0 扉
一章 始まります。
気が付くと、透は真っ白な部屋の中に横たわっていた。
――……ここは? ……っ!?
眼を覚ましてすぐ、茫然と彼は呟いて思わずハッと息をのんだ。
――あ、あ。あー。マイクのテスト中。
透がしゃべりだす声が、不気味に何十、何百の重なった老若男女の声で聞えてくる。
どうなってるんだ……。ここは? 起き上がる透の周囲を、どこまでも広い白い床が視界いっぱいに。次第に遠くは薄い灰色を被さる色調に、地平線は輝く白い線ではるか遠から彼を囲んでいる。見上げる天井は距離感がつかめない。ドーム状に覆いかぶさっている様に思える。
しばらく身動きもとらずに、なんでこんな状況になっているのか思い出そうとして、先程、ゲーム機の中に入り込んだところだったということを思い出した。
魔方陣やらなにやら。真っ白にひかる画面から進んでいないところを考えると、これからゲームの設定が始まるようだ。 取り敢えず起き上がって立ちあがってみる。辺りを見渡しても、ここには何もなかった。本当に何もない。
透はただ一人、真っ白な空間に影もなく立っていた。
今、自分の両手を見ているはずなのだが、そこには白い背景が透けるように見えているだけだった。奇妙な感覚に不安が掻き立てられる。
――なんだこれ……。
不用心に呟いた反響する様な声に、思わずぞっとする。今の状況に次第に恐怖を抱き始める。そこへ、彼の目の前に突如、欠けた石柱のような物が光の粒と共に現れた。
――?
思わず手を伸ばす。 見えてないだけではなく、本当にないのだろうか。伸ばした手は、既に上腕の方まで石柱の中へ入っていると言うのに、なんの感触もなかった。
――……ッ。
乱暴に腕を引きぬくと共に、透は舌打ちをした。何もない。この石柱に何の意味があるのだろうか。腹いせに思いっきり蹴り込んだ右足はそのまま、何の感触もなしに振り切られ――
「他人に拳や蹴りを入れるとは、随分なものだな」
―― !? ……うわっ
突然、しゃがれた老年の男性声でしゃべりだした石柱に透は驚いて尻もちをついた。
「若い。それにこんなに一度に……志願者か?」
何か答えなくては。慌てて立ち上がりながらも、透はただ石柱を見据えて考えを巡らせる。
――こ、ここは?
「望むべくしてきたのだろう? 私はその案内役だ」
――案内……。
石柱の言葉を反復して呟く。ふと、石柱が息をのんだ。
「不気味だな……君は。一人、か?」
――ぶき……? 後二人いたはずですけど……。
「いや、どう考えても何千何百と……。もしや後二人も君の様な者が居るのか?」
――友人が二人、一緒に始めたはずですけど。
「これは、なんとも……。……要領を得ない」
石柱はひとり言のように呟くと、唸るように押し黙ってしまった。その間に気を取り直した透は、現状の理解よりもゲームの方へ意識が傾いて行った。
――で、そろそろ説明を頂きたいのですが。テストプレイヤーを引き受けた、夜茂木沢 透です。
まくしたてるように早口で言う透に、石柱は納得したように相槌を打った。
「……、……。なるほど、済まなかった。手違いだった様だ。それでは『ゲーム』の説明を始めよう」
石柱のしゃべり口調は思考を挟んだゆっくりとしたものから、幾らか快活なものへ変わった。
「――そうだな」
少し間をいて石柱はしゃべりだす。
「まずは、今回の目的について――これを読んでくれ」
言葉が言い終わらない内に、音もなく薄い水色のガラス板の様な画面が、中空に現れる。そこには文字が書かれていた。 [旅の目的]――内容はゲームクリアの条件だった。
大まかな目標として、世界中を探して、どこかに隠れている『敵』を探し出して、それを捕まえるか殺すかする必要があるようだ。 情報は、システム側の人がこちら側に接触し、ヒントをくれるらしい。が、その人が来るまでの間は、どうにかして生きていなければならない。
目安としての帰還は一週間から二カ月半と差がある。
初の方で説明していた旅の目標を第一段階として、その後はシステム側から新たな目的の指示があり、順次完了していくことでクリアとなり、現実世界へ戻れるらしい。
「……どうかね?」
透が石柱の方へ視線を移すと、彼はそれを認識しているのか、静かに聞いてきた。
――ええ、だいたい。つまり、職員の方々と接触するまで、ゲームの世界を回ればいいですね?
「ああ、恐らくそれで大丈夫だろう。だが、周囲を巻き込んだり、死ぬくらいなら、大人しくしていた方が良いかもしれんぞ?」
――予定は未定。右に行くと言うならば左を。
「……狂っているのか」
――冗談です。わくわくして、落ち着かないんですよ。
何ともいえぬ口調で呟く石柱に、大勢の声共に、ははっと笑って首を振った。
「気を取りなおそう」
静かになるのを待って、石柱が言った。
「君はこれからこちら側へ来てもらうわけだが、死んで向こうに戻れると思わないよう留意してもらいたい」
――どういう意味ですか?
「詳細を話せる立場ではない。が、分かることは……、恐らく今の君は寝ているだけだ」
――寝ているだけ?
「これから、向こうで活動するための体を手にするだろう」
――キャラクターの生成ですか。
「注意事項には眼を通してあったかね? 不本意ながら、この『システム』というのは完璧には稼働していない。つまり――」
石柱の話していくことに、透は返す言葉に詰まった。と、その時だった。
『……時間だ』
どこからともなく。いや、頭上から響いてくる誰かの声。まるでこの白い部屋の外から聞こえてくるようだった。
――じ、時間?
繰り返す声の調子は、ざわついた不安と恐怖に色づく。石柱は、説明することもなく、ただ静かに告げた。
「そうか。では――幸運を」
――ま、待って! まだ――
突然、視界が暗転した。意識がかきまわされる様な、急に乱れて行くのが分かった。次第にノイズが強くなっていくと同時に、遠くから不可解な人の声が聞こえてくる……。――錯覚ではない?
「……だ? ……、………。」
「いぇ、………な…かま…げ…ぃ…がゎ…………。」
何を言っているのかわからないが、数人の声だ。
「……!?」「……! ……、…………!」「……、……!」
なんとか持ち直そうと堅く目を閉じようとしているのに、目を開こうと必死になっている感覚を覚える。首筋や、腕、脚の付け根が酷く痛む。透の蹲る意識と、暴れもがく体の感覚。
暗い空間の中で光が点滅する。目? 目を開きかけてる……?
白じゃない……? 首が曲がり、黒い影に驚きの表情が見え――腕が――。
透は体中が一気に凍りついた。
ベットの上に横たわる自分とは別の人物の視線の先で、おそらく自分の手と思わしき手が紐解けるように空中の中へ消えて行くのが見えた。 見開かれる目。透は目玉が飛び出すんじゃないかと目を見開く間隔を受ける。恐怖する透と裏腹に、暴れ回る体中の間隔に、訳が分からなくなって行く。台の上に固定されている体。自分のものではない、恐ろしく細い腕。消えて行く手……。
「や、やめ……」
叫んだつもりの声は震える息と共に、弱く透の耳に届いた。その瞬間、耳を劈く様な絶叫が辺りに響く。激しく揺れる視界と、鼓膜を破るんじゃないかと思うほどの絶叫。
戸惑う透を差し置いて絶叫する体は、振り回す視界の端で離れた場所に同じような台の上に横たえる人物がいるのを見――
「……うっ? ――あ、……ああ! あぁぁぁああっ!!」
突然、透は濁音交じりの絶叫を張り上げた。
熱い……! 体が……! 違う、い、痛いっ……!
これほどの痛みを、透は未だかつて感じたことが無かった。体を駆け巡る痛みが頭に昇りつめ、痛みを覚えるほどに頭痛が強くなる。 自分の絶叫が聞こえ、頭の中でも叫び声が響き渡る。あまりの苦痛に透は今までに発したことのないほどの叫び声をあげながら、転げ倒れ、もだえ続けた。
もはや、周囲に聞えていた声や、重なっていた大勢の声も聞こえない。絶叫と激痛だけが透を貫き、一瞬一瞬が永遠にさえ思えてくる。
そして……――
気が付くと、透はうつぶせのまま倒れていた。体中を襲った激痛は、鋭さをなくすも未だに火傷の様に。疼く恐怖とともに体を震わせていた。何より、自分の腕が今まで見たことの無いほど小刻みに震えていた。
人の手だ。体がある……。苦痛に満ちた姿作成は成功したようだった。安堵のため息と共に顔を突っ伏す。
「これは……ひどい……」
吐き気を催しそうになりながらも、やっとの思いで喉を絞り、呟くと顔を上げた。今や、あの響いてくる大勢の声はなく、声を出す透の声は、ただ一人、静かな空間に吸い込まれる様に消えた。
口からだらしなく垂れていた唾液をぬぐう。あまりに突然の出来事に、怒りをこめて精一杯床を叩くが、腕に力が入らず、弱々しくペチっと音がした。 何とか落ち着こうと、二〜三度深呼吸を行う。肺に空気を流し込むと、元気が湧いた気がしたが、吐くとともに悲しいほど力は抜けて行った。
苦痛の緊張から解かれたせいか、意識が少しかすむ。このままぼんやりとした意識の中で一眠りつきたいが、そうもして居られそうにない。彼らも来るはずだ。もしかしたら自分が一番遅いのかもしれない。
「…………う……っ」
腕を床に突っ張らせて起き上がろうとするも、体にうまく力が入らない。暫く奮闘しながらやっとの思いで起きあがった。気が付けば、周りは白の空間ではなく、どこかの部屋の様である。 意識が朦朧とする中、ふと視線を上げていくと、目の前に巨大な石の扉が出現していた。
透の身長より何倍も大きい。
「な、なんだ?」
好奇心と恐怖心を抱きながら透が見上げつつ言った。何が出てきても大丈夫なように後ろへ数歩下がる。石の扉が物凄い音をたてながら動き始めた。
しかし、扉は透の予想に反し、手前ではなく奥に開いて行く。扉の奥からすさまじい光と物凄い風が吹きぬけた。徐々に激しい光も風とともに収まっていく。
次第に和らいでいく光の目の前に広げるのは、空高くから見下げる朝焼けに染まった肥沃な大地だった。
想像とは違う開始の仕方に、ただ茫然と見つめる。と、突然床が大きく揺れた。
「? ――う、うわわっ」
驚いてしゃがみかけたその瞬間、床が傾いた。足は床を勢い良く滑って行き、扉の向うの空中に放り出された。咄嗟に、空中に切り取られた床を掴もうと右手を伸ばしたが、それ以上に透の体は、急速に離れて行く。
「うわあああぁぁぁぁぁぁああ!」
ほとんど説明を受けられなかった透は、訳が分からぬまま世界の大空へ放り出された。