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猊下が行く  作者: 魔法使い
第一章 兄皇子の帰還
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猊下に捧げられた花

「兄め! 兄め! 兄め!」


 ピアは教皇執務室の床をゴロゴロと転げ回った。今日も今日とて高速回転だ。

 ちなみに教皇執務室に家具が少ないのはピアのこの悪癖のせいである。さすがに教皇ともあろう者が床を転げ回り、家具に頭などぶつけタンコブをつくったりしては格好がつかない。

 こうやってピアが腹を立てているのは理由がある。忙し過ぎるのだ。

 そもそも教皇でもあり、皇女でもあるピアはやるべき事が多い。今はそれに加え、他の皇族が尽く処刑されたしわ寄せをくらっている。他の皇族が行っていた事までピアの元に持ち込まれている始末だ。

 その仕事量を見れば、諸悪の根源とも言える兄オルクスを呪いたくなっても文句は言われないだろう。

 大体兄は皆殺しにし過ぎなのだ。

 本来ならば処刑するにしても叔父と皇太子の二人位で留めておくべきだった。何と言っても同族なのである。生かして飼い殺しに出来る者は飼い殺しにしておくのが正しいやり方だろう。

 ピアは教皇の座についた時のことを思い出した。自分も多くの者を葬り去った。だがそれはそうする必要がある者だけだ。飼い殺しに出来る者は残している。

 それでもいまだに陰では血塗られた聖座などと言われる始末だ。悪評はあっという間に広まり、それはなかなか人の記憶から消えることがない。

 自分は歴史の中で惨劇の教皇と呼ばれるだろうと思っている。

 そもそも殺す人間が多ければ多いほど反発を招く。それだけではない。人を殺せば殺すほど、自分の人間性が疑われる。

 だがそれでもあえて皆殺しにしなければ済まなかったのか。そんなに皇族が憎かったのだろうか。


「はぁ」


 思う存分転げ回り、気持ちが落ち着いたところでピアは立ち上がる。

 やるべき事が多くて目眩すらおぼえる。このめまいは転げ回ったせいでないと断言できる。

 兄の背後を探りつつ、貴族たちと結束を強める。それに忘れてはならないのが、自分の結婚問題だ。

 思わずピアはしかめっ面になった。

 適齢期である自分の婚期が延びるなどあってはならぬ事だ。今までは婚約者である皇太子がいたから良かった。たとえ貴族の青年達が自分と目が合うと無礼にならぬようにしながもさり気なく目を逸らしたり、彼らに武闘派皇女だの血塗れ教皇だのと陰で言われ恐れられていても気にならなかったのは婚約者がいたお陰だ。

 自分には結婚相手が決まっているという余裕があった。だがそれが今ではどうだ。婚約者もいなければ熱烈に愛し合う恋人すらいない。あるのは年頃の青年たちから向けられる『あいつ怖い』という視線だけ。

 たとえ教皇の地位と皇女という身分にあっても、一人の年頃の娘なのだ。うら若き乙女である。そんな視線を向けられるのはたまったものではなかった。

 これは一日も早く婚約者を得なければならない。主に自分の心の平安の為に。

 しかし何故だろう。愛読する恋愛小説の王女たちは引く手数多だというのに、自分はそうでない。現実はそんなものと言われれば仕方ないのだけど何やら納得しがたい。

 ため息をついたピアの目に花瓶に活けられた鮮やかな青い花が飛び込んだ。

 これはハムことベーレイニガン家の次男坊から贈られてきた花だ。


「そういえば自分が育てた花を贈ると言っていたな」


 見合い中、ハムはひたすら汗を拭き趣味の園芸の話をしていた。いくら思い返しても園芸の話しか思い出せないくらいに。

 あとはボタンがはじけ飛んでピアを顔面を直撃したくらいか。あれは少し痛かった。

 ピアは花瓶に歩み寄り、花びらに触れる。これを侍従が運び込んできた時、補佐官のクロイツが言っていた言葉を思い出した。


『大変美しい花ですが、あまり女性に贈る花ではありませんね。どちらかと言うと女性が男性に贈る花かと』


 苦笑混じりのその言葉にピアは首をかしげた。恥ずかしながらあまり花には詳しくないのだ。

 ピアが尋ねるとクロイツは言った。


『花言葉のせいですね。勇猛果敢、悪を挫く者、あなたは私の英雄』


 なるほど、それは確かに男性へ贈る花に相応しいとピアは思った。

 そんなやり取りを思い出し、ピアは思わず笑った。やはり自分の目は確かだ、と思ったのだ。

 ハムを選んだのは正解だ。あれはピアの事をよくわかっている、と思い頷く。

 もしハムが美しいだの可憐だのという花言葉の花を贈ってきても、彼への評価を下げたりはしないが、この青い花を贈ってもらえたのは嬉しい。

 そういえばハムからベーレイニガンの屋敷へ招待を受けていた。是非自分の育てた花々を見て欲しいらしい。ピアは時間を作ってハムに会いに行くか、と決めた。

 ピアは花から視線を外し、空を見つめながら呟いた。


「きっとハムは良いよ……婿となるだろう。三歩下がってついてくるような」


 ※※※


 目の前で男前が動き、喋っている。


「さすがは大聖堂。見事ですね」


 ピアの目の前で兄の配下である例の男前が感嘆の言葉をもらした。

 ここは大聖堂、戴冠式の打ち合わせで兄の配下がやってきたのだ。残念なことに兄にはまだ会えていない。日々執務室で丸太に布団を巻いたオルクス人形で蹴りの練習をしているのに、その成果を発揮する場面がないのが悔しい。

 この名前も知らぬ男は『将軍』とまわりの者に呼ばれていた。将軍にしては随分若すぎるのではないか、とピアは思った。だが仕方ないのかもしれない。兄の配下の大半は寄せ集めだろう。そんな寄せ集めに負けた帝国軍はどうなっている、と言いたいがその疑問は取りあえず置いておく。


「ところで、将軍と呼ばれる方自らこちらにお見えになるとは」


 先ほどから浮かんでいた疑問をぶつけると男が苦笑した。


「猊下直々にいらっしゃるとの事でしたので、私が参りました」


 ピア自ら出て行けば兄本人が来るかと思ったのだ。随分と馬鹿にされている。もっとも即位前で忙しいと言われれば、何も言えないのも事実なのだが。


「一度はお兄様ご本人にお越し頂きたいですね。戴冠式当日に流れを忘れられては困ります」

「殿下にお伝えしましょう」


 流れも何も、近衛兵に守られ宮殿から大聖堂までやって来て、貴族達が見守る中真っ直ぐここまで歩き、待っていたピアの前に跪くだけなのだが。このまま鬱憤がたまった状態で戴冠式当日を迎えては、跪いた兄の顔面に蹴りを入れてしまいそうだ。

 それにしても、とピアは男の顔を見て考えた。兄は即位後の人事をどう考えているのだろう。文官しかり武官しかり。貴族達とも距離をおいている現状では、先帝の重臣たちを使い続けるとは思えない。貴族たちを宮殿から追い払い、自分の配下と足りない部分は誰か連れてきて引き立てるつもりか。


 そうやってこの国は兄の背後にいる誰かに乗っ取られていくのだろうか。

 ピアはこみ上げる不安を押さえ込み、これが終わったら神聖な食べ物カラアゲを作って、神様にお供えし心から祈ろうと決める。

 ちらりと将軍を見れば、壁画を熱心に眺めている。

 見たところ兄であるオルクスと大差ない年齢のようだ。二十代半ばから後半くらいだろう。確かに美しい男だが、その髪や瞳の色はこの大陸でも良く見られる黒だ。この大陸出身の者に囲まれても違和感はない。

 本当に正体のわからない男だ。粗野なところは全くなく、洗練されているので上流階級の出でも通じる。

 この若さで軍を任せられているのを考えれば、油断すべきでない相手だというのだけが確かだ。

 ピアの視線を感じたのだろう。将軍が振り返る。

 窓から入ってくる光を浴びた彼の瞳を見て、ピアの思考が止まった。黒い色だと思っていたそれは、限りなく黒に近い赤。


「猊下?」


 声をかけられ、ピアの止まった思考が再び動き始める。まさかそんなはずはない、と見間違いだと言い聞かせながら、なるべく平静を装って言った。


「場所を変えましょう。大聖堂の確認はじゅうぶんでしょう?」

「はい。ありがとうございます」


 ピアは踵を返し、教皇庁の本館に続く渡り廊下の方へ歩き始める。男たちが付いてくる気配を感じながら、混乱する頭を落ち着かせようと努力した。

 これからまだ話し合いがある。兄の配下たちに隙は見せられない。

 だが、しかし。あの瞳の色はどういったことだろう。

 赤の瞳は非常に珍しい。ピアが知る限り、皇族か皇族に非常に近しい血を持つものだけである。それ以外ではみたことがない。

 唯一の例外とも言える存在がいるが、あのお方は別だとピアは己に言い聞かせる。人間と並べて考えるなど不敬極まりない話だ。

 落ち着け、と己に言い聞かせながらピアは思考を巡らせる。あの将軍とやらはおそらく他大陸の出だろう。もしかしたら他の大陸では赤い瞳はこの大陸において程には珍しくないのかもしれない。

 そう思いながらも、なんとも表現しがたい恐怖がこみ上げてくるのを感じた。

 なせなら——赤い瞳は原初のヒト由来のものだから。

 ピアは今は何も考えるな、と己に言い聞かせた。そして大聖堂裏手の扉を開けさせる。ここから渡り廊下を通り、教皇庁本館へと入るのだ。

 扉が開かれるのを眺めながら、ピアは自分の背後に兄の配下たちがいると思うとわずかに緊張した。もちろん自分とていつも以上に護衛の聖騎士を連れているし、衛兵の数も増やしている。

 まず聖職者であるピアを兄側が暗殺する可能性は低いと思いたいが、その背後に他国の影があるならば油断出来ない。それが他大陸の国ならば尚更だ。

 四つある大陸の国家は皆、同じ神を信じている。だが教会の組織は別物だ。よその国家の教会とは交流がない。この大陸の教会は西大陸にあることから西教会と呼ばれている。


 重い扉が開かれ、薄暗いそこに外の明るい日差しが差し込んだ。ピアは一歩踏み出し、外へ出る。


「見事な庭園ですね」


 背後から将軍の感嘆の声が聞こえ、ピアは立ち止まった。いくら彼らが兄の配下であり、己にとって敵である可能性しかなくても客人は客人である。相手が庭園に興味を持っているのに素知らぬ顔をして歩いて行くわけにはいかない。

 この渡り廊下から見えるのは、美しい花々が咲き乱れる歴代教皇に愛された見事な庭園だ。一般人は立ち入り禁止であるため、教会関係者かそれに招待された者しか入れない。ピアとて流石にここで園遊会は催さない。ここは神の庭なのだから。

 ピアは庭園を鑑賞する客人を見ながら、亡くなった婚約者と最後に会ったのがここだったことを思い出した。歩きながら二人で取り止めもない事を話したのだ。

 いつものように皇太子は散々ピアをからかって遊んでいた。婚約者とはいえ余り彼と真面目な話をしたことはない。彼はやる気のない男だった。もちろん公務を投げ出したりはしなかったし、最低限の義務は果たしていたけれど。こういっては何だが、あまり権力にも興味をもってなかった。

 ただ一度だけ、夜会の帰り、彼が酔っているときに非常に真面目な話をしていたことがあるのを記憶している。あまりにその姿が珍しかったのと、その話の内容が、彼の思想がピアにはとても理解しがたいものだったからだ。

 あれはまるで、いやはっきりと自分たち皇族の存在意義を否定するようなものだった。

 その後一度も皇太子がその話をすることはなかったから、あれが酔っ払い故の話だったのか、彼の本心かはピアには分からない。彼が亡くなった今、それを確認するすべもない。

 物思いに耽るピアの耳に男の声が流れ込む。


「こんなに見事なアムブロシアの花は見た事がありません。この燃えるように美しい赤は猊下の瞳のようですね。夜に月光の元で見ればなお美しいことでしょう。オルクス殿下の御髪は眩い太陽のようですが、猊下のお美しい銀色の御髪は月光のようです。まさに夜に咲くアムブロシアは猊下の——」


 ピアは思い切り顔をしかめると反射的に言い放った。


「気色悪い!」


 周囲が静まり返り、はっと我に返った。

 しまった。婚約者と話していたことを思い出していた為、つい亡くなった彼と話している気分になってしまったのだ。

 ゆっくりと視線を庭園から先ほどまで喋っていた男に向ける。ピアは将軍と目が合った。一瞬ののち彼は笑い始めた。哄笑といっても言い。静かな庭園に彼の笑い声が響き渡る。

 ピアは今更取り繕うことも出来ず、引きつった笑みを浮かべ、彼が笑うのを見つめるしかなかった。

 ああ、この男の足をヒールで踏みにじってやりたいと思いながら。


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