷たい怒りは、エドウィンただ一人に向けられていた。




