姿見 前
チョコレートが食べたい。
ここに来てからまだ一度も何かを口にしていないことを思い出しながら、窓の外を見ると雪が降ってきていた。
あの日はこんな雪の日とは真逆だったなぁ。
普段は記憶の底に沈めている出来事が浮かび上がってくる。
「それで、あれの始末はどうつけるんだ?」
家主の言葉に、浮かびかけていたモノが散った。
いけない、いけない。
今日は店主と一緒にお得意様のアフターフォローに来たんだった。
「始末って、どうもこうもないですよ。あの方々のことなら親族の方も警察の方も来ていますし。私たちがすることってなくないですか?」
店主の言葉に話を聞いていなかった有理は真面目な顔を作って目の前の背中を見つめる。
「あいつはお前の店でコレを買ってからおかしくなったと言っていたぞ。子供が黙って消える。そのあとは誰かに見られている。自分はアレに殺されるってな」
殺されるという言葉に有理はびっくりした。
「えっ?お売りしたのはこの姿見ですよ。鏡ですよ。殺されるって意味分からんな」
店主もびっくりしたのか、余所行きではない普段の口調になっていた。
「で、俺に相談に来たんだ。この姿見に何か憑いているんじゃないかってな」
家主の言葉の後、部屋の中でコチコチと時計の音だけが響いた。
「……えっと、自分は普通に暮らしているんで。その、そういった怪しい方とは今後のお付き合いを考えようと思います。申し訳ありませんが、あなたとは今日限りということで」
心なしか体を引き気味に答える店主を見て、うんうんと有理もうなづく。
大体この家主は見た目からして怪しいんだ。前々から付き合いを考えてはどうかと店主に何度言おうと思ったことか。
「待て待て待て、引くな。俺だってそんな悪いヤツだと思っちゃいない。大方、チラッと何かが映ったのを勘違いしたんだろう。何か疾しい所がある人間ほど敏感になるしな」
へー、そうなんだ、とのんびり考えていたら、店主の不機嫌そうな低い声が聞こえてきて首筋がヒヤッとした。
「それはあなたご自身の経験からくる言葉ですか?あなたは疾しいことばかりでしょうしね」
自分に言われているわけではないと分かっているが、怖い。
店主と家主は腐れ縁だと言っていた。自分は最近来たばかりだから過去の二人に何があったのかは知らないけど家主は店主に早く謝った方がいいと思う。
「いや、俺には疾しいことなんて一つもないぞ。相談に来たアイツを見てそう思っただけ」
店主の威圧に対してあっけらかんと答えた家主を凝視してしまう。
ああ、こういう人間が誰かに背中を刺されるという最後を迎えるんだな。思わず、そういう感想を抱いてしまった。
「そもそも、姿も何も分からないヤツに殺されるって思うこと自体、何か疾しいことがある証拠じゃねぇか」
なるほど。じゃあ、あのお客さんは誰かに殺されるようなことをしていたと。
「そんなの証拠って言いません。まぁ、多少は売った責任というのがありますから、姿見の買い取りは受け付けますよ」
そう言った店主は、もうその話は終わりだというように、本来の目的である家主へと売った品物のアフターフォローの話をして帰って行った。
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〇〇県××市の50代男性の会社員□□□□さんが自宅で倒れているのを部屋を訪れた同僚が発見しました。男性の意識は未だ不明です。発見時、男性は部屋の中にある大きなスタンドミラーに寄り掛かるようにして倒れていたとのことです。