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序幕

 帝都ウシュルナギの朝は早く、夜は遅い。

 人と人が混ざりあい日々成長する都は、眠りにつくことなく刺激を与え続けてくれる。

 夜更け夜明けの境目がどこまでも曖昧で、いつしか商業刻限は形骸化していた。

 そしてこの日の夜も、帝都の喧噪は変わらなかった。

 悲劇も喜劇も飲み込む大帝都 ウシュルナギ。

 


 およそひと月ぶりにウシュルナギを潤した雨は、舗装の悪いスラムの通りを悪路に変えた。

 表通りでは埃が洗い落とされて清々しいだろうが、こちらはなにせ事情が違う。

 人々は家を造るために敷石をはがし、お金を得るために排水管を奪っては売った。

 貧しさは帝都の姿を変え、階層隔離を生み出したのだ。

 空が洗われ、こんなに星の瞬きが綺麗な夜にも、スラムの住人の目の色は暗い。

 彼らの瞳は、表通りのにぎわいを妬んだものなのか。

「あぁー、もうイヤ! お気にのブーツがドロドロになっちゃったよー」

 そんなスラムの通りにおいて、この少女だけは星明かりがよく似合う。

 いや、むしろ、広い帝都を探してもこれだけの美少女は簡単に見つからないだろう。

 短く切りそろえたショートボブから覗く顔は、まぶしい若さの光に輝く。

 すらりと伸びた四肢と、女を声高に主張する乳房は、地味な灰色のロングコートからでも官能的だ。

 愁いを帯びた瞳の色は、夜空の星々さえ敵うことはないだろう万華鏡である。

 大人の女性と少女の境に、長崎ネネは輝きを放っていた。

「ねえキリヤさん、おんぶしてちょうだい」

 そう言って甘えるネネは、やはりまだまだ少女であるのか。

 長崎ネネ 16歳 先日、帝立魔術学院を飛び級で卒業した逸材である。

 もう軍人になったというのに、あまり自覚は無い様子である。

「こっちが近道だっつったのはお前だろ、アホ言ってるんじゃねぇ」

 少女とそろいのコートを着た青年は、彼女より10は年上に見える。

 少女のそれと同じ色の黒髪は、生まれつきのツンツン頭。

 背は高い。ガタイもいい。ついでに顔も険しい。ポケットに手を突っ込んだ態度は、どこまでも不遜だ。

 小さな子供には好かれない男の名は、新庄キリヤ。長崎ネネの上司である。

「おい、本当にこっちで合ってるんだよな?」

 部下の情けない泣き言は無視して、キリヤは不機嫌そうに聞いた。

 この泥道に辟易しているのは彼も同じであった。

「うえーん、ひぐっ。ああ、それは大丈夫ですよ。都市戦模擬演習の時間にここは通ったことがあります」

 歩幅の違うキリヤに追いつこうと頑張りながら、ネネは答えた。

「わたしは覚えるのはっとっとっと……、覚えるのは得意ですから」

 足を取られながらも自慢げに胸を張るネネ。キリヤは大盛りのそれに目をとられ、すぐに逸らした。

 異例の飛び級卒業をした天才、それが帝国魔術部内でのネネの評価だ。

 だが実際には、その記憶力と強運で筆記、模擬戦試験を最高点で通過したわけである。

 魔術の腕自体はまだまだ発展途上だし、経験値も足りていない。

 危なっかしくも堂々とした足取りは、彼女の華々しい経歴のようだとキリヤは思った。

「確かに、着いたようだな……」

 キリヤは目的の建物の前に来て、その歩みを止めた。 古びたが立派な構えのレンガ作りの館は贅沢にもガラス窓だが、明かりは一つも灯っていない。

 キリヤはマッチの火を使って、右腕の時計を覗いてみた。予定時間より7分早く着いていた。

 マッチは吹き消し、ぬかるみ道に捨てる。それから隣で息をそろえるネネを見て、次いで周囲を見渡す。

 先ほどから警戒は怠っていない。新人のケアは先輩の務め、更にいえばここはスラム街。

 そして、スラムには似つかわしくない見事な館。

「表通りからだと大教会に隠れちゃっているんですよね。帝都でも知らない人は多いと思いますよ」

 ネネが言っているのは帝都で最古の教会のことだ。

 主の威厳を保つため、主の威光を利用するため、宮廷ですらその高さでは教会堂には敵わない。

 背の高い教会の背後に隠れたその館に、下々は見上げるだけでその存在には気がつかない。

 巧妙に都市に隠されたそれは、いわば帝都裏社会の中枢である。

「坊主に都建部に有産貴族にと……。ずいぶんバラまいてるんだろうな」

 何度来ても貧乏人のひがみは消えない豪奢な作りに、露骨に顔をしかめるキリヤ。

「都市開発部や建設部は皇帝直属機関でしたよね? 賄賂なんか通じるんですか?」

 キリヤの独り言に対して、素朴な疑問をしたネネ。

 血のにじむ努力の末、魔術に関しては一流の域に近づいたが、まだまだこの世界の常識には疎いようである。

 それを理解しているキリヤは、かつて上官にされたようにネネに説明した。

「今の皇帝が戦争好きってのはいいよな。そうするとやっこさん、軍事にかまけて他がお留守になる」

 この隙に他の部署を合法的にのっとった官僚や貴族は、払った賄賂を賄賂で取り戻そうとする。

 それを聞いたネネの反応は、とても素直なものだった。

「イヤな話ですね」

 ばれなければ合法だった。最近の新聞で見出しを飾った官僚の言葉である。

 ネネも嫌悪感を露にするが、キリヤのそれとはベクトルがちがう。だからキリヤは苦笑いした。

 この娘も、その性格で大分苦労した末にウチにやって来たのだろう。

 自分や仲間達の苦い経験を思い出さずにはいられなかったキリヤである。

 口に出しては言えないが、かわいい部下を優しく見つめるキリヤ。そして、いよいよ今晩の本題に入った。

「今回は要救助者の奪還が任務だ。他は捨てろ。判断次第で俺はお前も捨てる」

 もちろんその言葉の裏は、その時は俺をおいて逃げろと云うもの。

 空気がり、神妙にうなずくネネの顔は、年相応の緊張に固くなっている。

 悪くない。命知らずは死ぬが、恐怖を知るものはまだ可能性がある。

 キリヤは一度、ネネの肩を叩いた。強く、優しく、励ますように。

「さて、最後の確認だ」

 予定時間まで、あと3分。

 長崎ネネの帝国魔術部零番隊としての、初めての任務である。


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