2-3 ドアマットと共に
「さあ、あなたたち二人の事業計画を聞かせてちょうだい」
ミスドーナ夫人が挨拶もそこそこに、アルバーノに説明を促した。相変わらずせっかちなミスドのおば様を間近に見て、エレナは懐かしさに胸を震わせた。エレナの幸せだった時代の象徴のような人だったからだ。
「では、まず発案者のエレナ様からお願いします」
アルバートに促され、エレナは語った。アルバートに説明した時のように、まずドアマット愛を炸裂させてミスドーナ夫人に笑われた。ドアマットが虐げられた令嬢を暗喩するものだと夫人も知っていたらしい。
「勇敢で頼もしいわね」
ミスドーナ夫人は最後までニコニコしながら聞いた後、いくつかの問題点を挙げると同時に、願ってもない提案をしてくれた。
問題点としては、巷の職業斡旋業者との軋轢をいかに防ぐか。そのサービスを真似された時、先発であるというだけでは顧客は離れるかもしれないことを指摘された。
「従来の斡旋業者との違いとして、こちらは単なる口入屋ではありません。うちで雇用して各種技術を磨いて、うちから派遣する形となります。働き手も収入が安定しますし、サービスの質も一定水準を保てると思います。
それに、これまで働き先を見つけるのが難しかった結婚後の女性や、出産を機に仕事から離れてブランクのある優秀な女性の受け皿になりたいのです。パートタイムという勤務体系で、日時や時間に融通が利くようになれば希望者する人も増えるかと思います」
「なるほど、社会福祉の面からも、成功すれば素晴らしい試みだわ」
「女性だけでなく、年をとって毎日働くのは大変だけれど技術はあるという男性にも需要はあるのではないでしょうか」
アルバーノからは男性視点の意見だ。
「それから、サービスを真似されたらそれを止める権利はありませんので、とにかく地道に実績を積んで信用を得るしかありません。ただ、ドアマットに関しては、ひとつ特許を取りたい商品があるのです。それによって玄関先の清潔の意識を高め、玄関マットと言えばリスキン家というように認識してもらいたいと思います」
「エレナ様? 私はその特許を取りたいという商品について聞いていませんが」
アルバーノが怪訝な目を向けてきた。
「ごめんなさい、今思い出しました、というか思いつきました。真似されないものが必要なんですよね。でしたら、作ってほしいものがあります」
エレナは吉川成美の世界で見た『タンポポマット』という他社商品をヒントにした、泥落としマットなるものの説明をした。
丈夫なワイヤーロープを斜め格子状に組んだ中に、パーム繊維を細いブラシ状にしたものを幾本も格子に沿って差し込んだものだ。口頭では難しいので下手ながら図も描いてみた。
「なんだか変わった形ね」
「これは、玄関ドアの外側に敷くマットです。屋内に入る前にまずこれで泥や土を落とします。少しでも中に持ち込む汚れを減らしたいのです。
棕櫚やパームを編んだだけのマットでも泥は落ちますが、素朴過ぎる外見なのと、強く靴で擦られるとへたれやすいのが欠点です。こうして金属と組み合わせることで耐久性も上がり、中の繊維がへたったら、ブラシの部分だけ交換すれば経済的です。交換の際に、室内のマットの希望があるか伺えば、セールスに訪れる手間が省けます」
「面白そうですが、本当に今思いついたんですか」
アルバーノは尚も疑わしそうにエレナを見た。
「そうですよ。玄関の紋章入りのマットを美しく守るために、ドアマットの神様が、今、私に告げたんです!」
エレナはやけくそで誤魔化した。今思い出したのは本当なのだ。思い出した先を言えないだけで。
「アルバーノ、エレナちゃんは別にあなたに内緒にしていたわけではないでしょう。不貞腐れないの。それより、その泥落としマットは、使用人や商人が出入りする裏口や、中庭に下りるドアの外にもあるといいわね」
ミスドーナ夫人が窘めると、アルバーノも話に戻ってきた。
「むしろそちらの方が出入りが多いですからね」
この泥落としマットについては、ミスドーナ家の伝手で試作品を作ってもらえることになった。
そして、ミスドーナ夫人からの願ってもない提案とは、デザイン性に富んだ新作マットをミスドーナ領で製作させてほしいというものと、他国で最近開発された溶剤によるウール製品の洗濯の方法を取り入れたらどうかというものだった。
ミスドーナ領では、ダンスキン家と同じように古くから毛織物を生産していた。昔ながらの技法を続けるダンスキン家とは違い、早くから自動織機を導入したことで飛躍的に生産量が上がり、何か新しい製品を開発できないかと探していたらしい。そこでドアマットがたくさん売れる機会があるのなら、ぜひそれに参画したいというのだ。
デザインについてはエレナも希望を出したい。吉川成美の世界には、信じられないくらい多様な意匠があった。機能だけではない遊び心を加えて、ニッチな好みも掘り起こしたい。異世界のことを口にしないよう気をつけながら、エレナは熱く語った。
ドアマットの話になると鼻息が荒くなるのを夫人に笑われながら、若い人の好みも知りたいわと言ってもらえた。
ウールの洗濯についてだが、水洗いは温度管理が難しい。吉川成美の世界で言うドライクリーニングの手法がすでに始まっているなら重畳だ。ミスドーナ家ではすでにその溶剤による洗濯をしているというから、なにかにつけ先進的な考えを持っているのだろう。柔らかい風合いが保てるのなら、ぜひそれを取り入れたいとエレナが言うと、珍しい手法にまるで抵抗がないのね、と夫人に驚かれた。
こうしてミスドーナ侯爵夫人への事業計画の発表は終了し、無事、融資を受けられることになった。
「でも、思ったより規模が大きい計画だから、私の実家にも声をかけてみるわね。アイディアを盗まれたら元も子もないから、狭い範囲で念入りに計画しましょう。リスキン前侯爵にも内緒にした方がいいわね。あの方、危機管理能力ほとんどないもの。何しろ自分が財政を傾けたと思い込んで、あのボンクラ坊ちゃんに爵位を譲ってますからね。さっさとアルバーノが成功して爵位をもぎ取りなさいな」
最後に威勢よく発破をかけられて、アルバーノは苦笑いしていた。
「ともあれ、貴方たちがちゃんと協力して事業計画を立てたことは良かったわ。この計画は走り出したら止まらないから、今から先を予想してトラブルに備えなさい。何かあったら頼りなさいよ。少しばかり余分に生きているから、知恵もあるし、顔も利くわよ。さあ、久しぶりに忙しくなるわ」
頼もしい言葉を残し、ミスドーナ夫人はいそいそと帰って行った。
「上手くいくかしら」
「あんなに威勢がよかったのに、どうしたの?」
事業計画を立てる間に、エレナはアルバーノとかなり打ち解けて話せるようになっていた。
「今が楽し過ぎて、時々不安になる。羊を追いかけ回していた頃は、明日も明後日も楽しいことが続くと疑いもしなかったけど、そういう日々が突然終わることがあると知ってしまったから」
「でも今度は、俺も祖母も助けてあげられる。上手くいかなければやり直せばいい。違うことをやったっていい。そういう自由が今はあるんだ」
「そうよね」
エレナはもう一人でないことが嬉しかった。
こうして始まったリスキン家の事業は、じわじわと知名度を上げ、玄関先や屋敷の出入り口を清潔に保つという考えは、当たり前になっていった。
泥落としマットも使ってみればその有用性は目に見えるものだったので、貴族家ばかりか商店の玄関口でも重宝された。集合住宅の入り口や多くの人が出入りする公共の建物の入口にも、リスキン家のマットが置かれるようになった。
ミスドーナ家で製作されたおしゃれなマットも、貴族のお嬢様の部屋で季節ごとにデザインを変えて楽しんだり、お茶会用に特別に誂えたラグなども頻繁に注文が入った。購入することもレンタルすることもできる自由さも好感を得た。
レンタル事業の方も、最初はお茶会用の備品が主だった。毎回趣向を凝らすたびにあれこれ購入していたのではお金がかかる。テーマを決めてそれに合わせたものを準備期間も合わせて数日だけレンタルするというやり方は、どの層の貴族にも喜ばれた。
そのうち備品の貸し出しだけでなく、お茶会やパーティの内容についても相談されるようになった。そこで、貴族家に仕えていた元侍女や元メイドの出番である。
どんなお茶会を望むかイメージを聞き出し、アイディアを出す。具体的な演出や飾りつけ、提供する食事内容もアドバイスする。特に高位貴族家で働いていた人たちの知識の多さに、信頼も増していった。
当日も裏方スタッフとして働いたり、給仕に慣れていない新人に振る舞いを指導することも求められるようになっていった。
ますます事業が大きくなりそうなところで、ミスドーナ夫人からストップがかかった。
「そのくらいの規模に留めておいた方が良いわ。貴族家の女主人の仕事を取り上げたと思われるほどになれば叩かれる。あくまで手が届かないところをサポートする立場に徹した方が、奥様方のプライドを傷つけなくて済むから」
「貴族の面子を潰してはならないということですね」
「そういうこと」
「庭の手入れや屋内の普段手が届かないようなところの掃除については、地味で目立たないため反感も買いにくいでしょう。チームを組んで短時間で依頼を達成するやり方も歓迎されています。今後も着実に依頼が得られそうです」
こちらはアルバーノの報告だ。
こうしてドアマットから始まったリスキン家の事業は軌道に乗り、財政も安定してきた。
アルバーノは無事にリスキン侯爵位を受け継ぎ、エレナと結婚することになった。
「相手が俺で良かった?」
結婚式の当日、アルバーノが自信なさげにエレナに訊ねた。
「もちろん。あなたは私のただ一人のパートナーであり、ミスドのおば様と同じくらい信用できる人だわ」
「ほら、それだ。俺はいつまでたっても祖母に敵わない気がするんだよ。やっぱりリスキン家に来た時に、侍女長たちへの対処が遅れたからだよな」
アルバーノはいまだにそれを後悔しているらしかった。
「大丈夫。あれで私覚醒したもの。ドアマットの復権を目指して頑張ることができたのは、その日々があったからよ」
エレナは途中で吉川成美の世界を体験したこともすべて『その日々』の中に含めて、自分の成長の糧とした。
それにしても、何もかも諦めたあの日の先に、まさかこんな夢みたいな日々が訪れるとは思わなかった。あちらの世界と繋がった一筋の縁が、エレナを励まし、ここまで連れてきた。それも人に依存するのではなく、自分で考え、人と話し合い、協力して成しえたことが嬉しかった。
「これからもよろしくね、私の侯爵様」
「しばらく執事だったから、そう呼ばれるのは慣れないな」
「じゃあ、アルバーノ様で」
「こちらこそ、よろしく。エレナ」
◇ ◇
「え、何あれ」
吉川成美の脳裏に、はっきりと浮かんだ幸せそうなカップルのスチル絵。
よく知った麗しい男女の顔。
こちらの世界に戻った時、吉川成美は自分が元の職場で元通りの仕事をしていることに驚いた。てっきり死んだものと思っていた。それどころか解雇もされていなかった。
空白の期間は、なんとエレナが仕事をこなしていた。遺漏なく誠実に、吉川成美の評価を下げることなくやり切ってくれた。
「すごいわ、エレナ」
きっと元の世界でも、エレナは何かしら成し遂げたのだろう。アルバーノと共に。
そして二人で幸せを掴んだ。
その経過を一度も夢に見なかったのは、エレナがすでに虐げられるだけのドアマットから脱却していたからだろう。そして最後に感謝のつもりか、吉川成美にその幸せな姿を見せてくれた。
「おめでとう、エレナ」
吉川成美は会社の帰りに買ってきたドーナツを食べながら、異世界の大事な友達の今を祝福した。
―完―
タンポポマットをご存知ですか。たぶん一度は目にしたことがあると思います。私はその商品名をこの度はじめて知りました。
読んでいただき、ありがとうございました。
改稿したことで、少しでも作品が良くなっていれば良いのですが。




