1ー3・兄妹の絆
空中世界から来たらしい、自分とよく似た少年の申し出は、おそらく少年が想定していた以上にユイトを喜ばせた。
「ほんとに? ほんとに空中世界に行けるのか?」
「まあ、ぼくのふりして学園に通ったりとか、いろいろ制限はあるけど」
「やるやるやる。演技でも、学園でも何でもこいだって」
「ありがたいね。それじゃ」
一応ちょっとした戦闘テストを提案されたユイト。
そしてその結果は、逆にユイトが想定していた以上にレイを驚かせた。
「学園では、その特殊技能は使用禁止な。能力が違うとかそういう問題以前に、強すぎてバレるわ」
地上世界のコード能力者の戦闘能力はかなり高い、とはレイたちも聞いていたから、そんなに心配はしてなかったが、実際はむしろ強すぎて心配になるほどであった。
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ユイトの妹カナメは、この美少年の兄にしてこの妹ありというような美少女だが、髪の色が金色な事もあり、そんなには似ていない。
「カナメ」
アルケリの海岸付近に停泊していた、レイたちの乗ってきた巨大な飛行船。その、細長いクジラを思わせるようなデザインの、合金製の乗り物から出てくるや、待っていた妹に声をかけるユイト。
「カナメ、やった。合格だって」
「やったじゃん兄ちゃん。すっごい」
実に子供らしくはしゃぐ兄妹。
対照的に、ユイトに続いて出てきたレイたちは、実際は同世代であるのに、実に落ち着いたもの。
「こういうのもいいな。人が少なくて自然が多くて、大はしゃぎがしやすい」とはレイの感想。
そしてユイトたち兄妹だけでなく、兄妹が暮らす村の者たちみんなが、その日はお祭り騒ぎだった。
ーー
「やったなあ、ユイト」
村のおじさん。
「ユイちゃん。よかったねえ、憧れの空世界だ」
村のおばさん。
「いつでも帰ってきておくれ。いつだってこの村はおまえの故郷だから」
村長。
それから夜。
「えっと、みんな、おれは行きます。あの空へ。ほんとにみんな、ありがとう」
キャンプファイアと月に照らされた、村の、というか島の全人口、206人の前に立って、口下手な演説を行うユイト。
「なあ、ミユ、なんか、目が熱いな」
「そ、そうね。ほんとそうね」
村の人たちに混じって、レイは少し半笑い気味だがミユは普通に泣いていた。
ーー
また少しして……
「ちょっと、カナメ」
「お兄ちゃん」
パーティー、と言えるのかレイたちにはわからない、キャンプファイア祭りの騒ぎの中、妹を連れてその場を離れたユイト。
そして、そのまま村離れの林の中に2人で来た兄妹。
炎の明るさからは離れたけれど、月明かりで真っ暗とはいえない周囲。
「カナメ」
ミユがレイの本心を見抜けるのと同じ。ユイトだってカナメの事くらい簡単にわかる。
「おれ、その」
「ずっと兄ちゃんの憧れだったもんね」
兄から目を背けるように空を見る妹。
「わたしもほんとに嬉しいんだ。お兄ちゃん、叶わない夢だって思ってたのだって知ってるよ」
今度は下を向き、無理した笑みを浮かべる。
「でも、ちょっとその、やっぱり寂しさも、ちょっとはあるから」
「カナメ、おれやっぱり」
「ううん、お兄ちゃん行くべきだよ」
それはしっかり兄を見てカナメは言った。
「わたしだけじゃない。村の人たちみんな、みんなお兄ちゃんの事大好きだから。だからお兄ちゃんを縛りつけたくないんだよ」
だけど、無理じゃない。
目に水滴を滲ませて、それでも妹は、心の底からの笑顔を兄に見せた。
「だから、都会でひどい目にあって逃げ帰ってきたら、大笑いしてやるんだから」
「カナメ」
ユイトもそれで軽く笑う。
「うん、肝に銘じておく」
その時、兄妹の前に突然投げられてきて、空中で静止した、スポーツにでも使うボールのような球体。
「これ、空中世界のコンピューターなんだけど」
突然現れ、その球体コンピューターに指先で触れるレイ。
すると球体の上に映しだされた三次元映像の画面。それが映していたのは、どこかの部屋。
「ぼくらの回線は敷いといたから。これはあげるよ、使い方も教える。これでモニターごしだけど連絡は取れるから」
そして、それでも申し訳なさそうに、レイは続ける。
「ほんと悪いね。こんな事くらいしかできないけど」
「ありがとう」
「充分だよ」
ユイトとカナメの返しは同時であった。
ーー
翌日の朝。村のみんなとの別れは村で、カナメとの別れは海岸の、飛行船前でだった。
「それじゃ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
互いに体は震えてたけど、だけどそうして、兄妹は涙でなく笑顔で別れた。
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空中世界は、惑星の外から見たなら、 地上の平均的な高さから十数キロメートルほどの隙間を開けて、星を覆っている殻のようなもの。
そこにあるのは21の大都市。その1つで、レイたちの暮らすミューテアの、公式には11ある地上側への出入口の1つを目指し、ユイトを乗せた飛行船は飛び立つ。
丸い窓から、ユイトが故郷の島を確認できた時間は、ほんの数十秒程度だった。
「それでユイト様、あなたが通うことになる学校ですけど」
飛行船のとある一室。
巨大な白い校舎を映したスクリーンの横で、ミユは説明した。
アズエル学園は、単に勉学の面でもかなりのエリート校であり、生徒数がそれほど多いわけではないので、各学年ごとでクラス分けなどはされていない。
二年生は、ユイトとミユ以外に26人。
「ちょっと待って。勉強だけど、おれ全然自信ないよ」
当然であろう。
地上世界の電子ネットや、本や、村の大人たちに教わり、ユイトも多少は勉強してたと言える。が、おそらくそんな内容など空中世界の義務教育レベルにも達していない。
「それはわたしがやりますので大丈夫です」
「ああ、勉強はミユに任せればいい」
そこで話に入ってくるレイ。
出席を回避出来ないのはコード能力に関する実習だけで、通常の勉学の授業は、必要な課題さえしっかりとクリアしていれば免除される。
「それで」
ミユは画面を、ひとりの少女の写真に切り替える。
透き通るような銀髪に、綺麗な肌が、まるで輝いてるような印象すら与える、そんないかにもお嬢様然とした女の子。
「この方はフィオナ様です。彼女の前では特に気をつけて。あまり仲いいとは言えませんし、過去に一度だけなのですが、しかし一応レイと面識もありますので」
「なるべく、近づかないようにって事?」
むしろそうだと、ユイトとしても楽かもしれない。
「まあ、多分向こうが近づいて来ないと思います。レイの事かなり嫌ってますので」
そこで少し口元を緩ませたミユ。
「ただ全体の生徒数も少ないし、普通に学園生活送ってるだけでも話す機会はあると思う。そういう時はボロ出さないように頼むよ」
ミユの笑みを全く気にしていないようであるレイ。
「うん。頑張る」
「わたしもできる限りサポートしますので」
今度は自信なさそうなユイトに向かって、笑みを見せるミユ。
「う、うん」
それだけで顔を赤くするユイトを見て、レイも口元を緩ませる。
レイの発案でミユは、フィオナがレイの婚約者である事は伏せた。変わり身の理由も、単にレイが遊びたいからというふうに伝えた。
「生活は、こちらの宿泊施設をひとつ確保してます」
画面を、今度は綺麗な黄色っぽい建物に切り替えるミユ。
ツキシロ家の実家からはアズエル学園に通うのに遠いし、何人かと共同生活の寮だと身バレの危険性が高い。そこでレイたちは、学園の近くの"麗寧館"という宿泊施設を3年間貸し切りにしたのだった。
別にアズエルの寮もなかなかのものであり、貴族の生徒でも全然普通に使っている。しかし幸いにして、レイなら女性連れ込みのためにわざわざ宿泊施設を用意するのは、何の違和感もないので、今回の事を知らない周囲の者たちも、何の疑問も抱かなかった。
「あと、わたしの特殊技能も知っておいてください。レイやあなたのに比べたらわりとよくあるものですが。でも、あなたのサポートにも役立つと」
[「オモイマス」]
「へ?」
思います、という部分だけ、なんだかそれまでと違う印象に聞こえたユイト。
[「コレガワタシノ、トクシュギノウデス、イマコノコエハ、アナタニシカ、キコエテマセン」]
「音を伝える能力?」
「正確には空気の振動を伝えています。わたしの特殊技能、"風芸"は、空気を操る能力なんです」
「すごい」
空気を操る事なら再創造でも可能だが、その振動で自在に音を伝えるなんて発想、ユイトにはなかった。
「まあでも、わりと集中しないといけないので、あまりとっさだと使えないと思います。だからあまり過剰には当てにしないでくださいね」
実際そうだろう。少し考えてみたが、ユイトには、そこまで繊細な空気の操作などおそらく出来ない。
「で、着いたみたいだぞ」
いつの間にかレイが見ていた窓に映され、拡大されていた景色を、ユイトも見る。
「あれが、空中世界」
思わず呟く田舎者。
とにかく大きな建物が並び、丸っぽい乗り物が転がったり飛んだりしてて、人と同じくらいにたくさんのロボットが道を行き交う。まさに想像していた通りの憧れの世界。
「すごいや」
ユイトはついに、そこに足を踏み入れたのだった。
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"風芸"(コード能力事典・特殊技能2)
空気を操る特殊技能。
コード能力の特殊技能として最もよくあるひとつ。
空気は普通に(我々の)世界にもありふれた物質であり、応用例が非常に多い。訓練次第で、例えば物を浮かべたり(擬似的な他物質操作)、音(空気の振動)を対象だけに伝えたりもできる。