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猊下が行く  作者: 魔法使い
第一章 兄皇子の帰還
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婿候補

 ピアの祖先はこの西大陸の原初の人だ。

 一万年前、この世界を創造した神は四つの大陸を創った。そして東西南北の四つの大陸に創り出した人間を住まわせた。原初の人の一族は代々人間を代表し、神やその使いである天使ミカエルから有難いお言葉や神の恵みを受け取っていたのだ。

 それを神聖ティファレト帝国という国家に発展させたのは数千年前。初代皇帝カインと初代教皇アベルは双子の兄弟であった。現皇家は彼等を始祖と呼んでいる。本来ならば原初の人を始祖と呼ぶべきだろうが、皇家のはじまりという意味においては彼等が始祖だ。カインとアベルの二人から今に至るまで皇家は皇族内での帝位の奪い合いはあったものの、その血筋を守っている。


 ピアが教皇の座についたのは十年前、わずか六歳の時だ。先代の教皇が病に倒れ、皇族内でも優れた魔力の持ち主であったピアにその座はまわってきた。

 あの頃は本当に大変だったのだ。ピアは今回兄が戻ってきて、側近たちと彼の話をし、自分の中にあまりに兄の記憶がないことに愕然とした。教皇になってから数年、自分は教会内の粛清に追われていたからだ。当時の聖職者たち——特に高位の者たちの権力争いは壮絶であり、教会は陰謀渦巻く場所であった。皇族は絶対の存在であったが、病に犯されていた前教皇は彼等にしっかり首輪をつけていなかったのだ。

 一体何人の聖職者たちがピアによって闇に葬り去られたのか。ピア本人も最早その数を覚えていない。だが今頃愚かな聖職者たちは己の墓の下で後悔しているだろう。

 粛清と教会内の掌握に追われていた当時のピアは家族のことなど顧みる余裕はなかった。その間、兄は皇族内で孤立し、貴族や国民からも義務を果たさぬ皇子として蔑まれていたのだ。そんな兄の心に寄り添ったのは家族ではなく、身分違いの恋人であったのだろう。

 ピアはずっと思っていた。もう二度と会うことがなくとも、遠くの地で兄が愛する者と幸せであって欲しいと。兄妹の情は自分にもある。幼い自分を抱き上げてくれたのは兄だけだった。

 それがまさかこのような形で再会する事になるなど、想像もしていなかった。


 ***



 ピアは片手で抱えたクッションをぼすぼすと音を立てて殴りつけた。そのクッションの表面には『兄、死すべし』と書かれた紙が貼られている。それも散々殴ったせいでくしゃくしゃで所々破れている有様だ。


「猊下、何をしていらっしゃいます!」


 ピアはぷいっと顔をそむけた。今自分の機嫌は最悪なのだ。

 あんなに気合いを入れて宮殿に行ったにも関わらず、ピアは兄に会う事が出来なかった。応接室にやって来たのは兄のかつての悪友であり現在の側近らしい歪んだ性格をした男と転移門のところで出会った男前だ。ちなみに男前は転移門のところで名乗っていたらしい。だが自己嫌悪に陥っていたピアは全く覚えていない。

 男前の方はそばに控えているだけで、ピアと話をしたのは兄の元悪友のほうだ。元悪友の名はシュバルツと言う。皇都エテメンアンキからさほど遠くない場所に領地を持つ貴族の次男坊だ。彼は慇懃無礼な態度で、その言葉に貴族特有の美辞麗句を散りばめつつも、遠回しな皮肉でピアを迎え撃った。

 シュバルツが言うには兄オルクスは忙しくて会えないとのことだった。確かに自分は事前の約束もなく突然宮殿を訪れた。本当か嘘かは分からないが兄の予定が空いていなくても仕方ない。

 それに今まで何だかんだと理由をつけて、兄側からの面会の希望をはぐらかしてきたのだ。確かに教会は忙しかった。帝都は混乱しきっており、治安維持のため教皇軍まで駆り出された。教皇であるピアは多くの貴族に泣きつかれたりしていたのだ。

 そしてピア自身悩んでいた。兄と会わなかった最大の理由は、自分はどう出るべきか決めかねていたせいである。

 悩みに悩んで、とりあえず飛び蹴りでも食らわせてやろう、と意気込んで宮殿に乗り込めばこれだ。


「猊下。そろそろその拳で語り合おうとなさるのおやめくださいませ。一応、猊下も女性でいらっしゃるのです」

「一応とは何だ、一応とは!」


 一応などではない。自分はれっきとした女性である。クロイツの嫌味っぽい言葉に益々腹が立ってきた。

 やれやれとため息をつくと、クロイツはその場に流れる空気を変えようとしたのだろう。ピアに問いかけた。


「しかし、よろしかったのですか?」

「やむをえない」


 兄に会うことができなかったピアは己に対応するために現れた二人へ言ったのだ。オルクス皇子の皇帝への即位を教皇として承認する、と。


「もはやこれ以上先延ばしには出来ない。このへんが限界だろう。教会側も帝都の混乱をおさめるので手が一杯の状況で、むこうが戴冠式を行うと宣言した日までに兄の背後を探り当てるのは難しい。かと言って今の状況で私が出兵すれば尚更国が荒れる」


 そう考えると、今ピアがとれる手段は少ない。

 とはいえ、兄の周囲は探らせている。

 兄が戻って来てからピアが宮殿に行ったのは今回が初めてだ。だから彼の連れている配下の顔ぶれを知らない。だが上がってくる報告を聞けば、兄のそばにいる者でピアが知っているのはシュバルツだけのようである。

 それにしても、とピアはあの男前のことを思い出した。ピアの頭にその名前すら残っていない男。名前も覚えていない、ろくに会話もしていない男に何故こんなに気になるのか。

 やはり良い男だったからだろうか。確かに見た目も良かった。綺麗に整っていながら精悍な顔立ち、長身で着衣の上からでもわかる鍛え抜かれた身体。

 なによりピアが気に入ったのはあの声だ。非常に良い声をしていた。あれは戦場で指示を出す時よく通るだろう。


 それにしても、恋愛なんてものと程遠い自分にも異性の好みがちゃんとあったのが驚きだ。


「猊下」


 クロイツの呼びかけに自分の世界に浸っていたピアははっと我に返った。


「何?」

「先日猊下からご依頼頂いた新しいご婚約者候補の件です」

「ああ」


 婚約者であった皇太子が処刑され、他に結婚相手となれる皇族がいないピアは婿をとる。候補となりそうな者を探すよう頼んでおいたのだ。結婚は皇家の血を守る為でもあるが、今回のピアの目的はそれだけではない。兄の背後に誰かいる可能性を考えれば、対抗するには己の教皇としての権力だけでは足りないかもしれない。だから帝国内の有力貴族を取り込んでおきたいのだ。

 ピアが夫となる者に求めるものは多くはない。容姿も別にどうでも良い。政治的手腕も求めていなかった。むしろ野心が強く前に出たい性質の男と自分は合わないに違いない。

 色々考えた末に思い浮かんだのは自分の父親だった。皇子時代から本を好み学者肌だったという父は兄である皇帝とは真逆のタイプだった。

 側室は三人いたが、女にも興味があった様子はない。とはいえ皇族の義務として子どもは作り、正室であった母との間にオルクスとピアが、側室の一人との間にピアから見たら異母姉が一人いる。血を残す義務を果たした父は必要な公務をこなしつつも、ひたすら本の虫として生きていた。

 ピアの婿になるということは、他に妃を持てないのだ。死んだ婚約者の皇太子には何人も側室がいたが、婿となれば話は別だ。側室も持てない結婚生活の中で外に女を作られて、醜聞に巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。そんな下らないことに煩わされたくない。父のように権力よりも女よりも、生涯を捧げられるような趣味を持っている男ならばピアを煩わせることはないだろう。

 だが一番重要なのはピアの尻に敷かれても平気であることだ。女の尻に敷かれることでプライドが傷つく性格の相手では上手くやっていけないに違いない。

 ちなみに死んだ皇太子は『働き者の正室に自分の分も頑張って欲しい。その為ならば気の強い女の尻にも敷かれよう』とよく言っていた。彼はあまりやる気のない男であったのだ。

 死んだ皇太子のことを思い出すと胸が痛んだ。兄オルクスと同じ年だった彼は兄のような存在でもあったし、よき友人でもあった。確かに燃え上がるような恋愛などは自分たちの間にはなかった。だが彼は夫婦として仲良く協力して生きていけると思える相手だったのだ。

 その彼はもうこの世のどこにもいない。

 考えないようにしていた喪失感に襲われ、ピアはめまいがした。彼だけでない。父も母ももうどこにもいないのだ。皇族である自分たち親子は平民のような心温まる親子関係ではなかったけれど、彼らの死に何も感じない訳がない。

 ピアは生まれて初めて、泣く事をゆるされない我が身を呪った。


 ***



 何かに似ている。

 ピアは机を挟んで向かい合い座っている男——さる一級貴族の次男坊をまじまじと見つめた。彼の顔を、ではない。正確に言えば彼の身体を、だ。

 目の前の貴族青年はよく太った身体をぴちぴちの真っ白な正装で包んでいる。明らかにサイズがあっていない。兄弟の服を借りたのだろうか。今回の呼び出しは急であったからあり得る話だ。よく見ると服が身体の肉に食い込み、段になっている。今にもはち切れそうで、ボタンは吹っ飛ぶ寸前だ。

 そこでピアは彼が何に似ているか思い当たった。

 ハムだ。

 厨房で一度見たことがあるハムは紐がこんな風に肉に食い込んでいたではないか。

 すっきりした気分になりピアは思わず笑顔になる。彼に似ているもの——ハムを思い出すために散々頭を悩ませたのだ。

 だがピアの笑顔を見た青年は何故かダラダラと汗を流し始める。太ってるせいか元々汗をかいていたのかもしれない。慌てて手巾を取り出し、額の汗を拭っていた。


「暑いですか?」


 窓を開けましょうか、というピアの申し出に青年は慌てて首を横に振る。その姿を見て、緊張しているのだろうなと思う。クロイツの用意した青年についての資料には園芸が趣味だとあった。趣味に没頭するあまり社交の場にも出て来ず、人付き合いもあまりないようだ、と。

 人嫌いでは結婚相手として困るが、話した感じではそんな事もなさそうだ。今は緊張しているようだし、これくらいならば問題ないだろう。それに彼の家族はピアが知る限り温厚な者が多い。人に嫌われず、敵を作らない家系である。


「ハ……、失礼。園芸がお好きだと聞いたのだけど、どういった物を育てていらっしゃるの?」


 彼の名前をど忘れしたピアは慌てて口を噤み、わざとらしくならないように彼の趣味に話を向けた。

 青年が口を開こうとした瞬間、ブチッと言う音が聞こえた。何だと思う暇もなくピアの額に何かがぶつかる。


「いたっ!」


 ぎょっとなった青年と何が起こったかまだ理解出来ないピアの視線が机をコロコロと転がるボタンに釘付けとなった。


 ※※※


「猊下、お疲れになったでしょう。すぐにお茶をご用意します」

「いや。いい。何人もと話す間に嫌と言うほど茶は飲んだ」


 ピアは額をさすりながらクロイツに答える。つい先ほど最後の青年——ハムを見送ったところだ。

 わずかに空いている時間を使い、絞り込んだ何人かの婿候補たちと会ったのだ。人と話すのは嫌いではないが流石に疲れた。

 思わず椅子の背もたれに背を預けたピアにクロイツは尋ねた。

「如何でしたか?」

「最後のあれ、ハム」

「は、ハム? ベーレイニガン家のご子息、ローレンツ様ですね」


 ローレンツ。何だかあまり似合わない名だ、と思った。笑いだしそうになるのを堪える。


「猊下。さすがにハムは失礼かと」


 生真面目な表情で苦言を呈するクロイツにピアは手を振って言い訳する。お説教がはじまってはたまらない。


「いやいや。誤解しないで欲しい。悪意はない。親しみをこめて言っている」

「ハムなんて渾名に親しみをこめているなんて仰られても信じられません」

「そう言わないで欲しいな。今日会った中ではハムが一番良かった」

「ローレンツ様、です。あのお方がですか?」


 信じられないという表情のクロイツにピアはうんと頷く。

 確かに太りすぎではあるが、ピアが求める要素を全て備えている。実家であるベーレイニガン家も申し分ない家だ。

 ピアは趣味の園芸の話になった途端、急に饒舌になったハムの事を思い出し笑みをこぼした。もうハムに決定で良いではないか。だが念のため何度か会ってから確定にしようと考える。


「ハムを第一候補にしておいて。何度か会ってみて問題ないようなら確定」


 ピアの言葉にクロイツはローレンツ様です、と念押しして部屋から出て行った。

 その背中を見送りながら、ふとあの男のことを思い出す。そう言えば、あの男の名は何というのだろうか。


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