第30話 積もった火薬
「やはりダメ……でしょうか?」
セフィーは上目遣いでそんなことをいいながら目を潤ませている。
さながら公園に捨てられている子犬のようだな。
「ダ、ダメじゃあない……が、危険な旅だぞ?」
「分かっています」
「もしも本当のピンチになったら乗客を優先するかもしれない」
「是非、そうしてください。それがカケルさんの仕事なのですから」
うーむ、こりゃ何をいっても無駄かもしれない。
相当に決意が固そうだ。
婚約を破棄されていなかったとしてもこうする予定だったのかもしれないとすら思える。
どうしたもんか……俺がそう思案していると不意に横から声がかかった。
「いいんじゃないの?」
「フィズ!?」
「だって、セフィーの夢なんでしょ? 一度叶ったのにそれを取り上げるのってやっぱり可哀想っていうか……」
そう……か。
良かれと思って夢を見させてあげたが、その夢が儚く消えれば……そりゃ苦しむよな。
ようやく見つけたお宝を目の前でかっさらわれるのと何ら変わりはしない。
「贅沢なことはできないぞ?」
「分かっています」
「可愛いドレスも着られないぞ?」
「カケルさんに頂いたこの服も気に入っています」
「……………………わかった。一緒に行こう」
十分すぎる沈黙の先で俺が出した答えはそれだった。
「ただ厳しい条件があるからな?」
「じ、条件ですか?」
目の前のセフィーはごくりと唾を飲み込んだ。
「まず、一人では絶対に行動をさせない。俺かフィズ、それか後ろの二人が必ずついていく」
「はい、それは……ありがとうございます」
「それから夜は九時半——いや、紺の半刻には寝ること」
「紺の半刻ですか……それはちょっと早すぎる気もしますけど……分かりました」
「あと甘いものは一日一個まで、それに食事はお残し厳禁だ。こんな厳しいルールを本当に守れるか?」
「はい? ま、守れ……ます」
「よし、決まりだ。じゃあウチの馬車の交易担当大臣を再度命じるっ!」
「……ッ!」
セフィーはその瞳を大きく見開いて、そして力いっぱい俺に抱きついてきた。
そして頭をぐりぐりと腹に擦り付けてから元気よく返事をした。
「はいっ!」
* * * * * *
「本当によいのですか?」
馬車から降りたラフィリス様が心配そうな目で俺を見ている。
「ええ、セフィーは乗客としてではなく添乗員として乗るわけですから、謝礼を頂くわけにはいきません。あっ、そういえば……」
俺は服の上に着込んでいた外套を脱ぐと、丁寧に畳んでラフィリス様に差し出した。
「忘れていました。脱ぎ立てほやほやで申し訳ないのですが、これはこちらの国の国宝とお聞きしましたのでお返しします」
俺が差し出したその外套をラフィリス様はジィっと見つめる。
やはり俺が今の今まで着ていた外套なんて触りたくない、か?
そんな事を思っているとラフィリス様がおもむろに近づいてきて外套を受け取った。
そして目の前で広げると……俺に着せてくれた。
「私は……こんな外套知りません」
「えっ!?」
「そうね、だからあなたが着ていてください、これには竜の加護が宿っているそうです。ですからきっとあなたを守ってくれるでしょう。それがひいては娘の為になるのですから……」
知っているじゃないか……そんな思いは言葉に出来なかった。
だから俺は首を縦に振る。
「……はい。では、お借りしておきます。いずれ落ち着いた頃、娘さんと外套を一緒に返しに来ますので——」
「あら、返すだなんて娘が気に入らないとでもいうの? 可愛らしく育ててきたつもりですけれど」
「あ、いやそういうわけではなくてですね……」
「ふふふ、冗談よ。でもその気になったら私は構わないわよ?」
「ちょ、国の問題になりますって……」
ラフィリス様は案外お茶目な人なのかもしれないな。
「では私は城に戻って報告をして参りますので……」
「報告、ですか?」
ああ、そりゃそうか。
娘がちゃんと生きて帰ってきたことは知らせないといけないだろうな。
「ええ。娘かと思ったら人違いだった、と報告しなければなりませんからね」
「人違い?」
「まぁそういう事にしておいたほうがいいのですよ、今は特に」
「はあ、そういうものですか」
「あなたと娘が戻ってくるころには平和で落ち着いた国に戻れるように私も微力を尽くします。あなた方の旅にも幸運を」
「はい、ありがとうございます」
こうして俺たちの馬車は獅子城を後にした。
ラフィリス様は回りから見えないように小さく手を振り続けていた。
その様子はきっと馬車の窓からセフィーが見ていたことだろう。
ゆっくりと城を離れていく馬車は、名残惜しそうにその轍を石畳に刻んだ。
* * * * * *
私は遠くなっていく馬車にいつまでも手を振り続けた。
皇帝の妃でありながら娘を行かせてしまった、いや行かせるしかなかった。
娘がそう望んでいたからではない。
「平和で落ち着いた国に戻れるように……だなんてね。本当にそんな力があれば……」
自嘲する私の耳にネバネバとした湿り気のある声が届いた。
「おや、セフィラスが生きて戻ったと聞いて出迎えに来たのですがね——」
「ゼルディア……」
城からゆるりとした歩調で現れたのは第二皇子であるゼルディアだった。
彼は私の子ではない。
だからだろうか?私は彼の笑顔を見ると気持ち悪いと感じてしまうのだ。
でも私はそんな感情をおくびにも出さない。
「ええ、私もそう聞いて飛び出してきたのですが……どうやら誤報だったようです」
「誤報? 兵士から聞いた話だと確かにセフィラスだったという話でしたが?」
「ですので私が直接確かめに来たのです。その上で……」
「誤報だった、と? そうですかそうですか。それならそれで仕方がありませんね」
目の前の優男はそんな私を馬鹿にしたように鼻で笑う。
きっと娘はこの男の策略で命を散らしかけたのだ——許せない。
でも私はそんな感情を出さない。
出してはならない。
「それじゃあ次にセフィーが帰ってきたら伝えて下さい。兄さんも心配していたよ、と」
この男はいけしゃあしゃあと……っ!
「ええ、生きてこの”平和な国”に戻ってくることを私は信じておりますから。会えた時は必ず伝えましょう」
「そうですね、やはり国は平和が一番ですから。では私は公務が残っておりますので」
そういうと優男は踵を返して城の中へと戻っていった。
それを確認した私は、手の平に刺さってしまった爪をゆっくりと引き抜く。
ふぅ、またメイドのケイティスに心配をかけてしまうわね。
私はそんな事を考えながらハンカチで手に滲んだ赤色の液体を拭った。
私はこの色が嫌いだ。
そして今、この国はこの色に染まろうとしている。
火薬が積もり積もって……火がつくのはいつになるだろう。
もう既に払うだけで火がつきそうなのだから、いっそ今のうちに燃やしてしまうしかないのだろうか。
そんな事を考えていたら馬車はもう見えなくなっていた。
せめてあなた達が国を出るまでは、この血でもって火薬を湿らせておくことにしましょう。
それくらいしか私には——。




