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覚醒 ドアマット夫人《改稿版》  作者: バラモンジン


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2-1 エレナの覚醒


「あの、つまり、どういうことでしょう」


 エレナは混乱していた。


 リスキン家の玄関ホールで、もうどうとでもなれと、誰かに身体を託して、意識を閉ざしたはずだった。


「吉川さんは、駅の階段で人とぶつかって転がり落ちたんです。覚えていませんか。救急車で病院に運ばれてきたんですよ。身元を確認するためにバッグの中を見たら、会社の名刺が入っていましたので、とりあえずそちらに連絡してあります」


 一気に言われたが、頭の処理が追いつかない。


 私はエレナだ。でも、この身体の持ち主である吉川成美の記憶もある。


 高校を出てから勤務7年目の会社を辞めることになったが、引継ぎも退職手続きもまだだから、名刺も持っていた。それで会社に連絡が行ってしまった。『最後に腹いせのつもりか』などと部長に言われそうで、今から気が滅入る。とりあえず職場の同僚に、無事なことと、引継ぎのために明日も出社することをメールで伝えた。


 ここに至って、ふと思う。自分はエレナなのに、吉川成美であることにも違和感がない。


 このまま吉川成美として仕事をして生きていくこともできるかもしれない。知識はある。身体も自然に動く。携帯などという信じられないくらい便利なものも、先ほど連絡のために使っていた。仕事の内容も覚えている。


 だけど、逃げ出した私エレナが、いつも応援してくれていた吉川成美に成り代わって、こちらでのうのうと生きていて良いのだろうか。彼女にエレナの人生を押し付けて、ここにいていいのだろうか。


 そう思うのに、向こうの世界の自分の身体に戻る方法が分からない。どうする? 


 いつかまた何かのきっかけで、エレナの中に戻れるとしたら、彼女も吉川成美として戻って来れるのだろうか。ならば戻ってきた時に、彼女が不幸でないようにしないといけない。とにかく生きよう。人から預かった人生を、台無しにしないよう頑張ってみよう。




 翌朝、私エレナは、吉川成美として会社に向かった。


「吉川さん、おはよう。大変だったよね、大丈夫だった?もう出てきていいの?駅の階段から落ちたんだって?部長から急にあんな理不尽なこと言われたら動揺するよね。先のこと考えたら注意も散漫になるってものよ。ホント、無事で良かったわ。

 ところで、その部長なんだけど、吉川さんを辞めさせるっていうの、部長の独断だったみたいよ。お気に入りのシンママの金森さんの気を引きたいばっかりに、吉川さんを切って、金森さんを残そうとしたみたい。俺に任せとけとか言ってるのを給湯室の陰から聞いちゃった。そのことがバレて、今、上に呼ばれてる。何らかの処分が下るんじゃない」


 ここまで一気に畳みかけられる間、エレナは言葉を挟むことができなかった。


「ということは、つまり」


「吉川さんは辞めなくてよくなったってこと。当然じゃない。なんで真面目で仕事のできる吉川さんを辞めさせようと思ったのか、意味分からないわよ。自分の首も絞めることになるでしょうに」


「金森さんは?女手一つでお子さんを育てているのに、仕事を失って大丈夫なの?」


「そこは吉川さんが心配することじゃないでしょう。それに、彼女、再婚が決まっているみたいよ。その人の転勤について行くらしいから、どの道ここは辞めることになってたの。それをあの部長がスケベ心を出しちゃってさあ」

 

「なるほど」


「なによ、反応薄いわね。頭も打った?安静にしてなくて良かったの?」


「うん、今日はね、どうしたら引継ぎを効率的に済ませられるかで頭がいっぱいだったから、ちょっと気が抜けちゃって」


「そりゃそうか。何はともあれ、いつも通り働きますか。具合悪くなったら、遠慮せずにすぐに言うのよ」


 周りで聞いていた同僚たちからも、散々労われて、なんとか吉川成美としての日常がスタートした。



 エレナは、吉川成美の仕事内容に目を回しそうになった。


 パソコンでメールをチェックする。返事が必要なものには返事をする。資料を作る。会議に出席する。外回りのスタッフさんの動向を確認する。そのほかにも細切れに仕事が舞い込んでくる。それを丁寧に裁きながら、エレナは、これは誰の意思で動いているのだろうと不思議に思った。


 エレナの意識は確かにあって、真正面から対象物を見ているのに、これが100%自分だと思えない。中から見学しているみたいに思える。本当は吉川成美が、この仕事をしているのだろうか。分からなくなってきた。



 そんなふうに疑問を抱きつつ、エレナは吉川成美として三週間を過ごした。


 会社の概要も、多岐に渡る業務のあれこれも、同僚や顧客とのやりとりも、エレナには新しい発見だらけだった。なのにすべて知識として元々あるという矛盾をあえて見過ごして、エレナは働く面白さに目覚めつつあった。




 そんなある日、エレナの中に懐かしい声が響いた。


『エレナ、聞こえる~』




  ◇    ◇    ◇




 リスキン侯爵家の応接間。

 吉川成美がエレナに成り代わって使用人に反撃を開始して三週間が過ぎていた。


 エレナである私と、老齢の上品な御夫人が向かい合って座っている。執事のアルバーノは紅茶を入れた後、私の斜め後ろに立って控えた。


「久しぶりね、エレナちゃん」


「ご無沙汰しております、ミスドのおば様」


「まあ、懐かしいわね、その呼び方。会わなくなって六年にもなるのかしら。ホントにあのダンスキン家の連中ときたら忌々しい。きちんと養育できないなら手元に連れ戻すんじゃないわよ。その上こんなリスキン家に持参金も無しで送り出すなんて」


 ミスドーナ侯爵夫人は、拳を握りしめながら息巻いた。


「こんなリスキン家を、これから立て直すのは俺なんですが」


 アルバーノが、祖母であるミスドーナ夫人にうんざりしたように言った。


「あらまあ、無事立て直したら、あなたに爵位が回って来るんじゃないのかしら。そうしたらエレナちゃんと結婚できるってことでしょう? 張り切らざるを得ないわね」


「簡単に言いますがね、帳簿を調べて分かりました。ほとんど破産状態ですよ。唯一救いなのは、借金はあるものの、質の悪い高利貸しからは借りていないことです。あと、前の執事と元代官からどれだけ取り返せるか分かりませんが、それなりの対処はしてきました」


「あの、アルバーノさんは、こんな侯爵家を立て直す使命のほかに、私という不良債権までも引き受けなくてはならないなんて、気の毒過ぎませんか?」


「エレナちゃんがアルバーノと一緒になるのが嫌なら、やっぱりうちに養子に来る? ダンスキン伯爵家とはもう関係ないから、好きにして良いのよ」


「待ってください、エレナ様はリスキン家の奥様ですよ。横槍をいれないでください」


「はいはい。可愛いエレナちゃんのために、苦手な前侯爵様と交渉したり、大嫌いな数字とにらめっこしてるんですもんね」


「余計なことは言わなくていいです」


「とにかく、立て直すなら、ちまちま取り戻したり倹約したりしても追いつかないでしょう。なにか事業を起こしなさいな。計画に賛同できれば私個人の資産から融資するわ。考えなさい、二人の将来のために」


「アルバーノさんは、それでいいんですか」


「ええ、構いません」


 横を向いたアルバーノの耳が赤い。ひょっとして、昔からエレナのことを憎からず想っていたのだろうか。だとしたら、いつまでも私がエレナでいてはいけないのでは?



 それにしても、エレナの記憶からアルバーノのことがそっくり抜け落ちているのが気になる。単純に幼かったかせいで覚えていないのか、覚えているのがつらくてわざと消したのか。私はエレナの幸せだった頃を見ていないから分からない。


 たまに領地に来る家族から酷い言葉を浴びせられているのは見た。タウンハウスに引き取られてからは、使用人扱いだった。嫁いでみれば針の筵。そんな場面ばかり目撃して、私は一生懸命に励ましてきたのだ。



 はたしてエレナがここに戻って、幸せになれるのだろうか。アルバーノが侯爵になったとして、エレナはそれを受け入れられるのだろうか。分からない。



 ならば、まずはエレナに確認だ。この身体の奥底にいるのなら、なんとしても意思を確認しなくては。


 もしも、二度と戻りたくないというのなら、その時は私が引き受けよう。だから。



『エレナ、聞こえる~』


 心の中で叫ぶ。



 ゆら。


 腹の底の内側の、どこか遠くから、微かな気配がした。




「さあ、私はひとまず帰るわね。アルバーノ、エレナちゃんと二人で、リスキン家を立て直す話し合いをなさい。エレナちゃんを蚊帳の外に置いてはダメよ、役立たずのレッテルを貼られてしまうから。とにかく話に交えなさい。知識と立場がエレナちゃんを強くするわ。良いわね、一人でスマートに決めようなんてことを考えるんじゃないわよ」


 ミスドーナ侯爵夫人は、そう言って帰って行った。




「アルバーノさん、ミスドのおば様は、ああおっしゃっていたけど、事業のアイディアは何かあるの?」


「いえ、まだそこまでは。これからです。エレナ様はどうですか」


「そうね、少し考える時間をちょうだい」


 私はそう言って自室に戻った。




 私はエレナのベッドに横たわり、静かに彼女に話しかけた。先ほどの微かな揺らぎを、呼びかけに対する応答だと受け止めて、現状を知ってもらおう。



『エレナの仇は討ったよ。あの侍女長とエレナを殴ったメイドたちは辞めさせたからね。ほかの使用人たちは次にやらかしたらクビだから、もう何もしてこないはず。今後はエレナが人事を握ればいいから。

 それから、ミスドーナ侯爵家から派遣された侍女に、家政の基礎を習っているところなの。できるだけ知識を身に付けておくけど、足りないところは、後からエレナが頑張って』



『そうだ、大事なこと忘れてた。エレナは昔のアルバーノを覚えている?』



 もそ。



 居心地悪そうに何かがうごめいた。やっぱりエレナに私の声が届いているんだね。



 私は、アルバーノとミスドーナ侯爵夫人から聞いたことをエレナに話して聞かせた。



『それで、アルバーノが無事にリスキン家を立て直したら、アルバーノに爵位が譲られる公算大なんだって。そうしたらエレナの結婚相手はアルバーノになる。もしアルバーノと結婚するのが嫌なら、ミスドのおば様がエレナをミスドーナ侯爵家に養子に迎えてくれるって言ってる』



 そわ。



 動きが怯えているようには思えない。むしろ、ほのかな期待に揺れているようにも感じる。



『ね、これはチャンスよ、エレナ。リスキン侯爵夫人として、もう一度やり直すチャンス。アルバーノはエレナのために、嫌いなことや苦手なことも頑張ってるよ。どうかな。ここは嫌な思い出ばかりで辛いかな』



『それにさ、私がエレナとしてアルバーノと結婚するのは、さすがに気まず過ぎるんだよね。だって私は、アルバーノが望むエレナじゃないし。そのうち何か違うって気付くかもしれない。私じゃダメなんだよ』



『それとね、今のリスキン家は相当借金あるから、ちょっとやそっとじゃ立て直せそうにないの。ミスドのおば様が、事業を始めるなら融資してくださるんですって。計画がお眼鏡に適えばだけど。エレナとアルバーノの二人で考えなさいって。そしてエレナの立場を盤石にしなさいってことね。どう? アルバーノと一緒に頑張ってみる気、ない?』



『あのさ、私の人生は、たぶんもう終わってるの。だからこれからはエレナの中で、もっと親身に応援できるよ』




 ◇    ◇




 ドキン、ドキン


 エレナの心臓が早鐘を打つ。

 吉川成美からの言葉が信じられない。


 そんな夢みたいな話があるだろうか。ミスドーナ侯爵家のアルバーノが、リスキン侯爵になるかもしれない。しかも、エレナと二人でリスキン家を立て直すことを期待されているだなんて。

 

 やってみたい。


 吉川成美の生活をほんの少し肩代わりさせてもらって、外で働くという体験をした。領地にいる頃は、羊の世話だって、家事だって、庭仕事だってやってきた。ダンスキン家のタウンハウスでだって、エレナは仕事をしてきた。何もできない奥様なんかじゃない。エレナにだって、できることはあるはずだ。アルバーノとなら、頑張れるかもしれない。


 エレナはリスキン家で、アルバーノに見放されたと思っていた。だけど、吉川成美の話では、エレナの結婚後わりとすぐに、仕事で領地に行ってしまったらしい。代理のマッテオもルーティンをこなすだけで、エレナの状況の酷さに気付いていなかったのだという。そのことにホッとしている自分がいる。



 あの日、エレナがリスキン家を初めて訪れた時、迎えに出たのはアルバーノだった。

 見られたくなかった。実家から追い出されるようにリスキン家に差し出されたみじめな姿など。

 見知らぬ誰かと愛も信頼もなく結婚する姿など。


 だからエレナは、思い出の中のアルバーノの姿をどこか奥底に隠して、なかったことにした。この人は知らない人。そう自分に言い聞かせることで、エレナは自分の幼い初恋に別れを告げたのだ。




「吉川さん?」


「はい?」


 同僚に呼ばれているのに気付かなかった。

 吉川成美からの問いかけに没頭していて、しばらく固まっていたようだ。


「どうしたの?終業時間とっくに過ぎてるよ。残業していくの?」


「あっ、いえ、ちょっとぼんやりしていて」


「大丈夫?最近仕事が立て込んでいたよね。疲れすぎてまた階段から落ちないようにね」


「ありがとう。気をつけるわ」


 吉川成美であるエレナは急いで帰宅した。


 

 ベッドに横たわり、吉川成美から聞いた話を頭の中でゆっくり再生する。

 同時に、封印していたアルバーノの記憶を少しずつ解放していく。




 気候も穏やかなダンスキン家の領地の初夏。


 厚ぼったい羊たちが次々と毛を刈られ、寒々しいような清々しいような姿で元気に走り出していく。


 それを農作業小屋から、祖母とミスドのおば様とアルバーノとエレナの四人で眺める。エレナはもっと近くで見たくてソワソワと近づいていくのだが、その度に危ないからとアルバーノに連れ戻された。あまりに繰り返すものだから、アルバーノと二人でぎりぎりまで近づいて眺めた。

 

 六つ年上のアルバーノは、エレナからみたらすごく大人で格好良く見えた。男の子なんて領地の子どもか、意地悪で気取った兄たちしか知らなかったので、仮にも侯爵家次男のアルバーノは、立ち居振る舞いからして別格だった。顔の美醜についての判断基準はまだ持っていなかったが、エレナに笑いかけてくれるというだけで好感が持てる顔だった。


 とはいえ、十二歳になると王立学園に通うため、アルバーノは領地を離れ王都に行ってしまった。長期休暇にミスドーナ侯爵家の領地に戻ることはあっても、ダンスキン家の領地に足を運ぶ理由もないので、エレナはそれ以降アルバーノに会っていなかった。なので、思い出と言っても、五、六歳の頃のほんの数日間の断片に過ぎない。その断片を、エレナは大事に仕舞っておいた。




 嫁いできたリスキン家でのアルバーノは、いつも無表情だった。

 共通の思い出などないかのようにエレナには目もくれず、そのうち姿さえ見かけなくなった。まさか領地に行って屋敷を留守にしているとは思わなかった。きっと侯爵夫人として認められないから、話もしてくれないのだと思っていた。



 だけど、アルバーノは自分を覚えていてくれた。

 おまけにリスキン家を立て直そうとしてくれている。

 ならば私も、堂々と隣に立てる自分でありたい。

 その道筋を吉川成美がつけてくれた。

 ここまでお膳立てされて、しり込みするとかありえない。



 エレナは吉川成美として生活する中で、ネット小説を読むという楽しみを知った。細切れの時間でも楽しめる短編ばかり、あれこれと読んだ。


 その中で、家族の中で不当に冷遇され貶められるドアマット令嬢と呼ばれるものもいくつか読んだ。涙が止まらなかった。たくさんのエレナがその中にいた。もっと酷い扱いをされている人もいた。物語だから、そんなんじゃすぐに死んでしまうよというような虐待を受けている者もいた。

 けれど、最後には誰もかれも気持ちの良い逆転劇が待っていた。他人からもたらされるもの、見い出されるもの、己の知恵や才覚で、あるいは魔法で現状を打破するものなど、様々なパターンを見た。


 ああ、これか。


 吉川成美は、エレナをドアマット令嬢だと認識したのだ。そうして心から応援してくれていたのだ。どこでどう縁が繋がったのか分からないけれど、励ましてくれた彼女に応えたい。なにより私は自分を試してみたい。自分の力で幸せになれるかどうか。そして、応援した甲斐があったと、吉川成美に思ってほしい。


 こうしてエレナは覚悟を決めた。


 ドアマットを馬鹿にしないでね、踏みにじって良いものじゃないから、と。




  ◇    ◇




『エレナ、もしこちらに戻る気があるなら、強く心に念じて。たぶん私が何かしてもダメだと思う。私の身体じゃないから。あの日すべてを私に託して消えたけど、これはあなたの身体なの。お願い、戻ってきて』


 吉川成美が訴えかけてくる。


 そして、彼女は誤解しているが、吉川成美の人生はまだ終わってない。階段を落ちた時に、吉川成美の意識がエレナの中に紛れ込んだだけだ。エレナがそちらに戻れば、彼女の意識は押し出されて、元の身体に戻れると思う。彼女のためにも、エレナは元の自分に戻らないといけない。


 戻りたい! エレナは、切実に願った。


 

読んでいただき、ありがとうございました。

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