第13話 ノーパンで足を上げてはいけない
叫び声のした方へ向かうと、そこには一人の女の子が蹲っていた。
そして、その女の子の前では今にも突進をしようと猪が足を踏み鳴らしている。
その猪の大きさはかなりのもので、前の世界でいえば大型トラック並の大きさを持っていた。
あんなものに突進されたら目の前の女の子はきっとひとたまりもないだろう、はっきりとそう思えた。
「おい、あんたっ!」
俺がそう呼びかけると、女の子はガクガクと震える体でこちらに視線を這わせた。
改めて見ると、かなり身なりが良いようだ。
森にいるのが不自然な格好のその女の子は、まるでどこかの国の姫のようで——場違いだった。
「何しているんだ!? こっちへ来い!」
そういうと、女の子は震えながら首を横に振った。
「う、動けないのです……たす……助けて……」
切羽詰まったそんな涙声が、青みを帯びた唇から紡がれるのと同時——。
一際地面を大きく踏み鳴らした猪は、その女の子に向けてとうとう走りはじめた。
俺は聖人ではない。
だから乗客でもない人をほいほい守ったりはしない。
そんな事をしていたら体がいくつあっても足りやしないから。
かといって、目の前で女の子が命を散らそうとしているのを黙って眺めているような趣味もなかった。
「チィ……ッ!」
森の中に重い衝突音が響いて、木の枝に止まっていたのであろう鳥たちが飛び立っていく。
「はぁ……。無償の正義は大ッ嫌いなんだけどな……」
大きな体をした猪の突進は俺の目の前で止まっていた。
猪が女の子に衝突する直前になんとか滑り込めたのだ。
興奮して鼻息を荒げる猪を抑えこみながら、チラリと振り返って女の子に伝える。
「こいつは俺がなんとかするからあんたは俺の仲間のところへ……」
そこで女の子の両足が曲がってはならない方向に曲がっている事に気付いた。
さっきの「動けない」というのは怪我をして動けないという意味だったか。
「仕方ない。ローズ! こいつを治してやってくれ!」
「ええ、承りました。ワタクシにお任せを」
ローズはそういうとこちらへ駆け寄り、女の子を抱きかかえて木陰へと移動させてくれた。
よし、これであの子は大丈夫だろう。
「マスター、こいつは……例のキングボアですね」
いつの間にか俺の隣に立っていたジャックがそう教えてくれる。
「ああ、そうだったのか」
「キングボアは珍しいですから、もしかしたらあの依頼にあった個体かもしれませんね」
「あの依頼はこの森じゃなかった気がするが?」
「こいつの行動範囲は広いですから、移動したのかもしれません」
「そんな事もあるのか……。依頼は請けてないが倒してもいいんだよな?」
そんな俺にジャックが首肯を返してくる。
「ランクなんていうものでは我々を縛れない事を見せつけてやりましょう!」
「いや、そんな気持ちは別にないが……まぁいいか」
俺は突進を受け止めた時、咄嗟に掴んでいたキングボアの牙を放す。
さっきから鼻息がかかっててくすぐったかったんだよな。
体の自由を取り戻したキングボアは、その巨体からは考えられないような俊敏さで俺から距離を取ると、怒りを顕にして頭を強く振った。
「では私も微力ながらお力添えを致しましょう」
そういうジャックと並ぶようにしてキングボアの前に立つ。
こうやって正面から相対するとその大きさにちょっと威圧されるな。
まぁさっきの突進の威力を考えればそこまでの驚異はないかもしれないが——。
「ここはさっさと片付けるに限るな」
それなら、と俺は腰から鞭を引き抜いた。
「フゴォォォォッ!!」
キングボアは俺のやる気を感じたのか、威嚇の声をあげて足を踏み鳴らした。
また突進か?だがこの鞭の前にはそんなもの通用するわけがない。
力添えをしてくれるというジャックには悪いが、こいつですぐに決めさせてもらおう。
力を溜めて突進してきたキングボアへ向けて、俺は鞭を一閃する。
「ふっ!」
短い呼吸とともに振ったその鞭は、狙い通りにキングボアの眉間を打つと気持ちの良い音を響かせた。
よし、これで人間にな……らないっ!?
予想を裏切られた俺は、思いがけない衝撃に踏ん張ることを忘れてそのまま弾き飛ばされた。
そのままゴロゴロと地面を転がると、木にぶつかることでようやく勢いが止まる。
「ご、ご主人さまぁっ!!」
フィズの叫び声がどこからか聞こえる。
ちょっと目が回ってしまって方向感覚が掴みづらいな。
鞭で叩いたことで勝っただろうと油断していた、なんてそれは言い訳か。
我ながらなかなか情けないやられ方をしたからフィズには心配させてしまったかな。
さて、鞭が効かないなら仕方ない。
正面から叩き潰してやろう。
そう思った瞬間、パッカーンという乾いた音が森に鳴り響いた。
何事かと跳ね起きると、フィズがキングボアに後ろ回し蹴りを決めたところだった。
きれいに伸びた足はいっそ美しくすらあった。
キングボアの頭はその衝撃で、天まで跳ね上げられていた。
そしてやがてゆっくりとその巨体は地面に沈んだ。
一撃、か……そりゃ隣にいるジャックも唖然とした顔をするよな。
「ご主人さまぁぁぁ」
そう叫びながら半ベソでかけてきたフィズを胸で受け止めた。
「すごいぞーフィズ、きれいな蹴りだったなぁ」
そう褒めると、頭を差し出してきた。
撫でてくれということだろうと察した俺は、その頭をワッシャワッシャと撫でてやった。
「ん、もう。リボンが取れちゃうじゃないのっ!」
そういいながら赤くなるフィズに一言だけお願いをしておく。
「ただ次にアレをやる時は、下着を履いているときにしてくれ」
なんでかよく分かっていなさそうな顔をしているフィズを連れて、さっきの女の子のところへ行くと、ちょうど治療が終わったところだった。
「ふう。なかなか傷が酷くて時間が掛かってしまいました」
「ああ、ローズありがとう」
俺がそういうとローズは照れたように笑った。
「助けていただきありがとうございます。みなさまは冒険者……の方でしょうか?」
「まあ一応そうだけど、メインは御者だな。人を運ぶ仕事をしている」
俺がそういうと女の子は驚いた顔をして、それから懇願するように言葉を紡ぐ。
「な、ならばっ! 私を国まで連れて行ってもらえないでしょうか? 今は手持ちがなく、助けてもらったお礼すら出来ません。ですが、我が国に戻れた暁にはもちろんそれ相応のお礼を致しますので、どうか……」
我が国か……やはり見たまま、お姫様なのかもしれないな。
「まぁその話は後でするとして……そんなことより何でこんなところに? ケガもしていたようだし」
「えっと、その神さ……ドラゴンの手から落ちてしまいまして……」
「ドラゴン!? なんでまた一体ドラゴンの手に? さらわれたのか?」
そんな俺の疑問に、女の子は衝撃的な答えを返してきた。
——実は……私を、食べてもらうためなんです。




