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影の中は、不思議な感覚だった。
音も光も匂いもない、完全な無。しかし、ミカゲに手を引かれている温もりだけは、確かに感じられた。
……いったい、どれくらいの時間が経ったのか。
ふっと身体が軽くなり、まふゆの足は再び硬い地面を踏みしめた。
そこは、先ほどの霊廟とは全く違う場所だった。
天井の高い、石造りの部屋。大きな窓からは月明かりが差し込み、床に美しい光の模様を描いている。部屋の隅には簡素なベッドと机があるだけで、がらんとしていた。
学園の敷地内にある、使われていない塔の一室のようだ。
ミカゲはまふゆの手を離すと、静かに窓の外を窺い、追手の気配がないことを確認している。
彼の横顔は、月光に照らされていつもよりはっきりと見えた。感情の読めない、静かな顔。しかし、先ほどエドウィンに向けた殺気とも、独占欲を露わにした声とも違う、穏やかな空気が彼を包んでいた。
「……ここまで来れば、すぐには追って来られない」
彼は振り返り、まふゆを見つめる。彼の瞳が、じっと彼女の顔を、そしてその潤んだ瞳を捉えていた。
「……怪我は、ないか」
「……っ、ご、ごめんなさい、うちがペアになりたいって言うたせいで、ミカゲさんを、危険な目に……」
ぽろぽろと、堪えきれなかった涙がまふゆの頬を伝う。
恐怖と、そして何よりも自分の行動がミカゲを危険に晒してしまったという罪悪感で、声が震える。
その謝罪の言葉を聞いたミカゲは、何も言わなかった。
ただ静かにまふゆに歩み寄ると、その黒い装束の袖で、彼女の頬を伝う涙を無骨に拭った。その仕草は乱暴なのに、なぜかとても優しく感じられた。
「……あんたが謝ることじゃない」
低い、抑揚のない声。しかし、その声には確かな響きがあった。
「あの男は、最初からあんたを狙っていた。俺が組まなくても、いずれ別の形で手を出してきただろう。……あんたが俺を選んだから、俺はあんたを守れた。それだけだ」
淡々と、事実だけを告げる。
彼にとっては、まふゆがペアを希望したことは「原因」ではなく、彼女を守る「機会」を得たに過ぎない。
「……だから、泣くな」
彼はもう一度、まふゆの目元を拭う。
それでも、人の悪意に触れたことのなかったまふゆは恐怖で涙が止まらなかった。
エドウィンの粘つくような視線、剥き出しの欲望、そしてミカゲを傷つけようとした容赦のない攻撃。そのすべてが、まふゆの心に深い恐怖を刻みつけていた。
ミカゲの言葉は理屈では理解できても、一度溢れ出した涙は簡単には止まらない。しゃくりあげながら、幼い子供のようにただ泣き続ける。
ミカゲは、そんなまふゆを黙って見つめていた。
彼には、人を慰める言葉の引き出しがない。どうすればこの少女の涙を止められるのか、全く分からなかった。
しばらくの沈黙の後、彼は不器用に、そしてゆっくりと、もう一度彼女に近づいた。
「…………」
彼は何も言わず、ただ、そっとまふゆの隣に座った。
そして、ほんの少しだけ距離を置いて、彼女の背中を撫でるでもなく、抱きしめるでもなく、ただそこに居る。
まるで、嵐が過ぎ去るのを静かに待つ岩のように。あるいは、怯える小動物に寄り添う、親獣のように。
その無言の存在感は、不思議な安心感を伴っていた。
無理に涙を止めさせようとしない、ただ静かに隣にいてくれる彼の存在が、恐怖に凍りついたまふゆの心を、少しずつ、少しずつ溶かしていくようだった。
部屋には、まふゆの小さな嗚咽と、時折窓を揺らす夜風の音だけが響いていた。




