真理
「いやー、ご協力ありがとう。久々に良いサンプルが手に入って嬉しいよ」
学者さんは満面の笑みで握手を求めてきた。
握手の仕方が分からなくて戸惑っていると、僕のヒトダマ部分を小動物を撫でるようにしてきた。
ははは、くすぐったいって! やめて! セクハラよ!
「さて、今度は君の質問とか疑問とかに答えてあげたいトコロなんだけど、どうだい、もう上の方に行きたくてしょうがないんじゃないかい」
確かに。
学者さんの質問に答える為に結構長い事この踊り場に留まってしまっていた事に気付いた。
そして、実はだいぶ前から、僕は直ぐにでも階段を上っていきたくてヒトダマをフルフルと震わせていた。
「とりあえず、もう少し上の方に一緒に進もうか。よかったらボクの家に招待するよ」
――うん? 招待? なんか幻聴が聴こえたかも。
学者さんは先に階段を上りはじめる。
その様子は一段一段が大きい階段を不思議と羽のように軽やかにするると上っていく。
僕も負けじとすすいと上る。
「進みながら、簡単にこの場所について教えて差し上げよう」
学者さんは振り返りもせず、どんどん上っていく。
「この場所は業の塔とボクは呼んでいる。で、この階段は業の階段だね。この塔、特にこの階段では一つ所に長く留まれない。魂の本能として上に行かずにはいられないみたいだ」
所々、気になる単語が出てくるな。
この階段というか山、塔だったんですか。
いろいろ聞きたいのを我慢し、出来るだけ本筋と思われる質問に絞って疑問に思ったことを念じて伝える。
"学者さんにはその魂の本能はないんですか? そもそも学者さんは魂じゃないんですか? というか同じ元人間ですか? 天使さんですか?"
本当は悪魔ですか?
(これは伝えないようにしよう)
学者さんは「天使」にふふっと笑った。
「ボクは君と同じ元人間の魂だよ。一度死んで、いや二回死んでと言った方がいいかな。実はボクは二回目なんだ。冥界」
僕は黙って次を促す。
「ボクにも勿論上に行きたいという本能はあって、途中までは上に行ったよ。だけども本能を上回る好奇心が勝っていつのまにか下に引き返していた。それから色々研究してるのさ」
"成る程です。では、なぜ学者さんは僕と姿形が違うのですか? そういえば、此処に来るまでのバスの中で、ヒトダマと普通の人の形をした人で分かれていました。その違いは何なんです?"
そちらだけヒトダマじゃないのは何故。
少し卑怯ではないですか。
「うーん、何故姿形が違うかという理由についてはまだ分かっていない事が多くて研究中なんだけど、普通の生きている人に似た姿と魂そのものに見える君の様な姿の違いについては少し分かっている事がある」
ほほう、是非とも教えてください。
◆ ◇ ◆
学者さんは一段一段が大きい階段をするるするると軽やかに上ってゆく。
僕も負けじとすすいすすいと追いかける。
ふと上を見上げたら、学者さんの短めのスカートがヒラヒラとはためき、何か素敵な世界の真理を発見出来そうになっていた。
しかしギリギリ見えそうで見えない。
なんて非現実的なんだと思った。
だって、現実世界なら、こんだけ短いスカートがこんだけヒラヒラはためいていたら確実に見えるはずだから。
何か非現実的な法則が働いているに違いない。
今いるのは夢の中かアニメの世界だと思った。
アニメの世界の訳は無いからコレは夢の中確定。
よってオレ死んでない、証明終了(Q.E.D)。
そんな事を考えながら、必死に真理を見つけようと目を凝らした。
「――ということなのだけれども。ねぇ君、ボクの話ちゃんと聞いているかい?」
はわわ、すみません何も聞いていませんでした。
生前が童貞だったという事で煩悩まみれなんですかね、分かります。
"すみません、周りの景色に見とれてしまっていて、聞き逃してしまいました"
一応、「景色」ではあるよね。
学者さんは僕を振り返り、一度軽く睨みながらも軽やかな足取りは止まらない。
そして前に向き直り不思議そうにこう言った。
「今まで出会った中で、この辺りの景色に見とれるなんて魂には出合った事が無いんだが、やっぱり君は変わった個性があるみたいだね」
ヤバい。
二つの意味で罪悪感である。
この場所は嘘も付けないという事だし、今回は嘘を付かないギリギリの線で誤魔化せたけど、次はないだろう。
心頭滅却、煩悩退散。
「『普通の生きている人の姿と君の様な魂の姿の違い』について、ボクの知っている事を一通り説明したんだが、もう一度最初っから説明しなおした方が良い?」
な、なんて優しい。
意地が悪いどこぞの大学の万年助教授とは違いますね、オヤビン!
"是非お願いします!"
「君は仕方ないなぁ。まず君の様な見た目が魂そのままタイプの特長は、1、さっきの様に決まった質問に自動で答える。2、素直な魂や生まれたての魂の場合にこの姿を取る事が多い。3、業の審判を受けるときには見た目が人型タイプかは関係なく全員この姿を取る」
ふむふむ。
全然意味不明だけど続けてください。
「次にボクの様な見た目が人型タイプの特長は、1、ある程度魂的に防御力がある。2、経験の多い魂や変わった経験をした魂の場合にこの姿になる事が多い。3、生前と同じか似ている姿を取る場合が多いが、転生等の経験を重ねていくと生前の何れの姿とも異なる別個の姿を形成する事も確認されている。4、この姿でもいわゆる生身の肉体を持っている訳ではなく、純粋に魂である」
成る程。
ほとんど何を言っているのか意味不明だけど、要は魂としての経験の差で人型になれるかヒトダマ型になるかが決まるということを言ってるのかな?
そして、ヒトダマ型は防御力がほとんど0の紙装甲ということか。
そんな事をおしゃべりしながらどんどん階段(最初から数えておよそ30階分)を上っていくと、先程の踊り場が話にならないくらいの拓けた場所に出た。
何だろう、この場所も色彩がほとんど無いのは変わらないが、何とも言えない落ち着いた雰囲気の場所だ。
「この場所は『平安広場』とボクは呼んでいる。まあまあ広いよ。とりあえず、ボクの家もここにある。良かったら寄っていくといい」
やっぱりさっき聴こえたのは幻聴じゃなかった?
もしかして――。
僕の魂生初の女性のお宅訪問キタコレ。
◆ ◇ ◆
この『平安広場』という場所、なんというか魂的に落ち着く場所だ。
なんといったらよいのか、
「ここでご休憩していきたい!」
と全身(もう無い)が訴えている。
「ほとんどの魂は平安広場でしばらく休んでから、上の方に上っていく。確かな理由はボクにも分からないのだが、おそらくここにいる間になんらかの魂的な準備がおこなわれているのだろう。ボクもかつてここでしばらく休んだ後に誰かに呼ばれるように上にのぼっていったものだよ」
学者さんは辺りを見渡して、ある一点を指し示しながら言った。
「ほら、あそことあそこに他の魂が休んでいるのが見えるかい? ああやって、平安広場のあちらこちらで皆休んでいるのさ」
ほんとだ。
こちらは僕と同じヒトダマ型の魂が座り心地の良さそうな石の上に漂っていた。
あちらは高校生くらいの少年すなわち人型の魂が、これまた座り心地の良さそうな石の上に腰かけている。
"お二人共、似たような石に座ってますね"
学者さんはまた、ふふ、と嬉しそうに笑った。
「皆、この広場では不思議と自分好みの座る為の石を見つけるのさ。面白いだろう?」
うーん、面白いだろうか。
正直なところ微妙である。
学者さんがこれを面白いと感じるセンスはおもしろい……かな。
「良い機会だ。もっと面白いものを見せよう」
学者さんが、お二人さんに近づいていくので僕も横に並ぶ。
ん? 何をするの?
お二人さんにかなり近づいたところで僕に質問する。
「どうだい、何か感じることはあるかな」
確かに違和感を感じる。
この二人、僕と学者さんに完全に無関心なのだ。
こんなに誰かが近づいてきたら、何らかの反応を示しそうなものなのに。
"これはいったいどういう事なんです?"
学者さんは僕の質問に楽しげに答えた。
「ボクの研究結果によると、冥界では魂同士はお互いにほとんど興味を示さないものらしい。そして――」
学者さんが僕の方に向き直る。
「君も彼らの事はまったくどうでもいいんだろう?」
そうなのだ。
僕は彼らの事はどうでもいいと思っている。
学者さんが彼らの事を気に掛けているようだから、頑張って意識しているだけなのだ。
僕には彼らは周りの景色と同じ様に灰色にしか見えないのだ。
そして、学者さんの美しい形の目だけが美しい青色なのだと、この時その少し不思議さに気付いた。
「ふふ、ボクのような存在――他の事に興味を持つ存在はこの場所では本当にレアらしい」
そこで、学者さんは笑ったにも関わらず、少ししかめっ面のように表情を歪めさせた。
しかし、一瞬で気持ちを切り替えたのか、先ほどまでの笑顔で僕の方を見た。
「いやあ、久しぶりに君みたいな魂に出会えて嬉しいよ」
学者さんはまた歩き出す。
「質問に対する反応もいいし、今まで出会った魂の中では一番しゃべりやすかった」
いやー照れますな。ぽりぽり。
「約束通り、ボクの話を少ししよう。ボクはこの冥界の世界に何故かとても面白さを感じたんだ。でもボクの魂の本能はどんどん上に上っていくことを止められない。結局、かなりの上まで行って業の審判を受けたんだ」
「業の審判を受けている途中から、ボクのこの冥界を研究したいという欲の方が魂の本能を上回ってしまったんだ。それで業の審判の担当者に頼み込んでね。それからは下に下りて、勝手に研究と称して多くの魂たちに質問して回ったり冥界のあちらこちらを調査したりしている」
「ボクは冥界を満喫している」
「しかしここ最近は淋しさもあったんだ。質問にこぎ着けてもまともに答えが返ってこない事も多いし、魂の波長が合っていないのか顔もぼやけてしか見えない人たちがほとんどなんだ。これまで500人くらいに質問して、使えるのは4、50人分くらいのものだよ――」
また、どこからかノートを取り出し、さらっと僕に見せてくる。
人数は分からなかったが、大学ノート3冊分くらいがびっしり書き込まれていた。
「君の前にアンケートに答えてくれた人からだいぶ間も開いていてね。そんな理由で、コミュニケーション自体に飢えていたのもある。とにかく君と話していてとても楽しかったんだ――」
うう、少し不憫になってきた。
「あとは、君とは魂の波長が合っているのか、久々に心が触れ合ったような上辺だけじゃない会話が出来ているような気がしてる」
そういって、こちらを見てくる学者さんの頬が心なしか赤く染まっている様に見えるのは気のせいだろうか。
気のせいだろう。
僕みたいな童貞はすぐ勘違いして後でプゲラされちゃうんです、きっと。
キヲツケナイト。
それからしばらくの道中は、僕はひたすら学者さんの久々の話し相手として、ひたすら相づちマシーンと化すのであった――。