配達物
翌日、日が昇り明るくなった部屋の中で、唐突に透は目を覚ました。
目を瞬きながら部屋を見渡すと、二人は部屋に雑魚寝になって寝ている。卓袱台の上には、食べ終わった後のコンビニ弁当のゴミが袋に詰まって放置されていた。外からは、電車が駅に到着することを知らせるアナウンスが流れている。
何故、急に起きたのかは分からない。時間は……時計を見ると、短針はすでに十時頃を差していた。透の部屋では扇風機が、昼夜問わずフル回転でまわっている。
ぼんやりしていると「ピンポーン」と呼び鈴が鳴っていることに気が付いた。どうやら急に目が覚めた理由はこれだったようだ。
「あ、はーい! ――あ」
必要以上に大声で叫びながら立ち上がると、ここがアパートだということを思い出す。しまったと顔をしかめる透は、あとで怒られるかもしれないな、などとも思いながら玄関に急いだ。
靴のかかとをつぶし履いて扉を開けると、宅急便の配達員らしき男性が大きめの段ボールを抱えて立っていた。
「あ、おはようございます。朝早くに申し訳ありません。速達のお荷物をお届けにまいりました」
呼び鈴を押したその人は玄関を開けるなり、ちょいと箱を持ち上げる動作をしながら、要件を応えてくれた。『朝早くに』という言葉に透は少し苦笑を洩らす。
普段、遅くても八時ごろに目が覚める――覚めるように心がけている――透にとっては少し皮肉にというか、フォローに聞こえたが、他のところではそうかもしれないな……そんな風に受け取った。
慣れた様子で言う灰色の作業服を着た青年は、抱えていた段ボールの上の張り付いている紙に、「確認の印鑑か、サインをお願いします」と、言いながら段ボールの上にボールペンを置いた。
印鑑を取りに戻るのが面倒くさかった透は、ボールペンを受け取って確認印の所にサインをする。
「――はい、ありがとうございます」
透がサインし終わるのを確認すると、ボールペンと交換するように段ボールを受け取った。受け取る際、配達員が手早くボールペンと一緒に、張り付いた紙の上の層をはぎ取る。
それではと言って軽く一礼をしてから駆け足で戻っていく配達員に、ご苦労様です、と声をかけた。と、そこで見かけない車を配達員の肩越しに見つける。配達に使う様な車でないところから、配達員とは関係のなさそうだが……。
「……」
しばらく車を訝しげに見ると、透は段ボールを抱えて玄関の扉を閉めた。
透が部屋に戻ってみると、二人とも目を覚まして言葉の少ない雑談をしていた。呼び鈴で目が覚めたのか、透の咄嗟の大声に驚いて目が覚めたのか分からないところだ。
部屋に戻った透をみた二人は、すぐさま透の抱えている段ボールに注目した。
「……パソコンか、何かか?」
由久が、ノートパソコンと段ボールを交互に見た後に透に聞いた。
「さぁ……聞く前に受け取るだけ受け取って帰らせちゃったからな……」
透が、聞いとけばよかったな、と言っていいながら後悔していると、横から松之介が見上げながら「それってアレだろ」と口を挟んだ。
「実家からの仕送りとかじゃないのか?」
彼の問いかけに、不思議そうにしながらも首を振った。
「いいや。こんな、夏休みに入ったばっかりの時に送ってくるはずないと思うよ。来るとしたら家に戻ってこい程度の手紙か何かでしょ……。――取り敢えず置きたいから、物をどかしてくれるかい?」
卓袱台の上に置いてあったゴミが部屋の隅に置いてあるゴミ箱に押し込まれると、透は段ボールを慎重に卓袱台の上に置いた――つもりだったが、最後のところで、がたんっと卓袱台の上に落とすように置いてしまった。
そのまま座ろうと中腰になったが、段ボールを開けるのにカッターが必要だということにきがついて、壁際の勉強机の引き出しからカッターを取り出す。 刃を出して継ぎ目に突き立てると、中身を傷つけたくないので、軽くスーっと刃を滑らせて切れ目を入れた。
切れ目に指を押し込むとそこから力任せに切り裂いた。紙を裂く音をたてながら、クッション用のエアマットを退かすと、黒色の本体が見えた。
透は両手を箱の中に入れ込み、発泡スチロールに挟まれたその機械を取り出して卓袱台の上に静かに置いた。
一見すると、黒色に長方形でパソコンの本体のような形の機械。側面には機械の名称だろうか、『V―ユニット』刻まれている。透はこの名前に見覚えがある。その売り文句をおもいだして、段々と心臓の鼓動が速くなってきた。
「……これ、この前のアンケート送ってきた所が作ってるゲーム機だ」
「この前? てかアンケートって……アンケートでこれがきたのか?」
ため息交じりの信じられないといった様子で呟く透に、由久が不審げに眼を細めながら言った。
「ああ。確か……一週間? いや、もう少し前だったかも知れない」
「はは、ヨルの記憶力は一週間持たないんだな」
マジマジと機械を観察する透が言うと、松之介が笑いだす。
「忙しいと覚えることも忘れることも多いんだよ。すべからく――そう! ところてん!」
「独り暮らしの代償か」
「まぁ、記憶領域が三歩と言うよりは、ましだと思うけどね」
由久が腕を組んで口元を押さえながら、納得するように呟く。そこへ軽く透が言葉をつなげた。この手のやり取りはいつものことの三人では、互いに軽く笑った。その間にも、透は説明書や、周辺機器を取り出していく。
「で、アンケートで送られてきたといったが……」
先程のお流れになった質問を再度聞きなおす由久に、「ああ、そうだったな」と相槌を打ちながら答えた。
「いやさ。ポストに貯まった新聞を引っ張り出して、古新聞に纏めようとしたときにさ、なんかでっかい封筒も挿んであったんだよ」
ごそごそと箱の中の物を引っ張り出しながら話す。中から、ヘルメットを肉抜きして軽量化した様な装置が、四つ出てきた。彼は話を続ける。
「まぁ、独り暮らしかどうか、とか、家族構成は、とか。後半はゲームに関してのアンケートでさ」
ことの経緯を離しながら、彼の意識は説明書へ向けられている。ページをめくっては読み飛ばし、必要な部分を読み終えると、興味が失せた様にぽいっと投げ捨てた。うきうきと設置に入った透を横目に、由久は説明書を手に取る。
「面倒くさかったんだけどさぁ。なんか、応募券見たいのが入っててさ!」
「応募券?」
透の声色がわくわくとした上浮いたものになって行く。松之介が聞き返すと、「ああ!」と喜び混じりに頷いた。
「開発途中のゲーム機のテストプレイヤーを募集中! 抽選で~って内容の奴がね。それでちょっとばかし気になって、宝くじ間隔で応募したんだよね! そしたらこれですよ、奥さん!」
「どこに奥さんか」
「しまったゴリラさんか! はは、こりゃまいった!」
「……おい」
妙なテンションの透に、ついていけないと言った様子で松之介がため息を吐いた。
「いやまぁ、そんなことは水に流して。なん立ってこのゲーム、ゲームの世界に入れるゲームなんだよ!」
「ゲーム連呼しすぎだ」
興奮に舞いあがりすぎた透とは、もはや正常な会話は出来そうにない。松之介があきれ半分の引きつり笑いで相手をする中、由久はあまり乗り気ではない表情をしていた。
「……胡散臭いな」
説明書を読み終えた由久がつけどんに呟いた。見ると、彼の口元には嘲笑とも苦笑いともとれる笑みを浮かべていた。彼は、組みあげ途中にふり返った透に、説明書を返しつつ言葉を続ける。
「どうも胡散臭さが漂う。こんな話、聞いたことない。まぁ、調べようと思って知っている範囲ではないが……。アンケートに招待状が付いてくるのは、まだ――いや、それも十二分に怪しい様な気もするが……」
「俺も正直、変な話ではあると思うぜ。開発途中の機械を、アンケートに答えただけの高校生に、送りつけてくるのは可笑しいだろ」
「……、ん、まぁ――」
二人のごもっともな言い方に、透は口を濁らせながら手元の説明書に目を落とした。テスト項目の内容を指でなぞる。
「いや、だけど……すげぇ面白そうじゃんか」
由久は「面白そうだと言うけどな……」とため息交じりに首を振る。しかし、隣に座る松之介には、少しは共感する部分があるようだ。彼は「うーん」と決め難い様に唸った。
「発売前のゲームが出来るなんて面白そうじゃん? 体験版とか、そんな感じだろうけど、面白そうじゃん!?」
「……けどな」
「……ぶっちゃけ、漫画じゃ有るまいし」
「確かに変な話かもしんないけど……面白そうだとは思わない? あれも、少し詰みかけてることだし」
透が二人の後ろにあるテレビを一瞥しながら言う。それにつられて、テレビ――そしてそのすぐ下にあるテレビゲームに視線を移し、それからゆっくりと透へ向き直った。
「……やるか?」
松之介が片眉を上げながらニヤリと笑う。その様子をみて由久は、さも残念そうに首をふった。
「……多数決的には決着してる、か。一人、違うことするのもあれだしな……。――いいぜ。どうせ暫くは向こうも進まないことだし、最近はずっとあのゲームばっかりだったしな」
由久の言葉に透が頷いた。
「んじゃ、早速!」
景気付けるように手を叩いた透は、言葉通り、早速準備の続きに取り掛かった。
暫くして、しばらくして、先程までテレビに接続されていたゲーム機を片付けると、卓袱台の上に例のテスト機であるというゲーム機が準備される。
最後の確認のために説明書を読んでいた透が、説明書を脇に置いた。
「由久、松之介。手順を言うから良く聞いてくれよ? まず、人数分ヘルメットっぽいのを繋げて。それにこれ」
卓袱台の上に置かれた四人分のヘッドセットとそれら諸々の中から、チョークのような大きさの六角柱状の物体を、人の目線高さに差し出した。淡い青色を帯びた透明なガラスで片方にキャップのように金属端子が付いている。
「これはゲーム進行時中の記録保存のために使う、これ専用のメモリーだってさ。四つあって、三人。一人一個はあるから、自分のヘルメットの側面に入れるところに金属部から差し込んで。んで、これをかぶって後は俺が設定するよ。
ゲームの世界に侵入する前に、さっき読んだ説明書通り、自分の具像化したイメージによって姿が形成されるらしいから。詳しいことは、たぶんまた説明が出ると思うから――あ」
早く試したくてつい早口になる。――が、ふと思い出したように「ああ、そうだ」と透が付け足した。
「そうそう、なんかデータの変換だかの都合で姿が思い通りの姿にならず、強制的に他の姿に変えられちゃうことがあるらしいから」
透は先程までの早口とは違い、口元に笑みを忍ばせながらゆっくりとした口調で言い終えると、二人の反応を待たずにヘルメットのようなものを取り出す。 目を保護するためのゴーグルとヘッドホンをあわせたようなものだった。
「じゃ、始めるよ。俺のやってるようにやってよ」
頭にすっぽりとかぶると、二人に言う。装着すると右手でコードの途中で枝分かれしたパッドを取り寄せ、首筋にピタッと貼り付ける。ヒヤリとしたパッドに一瞬だけ身震いが走った。 横の方でカチャカチャと音がする。多分二人も被っているのだろう。しばらくたつと目の前が全面青になり、項目が出る。
『ソフトを使用する/中で遊ぶ(テストプレイ)』
透は左にある、耳あてについたボタンを使ってカーソルを移動し、下の[ソフトを入れず、中で遊ぶ]の項目を選んだ。松之介が「何も出ないぞ」と聞いてきたが、透は「設定中」とだけ答えて作業を続ける。 [プレイヤーの数は?]と出てきたので、[1]を[3]にし、ボタンを押した。すると、画面中央に[プレイヤー1、あなたは 夜茂木沢 透様 本人ですか?] と、文字がすっと現れた。
「え、名指し?」
説明書にはなかった展開に、思わず口から出てしまった。ディスプレイの青の奥に二人と自分の部屋の姿がうっすらと見えた。
「そっちには名前出てる?」
透が聞くと松之介、そして由久の順に首を振り、「おれはプレイヤー2」「こっちは3だな」と答える
「あ、そうなんだ。……いや、なんでもない」
透は首を戻し、目の前のV―ユニットの方に顔を向けている状態になる。 アンケートが送られてきたのは俺だから、なのかな。そんな風に考えながら右のボタンを操作すると「Yes」にした。
まもなくして、青一色だった画面に異変が起きた。目の前が真っ白になっていく。見たこともない、文字と謎の数式が現れては、渦を巻いて画面の奥に落ちていく……。 錯覚だろうが、体が吸い込まれていきそうだ。『すごいなぁ』と、言おうとしたが口が動かない。意識が飛び始めたらしい。
その時、後ろからドサっと倒れこむ音が頭の中に鈍く響いた。
――あ、……急に……眠気……
意識が脳の端っこにしがみついているような状態で、玄関が開いた音が聞こえた。聞きなれたあの音は普通に開けた音のハズだが、微かで遠くに聞こえる。 意識が次第に空白へと変わりはてていく中で体が傾きつつあるのを感じた。必死の思いで、ゴムに覆われたような鈍い感覚の体に力を入れ、ドアに向くように体を捩じらせながら床に倒れた。
何を見ているのか、だんだんと認識できなくなり始めたとき、廊下から部屋に入ってくる何者かが現れた。
「……うっ……っ〜……」
誰? そう言ったつもりが、半開きになった口の中で舌がうごめき、唸り声がかすかに出る程度に終わる。
視界は、真っ白に輝く光で覆われ、最後は体の感覚が完全に消え去るのを感じた。
意識が途切れてからというもの、透は真っ暗な部屋で音のないテレビを見るような感覚で、時折、ぼやけた景色が目に飛び込んでくるのを感じた。
揺れる視界。真っ暗な夜空を見上げながら担ぎ出される。一瞬しかない映像が暗くなり、霞がかる暗闇の奥にうっすらと見えるように……。
暗闇に途切れる。
瞬間、まぶしい七つの光が透の目の前に現れた。ひたすらに眠い、無感覚で無思考の夢の淵の中で、透の目元が引きつく。途端に、黒い影が三方から覆いかぶさった。
光が消えてからどのくらいたったかは分からない。思考が停止したように空白の中で、透は自分の意識が暗闇の中に沈みこんでいくような感覚を感じた。
暗闇の中で横たわる体は、足元から自分の体が飲み込まれ、次第に溶かされて消えていく様な……。
ふと、見えない位置にある場所で子供の姿を知覚する。後ろに立っている。足元しか見えない、幼い脚。
遠くで誰かの声が聞こえた。