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猊下が行く  作者: 魔法使い
第一章 兄皇子の帰還
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遭遇

 ピアは窓にぴったりと貼りついて中庭を睨んだ。

 敵、発見。出撃だ。

 格好良く窓から飛び降りるか。いやいや着地に失敗したり怪我をしたら、むしろ格好悪い。だからここは止むを得ないが走るのだ。一階には中庭へ出られる扉があった。のんびり階段をおりていては敵に逃げられてしまう。

 走れ。走るのだ。

 ピアはくるりと回れ右した。

 ただならぬ形相で中庭を睨んでいた自分を供の者達が見つめている。クロイツが何か言おうとしているが、それを聞くことなくピアは駆け出した。彼らの横をすり抜け、先ほどのぼってきた階段を駆け下りる。

 背後からハイリッヒの叫びが聞こえた。


「お前たち何をしておる! 教皇猊下をお止めせよ!」

「猊下!」


 だがすでに遅い。ピアは階段を駆け下り、一階の廊下にある中庭への扉を開け放った。

 兄——オルクスの護衛であろう騎士たちが、振り返る。彼らはそれぞれ剣の柄に手を伸ばした。全員ピアの見知らぬ濃緑色の制服を着ている。間違いなくオルクスの連れてきた配下であろう。帝国の騎士ではない。

 そんな彼らの先にオルクスの背中が見える。ピアは少し離れた場所に立つ兄へと向かい駆け出した。

 護衛たちが立ちふさがり、邪魔しようとする。だがピアは魔法を唱えて、その者達を吹っ飛ばした。そこまで威力の強くない風の魔法だ。本当は殴り飛ばしたい。でも一人一人を相手にしていては肝心の兄に逃げられる。

 ここの中庭は比較的質素なつくりである。花壇の数も少なく、小ぶりな噴水が一つあるくらいだ。その花壇や噴水に魔法で吹っ飛んだ男達が突っ込む。花びらが舞い、水しぶきがあがった。

 野次馬だろうか。何箇所か窓が開き、覗いている者がいる。いくらいつもより人が少ないといっても、無人ではないのだ。


「お兄さま! わたくしお会いしたかったの!」


 それはもう心の底から。

 ピアが叫び駆け寄っているにも関わらず、兄は振り返らない。無視するつもりか。

 兄のそばには先ほどの魔法攻撃で吹っ飛ばなかった者が二人残っている。二人のうちシュバルツはよろめいたが、もう一人将軍は微動だにしなかった。その代わり彼は俯いて肩を震わせている。笑っているらしいことに少し腹がたつ。だがそんな事より今は兄だ。

 今日は足を踏む場合も考えて、いつも以上に踵の高い靴を侍女に選ばせた。飛び蹴りした時にこれも良き凶器となろう。

 走ってきたその勢いのままピアは地を蹴った。そして決して振り返らない兄の背中に飛び蹴りをお見舞いする。

 そこでふとピアは疑問に思った。なぜ己の魔法で吹き飛ばなかったこの二人は、主たるオルクスを守ろうとすらしていないのか。その答えが分からぬままピアのヒールはオルクスの背中にめり込む。オルクスはよろめき前のめりになった。倒れはしなかったが、地に膝をつく。ピアはそんな目の前の兄を見下ろした。

 一撃離脱だ。今日はここで退こう。積もる話もあるがそれはまた後日。自分たちの間には面会の約束がある。焦ることはない。


「申し訳ありません。お兄様。わたくし童心にかえってしまいました。客人を待たせておりますので失礼致します。御機嫌よう。お約束の日を楽しみにしております」


 ピアはそう言うと踵を返した。

 既に自分の護衛は中庭にまで来ていた。緊張した空気が漂う中、ピアは建物へと戻る。

 入ってすぐの場所にハイリッヒやクロイツ、侍女たちがいた。ハイリッヒは苦虫を噛み潰したような顔をしている。ピアは思わず笑ってしまった。


「どうした、ハイリッヒ」

「どうした、ではありません。猊下、見られておりますよ」


 誰に、と問い返そうとしたピアは廊下の片隅に貴族の青年達の姿があるのに気づいた。どうやら彼らは窓から覗き見ていたようだ。

 ピアはツカツカと彼らに近づいた。口止めしなければならない。

 余計な事を喋られて婿候補達に『あの女怖い』と思われたら困る。候補達は人の噂話になど興味をもたなそうな者ばかりだ。だが面白がってその耳にあれこれ吹き込む者はいるだろう。それが原因で候補を辞退されたら自分の婚期が延びてしまうではないか。


「何か見ました?」


 ピアの問いかけに青年達が顔を見合わせている。笑顔で首を傾げ、更に問いかけた。


「あなた方はここで何か見ましたか?」


 青年達は気付いたのだろう。慌ててぶんぶんと首を横に振っている。そして口々に言った。

「いえ、とんでもない」

「我々はなにも……」

「そう。ならば良い。聞いたでしょう、ハイリッヒ。彼らは何も見ていない」

「猊下……」


 ハイリッヒは額に手を当てて項垂れた。


「どうした、ハイリッヒ。生え際の毛根を案じてるのか?」

「ええ、ええ。御意にございますとも。私の毛根はあなた様のお陰で日に日に死滅しております。そろそろ私も退位を……」


 面倒な話になって来た。ハイリッヒが得意の泣き落とし作戦だ。

 ピアは慌てて彼に背を向けると、客人が待つ二階へと歩き出した。ちらりと窓から中庭を見下ろす。

 ピアの突然の襲撃を受けた兄は別の扉から宮殿の中へと入って行っていた。

 その後ろ姿を眺め、先ほどの疑問を思い出す。

 なぜ側近たるあの二人はオルクスを庇わなかったのか。それどころか膝をついた彼を助け起こすことすら二人はしようとしなかった。側近にあるまじき行為であろう。

 何故だ、とピアは訝しむ。

 そして決して振り返ることのなかった兄。侍女達の噂話を思い出す。まさか本当に偽物だと言うのだろうか。

 ピアはオルクスの顔すら見ることが出来てないではないか。

 何とも薄気味悪く思いながらも、ピアはどうせ後日会うのだから、と己の疑問を棚上げした。


 ※※※


 今日やるべき事を終えたピアは馬車で暮らしている宮へと帰った。

 先帝が弟であるピアの父に与えた宮はさほど大きくない。だが一家とその使用人が暮らすにはじゅうぶんな広さがあった。美しい庭園で母が催す園遊会は貴族達を喜ばせたものだ。

 自室に戻り、まずピアは靴をぽんぽんと勢いよく脱ぎ捨てた。この靴は踵が高いから足が痛くなったのだ。凶器も兼ねているから仕方ないのは分かっている。全体重をかけ、この細く高い靴の踵で踏みにじれば小指の骨くらいイチコロだ。

 しかも武器持ち込み禁止の場所でも靴を脱げなどとは言われない。最高ではないか。多少はき心地が悪いのは我慢しよう。

 まずは夕食をとり、そして入浴をすませ、侍女からすすめられた小説を読もうと決めたピアに侍女が報告した。


「皇女殿下。ベーレイニガン家のローレンツ様から贈り物が届いております」

「ロ? ——ああ、ハムか。贈り物ね。わかった」


 ピアは頷くが目の前の侍女は困った顔をしている。

 一体どうしたのだろうか。

 男が女に贈り物をするならば、ドレスや宝飾品、花などだろう。もしくは絵画といった美術品も考えられる。宝石のように見た目も美しく、味も美味しいチョコレートなどの菓子の可能性も捨て切れない。

 ピアも処刑された元婚約者からそういった贈り物をよくもらったものだ。

 いつもならば贈り物はピアに見せ、そして侍女たちが片付ける。今回もそうするかと思えば、侍女の様子がおかしい。


「皇女殿下。ローレンツ様からの贈り物をお目にかけたいのですが、お越し頂けますか?」

「ここじゃダメなの?」

「恐れながら……。宮の中へ持ち込め無いのです」


 侍女の言葉にピアはぽかんとなった。

 贈り物、持ち込めない。一体あのハムは何を贈ってきたのだ。女に贈り物などをしたことがなさそうな彼のこと、とんでもないものを贈ってきたのかもしれない。


「ちなみに贈り物って何なの?」

「樹にございます」

「樹か……」


 ピアは小さな苗木を思い浮かべた。


「分かった。庭師に言って適当に植えさせて。それとももう植えたの?」

「いえ、あまりに数が多すぎて無理だと」

「え……?」


 ピアは引きつった。何かハムがとんでもない事をしでかしてくれた予感がする。

 これは見に行くべきだ。


「分かった。案内しなさい」


 あきらかにほっとした表情を浮かべた侍女に、ピアは益々嫌な予感がこみ上げてきた。

 あの園芸バカは一体何をしてくれたのだろうか。


 案内され、宮の外に出て、その光景にピアは絶句した。

 見渡す限り、樹、樹、樹。しかも小さな苗木どころではない。立派な樹だ。

 ハムが依頼したのだろう。造園業者の男たちが忙しそうに動いている。

 ピアは思わず呟いた。


「ハムの奴、私の宮に林でも作るつもりか?」


 ねえ、と侍女たちに同意を求めれば、皆何とも言えない表情で頷いてくれた。彼女たちも男からのこのような贈り物を見たことがないに違いない。

 慈善や何かを記念した植樹ではないのだ。ものには限度がある。

 だが、仕方ない。もらったものを突き返す訳にはいかないだろう。何と言っても相手は最有力婿候補殿である。

 そもそも樹が好きだと言ったのはピア本人だ。今後ハムの前では言動に気をつけよう。


「あら……これはアダムの樹ではありませんか?」


 侍女の一人が言った言葉でピアも気づいた。

 ハムが贈ってきた樹はアダムの樹と呼ばれる聖なる樹。これは聖なる食べ物チョコレートのなる樹なのだ。人型の実を割ればチョコレートが入っている。それを加工してチョコレート菓子を作るのだ。

 正直人型の実は気色悪い——いや、そのような事を考えるのは神に対して失礼である。ピアは考え直し、心の中で神にゆるしを乞う。これが人型なのはちゃんと理由があるに違いない。その理由はわからぬが、偉大な神の考えを忖度するなど畏れ多いことだと考えた。

 ピアは並ぶ樹を一つ一つ見ていく。どうやら全てアダムの樹らしい。

「全てアダムの樹なんて凄いわ」

「さすがベーレイニガン家のご子息ね」


 侍女たちが口々に言っている。

 彼女たちが興奮するのも当然だ。アダムの樹は聖なる樹と呼ばれるだけあって高価である。これだけの数を揃えるとなると一体いくらになるのだろう。


「まあ、腐ってもハム……ベーレイニガン家だ」


 見た目はハムだし、とんでもない園芸バカだが、かのベーレイニガン家の息子である。

 ベーレイニガン家は一級貴族の中でも有力な貴族であり、財産も多い家である。一族は優秀な者が多く、文武両道、才色兼備で知られているのだ。そんな中でハムは一人変わった存在だが、異分子のような存在が生まれることもあるだろう。皇族でも稀にあることで、それは気にすべき点ではない。

 大切なのはピアにとって邪魔にならないことだ。


「そう言えばローレンツ様のお兄様はとてもお美しい殿方ですから、ローレンツ様もお痩せになればお美しいのでは?」

「そうね。お父君もあのお年なのに素敵だし、お母君はお美しいことで有名でしたでしょう」


 侍女たちはきゃあきゃあと騒いでいる。今、侍っている者たちは皆独身で年頃の娘たちだ。

 だが騒いでいた彼女たちはピアの鋭い視線に気づき、口を噤む。


「何か勘違いしている。ハムはハムだ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。確かにあれは美しいとは言えないが、良いところ……もそのうちわかるかもしれない」


 ハムの長所をあげようとしたがなかなか難しかった。そこまで相手のことを知らない。強いて言うなら、血筋くらいか。ちなみにハムの母親は降嫁した皇女だ。ピアの父親の従妹である。


「だがそんな事は瑣末なこと。あなた達もよく覚えておくと良いでしょう。どんな美しい男もいずれ年老いる。そう……あんなに豊かな髪もハゲ、腹は出て、脂ぎったり、体臭がきつくなるものだ。ハムの父親——ベーレイニガンの当主は確かに老いてなお、見た目を保っている。だがそんなものは所詮、結果だ! たまたま彼は老いても劣化しなかったというだけだ。それが当然とは思ってはならない。どんな美男もいずれ自分が劣化するなどと考えてない。それを防ごうと努力したとて、その努力が報われるとは限らない」


 ピアは枢機卿ハイリッヒの頭を思い出す。奴とて禿げたくて禿げていってるわけではない。

 本人はピアのせいかのように言うから困ったものだと思う。だが迷惑をかけているのは否定できないので、密かに彼の抜け毛を供養してやり、空いた時間で失われた毛根を蘇らせる魔法を研究している。この奇跡とも言える魔法が完成すれば、さぞかし喜んでもらえることだろう。


「だが、勘違いしてはならない。それは我々女とて同じこと。髪は艶をなくし、顔にはシワが出来て、皮膚も弛めば、太りもする! そして自慢の胸も垂れ下がることだろう!」


 侍女たちが青くなり、己の両手で胸元を押さえた。皆、胸元が大きくあいたドレスを身につけている。立派な胸がこぼれおちそうだ。

 彼女たちは普段はここまで胸が露わなドレスを身につけない。ピアとともに教皇庁へと行くからだ。だが今日は宮殿に行く予定があったから、気合いを入れたのだろう。

 ピアは厳しい表情で彼女たち——正確にはその胸を睨んだ。これは決して妬みではない。そう妬みではなく、真理なのだ。


「だから我々は婚期を逃してはならない。あなたたちは特にそう。結婚すれば家庭に入るのだから。一番価値が高い時に結婚すべきだ。そして必ず、相手を選ぶ時には冷静にならねばならない」

 ピアの言葉に侍女たちは神妙な顔で頷いた。


「さあ、そんな話はこれくらいにして、部屋に戻りましょう」

「皇女殿下、例の人形は本日もご準備致しますか?」

「いや。兄に蹴りはいれたから、しばらく夜の鍛錬は休もうと思う」


 侍女が言っているのは丸太に布団を巻きつけて作ったオルクス人形のことだ。毎晩ピアはそれで蹴りの訓練をしていたのである。

 もうしばらくあれの出番はあるまい。

 あとは話し合いの場に真の意味での本人が現れてくれるのを祈るばかりだ。




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