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猊下が行く  作者: 魔法使い
第一章 兄皇子の帰還
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兄が帰ってきた

 例えば小説、例えば貴族の娘たちに評判の帝都劇場で演じられる芝居。そんな『作り話』の中には必ず欠かせない燃え上がるような恋。そんな胸焦がすような恋への憧れは、人並みにあった。

 世界でも一番と言える西大陸の支配者たる神聖ティファレト帝国、その皇女として生まれつき、世界を創造した女神を信ずる教団の教皇たるピア=セレネス=ティファレトであってもだ。どのような身分、地位にあろうとも花も恥じらう十六歳の娘である。

 とはいえ、作り話のように身分違いの恋に身を焦がし、己の身分や地位にあるまじき行動はしたことはない。そのような分別ない者は宮のメイドと出奔した兄だけでじゅうぶんと言えた。

 生まれつき決められた皇太子でもあり従兄弟でもある婚約者もいる。

 ピアは恋愛小説を隠し読み、人目につかぬよう寝台の下にそれを保管するのが精一杯であった。しかし、それで納得もしていたのだ。

 このまま余りやる気のない従兄と結婚し、教皇庁のみならず帝室も牛耳ってやるのも悪くないと思っていたからだ。

 しかし、それも出奔して以来数年音沙汰なしであった兄が大軍を率いて帰ってきた日に終わりを告げた。

 兄の率いて来た大軍に帝国軍が敗北し、伯父である皇帝、婚約者である従兄の皇太子のみならず、ピアの両親を含めた殆どの皇族が処刑されたその日をもって。


 ※※※


 暖色系でまとめられ、広々とした室内は重苦しい沈黙に支配されていた。


「戴冠式について……か」


 ピアは手にした紙を机の上に放った。ピア——ピア=セレネス=ティファレトは神聖ティファレト帝国皇女であり、西教会の教皇でもある。

「私は兄の……オルクスの即位を承認した覚えはないのだけどね」


 ピアの言葉に目の前に立っていた執務補佐官であるクロイツが頷いて言った。


「即位を強行するおつもりでしょうね。貴族達からの反発も無理矢理抑え込んでいるようですし」


 しかし、とクロイツはピアが机の上に放り出した戴冠式のお知らせとやらを忌々しげに一瞥して続けた。


「猊下のご意向を確かめることもなく、とは許しがたい」


 兄オルクスが軍を率いて攻め込んで来てから十日たっていた。もはや全て終わってしまった。叔父である皇帝をはじめとする殆どの皇族が兄の手によって処刑された。皆殺しと言っても差し支えがない程だ。残っている皇族はピアを始めとする何人かの聖職者のみ。

 皆、いなくなってしまった。父も母も、婚約者であった皇太子も。

 あれから十日の間、ピアは忙殺されている。そのせいか身近な者がいなくなった哀しみに浸る時間もない。

 もしかしたらあまりの事態に自分の感情は麻痺しているのかもしれない、とピアは思った。


「猊下、どうなさいますか?」


 クロイツの問い掛けにピアは首を傾げた。


「どう、とは? 兄の即位の承認のこと?」

「はい」


 兄が即位を強行しようにもピアが承認し戴冠式に出席しなければ戴冠式そのものが行えない。この大陸の原初の人の末えいである皇族、それがここ西大陸を支配することを認めているのは神。神の代理人たる教皇が聖油を塗油し冠を与えて初めてその者は皇帝となれるのだ。


「もし私が承認しなければどうなると思う? 今、帝位につける皇族は私か兄だけ。もし私が承認しなければ、私が帝位を狙っていると見なされる。兄を良く思わない貴族達は私に加担しようとするだろうし、兄は私を敵とみなすだろう」


 その結果内戦となり帝国は荒れる、とピアは言った。思わずため息が出る。国家を疲弊させるのは得策でない。


「クロイツ、そんなことより、兄は何故戻って来たと思う?」

「何故……帝位を手になさるためではございませんか?」

「そうとは考えがたいから聞いている。だが……クロイツは兄を知らないから仕方ないな。兄は皇族や貴族といったものを毛嫌いしていた。兄は我が家系には珍しく魔力が低かったのは知っている?」


 ピアの問いかけにクロイツはああと思い出したように頷いた。

 ティファレト帝国の皇族は原初の人の末裔であるゆえに強大な魔力を持つ。そんな中、兄は皇族では珍しく魔力が弱かった。それゆえに他の皇族や貴族から軽視されていた。すべてに嫌気がさしたのだろうか。兄は皇族の義務である公務を放棄し、酒と女に溺れるような荒んだ生活を送っていた位である。女遊びは身分違いの恋人が出来てからは控えていたようだが、彼女の存在も兄を更生させるには至らなかった。


「しかも兄は身分違いである恋人と駆け落ちしている。周りからの風当たりも強く、唯一の味方である恋人さえいれば良いくらいに思っていただろう」


 ピアは昨夜読んだ恋愛小説を思い出した。あなたさえいれば良い、という台詞が頭に浮かぶ。激甘なそれを読んで思わず床の上を転げ回ったほどだ。

 こんな時に恋愛小説などと言われるかもしれないから、侍女たちの目を盗み布団を被って、隣室に控える侍女たちの気配に気を配りつつ、床の上に寝転び読んだのだ。そこまでして読む価値はある本で、最近気の滅入ることばかりだったピアには良い気分転換となった。


「だから皇家の手の届かない所で二人で幸せに暮らすことを望みそうなものだけど」


 ピアの言葉にクロイツはオルクスが出奔した理由を思い出したらしい。


「猊下か母君の侍女でしたっけ?」

「いや、ただの召使の娘だよ。貴族じゃない。身分違いも身分違い。純粋な平民だ」


 何度か宮で見かけたことのある兄の恋人のことをピアは思い出す。容姿もうっすらとしかおぼえていないが、普通の娘だったはずだ。


「話がずれた。とにかく、兄は彼女と幸せに暮らしていると私は思っていた。あの兄の性格からして権謀術数をめぐらせ、人の悪意が蔓延る皇宮になど戻りたくないと考えているかと思えば今回の一件。それにお前たちもおかしいと思うのでは。あの兄の兵力はどうやって集めたのだろうかと」

「確かにこの大陸であれだけの兵力を集めようとすれば、攻め込む前に露見しましょう」


 この西大陸にはいくつか国があるがこの帝国が一番大きな国だ。他の国をおこしたのもティファレト皇家の者だ。はるか昔、辺境の荒れ地を開拓するために自ら志願して出て行った皇族の末えいが今もそこを治めている。ティファレト皇家の分家であり、属国だ。そんな国しかないこの大陸の中で、あれだけの兵力を皇家に見咎められることなく集められるわけがない。

 だが今回反逆軍——今となっては革命軍を率いて現れるまでオルクスの行方はまったく分からなかったのだ。


「他大陸で兵力を集められていたのでは?」

「そう考えるのが道理だが。ではその資金は?」


 ピアの言葉にクロイツは黙り込んだ。

 兵力を集めるにも維持するにも金がいる。それも帝国兵を打ち負かし革命を成功させるだけの規模の軍を保つとなれば、必要な資金は莫大だ。

 兄は皇子であったが領地もなかった。そんな金を持っている訳がない。


「殿下の側近に貴族の息子がいませんでしたか?」


 ふと思い出したようにクロイツが言う。その言葉にピアは一人の青年を思い出した。机の上に放り出した戴冠式について書かれた文章の神経質そうな文字を見る。

 次男として生まれた故に何も受け取れないことを恨んでいた貴族の青年。この神経質そうな文字を書いたのは兄の悪友であり、何時の間にやら側近になっていた彼だろう。


「いた。ある領主の次男だけど、そこまでの財産を持っていないでしょうね」


 教皇執務室に沈黙がおりた。

 ピアはこの十日、ずっと考えていたことを思い出す。果たして兄は本当に帝位を望んでいるのか。もしかして彼が望んでいるのはただの復讐なのではないか。

 だが兄は恋人と幸せに暮らしているはずではなかったのか。その幸せをもってしても復讐心を消せなかったのだろうか。ピアにはわからない。


「私は兄の背後に大きな黒幕がいるのではと思う。もしかしたらそれは他の大陸にある国なのかもしれないし、また別の存在なのかもしれない。今の時点では何とも言えないけれど、でも兄の背後に誰かいるのは確かだと思う。恋人と駆け落ちして幸せに暮らしているはずの兄がだれかの支援を受けてまでここに戻って来た理由はわからないけれど」


 もし兄オルクスの目的がピアの想像通り復讐で、その背後に他の国家があるのならば今回の一件はただの帝位簒奪劇ではない。ティファレト皇家にとって皇族内での帝位の奪い合いは珍しい話ではないから、それはまだいいのだ。だがそこに他国の思惑が絡んでいるとなれば、これは帝国の危機と言えるだろう。


 ピアは机に置かれているカップを手にした。カップの中身は一万年前ピアの先祖である原初の人が創造の神に与えられた聖なる飲み物ココアだ。それを一気に飲み干し、机の引き出しを開ける。そこに仕舞っておいたおやつを取り出した。


「猊下、お食事を用意させますが……」


 申し出に対し、ピアは首を横に振った。これから色々やることがあるのだ。のんきに昼食を食べている暇はない。

 ピアはおやつの紙包みを開いた。これはココアと同じく創造の神に与えられた神聖な食べ物チョコレートである。


「我々はこれからやるべきことがある」


 兄のお陰で皇太子を尻に敷き教会だけでなく皇室までも牛耳る計画が台無しだ。皇太子妃となり、やがて皇妃となる道は絶たれてしまったのだ。それだけならまだしも、適齢期である自分の婚期までも延びた。今もし兄が身分違いの恋人といちゃついているのを目撃したら、自分は彼の背中に飛び蹴りを食らわせるに違いない。

 なにせ自分はこれから婿候補を探すことから始めなければならぬのだ。


「私は断固として兄と戦おう」


 ピアはチョコレートを齧り、高らかに宣言した。

 そうだ。例え恋人といちゃついてなくても兄には一度飛び蹴りくらいお見舞いしなくては気が済まない。『申し訳ありません。わたくし滑ってしまいましたわ、お兄様』とでも言い訳しておけばいいのだ。

 ピアはにやりと笑うと法衣の裾を翻し、執務室の扉に向けて歩き始めた。やるべき事が山積みだ。

 兄よ、首を洗って待つがいい。ピアは心でそう呟くと勢い良く扉を開く。ピアが扉を開けたそこには侍従がいた。


「どうしたの?」

「は、猊下にお客様が複数お見えで……」


 思わず首を傾げた。今日は誰とも面会の約束をしていないはずだ。だが侍従のうんざりしたような表情で『複数のお客様』とやらの正体を悟った。


「一級、二級貴族の次男坊、三男坊が押しかけているのかな。我こそが猊下の婿に、って」


 ピアの言葉に侍従が困ったように顔を伏せる。当たっているのだろう。

 ふとピアは思った。生涯の中でこんなに男に寄ってこられた事はあっただろうか。いや、ないだろう。ピアは生まれながらに皇太子の正室となることが決められていたのだから。

 人生初のモテ期到来だ。選り取り見取り。実に素晴らしい話だ。


「だが、婿の話はまた後日。いまは他にやるべきことがある」


 ピアがそう言うと、クロイツが客人には帰って頂けと言う。それを受けて侍従は一礼し去って行った。ピアは廊下を歩き始める。

 部屋を出た時点で部屋の外に控えさせていた護衛の聖騎士が三人そばに寄ってきた。となりの部屋から侍女が二人現れ、その後ろに続く。

 ピアが一人きりで行動することはない。


「猊下、どちらへ」


 背後から尋ねるクロイツにピアは答えた。


「宮殿へ。兄に会う。戴冠式の打ち合わせも必要であろう?」

「では……」


 クロイツは何か言いかけてやめた。ここは廊下である。教皇庁内であるが油断は禁物だ。誰に聞かれるかも分からない。教会内はピアが掌握していると言っても、兄がどこに密偵を忍ばせているか分かったものではないのだから。

 クロイツには戴冠式の打ち合わせと言ったが、ピアの一番の目的は兄に再会の飛び蹴りを食らわせることである。それがかわされたならば回し蹴りか。衆目があれば兄の足の小指を全体重かけて踏みにじってやるだけでも良い。

 とりあえずどうにかしてこの鬱憤をはらさずにはいられない。戴冠式の打ち合わせなど所詮、宮殿を訪れる言い訳にすぎないのだ。


「転移門の準備を」

「かしこまりました!」


 そばについていた聖騎士の一人が駆けていく。ここから宮殿まで遠くはない。馬車を使えばすぐだが、転移門を使い宮殿へ行った方が早い。

 ピアは転移門を設置した部屋へ入る。家具の類が何もない石造りの部屋だ。その何もない部屋の奥の床が光っている。既に転移門は準備されていた。おそらく宮殿の兄の元にもピアの訪問を知らせているはずだ。

 転移門ははるか昔に神から与えられた技術の一つだ。入り口となる門、出口となる門の二箇所を繋ぐ魔道具。これを使えばどんな離れた場所へも一瞬で行ける。


「では行きましょうか」


 ピアの言葉に周りの者たちが頷く。それを確認し、ピアは転移門に足を踏み入れた。本来ならば護衛がまず先に入り、安全を確かめる。だがピアはそういった事が面倒くさくて嫌いだ。賊がいれば自ら殴り飛ばせば良いのである。

 転移門に入った瞬間、視界が薄れる。瞬きをすれば視界に飛び込むのは全く別の部屋——宮殿内の一室の壁だ。一歩踏み出し転移門から出たピアを低い男の声が迎えた。


「お待ちしておりました、猊下」


 宮殿の転移門は部屋の床より一段高くなっている。ピアはその段差を降りながら声の主を見た。思わず目を見張る。

 良い男だ。精悍で端整な顔立ちだ。兄の冷たさすら感じる美貌や婚約者であった皇太子の中性的な美貌とも種類が違う。そして何より先ほどの声。非常に良い声だ。低すぎず、よく通る。ここで自分を迎えたということは兄の配下であろう。剣を持っていることから察するに武官か。

 そんな事を考えながら段差をおりたせいだろう。ピアは身体のバランスを崩し、よろめいた。名も知らぬ男が咄嗟にピアの身体を支えた。

 思わず間近で男の顔を見る事になってしまう。やはり良い男だ。ピアは思わず男の顔を見入ってしまった。男の方も微動だにせずピアを見つめている。

 これはまさかこの男も自分のことを。いやいや、これは兄の配下である。もしかしたら自分に仕掛けられた罠かもしれない。ハニートラップというやつか。

 そんな事を考えていると、ピアは背後から声をかけられた。声の主はクロイツだ。


「猊下。その者の足を踏んでいらっしゃいますよ」


 その言葉にピアは己の足元を見る。

 確かにしっかりと目の前の男の足を踏んでいる。それも兄にしてやろうと思っていた——全体重をかけた足の小指を踏みにじるような踏み方であった。

 どうやらこの男がピアのことを凝視していたのは足を踏まれていると訴えたかったのだろう。ピアは一瞬でも錯乱した自分を呪った。だが全ての動揺を押し隠し、そっと男の足の上から自分の足をどける。


「大丈夫?」

「はい。猊下もご無事で何よりです」


 皇族は下の身分の者に謝ってはならない。ピアは彼の足の心配をするに留めた。



 ***



「私としたことが! 私としたことが! 私としたことが!」


 宮殿の一室である応接室。ピアは叫びながら絨毯を敷き詰めた床の上をゴロゴロと転げ回っていた。高速回転だ。


「この私ともあろう者が!」


 転げ回るだけでなく、横になった状態で飛び跳ねる。陸にあげられた魚のように。

 自己嫌悪は最高潮に達していた。


「猊下、どうかお気を確かに」

「わかっている!」


 だがどうにもじっとしていられない。自己嫌悪もだが、何より自分の勘違いが恥ずかしい。忌々しいほどだ。

 もしかしたらこの男も自分に見惚れているかも、だなんて。勘違いも甚だしい話である。やはり昨夜恋愛小説など読むべきでなかったのだ。

 しかもこともあろうに、あの男は兄の配下だ。敵とも言える相手の部下にあのような醜態を晒すことになろうとは。やはりこれも兄の計算だろうか。だとしたら恐ろしい話だ。油断大敵である。

 ピアは疲れきりぱたりと倒れ伏した。少しの間そうしていたが、やがて渋々立ち上がり、乱れた髪を整える。

 自分に床を転げ回る悪癖があるのを兄は知っている。これは子どもの頃からの癖なのだ。だが他の者にこんな姿を見られる訳にはいかない。自分は皇女で教皇なのだ。皇家と教会の権威を失墜させるような行動は慎まねばならない。

 先ほどの事は忘れよう。若い娘特有の自意識過剰さが自分の内にも多分にあるという事だけ覚えておかねばならない。

 そう心に刻み椅子に腰掛けたところで扉が叩かれる音がした。

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