29 傷口にしみるは、一種の愛情
「へぇ~」
宿屋兼食事処『ねこと家』の裏口倉庫部屋でエルフィンが箱の上に座って、両手を膝頭の上で頬杖についていた。土ぼこりを落とした後も、汚れの目立つ透とスティルを目の当たりにしたエルフィンは、ニヤニヤと二人――どちらかと言えばスティル――を見る。
「こんなじかんまで、おそとであそんできたの~?」
空はすでの藍色の下地に瞬く星々が煌めいていた。廊下の奥からは、お店のお客たちの雑多とした話し声が聞こえてくる。
「だめよ~? ふたりともこどもなんだから。わかった~?」
子どもにあやし言葉で言い聞かせる様な口調で首を傾げる。
絡み酒を相手にしている様なムカツキがこみ上げてくるのを、透はどうにか抑えている所だった。一度、投げ飛ばしたこともあるのだし、チョップの一回や二回、喰らわせたところで良い様な気もする。
透が手を上げかけたところで、エルフィンは「まぁ冗談はこれくらいにして」とため息交じりに切り替えた。開いた形で上げた掌は、グッと固められると元の場所へ下げられる。
「昼にも帰ってこないで、一体どうしたの?」
その声色は、彼女が心配していたことを透が察するには十分だった。
「街の外でちょっと剣を――朝、松之介が話しませんでした?」
「いいえ」
彼女は首を横に振った。
「スティルをデートに誘ったと言うのは聞いたわ」
「……エルフィンさん、顔がニヤけてますよ。冗談は終わりにするんじゃなかったんですか?」
透がため息交じりに座った目で彼女を見る。「わかったわよ」とエルフィンはつまらなさそうに肩を竦ませた。
「まぁ、木刀を持ちだした時点で、大体分かるけどね」
「あ~……その点で、一つ謝らなくてはいけないことが」
透が言いにくそうに後頭部を掻く。エルフィンが片眉を吊り上げた。彼が曲がったりしてボロボロになった棒きれを二つ、彼女に差し出す。眉を吊り上げていた表情が、驚きの物に切り替わった。
「ちょ、これ……かなり、丈夫な木なんだけど……」
たどたどしく見上げる彼女に、肩を竦めた。
「スティル、見た目に反してかなり力あるんですもん。むしろ折れかけになるまで耐え抜いたこの棒の方がすごいですよ」
エルフィンは「はは」と笑う透から、スティルへ視線を移した。
「まぁ、木ですから」
彼は落ち着き払って目を瞑る。彼女はじーっスティルを見上げ、突然、彼の衣服をめくりあげた。すぐさま彼がその手を叩き落とすが、エルフィンは眉間に皺を寄せている。
「痣だらけじゃない……」
「一応、手加減してたんですけどね」
透がバツの悪そうに頬をぽりぽりと掻きながら言う。呆れた表情を見せるエルフィンは、ハッとして透へ手を伸ばし――その手の初動を感じ取った透は、手が伸びるより先にささっと後ろに退いた。
「……トオル? ちょっとこっちに来なさい」
「……。」
お腹を抱えるようにジャケットを抑えながら、透は無言の抵抗を示した。エルフィンが肩を落としてため息をする。
「いきなり剥いだりは――」
「それよりエルフィンさん」
徐に彼女が口を開くと、透がそれに被せるように口走った。彼女は閉口して嫌な顔をする。それに気付かないフリをして、透は続けた。
「ここで何してるんですか? お店の手伝いはいいんですか?」
「……お店は今、大半のお客さんが食事中で落ち着いたところなの」
彼女は大袈裟なため息の共に首を振った。
「さっきはマツノスケが休憩したから、今度は私ってわけ」
「そうですか。貴重な休憩時間でしょうから、ごゆっく――」
「貴重な時間だから」
笑顔と共に、口早にあしらって立ち去ろうとする透が会釈した所で、口調強めに言うエルフィンの手が彼女(?)の腕を掴んだ。反応の遅れた透は、掴まれた後になって体を退かせるが、不幸にも握った所が痣だった。
「イタッ!」
小さく飛び上がって悲鳴を上げる透を見て、驚いたエルフィンが慌てて手を離す。逃げるように階段の方へ下がりつつ腕を擦る透を見て、肩を竦ませつつ彼女は言った。
「ねぇ、いきなり剥いだりしないわ。でも、見せてくれないと」
「彼と一緒ですよ。痣だらけなだけです」
「こっちは心配してるのよ?」
悲しげに言うエルフィンに、透は気まずそうに息を詰まらせた。疑いの目で彼女を見るが……エルフィンは手を差し伸べて「ほら」と小さく首を傾げる。スティルが陰でこっそりと僅かに口元を緩ませて笑う。
「こんなの、見ても何の役に立たないと思うんですが」
渋々と近づきながら最後の抵抗の様に言う透に、彼女が頬笑みながら小さくため息をした。
「役に立つ、立たないの問題じゃないでしょ。怪我だと言っても、どの程度の怪我なのかは知っておきたいじゃない」
薬箱を手に、透の肩を取って倉庫の端へ誘導する。その際、スティルに向かって「みちゃだめよ?」とニヤリと笑いかける彼女に、透は失笑を漏らした。
スティルの方を背にして立たせるエルフィンは、服の裾を持ってめくりあげ――小さな悲鳴と共に息をのむ。
「ちょっと……スティルより酷いじゃない」
「そりゃぁ、彼並みに強くはありませんから」
平然と答えて彼女の表情を見た時、そこでようやく彼女が怒気を含んでいる事に気付いた。ギョっとして透が言い訳を口走る。
「あ、いや。半分は自滅で出来た怪我で――」
スティルの方を睨みかけたエルフィンが、首を振りつつ透を見上げた。
「あなたね……。度々思うのだけれど女の子っていう自覚が無いんじゃない?」
「まぁ、そうですけど」
「……。」
透の返答が気に食わなかった様子の彼女は、黙ったまま座った目で彼を見上げる。引き攣った笑みと肩竦みで返す透に、すくっと立ち上がった彼女は、唐突に透の手を取って歩き出した。
「ちょ、エルフィンさん?」
「スティル。ちょっと私の代わりに御店手伝ってきてくれる?」
困惑する透に構わず、エルフィンはスティルに指示を出す。それまで、壁に寄りかかっていた彼は、コクッと頷くとお店側の方へ歩いて行く。
「ええ? ちょ――」
「トオルが終わったら今度はスティルだからね?」
階段を上る手前、彼女がスティルに向かって言うと彼はあからさまに嫌な顔をした。『終わったら』とは一体何をするつもりなんだろうか?
透の経験から、一つの選択肢が確固たる主張を持って頭の中で点滅する。
――説教される……。
急ぎ足に階段をエルフィンの様子を見て、透は蒼い顔に涙目で思った。俯く透は手をひっぱられるまま、ついて行く。
エルフィンが透たちの部屋の扉を勢いよく開けた。
「!?」
突然のことに、窓際のソファで寛いでいた由久が何事かと、部屋の出入り口を見る。
「エルフィ――透?」
薬箱を手に、ただならぬ様子のエルフィンに声を掛けかけ、その後ろで薄暗いものを漂わせる透に気付いた由久は、茫然と問いかける。が、それに応える前に、エルフィンは脱衣室に手を掛けた。
「ヨシヒサ、ちょっとシャワー借りるけど良い?」
「っ!?」
透が声にならない悲鳴と共に飛び上がった。だが、彼の手はしっかりとエルフィンに握られている。
「あ? ああ、別にかまわないが……」
「ありがとう」
あまりのことに呆けた様子で答える由久に、エルフィンは笑顔で答えると、燃え上がらんばかりに赤面した透を引き連れて脱衣室に入って行った。
奥から、こもった声が聞こえてくる。
(「ちゃっちゃと服を脱ぐ!」「え、ええ!? 嫌ですよ!」「服の中まで泥だらけじゃ傷の手当てできないでしょ?」「だったら一人で――」「つべこべ言わずに脱ぐ!」)
エルフィンの一喝の後、透の羞恥の悲鳴が聞こえてきた。あのエルフィンの口調の荒さ……。そうとう怒ってるのか。一体何やらかしたんだ?
武器の手入れの仕方が書かれた、参考書の様な本を手に由久は思った。
脱衣室の方からは、すでに言葉にならない透の声と、エルフィンが取り仕切る声、ドタドタとした音が聞こえてくる。
シャワー室に移った足音が聞え、透の混乱して喚く声が一変して、恐ろしい悲鳴に変わった。水の音が聞こえるところからして、大方シャワーを捻ったのだろう。
「……。」
由久は本を開きつつ、ふと思ってしまった。透が裸になっているのは、まず間違いないだろう。……無理矢理、透を連行していったエルフィンは?
「……。」
由久はソファの座りを直しながら、頭を振った。透が少しうらやましいと思うとともに劣情を催すような自分を鼻で笑う――が、ふと、そう言えば街の中心部の細い通りに、娼婦の店があった様な……と、街の散策の時のことを思い出した。
「まぁ、遊びに使える金はないがな」
肌寒く感じる夜風が髪をそよがせ、頬を撫でる。ため息ひとつ、首を振った由久は本のページを一枚めくった。
シャワー室からは、まるで拷問されている様な透の悲鳴が聞こえてくる。




