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プールサイドの熱気と喧騒が嘘のように、更衣室でいつもの装束に着替えると、まふゆはすっかり落ち着きを取り戻していた。水に濡れた髪を軽くタオルで拭きながら、先ほどの授業を思い出す。
(三人が教えてくれたさかい、ちょっとだけ浮けるようになったかも……)
心はぽかぽかと温かい。水泳授業は、三人の優しさ(と少しの過保護さ)を改めて感じる機会となった。
「ふうっ、めっちゃ楽しかった……!」
弾むような足取りで、彼女は次の選択授業が行われる芸術棟へと向かう。
午後の選択授業は、芸術科目に分かれていた。音楽、美術、書道の三つの中から、自分の興味があるものを選ぶのだ。
まふゆが選んだのは「書道」。
桜の国では筆を持つ機会も多かったし、何より静かで落ち着いた空間が好きだった。
芸術棟の廊下を歩きながら、ふと考える。
(みんなは、どれを選んだんやろ……?)
レオンハルトは、体を動かす方が好きそうだから、芸術科目はあまり興味がないかもしれない。でも、もし選ぶとしたら……?彼の力強い性格なら、ダイナミックな絵を描く「美術」だろうか。
セリウスは、繊細で手先が器用そうだから、楽器を奏でる「音楽」が似合いそうだ。彼が弾くピアノやハープなんて、きっと素敵だろうな、とまふゆは想像する。
ミカゲは……全く想像がつかなかった。彼はそもそも、こういう授業に参加するのだろうか。もし選ぶとしたら、静かに自分と向き合えそうな「書道」はあり得るかもしれない。でも、彼が墨で何を書くのか、全く見当もつかない。
……そんなことを考えているうちに、「書道」の教室の前にたどり着いた。
木の扉をそっと開けると、静謐な空気と、墨の懐かしい香りがまふゆを迎えた。
教室にはすでに何人かの生徒が席に着き、静かに準備をしている。
まふゆも自分の席を探そうと教室の中を見渡した、その時。
一番奥の窓際の席に、見慣れた黒い装束の背中を見つけた。
彼はすでに席に着き、文鎮で半紙を抑え、静かに硯で墨をすっていた。その所作には一切の無駄がなく、周囲の生徒とは明らかに違う、凛とした空気をまとっている。
「……ミカゲさん」
彼も、書道を選んでいたのだ。
まふゆの存在に気づいたのか、ミカゲがすっと顔を上げ、その黒い瞳がまっすぐに彼女を捉えた。
「よかった。ミカゲさんと、一緒で」
まふゆは思わずそう呟いた後、顔を真っ赤にする。……変な誤解をされていないだろうか。
ミカゲは、まふゆの言葉を静かに聞いていた。
感情の読めない黒い瞳が、ほんのわずかに、柔らかくなったように見える。
彼は何も答えず、すっと視線を自分の手元に戻した。しかし、彼の周りの影は、先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように、穏やかに揺らいでいた。
嬉しい、という感情を、彼女が自分に向けてくれた。その事実だけで、彼の内側は満たされていた。
(あたしも一緒なんだけど、なんか近づけない……)
まふゆが書道を選択すると踏んで、シャノンもこちらを選んでいた訳だが、二人の空気の中に何となく入っていくことができず、遠くから見るしか出来なかった。




