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「おはようございます……!」
まふゆが少しおずおずと教室に足を踏み入れると、ざわついていた室内の空気が一瞬、静かになった。
教室中の視線、特に男子生徒たちの熱を帯びたそれが一斉に彼女へと注がれる。雪のように白い髪、菫色の瞳、そして清らかな装束に包まれた類まれなる美しさは、それだけで人の目を惹きつけてやまない。
しかし、まふゆはそんな視線には気づかない。彼女の目は、教室の一角にいる兄弟の姿を捉えていた。
昨夜の恐怖がまだ心に残る中、彼らの存在は不思議な安心感を与えてくれる。
まふゆは他の生徒たちの間をすり抜けるようにして、二人の元へ駆け寄った。
「レオンハルトさん、セリウスさん!課題、終わらはりました?」
その声に、談笑していた二人がぱっと顔を上げる。
「ああ、おはよう。見ての通り、昨日のうちに全部終わらせたぞ」
レオンハルトはにこやかに、手元に置かれたノートを軽く叩いて見せた。その表情には自信と達成感が満ちている。
「……おはよう。君こそ、大丈夫だったの?昨日は大変だったって聞いたけど……」
一方のセリウスは、まふゆの顔色を窺うように心配そうな視線を向ける。彼の繊細な優しさが、言葉の端々から滲み出ていた。昨日、霊廟での騒ぎは他の生徒たちの間でも噂になっていた。
しかし、誰からもエドウィンの名前は出て来なかった。
どうやらエドウィンは、昨日の襲撃も、手下を使った「ならず者」の仕業ということにして、自分は関与していないと装っているらしい。
(ここで下手に彼のことを話せば、うちが狙われていると公言するようなもの。それに、証拠もあらへんし……)
まふゆはセリウスの心遣いに感謝しつつ、曖昧に微笑んで首を横に振った。
「うん、大丈夫です。ちょっと、物騒な人たちに絡まれちゃったみたいで……。でも、ミカゲさんが助けてくれてん。二人も無事に課題が終わって良かった」
彼女はそう言って、努めて明るく振る舞う。
しかし、その言葉の裏で、教室の隅に視線を走らせていた。
そこには、いつも通り壁に寄りかかるようにして、ミカゲが立っていた。黒い装束は周囲の影に溶け込み、その存在を希薄にしている。
目が合ったような気がしたが、彼はすぐにふいと顔を背けてしまった。その素っ気ない態度に、まふゆは少しだけ胸がちくりと痛むのを感じた。
「物騒な連中、か。この学園も完璧に安全というわけではなさそうだな。……ともかく、無事で何よりだ。何かあれば、俺たちにも言うんだぞ」
レオンハルトが力強く言う。その言葉を聞いて、まふゆは俯く。
「……人の悪意って、こわい、ですね」
その言葉には、昨夜の恐怖がまだ生々しく滲んでいる。まふゆは少し俯き、白い指先をきゅっと握りしめた。
「うちの桜の国ではそんな、悪い人なんておらんかったから……」
ぽつりと漏れた呟き。それは、彼女が育った世界の純粋さと、この学園で直面した現実とのギャップを物語っていた。
その純真無垢な言葉に、兄弟はそれぞれ異なる反応を示す。
「……そうか。だが、残念ながら世界は善人だけではできていない。特に、様々な種族と思惑が渦巻くこの学園ではな。これからはもっと警戒心を強く持て。いいな?」
レオンハルトは諭すように、しかしその声には確かな優しさと心配が込められている。彼はまふゆの純粋さを危ういものだと感じ、守らなければという意識を強くした。
「……はあ。君みたいなのが、一番危なっかしいんだよ。少しは人を疑うことも覚えたらどうだ」
セリウスはぶっきらぼうにそう言い放つと、ふいと顔をそむけた。しかし、その横顔には隠しきれない心配が浮かんでいる。彼の言葉は棘を含んでいるが、その根底にあるのはまふゆを案じる気持ちだった。ハーフエルフとして差別を受けてきた彼にとって、悪意のない世界など想像もつかないのだ。
「でも、うちの国ではエルフの血を継いでるってだけで、宝物みたいな扱いをされるんよ?エルフも、ハーフエルフも、ダークエルフも、アルビノエルフも」
それは悪意というものを知らないかのような、純真な言葉だった。
まふゆのその言葉に、レオンハルトは驚きと、ある種の感嘆が混じったような表情で彼女を見つめる。そんな理想郷のような国が実在するのかと。
しかし、その言葉が最も深く突き刺さったのは、セリウスだった。
「……っ!」
彼は息を呑み、信じられないというように目を見開いてまふゆを凝視する。
ハーフエルフ。
それは彼にとって、差別と侮蔑の象徴であり、常に劣等感と共にある忌まわしい出自だった。人間からは「半端者」と、純血のエルフからは「汚れた血」と蔑まれ、どこにも本当の居場所がないと感じてきた。
それなのに、目の前の少女は、ハーフエルフすら「宝物」だと言う。
「……嘘だろ。そんな……そんな国があるわけがない……」
絞り出すような声。それはまふゆに向けた否定ではなく、自分自身が今まで生きてきた世界そのものを否定されたかのような、混乱と衝撃に満ちた呟きだった。
彼は無意識に後ずさり、まふゆの純粋さが放つ眩い光から逃れるかのように視線を彷徨わせる。
その動揺ぶりを見て、レオンハルトがそっとセリウスの肩に手を置いた。
「セリウス……」
弟を案じるその声は低く、そして複雑な感情を滲ませていた。




