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覚醒 ドアマット夫人《改稿版》  作者: バラモンジン


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2-2 ドアマットに愛を!


 目が覚めた時、懐かしい室内の様子に、エレナは自分の世界に戻ってきたことを実感した。


 頭の中に、自分が不在だった三週間の記憶がある。吉川成美がエレナとして過ごした日々だ。まずはこれを確認して、昨日までの私と連続した私でいなくてはならない。


 ベッドの中で心を落ち着けて、あの日玄関ドアの前で倒れた時からを早送りで思い出す。


「うそ・・・」


 吉川成美のエレナは強かった。そして、勇ましく、したたかだった。


 対する使用人たちは、情けなかった。エレナはこんな使用人たちに侮られていたのかと思うと悔しさが倍増した。


 その後、吉川成美のエレナは執務室に乗り込んで、執事代理のマッテオを堂々と問い詰めていた。


「え、私、今日からこのエレナをやるの?」


 怯みつつも、吉川成美のエレナを頼もしく見守る。そして、エレナを取り巻く現状を正確に理解した。


「これは心してエレナを演じないといけないわね」


 エレナは、吉川成美が築いてくれた侯爵夫人像を壊さないように、まずは背筋を伸ばしてはっきり話すことを心がけた。堂々と前を向いていれば自信があるように見えるだろう。最初は張りぼてでも、身につけてしまえば本物だ。



 朝食は、以前とは見違えるほどきちんとしたものが供された。ゆっくりと味わい、美味しかったわ、ありがとうと声をかけると、使用人たちは黙って礼をした。本当にあのリスキン家かと疑うほどだ。


 その日、エレナは屋敷の中をゆっくり見て回った。一階から三階まで、個人で使用している部屋以外は全て室内も確認した。吉川成美の目で見た記憶はあったが、自分の目でリスキン家を確認し、侯爵夫人の自覚を持ちたかった。後ろに付き従う侍女は、エレナが何か粗探しでもしているではと不安げな顔でついてきた。


 すれ違う使用人たちは、エレナを見ると、すっと廊下の脇に寄って頭を下げた。不本意そうな顔もたまに見かけたが、それも仕方がないと思う。まだこの家のためにエレナが成し遂げたことは何もないからだ。思い上がった侍女長とメイドたちを放逐しただけでは、次は自分かもしれないと心配になるのも無理はない。信頼を得るにはこれからの言動を見てもらうしかない。


 エレナは最後に、あの日倒れた玄関ホールにやってきた。


 玄関の内側に、大きなドアマットがある。

 リスキン家の紋章が織り込まれた品の良いデザインだ。あれがあったからこそ、エレナは硬い床に直接打ち付けられることなく、無事でいられたと思う。


 それにしても、あのドアマットは汚れ過ぎではないのかしら? 外から帰ってきた靴で踏まれるから、汚れているのは仕方ないとしても、リスキン家の紋章が半分以上見えないほどというのはどうなのだろう。


「あの玄関ドアの前にあるマットは、いつクリーニングしたのかしら」


「あの、クリーニングとは何でしょうか」

 

 お付きの侍女に聞かれ、そんな言葉はこちらにないのだと思い出した。


「洗濯してキレイにするということよ」


「さあ、もう毎日あそこにあるものですから何とも。外で乾いた土ぼこりを叩き落すのは見たことがございますけれど」


「じゃあ、部屋の中にあるマットはどう? ドアマットだけじゃなくて暖炉の前とかにもあるでしょう?」


「掃除洗濯はメイドの仕事ですから、私は存じません」


「そう。分かったわ、ありがとう。これから執事のアルバーノのところに行きます。込み入った長い話になるから、ナタリーは他の仕事に回っていいわよ」


 この言葉にナタリーが怯えを見せた。


「あの、私、何か粗相をしましたでしょうか。失礼な態度でしたか?」


「いいえ、私がアルバーノのところに行くのは人事の話じゃないから安心して。そう軽々しく解雇したりしないから。ただ、今後のリスキン家についてずっと先まで見据えて方針を立てたいから、時間が長くかかりそうなの。その時間を拘束するのは悪いと思っただけよ」


「そうでしたか、分かりました。失礼いたします」


 ナタリーは礼をして去っていった。どうやら吉川成美のエレナはだいぶ恐れられていたようだ。



 執務室にたどりつき、エレナは久しぶりにアルバーノの前に立った。アルバーノにしてみれば昨日ぶりに過ぎないのだが。


 エレナはまっすぐアルバーノを見つめた。


「やってみたいことが見つかりました」


 エレナは中身が別人格であることを悟られないように、きわめて事務的な態度に徹することにした。


「昨日の今日でよく思いつきましたね。聞かせてください」


「まずは、ドアマットの復権です!」

 

 エレナは拳を握りしめ、力強く宣言した。


「はい?」


 アルバーノの魂の抜けたような顔を見て、エレナは先を急ぎ過ぎたと反省した。


「玄関ホールにドアマットが敷いていあるのをご存知ですか」


「あ、ああ、もちろん。たいていの家にありますね。それが?」


「リスキン家の玄関マット、汚すぎると思いませんか!? せっかく紋章を織り込んだ特注品でしょうに、土汚れで判別できないほどだと気づいていましたか」


「いや、足元など気にしたこともないですね」


「それです。その無頓着。泥足で平気で踏みつける。ドアマットは靴の下で、土と雨水と埃と花粉とたまに犬のフンとか、あらゆるものをなすりつけられて汚れていくんです」


「まあ、そういう役目なのでしょう」


「ですが、汚れたままではダメです。逆に綺麗な靴が汚れてしまいます。乾けば土埃も花粉も犬のフンさえ、屋敷の中に広がるのです」


「定期的にキレイにしているのではないですか?」


「それであの汚れようですか。玄関は屋敷の顔ですよ。たとえ意識に上らないとしても、視覚の中に収められた玄関の印象の汚点になります。見ている人は見ているでしょう。この家がどれだけ清潔にこだわっているか、使用人が屋敷を美しく整えようとしているか、屋敷の女主人が細部にまで気を配れるのか」


「そこまででしょうか?」


 アルバーノは懐疑的だ。


「玄関と言う外部から来た人が必ず通る所もきれいにできないようでは、屋敷の中の見えないところなど推して知るべしというものです。玄関のマットだけではありません。各部屋のドアマットだって、ベッドから降りるところのラグだって、廊下の絨毯だってそうです。いったいどれだけの人が気にかけているでしょう。踏まれてなんぼ、じゃないんですよ。屋敷の品格を示し、生活の質を上げるアイテムなんです」


 エレナは、自分がドアマットとして踏みつけられ放題だった過去を思い出しながら、このドアマットでリスキン家の未来を切り開こうと考えていた。


 鼻息も荒く訴えるエレナに若干引きながら、アルバーノは先を促した。


「で、それをどう事業にするのです?」


「個人の屋敷では、せいぜい叩いて乾いた土埃を落としたり、水で流して乾かすくらいでしょう。厚さもあるしすぐには乾きません。

 室内のマットは、簡単に水洗いできる物は洗うでしょうけれど、これも乾くのに時間がかかります。そう頻繁に洗うものではありません。

 ウール製品などは気軽に洗えませんから、ブラシで埃を掻きだして、あとは水拭きと乾拭きが基本です。これらは日常の洗濯に取り入れるには重労働です。だから放っておかれるんですね」


「なるほど」


「そこで、それを事業として肩代わりできないかと考えたのです。品格を高める紋章入りの玄関マットや自慢の絨毯、美しく保ちたいじゃないですか。複数用意してもらって定期的にきれいなものと取り換えに行くのです」


「それだけじゃ大した商いにならないのではないですか」


「そこで、室内の方のいろいろなマットを気分で替えてもらうようにレンタルするのです。

 部屋ごとの印象を変えるドアマット、足元の可愛いラグ、暖炉前や応接間の豪華なラグや絨毯、季節によって素材も変えて、カタログの中から選んでもらうのです。定期的に洗濯に取りに回り、次のマットと交換するのです。シンプルなマットなら玄関マットもレンタルで良いと思います。清潔感が大切です」


 私も吉川成美の会社で、パートさんが急に休んだりすると、レンタルモップの交換にお客様の家を回ったものだ。

 自動車という便利で恐ろしいものを初めて運転した時は、運転の仕方を知っているのに、そのスピードが怖くて仕方がなかった。電車といい、車といい、あそこはとんでもないものが街中を走っていた。


「よその屋敷で使ったものが回ってくるということですか?中古を見下す貴族は多いですよ」


 アルバーノの言葉に、意識が戻ってきた。異世界を思い出している場合ではなかった。


「レンタルに関しては、伯爵以下の貴族を対象に考えています。見栄を張りたいし生活に潤いも欲しい、けれど先立つものが心細いというような家はたくさんあるでしょう。そういう家は、家の中の他のことでも手が回らない状況にあると思うのです」


「つまり、高位貴族にはマットや絨毯などの洗濯サービス、それ以下の家にはレンタルマットの提供を中心にお勧めするということでしょうか」


「はい、ドアマット舐めるなよ、ドアマットに愛を!という気持ちで邁進する所存です!」


 力強く言い切ると、アルバーノは吹き出した。


「なんで一晩でそうなったの?」


「へ?」


 アルバーノが急に砕けた口調で聞いてきたので、エレナは素の自分が出そうになって慌てた。


『だめ、しっかりしなくては。プレゼンはまだこれから』


「急にひらめいたんです」


「それに、昨日までとは、なんだか雰囲気が違いますね」


「え、そうだったかしら」


 エレナは焦った。そういえば記憶の中の吉川成美は、もっと女主人らしかったような気がする。執事代理を殴りさえしていた。でも、今さらどうしよう。


「私を共同事業主として対等に接してくれたのかと思っていましたが、無意識でしたか。不思議ですね」


「そこは気にしないでいただけると助かります。事業の話をしているからだと思ってくだされば」


「まあ、いいでしょう。考えたのはそこまでですか」


「いえ、これを足掛かりとして、もう少し手を広げたいのです」



 エレナはそう言って、事業案の続きをアルバーノに説明した。



 一言で言えば、各種レンタルサービスだ。まだこの世界では、馬車の貸し出しくらいはあっても、高価で買えない物は貸し借りという形で遣り繰りしていた。騎士の鎧や装備などもそうだ。


 そうした貸し借りのシステムが確立しているものとは別に、一時的に欲しいものを一日単位で貸し出すサービスを立ち上げたい。提供するのは物品に限らず、人材やサービスも含むものだ。


 これはエレナが吉川成美の世界で携わっていた業務からヒントを得た。ヒントというか丸パクリだ。せっかくの異世界の知識、ありがたく使わせてもらおうとエレナは思った。



 それから数日間、エレナはアルバーノと共に新事業について検討した。


 洗濯工場の建設、職人の教育、配送サービスの方法、マットの開発。考えることはいくらでもあった。


 また、ドアマット以外のレンタル事業については、アルバーノが積極的に案を出した。見栄を張りたい貴族のために、陰から支援するサービスだ。

 

 こちらは一定の需要があるとアルバーノも踏んでいる。リスキン家は、財政の傾きと共に使用人の数も減り、先日は威張り腐った侍女長やメイドたちを解雇したことで人手が足りなくなった。そんなサービスがあったら依頼したいくらいなのだ。使用人を増やすことなく、単発で庭の手入れなどしてもらえれば安上がりで済む。仕事の幅も広ければ、なおのこと歓迎されるだろう。



 こうしておおよその計画がまとまったところで、融資のお願いをするためにミスドーナ夫人をリスキン家に招いた。



読んでいただき、ありがとうございました。


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