表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

人身事故


 これは転職前の話なんだけど、関東のS県で営業所長やってたんだ。

 言っても30前、知れたもんさ。部下はひとり、あとはパートのおばちゃん。それでも営業所長だってんで、毎週月曜の朝東京の本社に集められて報告をするわけ。お察しのとおり、もっと成績上げろってこってり絞られるだろ? 続いてお待ちかね至福のランチタイム、昼下がりでガラガラの電車に乗って営業所へ帰る。で、火曜日から顧客を回りぃの新規開拓しぃの、そしてまた月曜日がやって来る。

 そんな生活を一年半以上続けてたんだけど……。


 あれは去年の七月、陽射しの強い午後だった。

 T駅って分かるかな、プロ野球チームで有名な鉄道のけっこう大きな駅だけど。


 弊社の、いや転職したんだった。ともかく県西営業所はT市の外れにあって。

 元気な時はT駅から歩くんだけど、月曜日のそれも絞られた直後じゃあ、ねえ。

 だからたいていは最初から各駅停車に乗ってT駅の次、最寄りの西T駅で降りてたんだ。


 月曜日の昼、下りの各駅停車だ。人なんか一両に5人もいない。

 七人掛の真ん中にどーんと座ってぐんにゃりさ。冷房の涼しいこと涼しいこと。

 だけど人がいないもんだからさすがに寒くなってきて。


 そこにちょうどT駅で急行待合わせ、開け放しの扉から熱い空気が入って来て。

 最高だねあの気分は。ガンガンに冷房効かせながら開けっ放しって、ぜいたくだと思わないか?


 元気が出てきて顔を上げたらさ、人気の無いホームが向こう端までよく見えて。

 ああ、俺が乗ってる各停は端っこの5番線で急行が通るのは1番線。

 その1番線ホームに女の人がいたんだ。どんな姿かって言われると困るんだけど……髪が黒くてやけに長かったな。それぐらいしか……いや、姿が見えたと思ったらすぐ消えたものだからさ。


 飛び込み自殺だったんだ。


 意外と音はしないものなんだな。

 電車のブレーキ、ギギイーッて、不快なその響きばかりが耳に残ってる。


 ああうん、自分でも冷静だったと思う。

 初めて遭遇したんだけど、「飛び込みかぁ……」って。それ以上に何か感じたってことは無かった。 


 しばらく電車止まったけど、運転再開は思っていたより早かった。

 冷房がドアから入ってくる熱気に負ける前だ。はっきり覚えてる。


 営業所に戻ったけど、部下やおばちゃんには話さなかった。

 話す気になれなかった……って言うより、なんだ、すんなり受け入れちゃってて話すほどのことには思えなかったんだ。

 もちろん営業先でも話さなかった。これも不謹慎だからって言うより、なぜかすっぽり頭から抜け落ちてた感じなんだよ。


 それでまた月曜日が来て、各停に乗って、ぐんにゃりして。

 T駅でドアが開いて、熱い空気に正気を取り戻して。


 顔を上げたらさ、いたんだよ。

 長い黒髪の女。


 こんどは一瞬目が合ったような気がした。

 長い髪に顔がすっぽり隠れてるんだけど、こっち向いてたことは確かだ。


 だってその日女が飛び込んだのは2番線だから。

 3・4番線を挟んで各停の5番線とは向かい合わせなんだ。


 ちょっと放心してたんだと思う。

 気づいたら西T駅だった。

 その後もやっぱり感覚が麻痺してたって言うのかな。うだるような暑さと仕事の忙しさもあって事故のことはすぐ頭から抜け落ちてた。


 ああうん、そうだよ。

 次の月曜日は3番線だった。

 その時になるまでなぜかすっかり忘れてるんだ。


 仕事の疲れと冷房の寒さにぐんにゃりして、通過待ちで開けっ放しのドアから入ってくる熱気に意識を取り戻して。

 顔を上げて、ちらりと姿を見かけたと思ったらその女がホームから電車に飛び込んで消えるんだ。


 この日は電車が動き出す揺れで意識を取り戻した。

 T駅のホームにある時計が目に入って、やっとおかしいと気がついたんだ。


 飛び込みがあったはずなのに、遅延してないんだよ。

 いやそもそも3番線で事故が起きるはずがないんだ。


 一年半の間、毎週月曜日同じ電車に乗って、同じT駅で急行の待合わせして。

 だから1番線を急行が通過することは知ってる。

 2番線を通過していたか、これは分からない。いちいち意識してなかった。

 だが3番線と4番線を電車が通過することは無かった。見た覚えが無い。音や揺れを感じたことも無い。


 そのあと一週間どう過ごしたか覚えてない。

 でもあの各停に乗ったんだから、やっぱり感覚が麻痺してたんだと思う。


 顔を上げたらはっきり目が合ったよ。

 一瞬だ。また女が飛び込んだ。4番ホームを通過する電車に。

 何も見えなかった、何の音もしなかった。はねられる音も、ブレーキ音も。


 行っちゃいけないと分かってるのに、確認せずにいられなくて立ち上がった。

 ドアから入る熱気を背中に感じながら逆側に、閉まってるドアの前に立って。

 しばらく迷ったけど、4番線を覗いたんだ。


 何も無かった。


 安心して、それでもまだ少し不安で、ドアの窓から下を覗き込んだ。

 左右見える限り線路を見回した。


 やっぱり何も無い。


 仕事もきついし夏バテでもして、疲れてんだな……って。

 肩から力が抜けて、顔上げたらさ。



 ドカッて重い音がして扉が揺れた。

 扉の窓に女が貼り付いてた。


「なんで聞こえないのおおおおおお 助けてって言ってるのおおおおお」



 強い光を感じた。目の前が真っ白になった。

 気がついた時には駅員さんがそばにいた。


「立ち上がった男性が急に倒れたと、乗客の方から通報が。大丈夫ですか?」


 助かった……そう思って気づいたんだ。

 白い光に包まれながら、「助かった」って声を俺は確かに聞いていた。


「ありがとう、あなたのおかげで助かった」


 女の人の声だった。俺に背中を向けて言ってるような感じだった。

 よく分からないけどたぶん成仏とか浄化とか、そういうことかなって。


 ドアから入る熱気が冷えた体に心地良くて、頭もはっきりしてきて。

 急に現実に引き戻されたら妙なところで冷静になっちゃって、気づいたんだよ。

 ああここ、ホームじゃない。いつもの各停だ。

 これいわゆる「車内急病人のため」って状況だって。


「すみません、お手数かけました。電車を遅れさせて」


「いえ、もともと遅延してますから。1番線で人身事故がありまして」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ