学者さん
しばらく何もない空間を眺めてぼーっと休んでいると、突然誰かに話しかけられた。
「やあ、ちょっといいかい?」
僕はもういちいち驚かないことにした。
話しかけてきた主の方に向き直ると僕のすぐ側に、これまで出会ったことのない若くて美しく、且つ不思議な艶めかしい雰囲気を感じてしまう女性が立っていた。
成人の女性と少女のちょうど中間くらい、少女から大人に変わりかけの危うい魅力的な時期の女性だった。
話しかけられた言葉は日本語だったが、フランス人形のような青い目の美しいヨーロッパ系と日本人の血が混じっている見た目の神々しい雰囲気の女性だった。
髪の毛は金髪? 灰色? 不思議と色が分からない。
見た目は少女に近いが、声のトーンが落ち着いた大人な感じでもある。
存在が眩しい。僕にはよく見えない。
どちらにしろ、女性に免疫のない僕があたふたしていると、それに構わず彼女は言葉を続けた。
「ボクは学者――みたいな者なんだけど、少し話をしたり質問――アンケートに答えてもらったりする時間はあるかな?」
僕は、あーっとえっと、と何か返事をしようとしたが、ちっとも声が出せないことに気づいた。
身体を失くしたついでに発声器官も失くしていたようだ。
返事をしないのは失礼と思い、必死にこくこくと頷いた。
結果、胸のヒトダマが上下に揺れてくれた。
彼女はふふっと笑みを漏らす。
「まだここに慣れていないみたいだね。ここには来たばっかりなのかな?」
また必死にこくこくと頷く。
ヒトダマが上下に揺れる。
「ふふ。ここではね、君が心の中で相手に伝えたいことを、強く"伝えたい"と思えば伝わるよ。そんなに強く思わなくても、十分に伝わってきてるから。ほら、落ち着いて」
優しい。
惚れっぽい僕は、彼女にあっさり魅了されてしまった。
彼女が怪しい絵画でも持ち出そうものなら即お買い上げするかもしれない。
お話してもらえるだけご褒美という感覚、理解してもらえるだろうか。
いや、きっと気持ち悪いと思われて終わるのがオチだろう。
「ボクはここで学者の真似事みたいなことをしているんだ。この場所とても面白いと思わないかい? ここで出会った人に色々質問して回っている。君が先を急いでいないのであれば、是非ボクの質問に答えてもらえたりはしないだろうか」
僕はもちろん(理由は――略)、こくこく頷いて了承の意を伝えた。
◆ ◇ ◆
ふと思ったが、彼女の事を「彼女」と呼ぶ事に不敬な響きを感じてきたので、今後は彼女の事を「学者さん」と脳内(もう無い)で呼ぶ事にする。
学者さんの質問タイムが始まった。
「じゃあ質問していくよ」
「この場所に来るのは何回目ですか」
"初めて"
お、なんか伝わった気がするぞ。
「成る程。フムフム」
「ここまではどうやって来ましたか」
"バスに乗って階段を登ってきました"
「成る程。バスですね」
「バスに乗る前は覚えていますか」
"変なドアを開けて、変な場所に出て、少し歩いたら古いボロなバス停が出現して、そこにバスが来たので乗ったという感じです"
「ほほう。ふむふむ。その変なドア、とはどのように変だと感じましたか?」
"左目だけに見えるドアです"
学者さんはいつの間に取り出したのか、ノートとペンを持っていて、さらさらと何かを書き込んでゆく。
「その、変なドアを発見する前は何をしていたか覚えていますか?」
え? 変なドアの前の記憶……??
何も思い出せない。
"……覚えていないです"
「なるほど。覚えてない――と」
「ご自身のお名前は覚えていますか?」
な、名前?
自分の名前くらい覚えてますわ!
僕の名前は、名前は、名前……。
そんなバカな。
"……名前、ちょっとド忘れしたみたいです"
「ふむ。パターンCかDかな」
「ご自身の事で何か思い出せることはありますか?」
自分自身の事ね。
うん、何も覚えてないね。
学者さん、僕のライフはもうゼロよ。
あ、2つだけ思い出した。
というか、知っている。
"日本人、男性、この2つだけです。"
「成る程、成る程。おそらくパターンCかな」
学者さんはひとりで納得しているご様子ですが、とても気になる。
"学者さん、そのパターンというのは何でしょう。何か分かったのですか?"
「あ、気にさせてしまったか。済まないが、先入観無しでアンケートに答えて欲しいんだ。君の質問にもボクが知っている事であれば、後でなんでも答えさせてもらうよ。情報交換という事だね。でも、まずはボクの質問に先に答えてもらえないだろうか。今、ちょうど半分くらいの質問が終わったところさ」
僕は改めて、了承の意を伝えた。
◆ ◇ ◆
「今のご自身の姿はどう理解していますか」
"ヒトダマ? 魂だけ?"
「ほう。ふむふむ」
「最初から今の姿だったのですか、それともどこかの時点からですか」
"ここの階段を上る前は普通の身体だった、と思います。変なドアのノブを右手で持って開けたし。あ、あとバスから降りる前にズボンのポケットを手で探したりしました"
「成る程、成る程」
「では、いつ今の姿に変わりましたか、もしくは今の姿を自覚しましたか」
"ここまで上ってくる途中で、10分の3くらいの地点で気づきました"
「そうですか。10分の3くらい――と」
「その姿を自覚した時はどう感じましたか、精神的ショックや身体の不調はありませんでしたか」
"それはもの凄くショックでしたよ! あ、でも今は慣れてきました。身体はどちらかというと調子よい位です"
「ふむふむ。感受性 残、適応性 早 高、体調 良――と」
「ちなみにあなたの目にあたる位置はどの辺りですか」
学者さんが一二歩、僕に近寄ってきて美しいお手で位置を示す。
心臓(もう無い)あたりがドキッとする。
「この辺かな」"あ、もうちょい上です"「このあたり?」"あ、その辺です"
「ふむふむ、身長はおよそ――と」
「その姿になってから、動き辛くありませんか」
"いえ、どちらかというと身が軽く感じるくらいです"
「ほほう。体調も良くて身体も軽いと」
「ところで、今ご自身の年齢はおいくつ位だと感じてますか?」
ほわっ? what? ね、年齢? 年齢は、もちろん……え??
自分の歳も分からなくなっている事に気付き、僕が答えに困っていると学者さんが助け船を出してくれた。
「これは感覚とか直感とかで答えてもらってもいい質問だよ。その姿になる前とその姿になっている今の其々でどう感じるか、という感じで答えてもらっていいよ」
"あ、そういう事なら。えっと……この姿になる前ならかなりアバウト過ぎですが20代から40代位だったような気がします。この姿になった今は、えっと何となくですけど、10代――15歳か16、7位の感じがします"
「成る程、うんうん」
「ご協力ありがとう、よく分かりました」
"いえ、こちらこそありがとうございました"
なんというか、癒される系のセラピーを受けているような気持ちになっちゃったよ。
だって、美人さんがとってもキレイで柔らかい声で淡々と答えやすい質問をしてくれて、全部の答えを優しく受け止めてくれるんだもん。
あと、学者さんっていうか、サバサバしてるけど冷たくない美少女女医さんの雰囲気というか?
癒されるわー、お金払いたい。
「とりあえず、この質問集1は終わりなんだけど、2に移ってもいいかな」
"あれ、さっきのあと半分って――"
「質問集1の半分って意味さ。2で終わりで3は無いから安心して」
美少女詐欺師という単語が頭(もう略)に思い浮かんだ。
まぁ、延長もやぶさかではないですけども。




