27 思い想いの、そして悩みの一日
視点切り替えは三人分。
順番は
透 → 由久 → 松之介
です。
翌日、透は朝起きた後、暫く放心状態のまま何も考えることが出来なかった。心臓はドクンドクンと高鳴り、言い知れぬ思いに体が震える。
夢。夢を見た。幼少期の――昔の夢だ!
透にはある時期から昔の記憶が全くない。彼が思い出せる最も古い記憶は、見覚えのない病院、嵐の激しい雨粒が窓を叩く夜、透の顔を覗き込む二人の男女の大人の顔。
そして――『誰?』と呟いた自分の声。
小学生低学年からの記憶だ。あの最初の夜のことを昨日のことの様に鮮明に覚えている。それよりも昔の記憶は全く思い出せない。写真も思い出の品もない。
だが、先程の夢は違う。夢の内容はこうだった。
幼稚園に入りたての頃か、入る前の頃なのか。幼少期の透は全く見知らぬ――しかし、見覚えのある様な気のする部屋の真ん中で本を読んでいる。窓の外には大きな気が揺れ、木漏れ日の緑を眩しく見せている。
読んでいる本は、子どもに読ませる様な普通の絵本ではない、絵が描かれているのだが不思議な本だった気がする。横から手が伸び、ページを捲る。彼は眼をそらす。部屋の一角に置かれていた起き鏡を覗き込むと、幼少期の自分と分かる子どもと、子どもに本を読ませるように座る大人が見える。
その大人の顔を透は知らない。呼びかけられて、子どもが絵本へ目を落とし――そこから、夢は崩れて行った。真っ黒に塗りつぶされた絵本のページは、ふと気が付くと絵本に切り取られた覗き穴になっている。
真っ暗やみの中から、背筋を凍るような低く呻く声と共に幼少期の自分が顔を出し――あ、と声を出す間もなく体を掴まれ、引きづり込まれたところで透は飛び起きたのだった。
「……。」
次第に落ち着きを取り戻していく内、ふと透は冷静になる。……あれが、本当に自分の記憶かどうかは定かではない。ついこの間もあの例の子どもが夢の中に出てきて襲われたばかりだ。 透の居た部屋も見覚えがある様な気がするのは、おそらく夢の中であったからだ。関連性のない記憶が繋がって部屋が出来たのかも……。
では、あの大人は? 見た瞬間、恐ろしいほどの嫌悪の気持が浮かんだのを覚えている。恨みの対象になっている見知らぬ大人。
「……。もしかすると、潜在的に大人に恨みを持っているのかも」
顎に手を当て唸る透は無意識のうちに呟く。
「う~ん……。なんだか思い出せば思い出すほど記憶が胡散臭くなってきたなぁ」
……だとすると、夢は記憶ではなく作られたものだと考えた方が妥当かもしれない。なら、あの中で一番信じられるのは……。
「俺は一体、誰に対しての恨みを抱いていたんだろう……」
独り悩む彼の問いかけに答えるものは居ない。その場に松之介か由久が居れば、その答えは簡単にでたはずだったが、今の彼にその選択肢はなかった。 耳をすませば、シャワーを浴びている音がほんの僅かに聞こえる。朝日が昇りだしたばかりの早朝に、松之介はシャワーを浴びているようだった。
時は少し遡って、朝日が地平線から顔を出し始める夜明けの早朝。
「いい? ヨシヒサ。お願いだから見世物の真似事はやめてね?」
エルフィンが由久の肩に手を添えながら、悲痛な面持ちで言う。由久は何とも言えない微妙な表情で、箒を掃いていた。店内を掃除している最中、彼女が話しかけてきたと思ったら、先程からこればっかり言ってくる。 オヤジとダットは仕込みを終え、開店までの猶予の一時を椅子に座り、先程からの二人のやり取りを和やかに見ている。スティルは、椅子の背の端や細かいところを拭きながら眺めていた。
「お願いね? ね、お願いだから頷いてくれない?」
泣きつくエルフィンに、由久が顔を顰める。昨晩、騒ぎの内容を聞いてから、由久は今日来るであろう『人違い』をある種、楽しみにしていたのだ。 最近、中学の頃の様に二人に剣道の真似事を教えているが、どうも自分の身になっていない気がする由久は、中年騎士や荒くれ者のような輩の話を聞いて、腕試しが出来ると楽しみにしていたのだが……。
闘気をみなぎらせていたところへ、たった今、お預けをくらったのである。
「昨日だけで十分なの! あんなに大変なのは昨日だけにして!」
透のやつ……。営業妨害だからって、あいつは好き勝手暴れてたってのに。悲痛に泣きつくエルフィンを横目に見ながら歯ぎしりしたい思いに駆られる由久は、この状況をどう打開するべきか考えていた。
だが、考えが辿り着く先は十中八九、今日は諦めるしかないと言う結論のようだ。
「お願いよぉ……ヨシヒサ~……」
「ああ、もう――」
痺れを切らしたように口調荒くエルフィンを見た途端、由久は息を詰まらせたように黙った。顔をそむけた彼はやがてため息をつく。
「……店の手伝いに、『追っ払う』ってのが無いのは残念だ」
エルフィンがじーっと見上げ、そして徐に口を開く。
「つまり……?」
「あいつらに任せればいいんだろ? 来るやつらのことは――」
視線を向けてみると、彼女はにんまりと笑っていた。
「そういうこと! やっぱ、ヨシヒサは話が分かるわね!」
ばしっと勢いよく由久の肩を叩く。
「現金な人だ」
呆れて由久は呟きながら、先程の彼はふと、恋人の事を思い出していた。
口に出して恋人……というにはこっ恥ずかしいが……。そんな彼女のことを、くだらないことで一々泣きつくエルフィンの仕草を見て思い出したのか。
……夏休み、どっか行こうって言ってたんだけどな……。
少し癖のある長い黒髪。箒を掃く手を止め、煉瓦を眺める由久の遠く見る先の情景に、揺れる髪と口元を笑む女子の景を見る。 ――不思議と遠い情景に思えた。
「……まぁ、あいつらを置いて降りるってゆう性分じゃぁないしな」
冬休みあたり、プレゼント付きでどこか遊びに行くか……。欠伸を噛み締めながら、箒を肩に担いだ由久は、箒を片付けに倉庫部屋の方へ歩いて行った。
時は昼過ぎ、肌寒さを感じさせる風の中、住宅区という場違いな所で汗を散らして熱気に湧く人垣がある。店の外に作られた人垣の中の戦場で、また一人、まだ十五という若さの少年に倒される挑戦者。
「やりました! ハンターを目指す赤髪の剣士、マツノスケの勝利です!」
声高らかに、キタンが歓声を仰ぐ。昨日と同じく、二階の窓から身を乗り出して言う彼に、店や野次馬から拍手や感嘆の声が聞こえてくる。
……くそっ!
汗を流し、肩で息をする松之介は、立ち上がりながら今しがた倒した挑戦者を一瞥する。その内心は少々、穏やかではなかった。 体力、体術や武術に関して、それぞれ前者は由久、後者は透よりある程度の自身があった。なんでも出来ると言うわけではないが器用ではある。少なくとも、体力で二人に負けることなどは到底ない。
だが、松之介は鞘に収まった剣を振り、店の前にお祭り騒ぎに集まってくる本職のハンターや|冒険者(ルタエ-ラザ)と戦って、己の未熟さを鈍痛の様に少しずつ。だが、確信を持って感じた。
実力が足りない。
常々、心の奥底に思っていたことだったが、今、何人もの相手と交代で剣を交えて、松之介はより強く自覚する。二人との練習では、由久と引けを取らぬ動きが取れたし、透に関してなら幾らかの余裕を感じたくらいだ。
だが、ここにきて思う。由久は本当に全力だったのか? と。透は全力だったかもしれない――魔法抜きで。
店のせり出した軒下の日蔭へ歩いてく。角の席の椅子に二人――陽に焼けた濃い黄色肌の黒髪中年の男性と、薄い肌の濃い金髪の少女が座っている。
透は、白いタートルネックで袖無の革生地ジャンパーを着て、下は黒っぽいジーパンにロングロックシックウォーカーブーツ。両腕には痣を隠すように全体を包帯で巻いている。
その隣で腕を組んで座る中年の男性は、噂に聞く金の甲冑ではなく、暖色系の白いブラウスに茶色のベスト、キュロット(中世の半ズボン)……かと思えば、ぴっしりと採寸された緑茶色のズボンに黒色のロングブーツを穿いていた。
松之介の服は既に汗に濡れて重々しかった。黒に近い紺色の下地に、赤く燃える炎に炙られている様に色を抜かれた模様のシャツ。ポケットの沢山付いた多機能ズボンは袖口が長いので上からベルトを巻いて縛っている。暗緑色のハードラバーゴムの靴底のアウトドアシューズは石畳の上でグリップが利く。
「さすがは旅してきた経験者と言うか……酔っ払いなのになぁ」
昼間から酒に酔っ払いながらも剣を持ち、松之介と戦った相手を見て、透が思わず苦笑をもらす。相手はこの祭り騒ぎの中で強い方で、リビナ国内ではあるものの旅をして歩いた冒険者だった。
「おーし、次は俺だな」
透が景気づけに調子よく言いながら、木の棒を肩に日向に踏み出し歩いてくる。松之介はすれ違いに日蔭――店内へ入り、透が座っていた隣の椅子へ座る。
松之介は置かれているタオルで汗を拭くのもせず、ため息をつきながら自分の手を見た。未だに痺れて少し震えている。指抜きの手袋を付けているが、その下から血が出ていた。手袋を取ると、ポケットにしまいこんである包帯を取り出して手に巻く。
由久やアーウィンとの稽古を始めた日から、包帯を持ち歩くのが日常的になっていた。
「マツノスケ……と言ったな?」
無言で包帯を巻く松之介は頷いて答える。中年騎士のギリアムが徐に口を開いた。
「お前は剣でも習っていたのか? いや、お前に限らずあの娘もそうだが……」
松之介は何と答えようか迷った。由久や透の付き合いに興じる形で覚えたような振り方で習っていたと言えるのだろうか……?
「……。……まぁ、少しっすけど」
包帯を巻きながら答えると、ギリアムは難しそうに唸る。
「三年の間、あいつの相手をしてただけです。それで少しうつったのだと思います」
「あいつ?」
松之介の視線を追って、ギリアムが腕組を崩さぬまま体を捻って後ろを見る。店の外を見る店内の客を相手に料理を運ぶ由久に辿りつた。
「……なるほど」
彼は納得したように頷いた。それから、会話はそれっきりだった。特に会話せず、透の戦いっぷり観戦をする。『剣を弾くのが趣味』のように執拗にそれを狙っては反撃をくらわせ、危なければ魔法を使う透は、何ともパフォーマーな戦い方をした。だが、遊び感覚であるように見えて、それが透の全力だった。
突いて打ち込み、飛んで転がって避け、魔法で防ぐ。最後の一撃は、相手の懐から飛び上がる勢いで体当たりし、上体が反れたところで鞘の入った剣を絡め飛ばした。
「どーよ」
観戦している松之介へ得意げに親指を立てた。包帯を巻き終わった松之介は、肩を竦ませて笑い返す。
「――では、次は吾輩か」
隣でギリアムは立ち上がると『エルフィンさんの処刑木刀』を手に、路上の闘技場へ出て行く。松之介は、騎士の戦う動きを食い入るように見ていた。




