1-3 執事アルバーノの話
いい加減、沈黙に我慢がならなくなった頃、ノックの音がして、返事も待たずにドアが開いた。
「マッテオ!」
入ってきたのは執事のアルバーノだった。
「おう、ようやく戻ってきたか、アルバーノ」
「お前、なんでエレナ様を守ってくれなかったんだ。くれぐれもと頼んだだろう。医者が呼ばれたんだろう? 何があった」
アルバーノはマッテオに真っ直ぐ向かって行ったので、横にいる私にすぐには気付かなかった。
「え? あれ? エレナ様がなぜここに」
気付いた途端、アルバーノが焦りだした。
「マッテオさんにあれこれ質問していました。まだ半分しか答えてもらっていませんが」
「どういうことだ、マッテオ。と言うか、お前もどうした、その頬」
「これは気にするな。俺の自業自得な部分もあるから」
マッテオは腫れた頬を抑えながら言った。
「それより質問の答えだが、俺にはどこまで話して良いか判断がつかねえんだよ。奥様の話し相手はルーティンの仕事に入ってないだろ。いつも余計なことを言って怒られるしな。これでも自重してんだ」
「そうか、そうだな。分かった、後は俺から説明する」
「じゃあ、おれはちょっと休憩してくるわ。明日には帰らせてもらうからな」
そう言って、マッテオは部屋から出ていった。
それを見送ったアルバーノは、すぐに私に向き直った。
「私が屋敷を離れている間に使用人たちがしたこと、申し訳ありませんでした。町医者を呼んだと聞きましたが、怪我の方はいかがですか」
「骨に異常はないから、とりあえず大丈夫。それより、質の悪い使用人がいることが問題だわ」
「分かりました。大なたを振るう時がきたようです」
私からは、マルタとエミリーの他に、メイド二人と料理長の解雇を求めた。アルバーノの方からも数人の名前が挙がったが、一度に大勢を辞めさせると屋敷が回らないからと、しばらく様子を見ることにした。新たな使用人を募集しても、こんな貧乏侯爵家に優秀な働き手が来てくれるとは思えないからだ。
「それで、先ほどはマッテオに、何を聞いていたのですか」
「結婚式以来ずっと不在の侯爵様は、今どこで何をしているのか、いつ帰って来る予定なのかということです。そもそも、アルバーノさんも、いったいどちらにいらしたのですか。私と侯爵様が結婚するほんの二週間前に執事になったばかりなのでしょう?」
「順を追ってお話します」
アルバーノは、エレナの向かいのソファに座った。
「まず、私のような若輩者が執事としてここに来たのは、二人の方から依頼されたからです。一人からは、リスキン侯爵家を立て直すことを、もう一人からは、エレナ様ををお救いすることを求められました」
「立て直すために?」
「リスキン侯爵家は、前侯爵夫妻が浪費を重ね、財政を傾けたと言われています。しかし、その散財は実は大したことがなかったのです。
夫妻の財政に対する無関心の陰で、前の執事と領地の代官が手を組んで脱税やら使い込みやらをしていました。他にも公共工事の上前をはねたりなど、やりたい放題でした。それが明るみになり、前侯爵が彼らを追い出しました。
現在、侯爵のジュリオ様は、前侯爵様の元で領主としての再教育を受けているところです。その間、私が執事としてリスキン家を取り仕切るよう送り込まれてきました。ここ二週間ほどは、元代官たちのやらかしの後処理のために、領地に行っていました。その間、親族の中でも暇そうなマッテオに、私の代理を頼んだのです」
「アルバーノさんも侯爵家の親族ということですか」
「ジュリオ様の従兄弟です。父親同士が兄弟ですから」
「なるほど」
「リスキン家はこれから、脱税した分を国に納めたり、借金を返したりしなくてはなりません。今は過去の帳簿から何から調べ直して、正確な現状を把握しているところです」
「その立て直しの依頼は、前侯爵様、つまりアルバーノさんの伯父様からということですか」
「そうです」
「では、私を救うというのは誰からの依頼ですか」
「私の母方の祖母からです。覚えていませんか ?エレナ様が領地にいた頃、祖母は羊の毛刈りを見るのが好きな変わり者で、毎年のように遊びに行っていたのですが」
「・・・いらしてました、そういうお客様。私が祖母譲りの古いマナーで挨拶すると、懐かしいわ、といって可愛がってくださった方が。祖母とはどういう知り合いだったのでしょう」
「女学院時代の友人だそうです。それで、エレナ様が王都のご両親の元に引き取られて、ようやく家族と暮らせることになったのかと安心していたところ、女学院を卒業後、いきなりこんなリスキン家に嫁がされることになったので、祖母はたいそう怒っていました。リスキン侯爵家の内情を、世間より詳しく知っていましたからね」
アルバーノのお祖母様の話に心が温かくなった。エレナのことを思いやってくれる人がいたのだ。
「折しも、私が執事として送り込まれることになりましたから、エレナ様を守るように命じられました。それで私はジュリオ様を唆して、結婚式直後に愛人の元へ向かわせました。お子様な若奥様はしばらく放っておいて、サーラさんと二人で旅行にでも行ったらどうですか、従者に金を持たせるから連れて行くようにと。ジュリオ様は、喜んで出かけましたよ」
「旅行先は前侯爵様の元へ?」
「最初の一週間は好きに遊ばせました。それからサーラさんを劇場に帰らせ、ジュリオ様は侍従が領地まで送り届けました」
「旦那様不在の理由は分りました。でも、なぜ旦那様を旅行に出すことが、私を守ることになるのですか。そのせいで私は使用人たちから侮られたのですが」
「ジュリオ様はおそらく爵位を取り上げられます。今さら再教育を受けたところで、やる気もなく、私に譲るとさえ言い出しています。もちろんジュリオ様に次の侯爵を決める権限などないのですが。
そんなわけで、エレナ様がジュリオ様と添い遂げたいと思うのならともかく、あんな男の道連れになる必要などないのです」
「でも、神官様の前で婚姻の署名をしてしまいました」
「あれはダンスキン家の手前、エレナ様はもうリスキン家の人間だから手を出すなというアピールです。その後、離婚して祖母の養子になろうとも、ダンスキン家には何も言わせません。
エレナ様は、こんな沈みそうな泥船侯爵家より、ご実家の領地のような自然豊かな場所の方がお似合いだと思います。太陽の下で羊を見て笑っているエレナ様の方がずっと良い」
「もしかして、アルバーノさんは、昔の私を知っているの?」
アルバーノは、はあ、とため息をついて、体中の力を抜いた。
「やっぱり覚えておられなかったのですね。私も祖母について羊の毛刈りを見に行っていたんですよ。その時、エレナ様と一緒に羊のそばまで行き、飽かずに二人でずっと眺めてました」
私はエレナの記憶をあさる。
「・・・覚えがないわね」
不自然なくらい。
「どうせ羊しか見ていなかったのでしょう」
アルバーノは不貞腐れた。そうするとずいぶんと若く見えた。
「アルバーノさんはおいくつですか?」
「二十二ですよ」
「若っ」
「そうですか?十五で成人して七年も働けば、それなりに経験も積んでいると言えます」
そうか、そういう世界だということを忘れていた。
「それで私は離縁してアルバーノさんのお祖母様の養子になると決まっているのですか」
「いえ、それはエレナ様次第です。前侯爵様は、ジュリオ様から爵位を取り上げた後、一時的に侯爵に戻り、他の者に改めて爵位を譲るおつもりです。エレナ様さえ同意すれば、その新たな侯爵と婚姻を結び直すことになるでしょう」
「次の侯爵の候補は決まっているのですか」
私が訊ねると、アルバーノは俯いてぼそぼそと喋った。
「今のところ、立て直しを任された私が最有力だと思います」
「何か不満があるのですか」
「まさか、そんな! 不満など絶対ないです!」
アルバーノは焦ったように言い募った。
「祖母としては、エレナ様を自分の手元に引き取るのが一番の希望でした。これ以上苦労をさせたくないからと。だけど私は、エレナ様の意思で未来を選ぶのが良いと思います」
「状況は分かりました。では、今後のことを教えてください。いずれにしても、私は養子に行かなければ、侯爵夫人としてこの家に留まることになるのですよね。でしたら、私は何をしたらいいでしょう。前侯爵夫人に仕事を教われば良いのでしょうか」
「ありえません。あの方は、社交と買い物にしか興味がありませんでしたから。家の中のことも全て、前の執事と侍女長に任せきりでした」
「その侍女長は?」
「前侯爵夫妻について領地に行きました。後を任されたのが、アレです」
「教えを乞うに値しないわね」
「祖母のところから侍女を一人借りてきましょう。基本的なことはそう変わらないはずです」
こうして私は、アルバーノの祖母から送り込まれてきた、いかにもできる感じの侍女から、貴族家の家政の基礎を学ぶことになった。侍女からなので基礎の基礎に過ぎないが、追い追い誰かから本格的に学べば良いだろうと考えた。
そして、その日の夜。
アルバーノによって全ての使用人が集められ、マルタたちの解雇が告げられた。紹介状も書いてもらえないことを知って泣き騒ぐ者たちに、アルバーノは言った。
「紹介状を書いても良いが、解雇の理由も正直に記すがそれでも良いか」
仕える家の夫人に虐待行為をしたからなどと書かれては、もうどんな家でも雇ってもらえないだろう。マルタたちは絶望の面持ちで、自室に戻っていった。
アルバーノは、残った者たちについても、許したわけではないから、今後の態度に気をつけるよう念を押した。
これで一区切りついたが、全て解決したとは言えない。だって、エレナがどこにもいない。
奥深いところで眠っているのか、私に身体を預けたままだ。
このまま私は、エレナとして生きていくのだろうか。
読んでいただき、ありがとうございました。




