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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世界一偉大な竜ですが、若君のペットになりました〜やめよ、余をモフるでない〜


 余はえらい!(ぴーよ!)


 それが卵殻をバリッと割った余の産声であった。


「……!」


 近くで誰かが息を呑む音が聞こえる。

 しかしいかんせん、余は生まれたばかりの身。目がろくすっぽ見えないのである。

 視界は深い霧に覆われたように白くうすぼやけ、自分がどこにいるのか、どんな状況であるのかもよく分からない。

 しかもちょっと苦しい。口の中に妙な液体が溜まっていて気持ち悪い。全身べちゃべちゃだ。つまり不快だ!


 ええい、どうにかせい! 


「ぴーよ! ぴーよ! ぴーよ!」

「ラムダ様! お、お孵りになられました! 大ミスル様の竜卵です!」


 焦る女の声が間近に聞こえた。しかしそのうち、女の気配はパタパタと足音と共に余から遠ざかっていこうとする。

 なああ、このうつけが。まずは余のお世話をせんか!


 ぴよぴよ鳴いて引き止めようと試みるが、余の訴えが顧みられることはなく。

 女の気配がすっかり失せると共に、周囲はしんと静まり返ってしまった。


「ぴーよ……」


 漏らした声は、妙によく響く。どうやら余はずいぶん広い場所にいるようだ。そして他にはだれもおらぬらしい。

 途方に暮れるうちに、先ほどまで全身を包んでいた温もりは急速に失せ、濡れた体がぶるりと震えた。おおぅ。これは寒い。それにちょっと心細いぞ。


 仕方ない。ここは自ら行動せねばなるまい。なにせ余はえらいのだからな。


 一つ覚悟を決めて、集中する。すると体の内に、魔力の炎がぼうっと小さく燃えつく感覚があった。

 ううむ。生まれたばかりであるからして、まだ魔力は種火程度しか持てぬようだ。だが、生後数分で魔力を着火させた生物は、余が史上初であろう。やはり余はすごい。


 とりあえず少ない魔力で感知能力を高めてみる。すると、周囲の光景が脳裏にくっきりと映し出された。


 ふむ、ここは神殿のようだ。長い身廊が伸びた先に黒岩で作られた祭壇があり、余は(正確には余が入っていた卵)はそこに祀られていたようだ。他に卵は見当たらぬ。兄弟はなし、か。


 祭壇の後方にはなにやらどでかい像が鎮座している。よくよく確認すると、それは祭壇と同じ黒岩で作られた、巨大な竜の神像だった。


 うむうむ、分かってきた。ここは竜を祀る神殿であるのだな。清廉な竜気が漂っているのを感じるぞ。そして余は、きっとえらい竜の生まれ変わりか後継なのだ。だからこんな立派な場所に卵を置かれていたのだろう。


 普通の赤ん坊ならおぎゃおぎゃ泣いているところであったが、余は冷静だった。

 高位の竜とは下等な他の生物たちとは違い、生まれてすぐに竜としての自覚や誇りを持つものだ。知能はもちろん高く、赤ん坊であっても冷静沈着。生まれつき世界から与えられた使命があるため、言葉や多少の常識を兼ね備えているものである。


 ま、生まれた瞬間これだけすらすらと思考できるのは余くらいなものだろうがな。

 通常はよほどの大竜であっても、これほどの精神年齢に発達するには一年ほどかかることだろう。


 よし、現状整理はできた。それでは、そろそろ自分の姿を確認してみよう。


 魔力感知を、己の体に向けてみる。


 ……ふむ。当然ながら、体は小さい。全長は小ぶりな猫程度である。しかも、妙に毛深い。

 って、え? 毛だと? どういうことだ? 余は竜であるぞ?

 ちょっと心配になって、詳しく確認してみる。

 やはりどう見ても、全身は白い羽毛でびっしり覆われていた。今は濡れてべっとりしているが、乾けばさぞかしもふもふすることであろう。体を動かしてみると、二つの翼がパタパタ動いた。そして、小さな尾がちろり。頭部には、毛で隠れているが角もある。

 あ、良かった。これは竜だ。


 どうやら余はちょっと珍しい竜らしい。あまりに珍しくて、自分でも種類がよく分からない。

 性別は……女の子、か。


「本当に孵ったのか?」

「はい、確かに」


 再び声がする。そちらに意識を向けると、三つの姿を確認できた。

 男二人、それに先ほどの女一人だ。

 全員、人間の姿をしている。しかし纏う竜気にはただならぬものがある。

 どうやらみな、人間の姿に転じた竜族であるようだ。


 三人は祭壇の前で立ち止まると、神々しい余の姿を認めて硬直した。


 女は神官服を着ている。おそらくこの神殿の人間だろう。美しいが、あまり強そうではないから余の母親ではないな。

 そして男の一人はだらしないもじゃ髪をしていて、顎には無精髭を生やしている。うむ、論外。

 最後の男は……外見年齢は三十前後といったところか。険しく整った顔つきに、長く垂らした黒髪が特徴的だ。様子からしてかなり強力な竜と見るが、余を見る目に温かみがないから父親ではないと判断する。

 

 余にも父と母がいるはずなのだがな……。まあ、えらい竜が父母を恋しがっては格好がつかぬ。

 ここはとりあえず、こやつらに余の世話をさせるとしよう。


「ぴーよ、ぴよぴよ(苦しゅうない、近う寄れ)」


 むむっ。声をかけてやろうとしたが、余の有難い言葉は可愛らしい赤ちゃんボイスに変換されてしまう。

 発声器官が未熟だからな、仕方ないな。

 魔力で直接脳内に語りかけてやるという方法もあるが、それも余の赤ちゃん魔力ではちょっと厳しい。


「本当に、生まれている……。が、こいつはなんです? 白いもふもふしたでかいヒヨコに見えますが。本当に竜ですか?」


 男の一人、もじゃ髪が言う。


 ヒヨコだと? なんと失敬な! この翼と尾が目に入らぬか!

 怒りを示そうと体をじたばた動かすが、それも赤子の動きと思ったのか、モジャ男は「はは」と笑いを洩らした。


 ……こやつ、余がまだ右も左も分からぬ完全赤ちゃん状態だと思っておるな? 確かにぴよぴよしか言えぬが、ちゃんと言葉は分かっておるのだぞ!

 余が大きくなった暁には、此度の無礼をしっかり償わせてやる。


「おそらく、白の翼竜だろう。今ではほとんど見ない種だ」と、長髪の男が言う。「五百年孵らなかった竜卵が、よりによって今日孵るとはな」

「吉兆ですわ。全竜族が集う今日この日に、伝説の竜卵が孵るなんて。さあ、早く他の方々にもお伝えしませんと」


 女は少々興奮気味である。そして余を抱き上げようとこちらに手を伸ばした。


 ——その時。


 突然、女の胸から剣の刃先がずぶりと飛び出てきた。

「かは」という声を漏らして、女は何度か目を瞬かせるが、やがて瞳から光を消すと石床に崩れ落ちる。

 その背後には、血濡れた剣を手にした長髪の男。


 ……む? うむむむ?

 な、なんちゅうむごいことを! こやつ、同族を刺しおった! ひどい!


「卵は、まだ孵っていない」


 長髪は剣の血を拭いながら暗示のようにそう呟く。

 

「この女は、男とどこかへ逃げたことにしよう。死体は処理しておけ」

「あーあ。ならもう少し痕跡の残らない殺り方をお願いしたかったもんですね。それで、代わりの卵はどうするんで? さすがに卵がなけりゃ、他の奴らに気付かれますよ?」


 モジャ男も長髪とグルのようで、大して慌てた様子もなく頭を掻く。

 長髪は面倒そうに、


「我が一族の竜卵を置いておけ。確かもうすぐ孵るものがあったはず」

「はいはい、なるほどね。そんで、こちらの伝説の竜様はどうするので?」


 二人の視線が余を貫く。ぎくりとして、余は体を縮こめた。

 ……余はえらい竜だが。今は生後数十分の赤ちゃんなのだ。


 成竜二人を相手に戦えるような力はまだ、ない。

 

 長髪は余を睨みつけたまましばし長考したあと、くるりとこちらに背を向けた。


「手を汚す必要はない。下界に落とせ。竜気の薄い下界で育てば、どんな竜であろうと獣に成り下がる」

「こんな赤ん坊が下界で生きていけますかねえ」

「死んだ方がむしろ好都合だろう。――そろそろ会合の時間だ、あとはお前に任せる」


 そして長髪は、かつかつと靴音を鳴らしてその場を離れる。

 後には余とモジャ男、そして哀れな女の死体が残された。


 ……余は、命拾いしたのだろうか。


 しかし、何が起きている? 男たちの言葉から察するに、余は『孵らなかったこと』にされるようだ。

 祀られるほど偉い竜なのに、なぜこんな扱いを受けねばならん?


「悪いねえ、神竜サマ」


 考えに耽っていたところ、ひょいと太い腕に抱き上げられる。慌てて逃れようと暴れるが、小さな両翼がぱたぱた情けなく動くのみだった。


「ぴよぴよぴよ!(離せ!)」

「さすがに赤ん坊殺しは気分が悪いからな。ラムダ様が許してくれてよかったよ」


 余の意思はまるで伝わらず、そのまま男は余を抱えてすたすたと歩き始めた。



 




 ――ということがあってから、もうすぐ一ヶ月が経過する。

 偉大な白翼竜たる余は、悪しき竜人のよく分からぬ陰謀により、人間どもが住まう下界に落とされ――


 そして現在、鳥市に出品されていた。


「ぴーよぴよぴよぴよ!(どうして余が鳥獣どもと並んで売りに出されねばならんのだ!)」

「うるせえなあ。餌を抜いているのに、まだ囀る気力が残っているのか」


 がしゃん! と籠を揺らされる。世界がぐらぐら揺れて、余は慌てて身を伏せた。


「ぴよ……(おのれ……)」


 籠を揺らした犯人――鳥獣を売りさばく商人をぎろりと睨みつける。

 力があったなら、こんな小者ドラゴンブレスで消し炭にしてやるのに。悔しさのあまり籠の網をがじがじかじるが、愛らしい余の乳牙では歯型一つ残すことができぬ。


 神殿での事件のあと、余はモジャ男の手によって、下界の動物商人に売りつけられた。

 しかも竜としてではない。珍しい鳥としてである。竜はナンタラ条約のせいで、取引が難しいのだそうだ。

 つけられた売買額は人間の硬貨5枚分。キラキラした硬貨だったから、てっきりすごい高値がついたのだと思っていたが、後でちっこい文鳥が硬貨三枚で売られてゆくのを見て、余は現実を知った。


 しかも、しかも……更に屈辱的なことに……


 余は、まったく売れないのである。


「見たことのない種類だし、白い鳥は縁起物だからすぐ売れると思ったのによぉ」


 ヤニ臭い息を吐きながら、商人は余の鳥かごを指先で弾く。


「ぴよぴようるさいだけで可愛げがねーし。よく見たら爬虫類っぽくて気色悪いし。とんだ粗悪品を摑まされたぜ」

「ぴぴよぴよぴよ!(なんだと消し炭にするぞ人間!)」


 ああもう最悪! 下界は最悪である!

 竜気は薄くて全然力が蓄えられないし! 人間は余の優美さを理解できない!


 苛立ちながら周囲に視線を流せば、けばけばしい極彩色の鳥類が、身なりのいい老人に買われていくところだった。


 大通りで開かれた市には、無数の鳥かごが所狭しと並んでいる。それを大勢の人々が物珍しそうに眺めながら歩いているが、余の鳥籠の前で、足を止める人間は一人もいない。


 くそう、余が一番もふもふしていて白くて綺麗なのに。何がだめなのだ? 色か? 色なのか?

 いや待て余。ここで悔しがっている場合ではない。


 そこでちょっと昂った気持ちを整え、余は頭の中を切り替える。


 ……それにしても、生まれた直後に自我が芽生えて本当に良かった。

 竜とは竜気や魔力を蓄え成長するものだ。

 自我が目覚める前に下界で育ったなら、確かに獣同然の存在になっていただろう。通行人に向かって媚びるようにぴよぴよ囀る己を想像したら、怖気が走る。


 聡明な頭脳を持ってしまったぶん、現状ははらわたが煮え繰り返るほど屈辱的だが、この自我のおかげで余は余を陥れた者たちの存在を忘れないでいることができた。

 奴らは何も分からぬ幼竜を下界に落として、それでもう安心と高を括っているのだろう。

 だがそれは間違いだ。見ていろ、長髪とモジャ男。

 例え100年、200年が経とうと、必ず力を蓄えて、おぬしらに復讐してやる。


 いずれ最強の竜に成長した余の前で、腰を抜かして漏らして泣いて、膝を付きながら許しを乞うがよい。

 許さんがな!


 ……それに、大した恩義があるわけではないが。あの哀れな女神官の仇もとってやらねば。


 そのためにも、まずここを抜け出さねばなるまい。なんとか商人の隙をついて籠を脱出できぬものか……。


「まあ、珍しい鳥ですこと」


 考え事をしていると、白粉と香水の香りがむわっと押し寄せてきた。

 何事かと前を向けば、けばけばしい女の顔が余の籠を覗き込んでいる。


 女は余と目が合うと、青紫色に縁取られた目をにんまり細めた。


「初めて見るわ。これはなんという種類の鳥かしら?」

「おや、奥様。これはお目が高い。こいつは北方のさる高貴なお方から譲り受けた白楽鳥と言いましてね」


 はあぁ? 何を言っているのだこの商人は。

 余をここに売り飛ばしたのは、あの無精髭のもじゃもじゃだ。あれが高貴なお方なわけあるか。

 というか何だ白楽鳥とは。余は竜であるぞ。妙なデタラメを言うでない。


「白楽鳥? 聞いたことがないわね。それになんだかどう猛そうだけど」

「まあ、手乗りインコのようには行きませんがね。しかし見てください、この見事な羽を! 白楽鳥は成長するとこの羽がさらに艶を増して、そりゃあ優美な姿になるもんですよ。尾羽も伸びて、飛び立つ姿は白雷のごとし、なんて言われておりまして」

「へえ……」


 白楽鳥というのは、この男のセールストークのようだ。でたらめもここまで見事だと、いっそ感心してしまう。

 ……それに、「飛び立つ姿は白雷のごとし」という言葉はちょっと気に入った。


 商人の巧みな言葉に、女も聞き入るように頷いている。すると商人は女を素早く値踏みするようにじろりと観察し――そして突然、声の調子を低くした。


「ただですね、こいつは育つと五十ダルクほどの大きさになるのです、だから大きな籠を用意できるくらいのお宅でなければなかなか飼えません。北方じゃあ白楽鳥を飼えるのは王族くらいと言われておりまして、無理に一般のお客様にお売りするのは気が引けますね……」

「あら。それくらいの大きさならうちの温室でじゅうぶん飼えるわ」


 なにやらプライドに火がついたように、女は真顔で答える。

 ん? いや? 余はきっと、成長すると千ダルクはくだらぬ大きさになるぞ? やめておけ?


 女の返答に、商人は小賢しそうな笑みを浮かべ、また媚びるように声をトーンアップする。


「おっとこれは失礼しました! ですが餌代もそれなりにかかりますし、決して飼いやすい鳥ではありませんよ?」

「結構よ。それだけ珍しい鳥なら、次のお茶会でお客様をお招きするときに、良い話題になるでしょうし」

「ははあ、お茶会! いいですねえ!」

「それにあまりに懐かないなら、殺して剥製にするか羽を装飾に使えばいい話でしょう?」

「そ、そうですね。それもいいですねェ」


 いいわけあるかボケェ!

 目の前で繰り広げられる不穏な会話に背筋がぞわりとした。人間とはなんて恐ろしい生き物なのか。

 ふと嫌な予感がして籠の内側から女を見上げる。女がかぶる帽子には、色とりどりの羽がこれでもかと飾られていた。ヒィ!


「おいくらになるのかしら」

「通常ならば五十硬貨はしますが……実はあまりに人を選ぶ鳥であるせいで、売れなくってですね。もしお買い上げいただけるなら、特別に三十硬貨にさせていただきます」

「あら、いいの? それじゃあこの鳥頂くわ」

「ありがとうございます、奥様!」

「ぴぴぴぴよよぴよ!(ぼったくられているぞ! やめておけ!)」


 伝わらぬと分かっていながら、女に向かって声を張り上げる。すると女は顔を顰めてこちらを見下ろし、頬に手を置いた。


「ピーピーうるさいわね。鳴き声はどうにかならないの?」

「オプションになりますが、喉を潰すこともできますよ」

「ああ、それじゃあお願いするわ。鳴き声はあまり美しくないもの」

「……っ!」


 なんと残忍な……!


 籠の扉が開かれ、商人の腕が中へと押し入ってくる。

 とっさに角に移動するが、狭い籠の中で逃げ場があろうはずもなく、余の体はむんずと掴まれ――


 その瞬間、横から新たな声がさしはさまれた。


「……白楽鳥は、冷寒な気候の地域に生息する鳥類だ。冬季は雪に紛れて外敵から身を守るために、純白の羽毛で全身を覆っているが、温暖な春季から秋季にかけては黒の班目模様が混じった羽毛に生え変わるのが特徴とされている。この時期平地にいるなら、とっくに羽は生え変わっているはずだけど」


 商人と女、そして余が一斉に声のする方を向く。

 そこにいたのは、商人よりもやや視線下の方――ちびっこい人間のオスだった。


 年齢は……人間なのでよく分からぬが、とにかく女や商人よりは若い。

 髪は鴉のように真っ黒なのに、肌は透けるように白く、瞳は深いアメジスト色だ。下界に流され一ヶ月、色々な人間を見てきたが、この色みはちょっと珍しい気がする。

 顔立ちは悪くない。竜族的感覚だと、かなりイケてる方である。大人になれば、さぞかし良い男になるだろう。


 ……一つ気になるとすれば、その表情か。

 商人を見上げる子供の顔は、妙に冷めて可愛げの欠片もない。じっとり半分に開かれた瞳には、この世の倦怠を煮詰めたような濁りがある。


「更に言えば白楽鳥の産卵期は夏季であるため、今この時期にこの大きさの雛が生まれているとは考えられない。というかなんだこの生き物は? 鳥類じゃないだろ。どちらかと言うと……」


 子供は呆気にとられている商人の手から、ぱしりと余をひったくる。

 そして硬直する余の体をわしゃわしゃ弄り、ひっくりかえし、そこを見てあちらも見てついにはここを見て――


「ぴーよっ!(無礼者!)」


 生後一ヶ月でも乙女は乙女。己の貞操を守るため、余は容赦なく子供の指にかじりつく。


「いて」


 やはり可愛げのない声をあげると、子供は余の検分を一時中断した。


 こ、こやつ、なんてことを……。危うくお嫁にいけなくなるところだったぞ……。


「おい坊や、そいつは売り物なんだ。返してくれないか」

「売り物?」


 子供は余に視線を落とす。そしてあからさまに眉を寄せた。


「ここは鳥市だぞ。鳥以外の売買は禁止されているはずだが?」

「な、何言っている。そいつは白楽」

「だから、白楽鳥ではないと言っただろ。そもそもあの寒冷地帯の鳥がこんな場所にいたら、とっくに弱って死んでいるはずだよ」

「……ほほ。私は他のお店を見てくるわね」


 女は不穏の匂いを嗅ぎ取ったようで、わざとらしく笑って、尻を振りながら立ち去ろうとする。

「あ、奥様……」と商人はすがりつくように女の後ろ姿をしばらく視線で追うが、やがて女が雑踏の中に消えると、ぎろりと醜い顔で子供を睨んだ。


「おい、クソガキ! てめぇ、よくも人の商売の邪魔をしやがったな!」

「商売? 詐欺の間違いだろう。こんな意味不明な生き物を白楽鳥と偽って三十硬貨で売ろうとしていたなんて、市の元締めが知ったらどうなるだろうな」

「こ、この……!」


 煽るような口ぶりに、商人は顔を怒りで真っ赤に染める。

 そして唐突に子供に歩み寄ると、荒々しくその体を突き飛ばそうとした。


「ぴよよよ!(やめぬか!)」


 ここで悲しいことに、余の本能的なノブレスオブリージュが発動した。

 いかに無礼で可愛くなかろうと、幼い子供が暴力を振るわれるのを見過ごすことはできぬ。


 余は咄嗟に子供の手を振り払うと、迫り来る男の手に飛びつく。


「うわ、なんだお前! やめろ!」

「ぴょぴょぴょぴょ!」


 ブレスは吐けないので、代わりに商人の毛深い腕から毛という毛を口で毟り取っていく。

 地味な攻撃だが効果はあったようで、商人は数歩よろめき悲鳴をあげた。


「くっそ、この売れ残りめ!」


 ばしん、と体を殴打される。

 となれば小さな余の体ははたき落とされ、地面にべちゃりと落下した。


「ぴょ」

「お前……」


 子供が呆然と地面に伸びる余を覗き込む。

 くそぅ。心配して駆け寄るか、もしくはさっさと逃げないか。こののろまめ。


「畜生、商品に傷がついちまった。……おいガキ、てめえの親は一体どこにいる?」

「親?」


 初めてその単語を耳にするような仕草で、子供は聞き返す。


「そうだよ。てめえが台無しにしたぶんの硬貨三十枚、耳を揃えて払ってもらわなくちゃな」


 声にたっぷりドスを効かせて、商人は再びじりじりと子供に歩み寄る。


「それともお前が体で払うかぁ? ガキでも変態相手なら、そこそこ稼げ――」

「失礼。うちの若がどうか致しましたか」


 突然、商人の背後にぬらりと大きな影が現れる。

 商人は険しい顔で勢い良く振り返り――そして、ぽかんと口を開けた。


 それは、熊ほどの巨体を有する人間だった。

 肌は浅黒く、頭部はつるりとしていて毛一本も生えていない。体は筋骨隆々としており、顔には痛々しい一本傷が走っていた。


 竜の余でも、ちょっとひくくらいの人相の悪さである。


「お、おたく、このガキの保護者か……?」

「そうお考えいただいて結構です。で、彼が何か失礼でも?」

「あ、そ、その通りで……」


 巨漢に圧倒されて商人は尻込みしたようだが、それでもなんとか頷いてみせる。

 すると巨漢は申し訳なさそうに眉を下げて、「そうですか」と呟いたあと、指をパチンと鳴らした。

 それを合図に、ガタイの良い男たちがどこからともなく現れ商人を取り囲み始める。


「それは申し訳ございませんでした。我が主人に代わりまして、配下一同心よりお詫び申し上げます。して、若はあなた様にいかようなご無礼を働いたのでしょうか?」

「あ、そ、それは、その」

「ちょっとした言い争いだ。大したことはない。なあ、おじさん?」


 子供は小賢しい笑いを商人に投げかけながら、いまだ地面に伸びる余の体を抱き上げた。そして存外優しい手つきで、埃を払ってくれる。

 商人は子供の言葉に、がくがくと振り子のように頷いた。


「そ、その通りで。い、いやあ坊ちゃん、さっきは大きな声を出してすまなかったね」

「大丈夫、気にしていない。それより、さっき商談が1つ潰れていたよな? 悪いから、代わりに俺がこいつを買い取ろうか」


 はああ? こ、こやつが余を買うだと?


 こんなガキンチョはごめんだともがこうとするが、子供は余をしっかり抱きしめて離さない。


「……そ、そいつは売り物じゃなくてね。ちょっとした客寄せのために置いていた生き物なんだ。鳥市では売れないなあ」


 商人もガキ相手の商売は嫌だったのか、抵抗を試みる。しかし子供はこまっしゃくれた笑みを崩さないまま、はきはきとこう応えた。


「鳥に関する商品なら、売買しても問題ないだろ? 実はちょうど、うちで飼っている猛禽の生き餌を探していたんだ。値段は……そうだな。硬貨五枚でどう? おじさん」

「……………………まいどあり」


 商人は力なく項垂れる。


 こうして余は、適正価格でお買い上げされた。






「鳥類ではないし、有鱗目でもない……。だけど目は、トカゲっぽいんだよな。本当に、なんだこれ」


 歩きながら、再び身体中をこねくり回される。

 ああもうだめ。これでお嫁に行けなくなった。


 余は諦めの境地に至り、子供の腕の中でされるがままとなる。


「若。ミザールはそんな妙な生き物食べませんよ。あいつは美食家なんです」


 子供の横に付き従う巨漢が、ばっちいものを見るような目で余を見下ろす。さらにその周囲には先ほどの男たちが列をなして歩いていて、巨漢に同意するように小さく頷いた。


 対する子供は、鬱陶しそうに両肩を竦める。


「分かっているよ、ガレフ。さっきのはちょっとした言い回しだ。少しは空気を読んでくれ」

「すぐそうやって、私の言葉を流そうとする。先ほどとて、我らが駆けつけなければどうなっていたことか、分からないわけではありますまい」


 言って巨漢は悲しげに首を振った。


「少しはご自覚をお持ちください。市井を自由に歩き回るだけでも危険だというのに、そんな生き物まで連れてきて……。旦那様がこのことを知ったら、きっとお怒りになります」

「この程度で怒るほど、父上は狭量な人ではないさ」


 ううむ、訳がわからん。この子供は人間の権力者の子供なのだろうか?

 ただ一つ確実なことは、こいつがとんでもなく生意気で鼻持ちならない奴だということである。


 そう考えたところで、両脇をむんずと掴まれ顔を向き合わせるように掲げられた。


 余の美しい翠玉色の瞳と、子供の紫水晶の瞳がかちりと合う。


「お前、名前はなんていうんだ?」


 名前? 名前とな?


 ……そういえば余は、なんという名前なのだろう。

 祀られるほどえらい竜であることは確実なのだが。結局、何が何だかよくわからないまま人間界に落とされてしまったからな……。


「ぴよよ!」

「ぴよよっていうのか?」

「ぴよよよよよよ‼︎」

「はは、分かった分かった。それじゃあ俺が良い名前をつけてやるよ。そうだな……」


 子供は思案げに瞳を伏せる。そしてすぐに、ぱっと顔を上げた。


「よし、ベリル。お前の名前はベリルだ」


 ベリル。

 ほおう、鉱物から名前を取ってきたのか。なるほど、余の瞳を見てそう名付けたのだな。

 子供らしい安直さは抜け切らぬが、なかなか悪くないではないか。


「俺はフェイルーシュ。フェイルーシュ・ハーバルトだ。ご主人様の名前だ、よく覚えておけよ」

「ぴぴぴぴ!(誰がご主人様だ、この痴れ者が!)」


 無礼な発言に怒りを表明する。

 しかしじたばた動く余の動きが大変可愛らしかったようで、子供――フェイでいいか――は、この日初めて無邪気に笑った。

 くそう。己の愛らしさが恨めしい。


 ……だが、どうやらこのフェイ、そこそこいいところの坊ちゃんであるようだ。

 こやつのそばにいれば、少なくとも鳥籠の中よりは良い暮らしができるであろう。


 もう少し、余が成長するまではこいつの世話になってやっても良いかもしれない。せいぜい尽くすが良い。






 ――こうして余は、生後1ヶ月にして、人間のお子様のペットとなった。


 これが後の夫、フェイルーシュ・ハーバルトとの出会いである。

元タイトルがジブリdisな気がしてきたので改題しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ロングバージョンぜひ読みたいのです! 全てが大好き
[良い点] 産まれたての子竜とその喋り方のギャップがとても良かったです! [気になる点] この子竜とお買い上げした「若」がどういった過程で夫婦になるのかすごく気になりました! [一言] 続きを是非よろ…
[良い点] ぴよちゃん可愛い! [気になる点] 続きがめっちゃ気になる~~~!!!
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