ちかごろは
ここでおわります
「 ユズスケに、『よおやった』といったそうだな 」
ジョウカイはこげそうになった魚をつまんでウゴウにくれてやる
「 うん? まあ、いったかもな。あのバケモのいうことを最後まできいてやったのだから、オチョウとおなじに『ひとをたすけた』ことになろう?あれだってもとは人だしな」
「そうか。おまえにほめられて、うれしかったようだぞ」
「おまえもむかし、おれたちにほめられて喜んでおったではないか」
「そのはなしはもう忘れろ」
また焼きあがった魚をウゴウにわたす。
「 ―― ノリヤスよ、おれたちがあのころのノリヤスをわすれたら、あのころのおまえはもうどこにもいなくなるのだぞ? それは、 ―― なんだかこまるだろう?」
角のあるひたいにしわをよせて、ウゴウはジョウカイの幼いころの名をよぶ。
「 ・・・そうか、こまるか・・・・」
ジョウカイはエセ坊主である。
おおがらで頭を剃り、首には粒のそろった水晶をながくつなげたおおげさな数珠をさげ、旅の僧侶のような顔をして鉢を手に、その土地にある寺の経をよんで施しをうけながら『散歩』する。
だが、この世のどこの寺でも修行したことはないし、どの宗派にも属したことはない。だからといって、あたらしくおこした信仰などももっていない。
手にした杖には、さまざまな経からぬきとったお題目が彫られており、いっけんありがたいようにみえるが、本物の坊主にはみやぶられてしまうから、むこうから坊さんがやってきたときなどは、すぐに脇道にはいり、かくれる。
偽の坊主というまえに、ジョウカイは人ではないのだ。
ただしくは半分は人だ。父は人だが、母はよくいう、妖怪の類のものである。
その母の親戚の叔父だという男から、『ジョウカイ』という名を継ぎ、寺も継いだ。
寺には、叔父にしたがう二匹の鬼がついてきて、こどものころからいっしょにいる。
その鬼に、ときおり、人としての心得をおしえられるときがある。
「 ・・・ならば、おれも、 こんどのユズスケのことを、しっかり覚えてやっておらぬとなあ」
ジョウカイには知り合いから預かっている《こども》がいる。
みかけ五つになるかならぬかの『ひとの子』にみえるが、人ではない。子ダヌキを、訳あってあずかっているのだ。
それに、寺にはほかに、オチョウというこどももいる。この娘は狸ではなく狐のほうの縁者であって、預かっているのではなく、寺の手伝いにきてくれているこどもだ。
おのれもこどものころに『アオタの鬼塚』のいまの寺にきて、自由にならない寺の暮らしがはじまった。先代の坊主であった叔父にきびしい稽古をつけられたあと、かくれて泣いていると、この鬼たちにいつもみつかっていたのだが、あれは、わざわざさがしてみつけていたのかもしれない。
「 ユズスケとオチョウを、釣りにさそってみるか・・・」
「おう、そうしてやれ。 よろこぶぞ」
『アオタの鬼塚』にある寺の坊主は、よく『散歩』にでているが、ちかごろは、釣り竿を手に、川をくだったさきにある《ミツ沼》へとむかう。
坊主の肩には男のこどもがのり、片手は女のこどもとつながれていて、
その姿を、
寺をまもる鬼たちが、本堂の屋根のうえからみおくっているらしい。
めをとめてくださったかた、おつきあいくださったかた、ありがとうございました!!




