28 透のスカウト・プロシージャー
翌日、松之介はぼんやりとしながら早朝の開店準備を進めていた。
昨日の、騎士ギリアム・ドゥウォンの戦いぶりを繰り返し目に焼き付けている内、ふと自分の腕でそれを再現するイメージをしていたのだ。 一歩一歩の踏み込みが深く、まるで体が頑強な岩の様に地に足の付いた捌き、それでいて剣の流れる滑らかさ……気を抜けば、右から左への動きさえ見失ってしまいそうだった。
住宅区の苦情が衛兵から役所に伝わり、店前の騒ぎの中断を申し出てくるまでの三時間半、松之介はひたすら戦いを見つめ、そして戦った。
挑戦する『|冒険者(ルタエ-ラザ)』、助力に回って一緒のグループの様に迎え撃つ『ハンター』……透、そしてギリアムの振るう剣の軌跡……どれ一つ経験として逃すまいと目を見張って、そして考えていた。
自分が強くなるためには、と。
痛手で済む程度の闘技場の真似事の様な祭り騒ぎも、今日は店の前でなく街の外で行われるだろう。 なんてことだ。こんなにも腕がざわめくかの様な感覚を覚えるのに、今日は一日、店の手伝いに繋がれたままなんて……。
薄暗い住宅区通りへ塵を掃きながら、歯がゆい気持ちに襲われた。剣が持てないと思うと、どうしようもなく心が渇いていく様な気がした。腕には気だるさと共に強張った痛みが残る。昨日のアレで、筋肉痛が起きているようだ。 ふと、松之介は昨日の情景、感覚を幻覚する。
手が痺れ、腕は熱を放つ。水を被った様に汗を流して……――箒の柄を強く握りしめた彼は、はっとして頭を跳ね飛ばさん限りに首を振った。
「今日は店の手伝いだ。集中しないと……」
自分に言い聞かせるように一人呟く松之介は、早朝の手伝いに戻ろうとふり向く。そうして、こちらを見るエルフィンに気付いた。
「――どう? 落ち着いた?」
粗方終わったのか、彼女は椅子に座っている。珍しいことにスティルもその隣に座っていた。松之介は少し視線を上げる。カウンター奥の厨房ではバラザームとダットが仕込みをしている最中だった。
「最近は、みんな物思いに耽たがるのね?」
悪戯っぽく聞くエルフィンに、松之介は歩きながら「はは」と苦笑した。
「別に、『物思いに耽る』ってほどの大層なことじゃないっすよ」
「そうかしら?」
彼女が首を傾げて聞き返す。スティルが肩を竦ませた。
「昨日から先程まで。ずっと同じ目でしたよ」
「同じ目?」
ええ、とスティルが頷いた。エルフィンが口を挟む。
「なんというか、目が虚ろと言うか……ね?」
「よくは分からないですけど、なんだか変な感じだったのは確かですよ」
二人の言葉に、松之介は考え込むようにため息をつく。
「……ただ、剣を握りたいってことくらいだ、な。強くなりてぇなぁって……――あ、そうだスティル」
自分の手を見てしみじみと言う松之介は「あ」と思い出したように手を叩き、スティルを見た。昨晩、透から伝言を頼まれていたことを、昨日の情景を描くとともに唐突に思い出した。
「今日、休んでみないか?」
「え? スティルが?」
「……僕が休んでどうするんです?」
その一言に、思わずエルフィンが聞き返し、無表情のスティルが少しの沈黙と共に、些かの冷たさを帯びた眼で彼を見た。――松之介は思わず気まずさに身を退かせて、眉間に皺を寄せる。二人の反応は『意外』というだけでは言いきれない様に思えた。
「……やっぱり、スティルが休むのは不味いですかね?」
乗り気でないだろうとは思っていたが、ここまで嫌がられるとは思わなかった松之介は、エルフィンに苦笑しながら聞き返した。
「あ……、えーっと……」
松之介を見上げていた彼女は、彼の質問にどこか答え辛そうに言葉を濁すと視線を反らすように俯いてしまう。すると、スティルが代わりに答えるように口を開いた。二人の視線がスティルに移る。
「別に構いませんよ。――で、どうします? 貴方も休みますか?」
彼の口調は、普段と同じの様だが、不機嫌そうな棘がある事を松之介は気付く。だが、あえてそれには構わず、彼は「それは不味いだろう」と苦笑した。
「俺たちが手伝う前は、四人でなんとか、って感じだったんだろ? 俺が休んだら、明らかに人手不足だと思うんだが」
「……でも、僕に用があるんじゃないんですか?」
薄い反応の中で怪訝そうに聞き返すスティルに、松之介は腕を組んで項垂れた。
「とは言っても、まぁ、透からの伝言だしなぁ……」
「トオル君から?」
「……どちらかというと、ヨシヒサの方かと思いましたが」
二人が今度こそ間違いなく『意外』と言った面持ちで驚く。口々に言う二人に、松之介はますます訳のわからなそうに首を傾げた。
「……なんで、由久なんだ?」
「え、いや、前の『プレイヤー』たちと同じようなやり取りがあってね――あ」
エルフィンが誤魔化すように笑い、ふと、素頓狂な声を出した。
「その……トオルが、言ったのよね?」
「ええ、昨日の夜、寝る直前に」
「そう」
真面目な表情で聞き返していた彼女は、松之介の口から確認の取れると納得したように頷いた。スティルが彼女の顔を見る。訳を知っていそうな彼女は、にこやかな笑みを返すが、それ以上、何か言うということはなかった。
スティルは腕を組んで口元を手で覆い考え込む。少しして、眉間の皺を一層寄せながら腕を解いた彼は、徐に口を開いた。
「……まさか、僕に撃退の片棒を継がせようってことじゃないですよね」
「透が考えそうなことだが……その点は多分、大丈夫だ。
昨日、話し合ってな。今日からは東の門を出て、左の平原あたりでやることになったんだ。まぁ、騒いで暴れ、楽しめばそれでいいんだとさ。
もしも東門に連れてかれそうになったら、後ろからぶったたいてやると良いぜ」
拳でパンっと手の平を打つ松之介に、エルフィンは「まぁ」と面白そうに笑い、スティルは呆れた様子でため息した。ふと、クスクスと笑っていた彼女がスティルを見る。
「――で、スティル。今日は休んでいいわよ?」
「……馬鹿な事を言わないでください」
微笑んで言うエルフィンに、彼は少し考え込んでから首を振る。二人のやり取りは、先程の緊張感を持ったものではなくなっていた。
「昨日だって結局、僕が色々と手伝って回してたんじゃないですか」
「毎日、あそこまで忙しいとは限らないわ――それに、女の子の御誘いを断るわけ?」
「彼女、男だっていってましたよ」
「……貴方、彼女の裸見たの?」
「……!」
途端に挑発するような半目で見るエルフィンに、思わずスティルがたじろいだ。
「な、見るわけないじゃないですか」
「顔赤くしちゃって」
ニヤニヤと笑ってスティルをからかう。その表情をみて、誰かをからかっている時の彼女は実に艶めかしい表情をするもんだなぁ、と松之介は感心に似た感想を抱いた。そういえば、昨日の晩に話していた噂の『暴壊』の件。
――悪くない響きだと思わないか? 『暴壊』――
わざとロマンチックに言う透の表情も色っぽかった気がする。まぁ、あれは怪しく笑ったつもりなんだろけどな。
「――ええ、わかりました。そこまで言うのであれば、休みますよ」
珍しくエルフィンに揶わられるスティルが静かに厳しい口調で答えると、向こうへ行ってしまった。やや肩を怒らせているようにも見える彼の背を見て、エルフィンがクスクスと笑っている。
「久しぶりに見たわ、あの子があそこまで怒るのだなんて」
そっかぁ、まだあっちの手があったのねぇ、と楽しそうに独り言をいっている。松之介は、何も聞かなかったことにしようと、心に決めた。
「そういえば、オヤジさんに相談したの?」
今更ながら思い出したように言うエルフィンに、松之介は頷いて返した。
「どうやら、昨日の夜、透から聞いてたみたいです。ほら、店の前の闘技場もどきの件でオヤジさん、役所に行ったじゃないですか」
「あれ? そうだったの?」
初耳と言った感じで彼女が首を傾げた。
「深夜ですよ。お店が閉店してから役所に……知りませんか?」
「……昨日の晩……」
脚を組んで膝に両手を置いていた彼女は、口元に右手を当て昨日の晩の事を思い出す。やがて彼女は、手を下げるとともに首を振って答えた。
「気付かなかったわね。私たち疲れてたから……。片付け終わった後、すぐ解散して寝ちゃったし」
「そうなんですか……」
松之介は特に返す言葉も内容もなく、頷いて相槌を返す。
「――そっか……トオルがねぇ……」
テーブルに片腕に頬杖をつくエルフィンが、まだ人の歩かない住宅区通りを見つめながら、感慨深げに呟く。立ったまま見下ろすように見ていた松之介は、彼女の横顔を見ながら、ふと「美人だなぁ……」と思うのだった。
「おっけー、おっけー。やっぱこういう服の方が好きだな」
脱衣室兼更衣室を出てきた透はズボンを摘まんで引っ張りながら頷く。透は長袖のジャケットに、足周りの広い膝丈少し下のズボン。そしてブーツを履いていた。胸周りには胴巻きを着こんでいるので、胸の膨らみもない。ブーツは昨日と同じもので、山登りでもするかの様ながっちりとしたもの。透の選択できる中で今のところ一番のお気に入りでもある。
「――で、今日は何の用ですか?」
スティルは部屋の中央にある、足の高いテーブルの椅子に座っていた。腕を組んでため息交じりで透を見る。彼の服はたぶたぶとした青白いシャツに、ジーンズ生地であると思われる薄い灰色のズボンを着ていた。足には、使い古されてボロボロになり始めた裾と靴を括りつけるようにグルグルと紐が巻かれている。
いつものバンダナは、今は首に巻くように付けている。癖っ毛の茶色い髪の毛はクルクルといろんな方向へ跳ねていた。
「まぁ、その本題は、今は後にするとして……ちょっくら街の外に行こうか」
「……街の外に?」
「そ」
聞き返すスティルに、廊下への扉へ歩く透は肩越しに後ろで立ち上がる彼にニヤリと返した。
「街の、外……」
スティルは目を細めて彼女(?)の背を見ながら、後について歩く。
「外の騒ぎに参加しろってことですか?」
階段を下りる途中でスティルが聞くと、はは、と透が笑う。
「そんなんじゃない。そもそも、由久がそうさせてはくれないよ。『回ってくる回数が減る』って言ってね」
「……。」
外の騒ぎには参加しない。だが、街の外へ行く。見たところ武器の類を持っている様子はない。だが、酒飲みがする噂に、彼女(?)が剣を出現させる様なことをスティルは聞いている。
武器は一応に持っているが……。スティルは腰に付けたポーチの中にある、刀身のない剣の柄の存在を確認するように手を置く。魔法が得意と言うならば、果たしてコレで用が足りるだろうか?
特に会話もなく北西門へ来た二人は、門兵に挨拶をしながら歩く透の先導で、門の外へ出た左斜めの方へ歩いて行く。怪訝そうに周りを見渡すスティル。周りには喧嘩騒ぎする様な人だかりは居ない。何もない平原の方へ透は一直線に歩いて行く。
「……喧嘩の見学、とかではなかったんですか」
「ん? ああ、まぁ、それもよかったかもね」
「じゃぁ――」
今更になって気付いたかのような口ぶりの透に、スティルが目を座らせ腰に収まった柄に手を伸ばし――そして、彼は透越しに先を見て、思わず立ち止まる。
「……そっちですか」
視線の先には、二本の地面に突き刺さる木刀があった。察しのついた彼は、柄に置いた手を下ろして、脱力したため息をついた。
「オヤジさんから昨日、聞いたんだけど……スティルって昔、剣を習っていたんでしょ? オヤジさんとダットさんから」
エルフィンから借りたであろう木刀を引きぬいた透は、木刀を軽く叩き合わせながら、剣先についた土をそぎ落とす。
「なんでも、とっても小さいころから教えてたって聞いたけど?」
「……物心ついた時には剣術の稽古をさせられてましたけど」
スティルが自嘲的に鼻で笑うと頷いた。
「じゃぁ、相手をお願い出来るよね。俺は遊び程度にしかやったことないから、少しでも経験が必要なんだ」
木刀を渡す透に、彼はため息交じりに受け取った。適当な距離を測りつつ離れる。
「あまり乗り気はないのですが……」
「まぁまぁ。……ところで、本題の話だけど」
クルリとふり返った透が木刀を「正眼の構え」に構える。それに応ずるように、スティルは左足を少し引いた斜めの体勢で右手に剣を持った。
「もうちょっと後で良いよね?」
無表情に戻っていたスティルが怪訝な表情を見せる。
「これじゃないんですか?」
「まぁ、『これだけではない』とだけ言っておくよ」
少しだけ肩を竦ませて答える透に、スティルは脱力した表情になるが、再び引き締める。
「合図は……?」
「特にないかな……あ、初撃は受け身になるから『よし』の合図で」
「わかりました」
彼が静かに頷く。にこやかな表情をしていた透が、深呼吸と共に真面目な顔つきになった。
「――『よし』」
彼の目つきが鋭くなる。シルエットの細いスティルが一気に走り出した。
四歩目で間合いに入ったスティルが、一気に背を低くし、五歩目を踏み出す。透の目の前に翳される左手――接触寸前まで来たスティルに、透は後ろへ退く――交差するように体の奥へ引き込まれた木刀が一閃し、後ろに飛び退いた透の木刀をもぎ取らんばかりに強く弾いた。
「――いっ!?」
透の表情に驚嘆と焦りの色が出る。
踏み込みや横切りの強さといい、自分の想像以上に彼は強い。
考えている間にも、地面を踏み砕く様な強い踏み出しと共に繰り出される七筋の剣戟に、往なすのもそこそこに、ひたすら飛び退く透。 自分よりも背が高いはずなのに、常にその体は低く屈められている。彼の様な戦い方を初めてみた透にとって、非常にやり辛い。
八撃目の振り上げを横に避けた透は、避け際に反撃に振り落とす。
しかし、その一撃は低い体勢の体を大きく捻るように避けられた。
その反撃を機に、ババっと見るも鮮やかに距離を取るスティル。大きく四歩ほど、素早く離れた彼は構えを取り直す。
「……。」
透は追撃に足を踏み出すも忘れて、唖然と傍観していた。その様子を見て、剣先を視線の中心から下ろして、怪訝な表情で透を伺い見る。
「どうかしましたか?」
息をするのも忘れそうな勢いでマジマジと見ていた透は、ハッとして「い、いいや?」と慌てて首を振った。
「……聞いていた印象よりも、恐ろしく強いなぁと思って」
「どんな風に言ってたんですか?」
「ああ~……『小さい頃は教えてたけど、かれこれ四年ほどは教えてない』って」
「……まぁ、教えては貰ってません」
透が身を引いた。スティルの目が恐ろしいものに感じる。彼は下ろしていた剣を構えなおす。
「……『あなた方』のお陰とでもいうべきでしょうかね」
走り出したスティルに気付いたのは、彼が剣を体の奥へ引き込んでいた時だった。危機感の緊張に息を呑む。 手の甲にビリビリとした嫌な気配を感じる。
咄嗟に剣を返してスティルの叩き落としに備える――が、その強さは凄まじく、木の棒が折れないのが不思議なほどの衝撃が両手に伝わる。 手には、握っているのがやっとなほどの痺れが走った。
「うへっ」
気の抜ける様な声を発しながら、切り返しの打ち上げる剣を寸での所で避ける透は、側面に転げ避けて立ち上がる。
スティルは透に反撃をするつもりがないと見るや否や、ステップを踏むように軽やかに足を運ばせながら突きを繰り出し――構えなおした透が突きを弾きながら踏み込むと、右肩を入れ込むように体当たりした。
狙いはスティルの胸元を外し、左肩にぶつかる。
スティルは踏み出した右足の勢いに引き込まれる様に回るように転び、透は体当たりの余韻によろつきながらも振り向いて構えなおす。もみくちゃに転がったスティルは、腕を地面に振り落とす勢いを利用して跳ね起きた。
「……俺たちのお陰ってのは?」
距離が離れて様子見に移った透は、彼に問いかける。まさか、店の前でやっていたお祭り騒ぎで強くなったとかは言うまい。
「……。」
剣先を透に向けながら立ち上がり、土ぼこりを払う彼は、答えぬままに構えなおす。答えるつもりのなさそうな彼を見て、透はため息をしながら首をならすように傾げ――徐にスティルは口を開いた。
「一本、取ってみたらどうです?」
口元を少しばかり引き上げて言う彼に、透は流れる汗も拭かず彼を見据える。先程から受けに回ってばかりの彼に、スティルがふと疑問を持つ。
「……遠慮、要りませんよ」
短くそう言った彼に、透は肩を竦ませて首を傾げた。
「遠慮したつもりはないけど?」
透の言ったことは決して嘘ではなかった。遠慮していたわけではない。どうすれば打ち込むことが出来るのか、必死になって考えているだけであった。
「じゃぁなんで打ち込んでこないんですか? もしかして、僕が手加減してるとでもおもってるんですか?」
「これで手加減してるって言われたら、泣きたくなるんだけどなぁ」
「してます」
「え」
透が「ははは」と力なく笑っている所に、スティルがきっぱりと言い放つ。彼は涙目になって絶句した。
「僕の教わった剣技は、重量のある剣を扱うためのものです。今振っているのは自分なりに考えたデタラメなんですよ」
「……。」
透の精神に、まさしく彼の一閃の様なダメージが入った。由久と同じくらい強いんじゃないかと思っていたのに、現時点では手加減という事実に目頭が熱くなる。
「デタラメの定義を知りたくなる事実だな……」
思わず目を瞬かせる透に、スティルは「大袈裟な……」とため息を漏らす。
「貴女のだってデタラメな動きじゃないですか」
「そりゃまぁ、剣を習ったことないし……」
彼女(?)の言葉に、スティルがわずかに目を見開いて息をのむ。剣先がわずかに下がった。
「……今、なんて?」
無表情で聞き返すスティルの目に嫌なものを感じた透は、うっ、と息を詰まらせた。
「……な、何か気に障ったこといった?」
「いいえ。それより『剣を習ったことない』って言いました?」
「あ、いやごめん。訂正するよ」
慌てて身ぶり手ぶりでたしなめる透は、言葉を選んで言いにくそうに答えた。
「少し。少しだけね。遊びとかで」
「そうですか……『遊び』……で」
……最初に言った気がするんだけどなぁ。構えなおした透は心の中で呟いた。
目の奥を沈ませ見据える彼の目に、正眼の構えをする透が写る。
彼が走り出す。地面を引き、蹴りぬくように姿勢を屈んで入り込んだスティルは、右足を踏み込み――透がタイミングを見て踏み込む。 姿勢を低くして左奥から捻りだすように回される木刀――透の突きだされた木刀は、振りだす彼の木刀の根元を捉え――透は絡め取るように振りあげる。
「あっ! ――くっ……!」
勢いあまり、前のめりに姿勢を崩すスティルを、透は肩を掴んで引き回しに往なすと、振り返りざまに彼の背中へ「トンッ」と打ち込んだ。
その一撃は、打ち込んだにしてはあまりにも甘い……精々、不安定な姿勢を崩すくらいの、軽く叩く程度の物だった。 彼はどたたっと縺れ足に転びかけるも、何とかふり向いて構えなおす。
「おお、一本とれた」
楽しげに言う透に、スティルがムッとした表情を見せる。
「……なんですか、ハエを叩く様な一撃は。あんなじゃ、刃の付いた剣でも――」
「まぁまぁ」
目を座らせて不機嫌そうに言う彼に、透は苦笑しながら手振りを加えて宥める。
「怪我されると困るでしょ? 俺とは違って、スティルはお店で重要な位置にいるんだし」
「……じゃぁ、なんで今日呼び出したんですか」
「まぁまぁ。その前に、さっきのあれ。答えてくれる? 一本とったし」
腰を屈めて土ぼこりを払っていた彼は、姿勢を直す。
「……あれで『一本』なんですか?」
「勘弁してよ」
挑発的に言うスティルに苦笑をもらした。
「力加減はどうであれ、無防備になったところへ打ち込んだんだし」
「……、……あまり気持ちの良い話ではないのですが」
言葉を待っていると、彼は近くの芝生へ目を落としながら答える。透は少しの間を置いた。
「なら『君が話したくなければ』ということになるのだけれど」
「……。」
残念そうに肩を竦める透に、スティルはため息を吐き「まぁ、別にいいでしょう」と頷いた。
「話すのは構いませんけど、どうします? きっと白けますよ」
「構わないよ」
木刀をザクッと地面に突き刺しながら、透は笑顔で答えた。
「折角だし、用件を離し終わってから、またやればいいさ。取り敢えず、スティルからで」
その場で座り込んだ透は、彼に促すように言うと、スティルも粗めの芝生のような草地に腰を下ろす。暫くの沈黙の後、言葉を選びかねる彼は「何から話しますかね……」と思案に耽った独り言を呟く。
「まぁ、簡単な説明で良いと思うよ」
「簡単な……ですか」
片膝を立てて座り直すスティルは思い出す様に少しの間眼を瞑って、それから透を見据えて口を開いた。
「結果だけ言うと、『プレイヤー』に挑まれたので、返り討ちに殺した。その時の経験を差して『あなた方のお陰』ということなんです」
「わぉ」
予想外の返答に、思わず透が唸る。ショックで用意しかけていた言葉は彼方へと消えてしまった。
「あ~……でも……事故ってこと?」
「いいえ」
唸りながら苦し紛れに言葉を選んで言う透に、スティルは迷うことなく首を振った。
「殺意に殺意をもって返すのは当然じゃありませんか?」
「う~ん……」
過剰防衛じゃないかなぁ……と心のうちで呟く透は、難しそうに顔を顰める。なんとも言わない――言えない透を見て、彼は独白し始める。
「――生意気……だったのが気に食わなかったそうです。宿に案内されてきたグループの中で、立ち去り際に呼び出されることが度々あり、その都度、剣を向けられたんですよ。
でも、丁度いい機会でした。そういう輩には僕も、心底、気に食わなかったですから。むしろ、腹にしまい込むように立ち去っていく様な奴らの方が、腹立たしかった」
彼の手に力が入っているのが分かる。憤怒を漂わせるスティルの言葉が終わるとともに、透は視線を泳がせ、地面へ顔を俯かせた。言葉を探し、そうして顔を上げると徐に口を開く。
「んじゃぁ――今の俺たちは、スティルにとって『斬りたい』と思う?」
スティルは伏していた視線を上げ、透を見据える。
彼は答えなかった。
どういう意図なのか、透は鼻で吹くように小さく笑うと立ち上がり、土を払いながら剣を構える。その目は、どこか寂しさを漂わせていた。透は、ゆっくりと間を開け、そして言った。
「……なぁ、スティル。一緒に、旅に来ないか?」
立ち上がり構えなおす彼は、僅かに動揺したような反応を見せる。口を開き――言葉をのむように閉じると「はは」と笑った。
「……馬鹿言わないでください。手伝う人間がこれ以上少なくなってどうするんですか。お店が営業できませんよ――」
彼の言葉が終わるか否や、透はスティルの前まで走り込んでいた。間合いまで入り込んだ透が、ニっと意地悪気な笑顔を見せる。
はっと息をのんで飛び退きながら、右上段からの袈裟切りの剣を叩き落とす。
透は右下段に弾かれた剣を切り上げに返し――スティルは横へ薙ぐ様に剣を弾くと、踏み出す――透は、はっとして反射的に膝を沈ませる。
スティルの間髪を入れない素早い切り返しを、首を屈めて掻い潜った透は、空いた胴へスパンっと打ち込んだ。
「ぐっ」
スティルの息を詰まらせる。透は動きの止めた彼を、上からのし上げるように押し倒した。
「――おっけー。今のは俺の完全勝利だな」
透の笑みを携えた得意げな声が、彼の上から聞える。
衝撃で目を閉じていた彼が目を開けると、倒れ込んだ体に膝で乗りかかる透が、スティルの首元に木刀が突き付けていた。彼の目が睨みあげ、ため息を吐きだすとともに脱力する。透は木刀を下ろした。
「すぐに決めなくてもいい。俺たちもまだ暫くは御世話になりそうだしね」
目を瞑り、特に応える様子のない彼の胸が、荒い呼吸に上下している。
「――そんなに疲れた?」
スティルの上から退いた透が、彼の腕を取りながら起き上らせる。
「……不意を突かれたら、誰だれだって息上がりますよ」
眼を半目に開いた彼は、忌々しげに吐きだした。ニシシっと彼女(?)が笑う。
「駄目だな、スティルは。構えてたら常に気を張っとかないと。そんなんじゃ、由久にあっという間にのされるぜ?」
実際、稽古中の意識が傾き過ぎると、由久は容赦なく一撃を打ち込んできた。待ったを掛けるまで、雑談を交わしていても稽古中というのが、透達三人の中でのルールだった。
「……。」
スティルは、ジワリと浮き出た汗を拭いながら距離を取ると構え直した。
「やる気あるね」
「……二本」
普段の無表情な顔で、木刀越しに透を見る。
「『遊び』に振ってきた剣で、二本もとられたんです。その倍は取り返さないと、父やダットさんになんと言われるか」
「なんとも言われないでしょ」
透が苦笑する。スティルは少しばかり考えてから「ええ」と彼は頷く。
「言われないでしょうけど……気が済まないですから」
「……年齢一年の歳月は大きいものだ。少年よ」
はっきりとした口調で言い口を閉ざして見据える彼に、透は演技がかった声で静かに答えた。




