クリスマス・キャロルを聴きながら〜The Key of Heart〜
01.♪アローン・アゲイン♪ /ギルバート・オサリバン
12月23日、夜。
「アーァ。明日はイヴだってのに…。」
僕は、デスクの前でそっくりかえりながら溜息をついた。
ここは、メインストリートから少し引っ込んだビジネス・ホテルの7階。
既に、3日も前からここにカンヅメになっているが、パソコンの画面にはまだ何の足跡もなく、無機質な光を放っている。
中学、高校と、まあまあ優等生として過ごし、上の中といった大学に入り、4年間何となく送り、ぼちぼちの会社へ何とか就職し、平々凡々たるホワイト・カラーとしての将来が、まがりなりにも約束されていたはずの僕に、ひょんなことから転機が訪れたのは、1年半ばかり前のことであった。
ふと、本屋で手にしたSF雑誌の新人賞募集。
これまで、何かに熱中するということの殆どなかった僕の、例外的に長続きしていた趣味、誰に見せるわけでもなく書きためていた原稿に、少しばかり手を入れて出品した。
勿論、気まぐれだったから、賞を取ろうなんて気は更々なく、ただ、せっかく書いたものを、自分以外の誰かに読んでもらいたい、そう思っただけのことだった。
それが、どういうワケか、大賞なるものをいただいてしまい、そうすると原稿の依頼なんかも来るようになり、あれよあれよという間に会社を辞め、気が付くと一応プロの作家のハシクレになってしまい、今、こうしてカンヅメの具になっている。ハズミというか、成り行きというか…、妙なものだ。
2月発売のSF月刊誌の書き下ろし。何でも、予定していた偉い作家の先生が急病だそうで…。
「25日までにお願いします。急な話で、その上、クリスマスだというのに…。ホントに申し訳ありません。」
要は、今時分、急な仕事を頼めるほどにヒマなのは、僕ぐらいのレベルだってことなんだろうが…。
担当編集者の空々しい愛想面を見ながら、そんなことを思ったが、結局、これまでの義理と今後の打算から、何となくオーケーしてしまった。 それが確か、17日頃だったと思う。
アパートの机に向かっても、一向にアイディアが浮かばず、締め切りの5日前に、このホテルに移ってきた。
だが、相変わらず、僕の頭は冬眠したまま、とうとう明後日には原稿を仕上げなければいけないところまで来てしまった。さすがに焦る。
大体…、元々仕事は早いほうじゃないし、アドリブだって効く方じゃないんだから、いきなり何か書けったって無理なのだ。
僕は座ったまま、首をひねって、部屋の中を見回した。
ドアの向かい側に、通りに面した窓があり、2面ある壁の片方は、隅に小さな冷蔵庫があり、中央には、これも小さめのサイド・テーブルが置かれ、その上には電話と、差し入れのビールの空き缶と栄養剤のビンが散乱している。
反対側の壁面は、ベッドと、今僕が座っているデスクが占領している。
僕は立ち上がり、冷蔵庫から最後の缶ビールを取り出し、一気にあおる。
「何んで、こんな仕事引き受けちまったかナァ…。」
泣き言ばかりが口をつく。
「アーァ。明日はイヴだっていうのに…。」
もう一度声に出して、ベッドに倒れ込み、残りを喉に流し込む。
別に、イヴだからって、どうだというワケはない。
昔、学生時代までは、ずっと、クリスマスは家族で過ごすのが習慣だったが、もう何年も、家には帰っていない。
「外は、賑やかなんだろうな…。」
以前、僕は、クリスマスまでの1週間の街、ことに、夕暮れの街が好きだった。何となくワクワクして、イヴの晩を好きな女の子と過ごせたら…などと思ったものだ。
「好きな娘ネェ…。」
『彼女』のことがチラッと頭をかすめる。首筋と、耳たぶが少し熱くなり、同時に、苦い痛みが喉元を締めつける。
それを振り払うように頭を振る。何だか、妙に眠気がやってくる。
そういえば、朝からロクに食事をしていない。
どうする、あさっては締め切り…。
「仕方ないだろ、書けないモンは書けないんだよ!」
一人で、開き直った言い訳を口走っていたような気がする。
でも、結局は、眠気が勝利をおさめてしまったらしい。
後のことは、よく思い出せない。
02.♪リトル・ドラマー・ボーイ♪ /ビング・クロスビー&デビッド・ボウイ
ボンヤリとした意識の中で、ふいに、窓が開いたような気がする。はっきりしない視界に、雪が舞っているのが見えた。それと、大柄な人物のシルエット。
ヒトのシルエット?バカな!ホテルの窓は、転落防止のために、ごくわずかしか開かない。
そうか…夢か…。
「お前さんは、何がお望みだい?」
人影が言った。何だか、懐かしい老人の声だった。
「時間を…。」
そう言ったのを覚えている。
(締め切りが近いんだ、1秒だって惜しい。それに、どうせ、夢だし…。)
影は、うなづいたようだった。そして、音もなく出ていった。
鈴の音。
いや、あれは、珍しく降り積もった雪に、車が巻いたチェーンの音だったのかもしれない。
ただ、妙にはっきり覚えているのは、彼(だと、思う)が、窓枠をまたぐときに、街の灯りと雪明かりに映った、赤い服の色、それだけだ。
目を覚ますと、窓は閉まっていた。
僕は起き上がり、窓を開けた。それは、がたつきながら、やはり、細く開いた。
粉雪が舞っている。うっすらと雪化粧をした表通りにはネオンがともり、車と人が行き交っている。
風に乗って、クリスマス・ソングが聞こえてくる。『リトル・ドラマー・ボーイ』、子供の頃、好きだった曲だ。
「明日はイヴか…。」
その曲に耳を傾けながら、僕は何気なく身を乗り出した。窓枠の外側は、積もった雪でひんやりと冷たい…と、思った瞬間、身体の半ばをあずけていた両手が滑り、前のめりにバランスを崩した僕の肩が、斜めに開いた窓枠に当たった。そして、あり得ないことに、留め金が外れ、大きく口を開けた窓から、真っ逆さまに、外に放り出された。
03.♪3Dのクリスマス・カード♪/松任谷由実
夜の街へ落ちていく。
雪が、下から上へと流れ、やがて、その永い一瞬の後、固いコンクリートの上に僕の身体は叩きつけられる。
ヒトは、その短い時間の中で、自らの一生を…。
(あれ?)
僕は、ホテルの7階の窓から、下に向かって落ちている…はずだ。
しかし、雪は相変わらず上から下へ、さっきより速度を増して、僕の顔を打つ。
どうやら、僕は上昇しているらしい。
ということは、僕は死んでしまったのか?世俗的な『昇天』のイメージが頭に浮かぶ。
(でも、待てよ…。)
死んだのなら、空気や雪の冷たさなど感じられるわけがない。しかし、実際には、寒いし、冷たい。一体どうなってるんだ?
僕は、夜空を覆う雪雲の中へ、一直線に、ややゆっくりと昇っていった。
灰白色の雲の中を進む。いつのまに下降したのか、視野が戻ってきたとき、僕は、雪の中で、一軒の家の前に立っていた。
古びた借家、見覚えのある家。
僕は一歩ずつ歩き出す。
雪が鳴る。僕がいた街とは違う、北の、そう、僕が生まれた街の雪の音だ。
少し怖い気がしたが、そっと、家の中を覗き込む。カーテンの隙間から、中の様子が見えた。
食卓に明かりが灯り、料理が並んでいる。それを囲む、夫婦と2人の少年、一人は5、6才、もう一人は10才くらい。
父親がグラスを上げ、母親と兄がそれにならう。一人、弟は、おどけてチキンの脚をとる。
乾杯!
満ち足りた笑い声があふれる。古びたステレオから流れるクリスマス・ソング…。
もう、間違いない!
ここは、20年以上前の僕の家。まだ、父も母も若く、兄貴も幼い。そして、あのチビ助は、紛れもなく僕だ。
やんちゃで、キカン気で、甘ったれだった、あの頃の僕だ。
あの頃、クリスマスが大好きで、毎年、プレゼントを心待ちにしたものだ。
決してお金持ちではなかったけれど、豊かで、暖かな暮らし。
飾ることも、他人の顔色を気にすることもなく、誰よりも、自分に正直だった…。
僕は、そこを離れ、雪の中を歩き出す。
風が、粉雪を踊らせる。
それに乗って、僕は再び、夜の空へと舞い上がった。
04.♪Party Night♪/伊藤銀次
今度降りた場所は、夕暮れの街だった。
どうやら、今日は12月23日らしい。
前を行く、14、5才の少年と少女。
少し猫背で大股な歩き方、10代の僕だ。
「ネェ、明日の夕方、何か用事、ある?」
少女が尋ねる。持っている包みは、誰かへのクリスマスプレゼントだろう。
「え?」
昔の僕が振り返る。同じように、幾つかの包みを抱えている。
そういえば、割と最近まで、家族みんなに何かしらプレゼントを贈っていたっけ。
「私の家でネ、友達とパーティやるんだけど…せっかく、ここで行き会ったし、よかったら参加しない?」
少女は、屈託のない笑顔を見せた。
「うん…。でも俺、その日はウチなんだ…。」
素っ気ない風で、僕が言う。
「そう…。残念ネ…。あなたの所、家族みんな仲がイイのネ。」
ちょっとがっかりしたように、ちょっとからかうように少女が言った。
「まあ、ね。」
曖昧な笑顔で、僕が答える。
今になって思うと…いや、あの頃とっくに気付いていたけれど、僕は、あの娘が好きだった。
だが、この頃はまだ何も言い出せず、いつも『そんなコト』には、興味のないフリをしていた。
そうして、必要以上に女の子には近づかないようにしていた。
ホントのことを言えば、単に恥ずかしくて、照れくさくて、そして怖かったんだ。
彼女達の前で、どう振る舞えば、何を話せばいいのか解らなかった。『普通に』していることが苦しくて、いつもバカなことを言って、時には素っ気なくして…。
他の連中、特に女の子に、オンナなんかに、自分がオタオタしていることを感づかれたくなかった、絶対に!
今でもそうだ。僕は、他人に弱味を見せたくない。
だから、誰にも僕の心の奥には触れさせない。
もしかしたら、本当に解り合えるヒトがいるかもしれない。
でも、傷つくのが、傷つけられるのが怖いから、僕は決して、本当の本心を他人に明かしたりはしない。
僕の心の、頑丈に閉ざされた扉の、鍵が降りる音の残響を聞いたような気がして、僕はその場を立ち去った。
04.♪Tougher Than The Rest♪/ブルース・スプリングスティーン
「明日の晩、あけておいてくれないかな?」
『20才の僕』はやっと、それだけ言った。
講義の後、カフェテリアでいつも通りのおしゃべりをしながら、ずっと、いつ切り出そうかと考えていたことだった。
今日は12月23日、ずっと気になっていた彼女と、こうして2人で会うようになって、まだいくらも経っていなかった。
実際、彼女は美人であり、他にも、何人もの野郎共が狙っていた。
ここまでこぎ着けるのだって、僕にしてみれば、大変なことだった。
「ゴメン。その日、バイトのシフトが入っちゃって…。どうしてもはずせないんだ。」
彼女は、心底すまなそうに手を合わせた。
「遅くなる?」
「ちょっと、わからないのよ。ウチのバイトも、その日が一番忙しいし…。」
「そっか…。」
僕は、『物分かりのイイ男』になることにした。
「じゃあ、25日は?」
「帰省する。その日しかチケットがとれなくて…。」
「そう…。」
チラッと、イヤな予感が頭をかすめる。
彼女は、テーブルの下のケータイに目を落として言った。
「ゴメンナサイ。これから、バイトなんだ。」
「そうか…。じゃあ、メールするよ。」
「う、うん。それじゃ、ホントにごめんネ。」
彼女は、席を立つと、急ぎ足で出て行った。
僕は、何気なく、窓から、彼女の後ろ姿を眺めていた。
通りに出た彼女は、道を渡り、道ばたに止まっていた1台の車に乗り込んだ。
例の、僕以外にも彼女を狙っていたヤサ男の車だった。
「…。」
僕は、それを見送りながら、わずかに残った冷めたコーヒーを飲み干した。
むやみに空しかった。
そして、心の中で、あの扉の鍵が、きちんと閉まっているのかを無意識に確かめていた。
06.♪The Sound of Silence♪/サイモン&ガーファンクル
夜、レストラン、港の灯り。
『少し前の僕』が、女性と向かい合っている。
しきりに時計を気にしている僕。12月24日、午後9時頃。
「どうしたの、さっきから?時計ばかり見て。」
女性は、ワイングラスを口に運ぶ。
「いや、何でもない…。」
僕が曖昧に笑う。
仕事が終わり、打ち合わせの後、僕は『彼女』と待ち合わせをしていた。
それが、この女性の強引な誘いを断りきれずにここまで来てしまった。 約束の時間はとっくに過ぎていた。
「私ネ…去年もここに来たんだ…。夜景がきれいでしょう。」
「あぁ。」
「その前の年も、その前も…。『今日』はいつもここだった…。」
「…。」
「だから、今年も、ここを予約した。一緒に来るヒトはもういないのに…。バカみたいでしょ。」
「いや…。」
ポケットの中で、ケータイが短くふるえた。
仕事仲間でもあり、いつも陽気で、サバサバしている彼女のこんな表情を見るのは初めてだった。
「ホントは、誰かと約束なんでしょう。」
口の端だけで微笑んで、彼女が、僕のポケットを指さす。
「…!」
「だったら、どうして、私なんかと、ここにいるの?」
「それは…。」
適当な言葉が見あたらなかった。
また、ケータイがふるえた。
「私に気があった?それとも、イヴの当日になって恋人でもない男を誘う女に興味があった?可愛そうだった?」
僕は黙って、彼女の顔を見つめるしかなかった。
「あなたは、いつもそう。何でもソツなくこなすクセに、肝心なときには黙り込む。本心では、全然共感なんかしていないクセに、ポーズだけは、『優しい、イイ男』を装って…。みんな、気付いてないとでも思ってるの?」
「わからない…。」
「でしょうね。でもネ、いい加減にしないと、本当に大切なものを失うわよ。それどころか、誰も、あなたのことを、本当に好きになったりしないわよ。」
彼女は、ワインを飲み干すと、煙草に火を点けた。
「行きなさい、誰か待ってるんでしょう。」
「ごめん。」
僕は席を立ち、出口に向かった。
少し前から、ケータイは黙り込んでいた。
そして、約束の場所に、『彼女』の姿はなかった。
僕は、目を閉じ、その場面から顔を背けた。
瞼の裏で、大きな、固く閉ざされた扉と、真っ赤にさび付いた錠前が冷たく見つめていた。
07.♪Helpless♪/高橋幸宏
目を開けた僕は、いつの間にか夕暮れの街中に立っていた。
とあるビルから、一人の男が出てくる。年令は30代半ばぐらいだろうか。行き会う人が声を掛ける。
「先生、今日は何です、次回作の打ち合わせですか?」
「まぁネ。そっちはもう終わりかい?」
一見、屈託のない笑顔で、男が答える。
「いえいえ、まだ仕事ですよ。イヴだって、平日だと、いつもと何んにも変わりゃしませんよ。なのに、帰れば、カミさんと子供は、すっかり浮かれちまってるし。神様も、もう少し、俺達、仕事のある人間に優しくしてくれるとイイんですがネェ。」
愚痴っている割に、その声は、嬉しそうだった。
「イイじゃないか、早く仕事を片づけて、家に帰ってやりなよ。」
「ええ、そうします。先生も楽しいクリスマスを。」
相手の言葉に手を上げて答えている、『先生』と呼ばれた男の後ろ姿から、何故だか僕は目を離すことが出来なかった。
場面は変わり、僕は、薄暗い部屋の片隅に立っていた。
かなり広いその部屋の真ん中、先程の男が、ウィスキーのグラスを手に、ソファーに身を沈めていた。
かけっぱなしのテレビからは、ひっきりなしに、「メリー・クリスマス!」とクリスマス・ソング。
彼は、不機嫌に、チャンネルを次々と変えていく。
どこも、みんな同じ。
しまいに、大きな吐息とともにテレビを消し、グラスをあおる。
「メリー・クリスマス!ってか…。みんなシアワセそうで…、結構じゃないの。」
彼は、チラッとテーブルに置いた電話に目をやり、目をそらすと、グラスをおいてソファーにひっくり返る。部屋は静寂に包まれ、微かに暖房の音だけがする。電話はずっと沈黙したまま…。
「いつものことか、肝心なときにはお呼びがかからんのは…。」
ボソッと言うと、彼は目を閉じ、それきり眠ってしまったのか、動こうとはしなかった。
眠り込んだその姿で、僕は、この男が何者なのかを知り、愕然とした。
横向きに、手足を縮めて眠り込む癖…。
僕だ!
今から何年か先の僕。他人を、本当は大切に思っている人さえ、心の奥に触れさせようとはしない、臆病な男。
いつでも愛想良く、誰にでも明るく接してはいるが、近寄ってくる人々をどこか冷ややかに見つめ、何とか脆い自分を守ろうとする。
だから、本当に辛いとき、誰かに側にいて欲しいときには、いつも独りになってしまう。
やがて、もっと先も、こんな日々が続き、そうして、老い、たった一人で死んでいく。
「人間、所詮は自分独り…。」
そんな言い訳を、そのたびに繰り返し、自らを偽り、そして、扉の鍵はますます硬く、脆く錆びついていく…。
「やめろ!やめてくれ!!」
僕は叫んだ、勝手に考えを進めてしまう自分自身に、こんな場面を僕に見せている『誰か』に。
いつの間にか、また雪が、僕の周りで舞っている。抗うことの出来ない灰白色の壁が、僕の四方を囲み、強い風がその中で渦巻いていた。
その風に飲み込まれ、流されるままに、僕は、再び目を閉じた。
08.♪Whenever You Need Somebody♪/リック・アストリー
目を開けると、そこは大きなビルの前だった。冬の陽は、もう街の高い地平線の陰に隠れ、1日が終わろうとしていた。
ビルから、次々と吐き出される人の波。
その中に、僕は、『彼女』を見つけた。
この3年余り、中途半端で、はっきりしない関係が続いている。
お互いに、このままでいいはずがないことは解っていた。
だが、僕は、どうしても心を完全に開くことが出来ないでいた、心の奥の、最後の扉を…。
おそらく、このままだと、いつか、彼女を失うことになるかもしれないという密かな怖れを抱きながら…。
その彼女が、目の前を通り過ぎていく。
コートのポケットが小さくふるえ、彼女はケータイを取り出す。
「昨日のこと、考えてくれた?」
メールが囁く。
「えぇ…、まぁ…。」
彼女は、返信する。曖昧な表情。(あれは、困っているときの顔だ!)
「そう…。」
「ところで、これから、会えないかな?食事でも?」
今日は、どうやら24日らしい。男の、優しげだが、一方的なメッセージに、僕は怒りを覚えた。
更に困った表情をしながら、彼女は左手の時計に目をやった。去年の僕のクリスマス・プレゼントだった。
メールが更に囁きかける。
「何か、予定でもあるの…?」
「そりゃ、あるか、普通。」
「別にありませんけど…!」
「やっぱり、よします、ごめんなさい。」
彼女の言葉に、僕は今年、彼女と何の約束もしていなかったことを思い出していた。
「そうか…、仕方ないな。今度、また誘うよ、その時は…。」
「ごめんなさい。」
返信を終えると、彼女は、肩で大きく息をついて、人込みの中に紛れて行った。
僕は、彼女に声を掛けたかった。
僕がここに、彼女のすぐ側にいることを伝えたかった。
そして、ずっと言えずにいた、心の底にある、本当の、素直な気持ちを伝えたかった、今すぐに!
だが、僕の声が、喉まで出かかったとき、風が僕の身体をさらい、曇り空の向こうへと運び去ってしまった。
高く、高く、今までとは違う、大きな力で、僕を運んで行く。
目の前を、雪の結晶が、淡い光を放ちながら、ものすごい早さで流れていく。
やがて、僕は意識を失った。最後に、幾つもの鈴の音だけが、耳の奥に残った。
09.♪Here There and Everywhere♪/ザ・ビートルズ
寒い。
遠い、街のざわめきが、やたらに耳につく。僕は一体…。
僕はあわてて起き上がった。
今までとは、周りの様子がまるで違う…。
いや、そうじゃない!
この2、3日、すっかり見飽きた物が周りを囲んでいる。ここはホテル…。一体、僕は…。
寒い!
それもそのはず、窓は開け放たれ、窓枠の内側にまで雪が積もっている。
(確か、あの時、ここから落ちたような…。それから…。)
窓から顔を出して、下を見てみる。人々と車が行き交っている。何も変わっていない。
「確か、ビールを飲んで眠ってしまったような…。」
時計を見る。あれから1時間も経っていない。
それじゃあ、さっきまでの『あれ』は、夢だったのか?
その割に、すべて鮮明に覚えている。そして…。
そして、もう一つはっきりと言えることがある。
何だか、これまで、僕の胸の奥につかえていた、古い、大きなトゲがとれたような、重い、湿った上着を脱ぎ捨ててしまったような、それでいて、妙に暖かく、スッキリした気持ちになっていることだ。
僕は、パソコンに向かい、この夜の出来事を綴り始めた。
10.♪クリスマス・タイム・イン・ブルー♪/佐野元春
12月24日、夕方。
昨夜から徹夜で書き上げた原稿は、さっき担当氏に渡された。
「クリスマスものですか…。ちょっと、時季はずれになりそうだけど、まあ、イイでしょう。どうも、お疲れさまでした。」
いつも通りの愛想面で出て行く彼の背中に向かって僕は、
「メリー・クリスマス!」
と、言った。
彼は、一瞬怪訝な顔で振り向いたが、それでも、
「メリー・クリスマス。」
と、答えて、足早に出て行った。
「さて、と…。」
荷物を片づけ、部屋を出ながら、僕は、今日これからのことを考えていた。
チェック・アウトを済ませ、ロビーに出ると、コートのポケットからケータイを取り出し電話する。
「もしもし。」
少し遠い声、母だ。
「もしもし、僕だけど…。うん…元気だよ。うん…父さんは?うん…それから、近いウチにそっちに行くよ。うん…そう、兄貴も!うん…新年は、そっちで迎えるつもり。うん…わかった。それじゃあ、よいクリスマスを!」
電話を終え、しばし考えた後、メールを送る。
電話が鳴る。
「もしもし。」
彼女の声。
「もしもし…。そう、よかった!こっちも、今し方仕事が終わったところ。うん…。それじゃあ、1時間後に、いつものところで!」
電話の向こうで、彼女の声が弾んでいた。
僕は通りに出る。ショウ・ウィンドウは色とりどりに飾られ、車も人も、どこかしら華やいで見える。
どこからか聞こえるクリスマスソング、『クリスマス・タイム・イン・ブルー』。
両手をコートのポケットに突っ込み、軽くステップを踏みながら、僕は約束の場所に向かう。
見上げた空から、また、雪が降り始める。
今年は、久しぶりのホワイト・クリスマスになりそうだ。
彼女へのプレゼント、それは、長い間閉ざしたままの、重い扉を開く鍵。
きっとそれは、僕たちに、より多くのものを与えてくれるだろう。
そして、僕は、もう決して扉を閉ざしたりはしない。