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花園で笑いあう彼と≪彼等≫

作者: 夏樹翼

あけましておめでとうございます。

今年最初にアップする作品です。

さいごまで楽しんでいただけましたら嬉しいです。

 肌寒さに手をすり合わせながら、それでも車窓から離れたくなかった。

 青々とした山々。広々とした野菜や果物の畑。木々のトンネルに、時折現れる可愛らしい家屋や牧場。

 都会にはない自然の雄大な美しさが、目の前に広がっていた。

 向かっているのは叔母の別荘。春休みによかったらと誘われ、飛行機で1時間半。そこからは年の離れた従姉の車で3時間ほど。

 叔母はよく家に来て遊んでくれる、子供の目から見ても明るくて社交的な人だ。別荘にも自分の友人や仕事仲間とかも呼んだりしているらしい。

 景色を楽しんでいるうちに叔母の別荘に到着した。車を停めていると、玄関からオレンジ色のワンピースに身を包んだ叔母が駆け寄ってきた。


「いらっしゃい! ま~レーナ。この間の誕生日にあげたワンピース着てきてくれたのね! とても似合ってるわ」


「ありがとうリアーナ叔母さん。とても気に入っているのよ」


「ふふっ今日は来てくれてありがとね~。ささっ中に入ってちょうだい。今日はたくさんごちそう作るわよ~!」


 室内は木の床、壁、天井で、全体的に木造だからか木の温かみを感じられる。自分の荷物を2階に運ぶと、叔母に呼び止められた。


「レーナ。実はね、あなたのために用意した部屋があるの」


 そう言われてついていくと、廊下の突き当たりにはしごがあった。言われるがままはしごを上ると、そこは屋根裏で、こじんまりとした可愛らしい部屋となっていた。


「もともと倉庫として使っていたんだけどね。屋根裏部屋ってなんだか特別でしょ。せっかくレーナが来るんだしって張り切って女の子用のかわいい部屋にしちゃったの」


 子供用の少し小さめのベットに机、椅子もあり、寒くないようストーブもある。照明は天井から釣り下がっており、机の上には花のつぼみが光っているようなおしゃれな卓上ライトがあった。秘密基地のようなその部屋に思わず飛び跳ねて喜んだ。


「す、素敵すぎるわ。ありがとう! 大変だったでしょう」


「子供が気なんて使わなくていいのよ! 喜んでくれたのならそれが一番だわ。すぐ夕ご飯の準備ができるから、それまでのんびりしててね」


 叔母が一階におりていくのを見届けると、まずはベットへと飛び込んだ。ふとんも枕もふかふかで、家全体の木のにおいに思わず眠たくなってしまう。

 眠気を抑えて起き上がると、窓があるのに気づいた。花柄のカーテンをめくると外はもう暗くなっていた。


「あら?」


 街灯もほとんどない中、揺らめく光がいくつかあった。街灯というより火の明かりのように見えた。暗くてよく見えないが、お屋敷のような家があり、その庭に誰か数人ほどいるのだろうか。ここまでの道のりでは見なかったので、更に先に、あの屋敷はあるのだろう。

 明日散歩ついでにどんなところか見に行ってみようかと考えていた時、下から私を呼ぶ声が聞こえた。

 ラム肉の料理や牡蠣など普段食べない食材の料理がたくさん出て、とても美味しかった。そして満腹のまま、旅先での最初の幸せな眠りについた。


 次の日。母が街でショッピングをしたいということで、父や叔母も付き添って出かけていった。誘われたのだが、それよりも昨夜窓から見たお屋敷を見てみたいという好奇心に勝てず、残ることを選んだ。

 早めのお昼をとった後、従姉に散歩してくる旨を伝えて私は外へと飛び出した。


 外は気持ちの良い澄んだ風が心地よく吹き、空を見上げれば青空が広がっている。大きく何度も息を吸いたくなる。高層ビルがないどころか家も周りにはほとんど 何もないので、見晴らしはとてもいい。木々の間からの木漏れ日はキラキラとまぶしく、時折現れるりすや小鳥に心躍らせた。夢中で歩いているうちにふと横を見ると、色とりどりの花をつけた蔦で覆われた門扉があった。花のアーチをくぐった向こうには赤い屋根の屋敷が見えた。夢中で歩いていて忘れていたが、きっとここが昨夜見た場所に違いない。別荘からの位置的にも間違いなさそうだ。

 背伸びをして中をのぞくと、驚いた。屋敷から門までの一本道以外すべてが色とりどりの花々で埋め尽くされていたのだ。春とはいえまだ少し肌寒いこの時期にここまで花が咲き誇っているのは異様な感じがするが、そんなことどうでもよくなるほどの美しさだ。

 背伸びしながら夢中になって絵画のような光景を堪能していると、屋敷の中から誰かが出て来た。


「わぁ」


 思わず感嘆をもらしてしまう。現れたのは20歳前後くらいの青年だった。細身で、外に出たことがないのかと思うほどの白い肌。何より目を奪われたのは太陽の光を受けてキラキラと煌めく絹のような真っ白な髪と宝石のような紅い瞳。一度見たら忘れられないような、印象的な人だ。

 時も忘れて見入っていると、青年がこちらに気づいた。一瞬驚いたような顔をしたが、微笑みを浮かべてこちらに頭を下げて挨拶をしてくれた。ぼんやりしていた私もすぐにぺこりとした。

 青年は近づいてくると、私の背にあわせてしゃがんでくれた。


「はじめまして。僕はマーシン・ログナール。この家に住んでいる者だよ。随分熱心に見てくれてたけれど、僕の庭は気に入っていただけたかな?」


「は、はじめまして。私はレーナ。レーナ・カナールです。この道をしばらく行った所の叔母の別荘に遊びに来ました。お庭、勝手に見てごめんなさい。でも、とても素敵ですね」


「ありがとう。自慢の庭だから、ほめてもらえるのはうれしいよ。ここにはめったに人が来ないから、見てもらえる機会はあまりなくてね。よかったら寄っていかないかい? 奥にバラの温室があるんだ。あたたかいミルクティーを淹れるよ」


「わぁ! バラの温室!? それはぜひ見てみたいです!」


「うれしいな。ではどうぞ。ようこそレーナ、僕の箱庭へ」


 門を通され、花のアーチを抜け、青年に続いて花畑を歩いていく。生き生きと咲き誇る花々の甘い香りに包まれながら進むと、屋敷の玄関前についた。中に入らず右へ進むと、ガラスの温室が見えた。青年に言われるがまま中に入ると、中はバラの庭園だった。

 天井は高く、中央の噴水の前にテーブルと、向かい合うようにソファーが置かれている。バラはすべて鮮やかな紅色をしていて、噴水の前に行くとバラに囲まれているようだ。


「今ミルクティーを淹れてくるから」


「ありがとうございます! 手伝いましょうか」


「大丈夫だよ。ありがとう。その間、僕のバラを見てゆっくりしていて」


 お言葉に甘えて、彼がくるまで温室内を見学することにした。しかし見れば見る程見事なバラばかりだ。前に両親に連れられてバラ園に行ったことがあるが、ここまで立派ではなかった。元気が無かったり、枯れているものがひとつもないなんて、よほど大事に毎日お世話をしているのだろう。


「お庭のお花もそうだけど、育てるのが難しいバラもこんな素敵に咲かせるなんて、お兄さんはすごいなぁ」


≪ありがとう≫


「え?」


 誰かの声が聞こえた気がしたが、青年が戻って来た様子はない。周りを見てみても、温室内には人の姿は見当たらない。冷たい汗が流れた気がする。


(き、気のせい気のせい)


 気を取り直して見て回っていると、一か所ガラスの壁が補強されているところがあった。木の板でふさいでいるが、何かの衝撃で割れてしまったようだ。強風で何かぶつかったのだろうか。


「あ、そこ危ないから気を付けて」


 後ろからの声に驚いて振り返ると、ティーセットを持ってきた青年がいた。いつの間にと思いながらも素直にその場を離れた。


「驚かせてしまってごめんよ。あそこはこの間誰かが外から石を投げたらしくて、割れてしまっているんだ。まだ軽く掃除してとりあえずふさいでいるだけだから周りにガラスがあるかもしれなくてね。伝えておくべきだったね」


「いえ。私こそ興味本位で近づいてごめんなさい。誰かにって、泥棒とかではないですか?」


「可能性はあるね。塀を乗り越えようとしていたようだから」


「ええ! それ充分警察案件では・・・。というか、その場に泥棒を見た誰かがいたんですか?」


「ああ」


 青年は微笑みを浮かべ、バラを愛おしそうに眺めながら言った。


「僕の大切な薔薇の妖精(ローズ・シー)が、ここにはいるからね。彼らが追っ払ってくれたから大丈夫だよ」


妖精(シー)!」


 このあたりには妖精の伝承が多く残されていると、以前叔母から聞いたことがある。妖精という存在を完全に信じているわけではないが、この地で、異様なほど美しいバラに囲まれながらその話を聞くと、より真実味が増してしまう。


「ふふっ。きっと美しい妖精なのでしょうね。さっきありがとう、って言ったのも、その妖精なのかしら」


「・・・お礼を?」


 青年は急に驚いたような表情を浮かべた。その顔に変な子と思われてしまったと思い、慌てて首を振る。


「あ、えっと、その・・・変な事を言ってごめんなさい」


「ああ、いいや、すまないね。驚いてしまって」


「い、いえ・・・」


「まさかそんな素直にお礼を伝えるとは思わなくて」


「そうですよ・・・え?」


 青年の言葉に心が高鳴る。


「あの、もしかして本当に・・・? 妖精(シー)が・・・?」


 青年は優しく微笑みを浮かべ、少しいたずらっ子な目で人差し指を口元にあてた。


「君の想像にお任せするよ。とりあえず、君は変な事は言っていない、とだけ言っておこう。さあ、温かいうちにミルクティーをお飲み」


 促されて飲んだミルクティーは甘く、ほどよいあたたかさだった。バラの香りに包まれて飲みミルクティーは、なんだか特別なもののような気がした。


 それから、私は青年、マーシンのもとを毎日訪ねた。彼は話し相手ができたといつも歓迎してあたたかいミルクティーを淹れてくれる。そして、私が妖精に興味があると分かったのか、いろいろな妖精の話をしてくれた。


 湖の上を跳ねて遊んでいたというウォーター・リーパー、盲目の人間のお婆さんに道案内をしていたケット・ッシー、1人の男性をめぐって争っていたリャナンシー。


 いつもマーシンは、彼等の話を見てきたように話す。自分が子供だから、そう話しているのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、彼がウソを言っているようにも見えない。あまりにも自然に話すから。

 真実か、嘘か。私は、どちらでもよかった。本当なのかもしれない。そんな気持ちで聞く方が、なんだか夢がある気がするから。その方がいいような気が、したから。


 そうして通っているある日、この地に初めて来た日の夜にこの屋敷の庭でいくつかの明かりを見たことを思い出した。

「そういえば、このお家で他に人を見たことがないけれど、夜に誰かと庭をお散歩とかしてるのかしら」


「夜? あまり外には出ないけれど、どうしてそう思ったんだい?」


「叔母の家に来た日の夜に、このお屋敷の方のお庭にいくつかの灯りが見えたの。揺らめいていたからランタンかなにかの火の灯りで、誰かがそれを持って夜のお散歩でもしてるのかなって思ったの」


 あれから何度か夜寝る前、思い出すとマーシンの屋敷の方を窓から眺めた。けれど、同じような灯りはあれから見ていない。


「・・・もしかしたら、火の妖精(サラマンダー)が遊びに来たのかもしれないね」


火の妖精(サラマンダー)?」


「君がその明かりを見たのは、僕と初めて会った日の前日だろう?」


「! そ、そう!」


「次の日の朝ね。薔薇の妖精(ローズ・シー)が怒ってたんだ。少し眠ってる間に温室で彼らがいたずらしかけてたって」


「じゃあ私、妖精を見たってことなのかしら!?」


 マーシンは微笑みを浮かべて、人差し指を口元にあてた。


「そうだったかもしれない、かもね?」


 曖昧なその言葉は、よけいに私の心を高鳴らせた。

 目を輝かせて笑う私に、マーシンは少しうつむきながら言った。


「ねぇ。君は、もし彼らに仲間入りするとしたら、どんな妖精になりたい?」


 突然の質問に驚いた。妖精が本当にいたら、といろいろ想像してはみたことはあるけれど、自分が、というのは考えたことがない。


「考えたことなかったわ。でもそうね、羽のある小さな妖精とか素敵だと思うわ。きっととってもかわいいもの!」


「きっと君なら素直で優しくてかわいい姿になると思うよ」


「ありがとう! うれしいわ。あなたはどんな妖精になりたいとかあるの?」


「僕は―――」


 マーシンは少し間をおいてバラに目を向けた。


「彼等と戯れる、蝶のようなモノになりたいな」


 そう言う彼の瞳は、まるでそうなることを切望しているかのようで、バラへ伸ばす手は、彼等へすがるかのようであった。

 花びらをひと撫でして手を引いたマーシンは、再び私の方を見た。


「知ってるかい? 彼らは時に人間へ妖精の祝福を与えることがあるんだ」


「祝福?」


「彼らは無邪気で気まぐれでね。人間にその気がなくても、何か助けてもらったり、嬉しいことがあるとなにかしらその人間にとって役立つだろう力を与えることがある。農業を営む者には作物を育てる才能の手を、作家や絵師など芸術家には良い作品をつくる才能を、とかね」


「わぁ! すごいのね!」


「祝福を与えても彼らはめったに姿を見せないから、才能を与えられたことに気づかない人間も多いんだ」


「じゃあ感謝を伝えることも、気づくこともできないのね。ちょっと寂しいわ」


 その言うと、少しの間の後、マーシンは私の頭を優しくなでた。


「君は優しい子だね。君のような子なら、いつか妖精の祝福を受けるかもだ」


「そ、そんな大層な事言っていないわ。でも、ちょっと憧れてしまうわね」


 そんな話をしていたら、いつの間にか空は燃えるような夕焼け色に染まっていた。

 いつものように温室を出て、門まで共に歩いていると、突然マーシンが膝をついてせき込み始めた。


「マーシン! どうしたの!?」


 顔色が一気に青白くなり、先ほどまで楽しく話せていたのがウソのような姿に気が動転した。今までも何度か咳きこむことはあったが、ここまでではなかった。少し体が弱いのだとは聞いていたが。


「ちょっと待っていて。お水をとってくる。台所は一階かしら?」


「ま・・・って・・・・」


 お屋敷へ走り出そうとしたところで、マーシンに袖を掴まれた。弱々しく、簡単に振りほどけそうだったが、思わず立ち止まった。


「だい、じょうぶ・・・。よくあること・・・だから。少しすれば、元に戻る」


「よくあることって・・・せめて誰か人を呼んだ方がいいんじゃ」


「人は・・・いない・・・」


「いない・・・?」


 ここまで広いお屋敷に、本当に誰もいないというのだろうか。今まで見かけなかっただけで、少なからず使用人くらいはいると思っていたのに。

 どうすればいいか分からず、弱弱しくも握って離さないその手をしっかり握った。焦る心と対照的に静かに時が流れていく。

 そうしているうちに、彼は次第に息が正常に戻ってきた。そして大きく息を吸うと、もう大丈夫と言わんばかりに微笑み、ゆっくり立ち上がった。


「心配かけてしまってごめんよ。最近は落ち着いていたから油断していたよ」


「いいえ。私が帰った後でなくてよかったわ。あんな状態で1人なんてきっと心細いもの」


「ありがとう。本当に君は優しいね」


 マーシンは屋敷を振り返った。その目は、どこか遠い所を見るような目だった。


「僕はこんな体だから普通の暮らしはできなくて、数年前からこの場所が与えられたんだ。最初こそ数人の使用人がいたけれど、みんな僕が気味悪いって出てっちゃった」


「気味悪い?」


「うん。僕はただ友達と話してるだけだったんだけどね。しだいに両親も寄り付かなくなってしまったよ」


「そんな・・・」


 友達と話してるだけでそんな事を言われるなんて、よほど厳しい家柄なのだろうか。


「ああ、でも大丈夫だよ。さっきも行ったけど、友達や大切な薔薇の妖精(ローズ・シー)がいろいろと助けてくれる。最近では君も来てくれるから、毎日とても楽しいんだ」


「そう・・・わ、私も! 私もここに来るの、とっても楽しいわ。いつも美しいお花を見せて、美味しいお茶やお菓子を食べさせてくれて、なにより楽しいお話をたくさんしてくれるんですもの。だから・・・辛い時は隠さずおっしゃってね? 無理はしないで・・・」


 マーシンはその言葉にどこか寂し気に笑い、膝をついて私の頭にそっと手を置いた。


「ありがとう。無理したことなんてないよ。君との時間は僕の癒しでもあるんだ」


 マーシンはそう言うと、改めて門まで私を送ってくれた。後ろ髪を引かれる気持ではあったけれど、笑って見送ってくれる彼に、私も笑顔で返し帰路についた。

 私はちゃんと、笑えていただろうか。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 ――やあ、薔薇の妖精(ローズ・シー)


 ――うん、そうなんだ。そろそオワルかもしれない。でも、それは始まりでもあるだろう? 君たちと一緒に。だから怖くはないさ。


 ――ああ。唯一の心残りがサイゴに出来てしまったよ。でもあの子はきっとわかってくれるさ。


 ――一緒に、あの子もかい?


 ―――――――――――――――――ダメだよ。きっとみんなもあの子のを歓迎してくれるだろうけれど、ダメだ。優しく若いあの子には未来がある。この世界でね。たくさんの()から愛され、愛を返せる強い子だ。僕にさえもそのひとかけらを与えてくれた。だから、そうだな。共にいくことはできないけれど。


 最初に祝福を与えるのは、あの子がいい。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 その日の夜は、夕ご飯を食べ終わる頃から風が強くなった。

 みるみる勢いを増す風は窓を、家を揺らした。

 停電にならないかと不安がる家族を横目に、私は部屋へと戻った。不思議と恐怖はなく、元気な風だな、と変な感想を抱いた。

 マーシンの屋敷の方を見ると、かすかに火の灯りが見えた。ここに来た時と同じ灯りだ。

 もっとよく見ようと身を乗り出したが、もうどこにも灯りは見当たらず、木の葉ばかりが、夜の闇の中を踊っていた。


 次の日目を覚まして外を見ると、昨夜の荒々しい風がウソだったかのように、いつも通りの光景が広がっていた。木が倒れたり、何か壊れたりしていないか心配して外に出た家族は皆一様に呆然としていた。

 私は胸騒ぎがして、今すぐにでもマーシンに会いたくなった。大急ぎで上着をとってくると、散歩に行ってくると返事も聞かず飛び出した。朝の空気は冷たくて、走ると冷気が顔に刺さる。それでも、無心に足を動かし続けた。

 マーシンの家近くまで来ると、門の前に誰かが立っているのが見えた。この場所で、マーシン以外の人に会ったのは初めてだ。

 白い髪に白いひげを持つその人は、執事のような恰好をしていた。


(屋敷の執事さん? でも・・・)


『みんな僕が気味悪いって出てっちゃった』


(誰もいないはずじゃ・・・)


 どうしようかと迷っていると、その人は私に気づき、孫を見るような柔和な笑顔で手招きした。

 おずおずと近づいた私に一礼すると、「レーナ・カナール様ですかな?」と聞いてきた。


「はい、そうです」


「このような寒い中お越しいただきありがとうございます。どうぞ中へお入りください」


 通されるまま門をくぐり、花畑を抜け、バラの温室へと案内された。奥のテーブルの上には一人分のティーセットが置かれていて、まるでたった今用意したかのように湯気が立っていた。しかし、何処を見渡してもマーシンの姿は見当たらない。


「あの、マーシンという方がここに住んでいると思うのですが、彼は今どこに?」


「はい。お話させていただきます。が、ひとまずあたたかいミルクティーを飲んで落ち着いて下さいませ。耳まで真っ赤になってしまっております」


 言われて耳や顔に手を添えると、氷のように冷たくなっていた。温室のあたたかさに耳や指先がじんじんする。戸惑いながらも心配そうに見つめてくるこの人の親切を無下にすることはできないと、ソファーに腰かけ紅茶をすすった。あたたかくて美味しかったけれど、いつもと同じ味がした。


「それで、マーシンは・・・」


「はい。あの方はもうこの屋敷にはおりません」


「え!? も、もしかして体調が悪化して・・・?」


「いえいえ。もうすっかり元気になりました。飛んでどこまでもいけてしまうほどに」


 昨日の様子からは考えられないその言葉に眉をひそめた。しかし、もしそれが本当だとしたら、彼は今どこにいるのだろうか。


「彼は元気に生まれ変わり、ここを旅立ちました。どこに行くのかは私もわかりません。しかし、ここでの唯一の心残りがあなたなのだとおっしゃっておりました。きっと今日、あなたがここを訪れるから、どうかあたたかい紅茶で出迎えて今までのお礼を伝えてほしいと」


「お、礼? そんな・・・」


「あなたとここで共に話をしているひとときは癒しであり、日々の楽しみでもあったそうです。あのお方の代わりではありますが、どうかお礼を言わせてください。今までマーシン様と仲良くしてくださり誠にありがとうございました」


 その後、私は門まで見送ってもらい、帰路へ着いた。

 そういえば名前を聞いていなかったことに気づき、振返ったが、もう姿はなかった。門まで戻って中をのぞいても、花畑にも屋敷へ続く道のどこにも、影も形もなかった。


「・・・」


 あたたかいミルクティーのおかげで体はあたたまったが、人っ子一人通らない道の真ん中で、彼の居ない屋敷を、彼との思い出を抱えたまま見上げるのは、心が寒くなる思いだった。

 帰ると、突然飛び出した私を心配した家族にもみくちゃに抱きしめられた。

 今日、私はこの地を去る。それに合わせたかのような彼との別れに、私は空虚な気持ちでおとなしくもみくちゃにされた。


 荷物をすべて積み終えた車に乗り込み、来た時と同じように従姉が空港まで送ってくれた。叔母に山のように持たされたお土産で車の後ろはパンパンだ。最後まで名残惜しそうに抱きしめて頭をなでてくれた叔母の姿が小さくなっていく。


〖お昼のニュースをお送りします。まずは今朝はいってきたニュースです。明け方〇×警察署に空き巣をしたと一人の男性が自白しながら駆け込んできました。事前に偵察した家に再び潜入したところ突風が吹き、羽のある化け物が襲い掛かってきたと混乱した様子で話したということです。彼の他に仲間が2人がいたということですが、現在行方は分かっておりません。また容疑者は空き巣に入ろうとした家を覚えていないということで、警察は更に詳しく聞くなどして捜査を進めているということです〗


(〇×・・・この近くの警察署だな)


 ふいに昨夜見た火の灯りが頭によぎった。しかし昨夜の激しい風に飛ばされるかのように、次の瞬間には記憶から消え去っていた。


 行きと同じように、緑豊かな景色が広がる外を眺めていた。途中ひらけた野原に差し掛かった時、目の端に何かが映った。


「ぁ・・・!」


 それは、花びらだった。一つではない。何十何百と、とても数えきれない花々やその花びらが、後ろから飛んできたのだ。その光景は、この車だけ異世界に飛ばされたのではないかと思うほど幻想的。花々が別れを惜しみ見送りの舞いを踊っているかのように、風に乗りながらくるくると楽し気にまわっている。

ふと静かすぎる車内に目を向けると、何事もないかのようにおしゃべりを続けている。しかしその声は聞こえない。

 思わず窓を全開にして身を乗り出した。心地よいそよ風がほほをかすめていく。その光景に目を奪われていると、鮮やかな紅が、飛んでくるのが見えた。とっさに両手を差し出すと、それはふわりと舞い降りた。それは、みずみずしく鮮やかで艶やかな、美しい薔薇であった。そう、マーシンが愛していたあの温室の彼等のような。


【美しい君の心が、その薔薇のように、永久(とわ)に輝き続けますように】


 かすかに、しかしはっきりと聞こえた声の方を見ようとした瞬間、そよ風が一転、ゴウと突風が吹いた。


「あら、レーナ寒いから窓は開けない方がいいわよ」


母の声にはっとした。外で舞っていた花々は、まるで今までが昼の夢だったかのようにいつの間にか消えていた。

 窓を閉めようとすると、手のひらで何かが揺れた。

見ると、薔薇がひとつコロンと乗っていた。


(ああ、そうか私はもらった(授かった)んだ)


 彼からのプレゼント(妖精の祝福)を。


 突風が吹き入り乱れる花のその向こう、かすかな視界の奥に、確かに見た。いつものように穏やかに笑い手を振る彼と、寄り添うように一緒に手を振る美しいヒトを。

さいごまで読んでいただきありがとうございます。

今年も少しずつ書き進めていけたらと思います。

拙い文章ではありますが、これからもよろしくお願い致します!

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