if:幼心を映す(柔らかめBADEND)
おまけ第二弾!ちょっとラスト部分が変わった感じのバージョン(ハイドリヒ目線)です。
「……これはっ!?」
俺はその本を見た瞬間思わず手に取っていた。そして、回顧するようにページを捲っていく。そこには幼少であったにも関わらず大好きで何度も何度も読み返して今でも鮮明に思い出せる内容が描かれていた。子供向けらしく文字が少なく、絵をふんだんに用いられたその本は擦り切れて読めなくなったページに描かれていた絵を脳内へと鮮明に蘇らせた。
「……そうか。俺は、この物語に」
「あっ!ちょっとお客さん!困るよ汚されちゃあ」
「…………へっ?」
「…ほら、そこ!」
店主らしき人物に言われ、下を見てみると先程までシミ一つなかったページには円形の跡が…。
これは……涙?
「まったく、その本は随分昔の作品でなかなか手に入らないんだよ。ったく…」
「す、すまないっ!」
俺は慌ててなけなしの全財産を出し、逃げるようにその場をあとにした。その手にしっかりと思い出の本を握り緊めて…。
俺が父上からの裁きを受け、諸国を放浪し始めてからもうすぐ一年になる。
初めは兵士として勤めていたが、今は平民として暮らしている。陛下が何をお考えになっているのかはわからないが、慌ただしい日々のあとに訪れた平穏に戸惑いが隠せなかったが、それもようやく慣れてきた頃だ。
――そして、もうすぐミラの処刑が行われるという。
アウラのように悪意を持って行った犯行ではないために、彼女の刑執行までには猶予期間が与えられた。その猶予期間をミラはずっと薄暗い牢屋で過ごしている。
それなのに、俺がここで平穏に暮らしていていいのだろうか?
あの日、ミラのベールを落として聞かされた衝撃の真実。そのすぐ後に行われたアウラの処刑。心にポッカリと大きな穴が開いたような気持ちを抑えることは難しい。
「……この本を手にして、何をしろと言うんだ?」
王宮から与えられている少ない生活費をこんなことに使って、俺は何をしている?
だが、俺はこの本をもう一度読む必要があると思ったんだ。決して汚してしまったからという理由だけで買ったわけではない。
かつて、この本に出てくる少女に憧れた俺は淡い恋心を描いていたのだ。
いつかこの本の少女に会いたい――そう毎日思っていた。子どもだからこそ、純真でそして現実と空想の区別がついていなかったからこそ許されるような願い。大人になってからも言っていれば笑われるような願いだろう。
それに、この本を読む資格があるのだろうか?
この本によって一人の少女を傷つけたというのに…。
ミラに初めて会った日のことを俺は覚えていない。
いや、正確に言えば覚えているが覚えていないのだ。……ミラと初めて会ったのは父上の紹介で当時まだ存命だったウェラー侯爵の紹介で会わされた時だと思っていた。だが、それは違った。それ以前に俺はミラに会っていたのだ。
あの頃は俺というよりも王家と縁を結びたいと考える貴族が多く、毎日のように別の娘を紹介されていた。ミラと会う予定だった日もいつも通りだろうと嫌気がしたので俺は逃げ出していた。そして、ぶつかったのがミラだった。
彼女は一言で言えば本から飛び出したような少女だった。
それもそのはずだ。彼女は父親のかけた禁術によって俺の意中の相手の顔になっていたのだから。俺はあまりの出来事に声が出せなかった。
幼心に芽生えるような恋心、そして感動など様々な感情が溢れ止められなかった。頭が一杯になっている間にミラは逃げ出していた。
ボーっとしていたところを見つかり、興奮して父や母に彼女のことを話した。――今思えばあの時、父たちは何かを伝えようとしていたように思える。
興奮状態で引合された俺はミラに愕然とした。
今まで会ってきた少女は皆その容姿が素晴らしかった。それなのに、彼女は黒い布で顔を覆い隠しており、表情どころか輪郭すらも窺えない。
先程まで理想の相手に会えたと思っていただけに俺は憤った。
こんな礼儀知らずな人間と仲良くなんて出来るわけがないっ!ましてや、それが将来を共にするかもしれない相手だなんて認められなかった。
今となっては幼い癇癪にも似た感情だ。普通に考えれば陛下が許しているのだから何かしらの事情があると考えれそうなものを…。あまりにも幼い俺ではその考えに至ることができなかったのだ。
そうして、先入観や偏見で彼女は悪だと決めつけた俺は彼女の行動にいちいち腹を立てていた。中でも憤ったのが、彼女が俺の惚れた相手にばかり厳しく当たることだ。
誰にも言っていないのに相手を的確に見分け、そして「もっと礼儀正しくしろ」だの、「殿下の隣に立つのに相応しい教養を身に付けろ」と叱りつけていた。
誰だって好きな相手を貶められたらいい気分はしない。そして、言われた相手だって関係のない相手に言われたのだったらいい気分にはならない。ましてや、彼女は俺の婚約者だと思われていた。これは、嫉妬で叱られているのだと思って、すぐに俺から離れる者が続出した。
――だが、アウラだけは別だった。
アウラはミラにどれほどきつく当たられても俺の傍から離れなかった。だから俺は思ってしまった。愛しい。手元に置いておきたい……と。
その結果が今の状況なのだ。甘んじて受け入れる他ない。
本をテーブルに置き、代わりに一通の手紙を手に取る。
手紙には陛下から送られたことを意味する王国の紋章が描かれた蝋で封書がしてある。そして、内容は――『まもなくミラの処刑が決行される』それだけ書かれており、日時と場所が記されていた。
命令ではなく、来るつもりがあるならば来い……そういうことだろう。
(行くつもりはなかった)
行ったところで辛いだけだ。彼女に会って何を言えばいい?
(だけど……)
この本が見つかったのは偶然ではなかったのかもしれない。この本は幼き頃の心のままに彼女の最期を看取れと教えるためにこうして手元に来たのではないだろうか?
そう考えると居ても立ってもいられず、監視している兵士に陛下への言付けを頼んだ。
――処刑当日、俺は広場にいた。
そこには処刑を見るために集まった民衆でごった返していた。ミラの罪状は知らされているというのに、そこに集まった者たちのなんと好奇心旺盛なことか。
俺が示すべきではないのに、怒りが湧き上がってくる。
ミラはここ数十年の間では一度として行われなかった禁術使用の罪で裁かれる。これにより禁術の内容が明らかになり、以降同じ過ちを繰り返さないためだ。……理解はしている。だが、だからといってこんな見世物のような処刑はあんまりだっ!
ミラは王命に従い、ずっと国に尽くしてきたっ!それなのに、何故!?
抑えきれない感情で気持ちが悪くなる。
群衆を見たくなくて地面を見つめていた俺の耳にざわめきが聞こえてきた。
「…ミ、ラ」
顔を上げるとそこにはミラがいた。
一年で少し痩せただろうか?彼女の素顔を見たのがあの時一度きりなので自信がないが少しやつれたように思える。
その顔は依然としてアウラのままだった。――だが、そこに浮かぶ表情はアウラとは似ても似つかないものだった。
そこに浮かぶのは責任感と誇り。毅然とした態度で自らの命を奪うことになる凶刃を見据えていた。その態度には見物客たちも息を呑んで見守ることしかできなくなっていた。あれほど騒がしかった民衆が彼女が登場したというたったそれだけのことで静まり返ったのだ。
(なんて、なんて、気高いんだ…)
俺は、こんな女性を疑ったのか?
俺は、これほどまでに王国に尽くしてくれる臣下を見限ったというのか?
「――これより、元ウェラー侯爵家令嬢ミラの処刑を始める。罪状は禁術指定されている術の利用及びそれを使用することで他者を欺いていた罪だ」
読み上げられた罪状にミラは一切動揺することなく、「間違いありません」とハッキリと答えた。
「では、処刑を執行する。……ミラよ、前へ」
「……はい」
恥じることなどない。そう言わんばかりに堂々と前へ歩み、処刑台の中央付近で膝立ちになる。
「最期に何か言い残すことはあるか?」
処刑人の刃が首に添えられた状態で問われた内容に、ミラは僅かに逡巡した素振りを見せた。その戸惑いに手を伸ばしそうになった時――彼女と目が合ったような気がした。
「――ございません」
凛と答えた彼女にもう迷いはなかった。
満足した顔で刃を受け入れる態勢を整え、眼を閉じる。
死を受け入れた罪人にこれ以上の苦しみを与えないこと。罪を死で以て償うことへの尊さを知る執行人たちはミラの覚悟のままに刃を振り下ろす。
刃がミラの首と胴体を切り離すその僅かな時間――刹那にも取れる時間。俺には確かに見えた。ミラが目を開け、俺に微笑むのが……。
(ミラ―――――)
心の中で叫び、手を伸ばした先で彼女の首が地面に落ちる。
静かに刑が執行され、ざわめきも少なく民はその場を離れていく。
だが、俺の足は言うことを聞かず、地面に縫い付けられていた。
「――殿下」
どれぐらいの時間そうしていただろうか。腕を掴まれ、ハッとした時には見物に訪れていた者は一人もいなくなっていた。
「陛下がお呼びです」
監視役として同行していた者から告げられ、俺は一年ぶりとなる家族との再会を果たす。
「父上、ご無沙汰しております」
身分を一時的に剥奪されている俺に本来陛下に対してこのように接する権利はない。だが、この場には限られた者しかいないので無礼講で――親子として接することを許された。
「ハイドリヒよ。そなたはこれから国という大きな者を背負っていくうえでこれを見ておかねばならぬ」
父上はそう言って奥の寝台へと向かう。
ここは、処刑場の奥。そこに眠っているのはただ一人しかいない。
生前とは違い、白い布をかけられた彼女。
父上に命じられ、兵士が布を丁寧に捲る。
「こ、これはっ!?」
「――それこそが、ミラ嬢の真の顔だ。…彼女の母にそっくりであろう?」
見たこともない少女。首と胴体が分かたれた少女の顔は確かにミラの母に似ていた。あるいは、もっとよく知る彼女の弟ニコライとも似ているかもしれない。
これが、彼女の顔。
「……お前は最期に彼女に好意を寄せたのだ。遅いかもしれん。だが、その想いはきっと彼女に届いただろう。見よ、良い笑顔だと思わんか?」
「…っ、は、はびっ!ごれほど、うづくじい人を…見たことが、ありまぜんっ!!」
救われてはいけない。だけど、その顔を見た時に俺は救われたのだ。
彼女に恥じない生き方をしなければ、彼女を思う資格などないっ!
――この日見た、ミラの優しい心を映したような笑みを生涯忘れないだろう。
本当はハイドリヒの未来的な感じを書こうかと思ったのですが、あそこで終わらせた方がいいかなと思ってミラの死で終わりにしました。サブタイトルのBADENDは物語の主人公がミラだからです。
考えているおまけはあと二本…!年内に上がるかな…(´д`|||)