26 『付き合わされているのは、どちらかというと相手側』と思っても口に出してはいけないよ
その後も透は負け知らずのまま、十六戦連勝を戦い抜く。
ちゃんばらの真似事――ただし、手加減はない――が遊びの一つとして昔から慣れ親しんできた彼にとって、昨今に剣を手にしたばかりの者たちは手応えがある、もしくは楽しむ程度の相手だったのだ。 それに加えて彼の扱う武器『木の棒』とは彼の慣れ親しんだ道具。むしろ騎士や他のハンター、|冒険者(ルタエ-ラザ)から剣を借りていたら、振るう重さや勝手の違いに十六の相手をほとんど休まず戦い続けるのは無理だっただろう。
軽くて扱いやすい武器。相手の力量。そして、時折小出しに出してくる魔法が相なって、向かうところ敵なしの快勝試合を魅せる。
実力では勝てなかった赤髪の青年、ジャン-コレットを区切りとして十二連勝と十六連勝。合わせて二十九戦を終え、三十戦目を迎えると彼は店の中に戻っていく。「疲れた~」と言って立ち去る透と入れ違いに、中年騎士が店の外へ進み出た。
騎士が立ちあがって歩き出て行った店側の客はもちろん、店の前の人垣の群れも水を打ったように静かになる。
「――お願いします」
「ああ。……腕の批評はさて置き、面白いものを見せてもらった」
彼が木刀を渡して横をすぎ去る間際に、中年騎士が片眉を吊り上げながら口の端を歪ませる。透は「あはは」と困った様に笑いながら店の中へ入って行く。
「さて……。名乗り出るのが先だったか」
会話がてらに店に戻っていく透の背を一瞥しつつ、中年騎士は挑戦しに集まったハンター、|冒険者(ルタエ-ラザ)たちを見渡す。顎髭を撫でながら、古傷と皺をより深く皺寄せながらニヤリと笑った。
「吾輩の名は、ドゥウォン・ギリアム。 貴様らの遊びに付き合ってやろう。『暴壊の少女』と一戦交えたくば、吾輩から一本取るがいい!」
ドゥウォン・ギリアムと名乗る騎士の声が、静かになった店前に響き渡る。挑戦者たちからは戸惑いにざわつき始めた。
「――おお? これはなんということでしょうか!?」
キタンが待ってましたと言わんばかりに叫ぶ。その声に釣られて、今度は騎士が……と、住宅区の家々の窓から首を伸ばす人が増えていく。 ざわめく声が五月蠅くなってきたところで、ギリアムが「どうした!」と怒号を上げた。
「吾輩は休暇を使って旅行をしている身だ。身分など気にするな。遠慮はいらん――存分にくるがいい!」
「――素晴らしい!」
騎士の言葉に相槌を打つように、キタンが身を乗り出した。彼の声は妙に通りが良かった。
「――騎士と手合わせが出来ることは滅多にありません! これは特大イベントになってきました!」
嬉々として声高らかに言う彼は「それでは」と息をする間もない様に言葉を続ける。
「相手が騎士では、挑戦者が一人ずつでは心もとないでしょう。ここは、一度に二人相手にしてもらいましょうか!」
中年騎士がキタンを見上げる。彼が「よろしいですね?」と中年騎士へ半ば強制するように同意を求める。周囲はどよめき立つ中、彼は「いいだろう」と吠える様に言った。
「二人でも何人でも。さぁ、かかってくるが良い」
透がお店に戻ると、お客が興奮した面持ちで口々に称賛の言葉で労ってくれた。とても疲れたという印象を与える引き攣った笑みで「ありがとうございます」とお礼を言う。
「お、疲れてるね少年!」
客の声で気付いたエルフィンは、ふり返って透を見るや否や、ビッと指差して額を小突いた。「イタッ」と透が呻く。爪が刺さった。
「――オヤジさん! ちょっとスティルにフロアやらせてくれない!? ……少し休んだほうがいい? ほら、こっち」
「……はい、お言葉に甘えて」
バラザームに休憩の意を示すと、額を擦る透の手を取って、先程まで中年の騎士――ドゥウォン・ギリアムが座っていた席に座らせた。
厨房の奥からバラザームの野太い返事が聞こえ、少し遅れてスティルが出てきた。どうやら食器を洗っていたらしく、かけているエプロンに水のシミができている。
「――飲み物、何にします?」
出てきた早々、相変わらずの調子でスティルが聞く。彼の気遣いに、エルフィンは一言「ああ、ごめんね」と先に謝った。
「じゃぁ、クォロルトの冷えてるヤツ。二つお願いね?」
指を二本立てて彼女は言った。
クォロルトとは果実の名前で、ジュースの名前でもある。
まん丸な形で拳二つ分の大きさで、三ミリほどのザラザラとした暗緑色の表皮に包まれおり、果肉は美味しそうな黄色でそこそこ柔らかく、少しばかり粘り気がある。 甘みの強い黄色い果肉の果実をペースト状にし、水と少々の食塩、氷を混ぜて作るジュース。果肉のままでは、痺れさえ感じる甘さもジュースだと程良い甘さになる。
まぁ、早い話が「丸く堅い皮のマンゴーっぽい果物」だった。
「ええ」
彼が頷く。彼女に倣って透も一言「ありがとう」とお礼を言った。スティルは聞いてか聞かずか。早速作りに行ってしまった。彼が歩いて行くのを見送りながら、透は椅子に座ると、はぁっとため息と共に背凭れに寄り掛かった。隣に座るエルフィンがじっと透を見る。
「……少年、今日はもういいから部屋に戻って服着替えてきた方がいいわよ」
「え、でも……」
店の手伝いに戻るつもりだった透は、エルフィンの落ち着いた声に驚き、彼女に顔を向け――眼を座らせた。
「……なに顔赤くしてるんですか?」
エルフィンは透(の体)を横目に見つめて顔をほんのり赤くしていた。姿勢が悪かったのかもしれない、と座り直す。
「え? やぁね。ちょっと忙しすぎて熱いの。少年だって一人で働いている時、いつも顔真っ赤にして駆け回ってるじゃない」
パタパタとメモ帖で仰ぎながらエルフィンが困ったような笑みを浮かべた。
「……そういえば――ああ、ありがとう――そうですね」
少し疑問形の名残を残しながら考え込む。そこへ、スティルが二人の前にジュースを二つ置いた。彼にお礼を言ったのち、透は彼女の問いかけに頷きで答えた。 一人でレストランのフロアをこなすのはとても大変だ。出来たての熱い料理も運ぶため、働いているうちにどんどん体が火照っていく。
「私だってね、健全な女の子なのよ? 興味があるのは男の子ですーっ」
「実は、女の『子』という歳じゃないでしょう?」
顔を顰めながらべっと舌を出すエルフィンに、内心可愛いと思いながらも透が毒づく。ジュースを飲みながら、シャツの襟をパタパタとさせて「あついなぁ」と思っていた瞬間、ブワっと寒気が流れる。 驚いて風上――エルフィンをみると、笑顔で座る彼女がテーブルに置いた手の周囲に霜が降りていた。驚愕の眼差しで不自然に現れた霜から目を離せないでいると、見ている内に小さく音をたてながら霜が広がっていく……。
グラスを置いた透は、ジュースとは別に生唾を飲み込んだ。
「……今のは失言でした」
僅かに震えた掠れ声で透が言った。
「エルフィンさんは、可憐な女の子です」
「――そうね。……命は大切にするものよ? トオル君」
「……。」
透の謝罪に、淡々と答える彼女の表情は笑ってはいたが、薄眼を開けるその目は全く笑ってはいなかった。
「……。」
「……。」
つい先程まで熱さで流れていた汗は、今や背筋が寒くなる冷や汗がつらつらと頬を伝う。エルフィンはジュースを飲み始める――しかし、その目は細く笑んでいるかのように見せさせながら透を睨んでいる。周囲が喧騒と騒がしい中、痛々しい沈黙が流れる。
彼女の視線に居た堪れなくなった透は、逃げるように外へ視線をやり――エルフィンはその瞬間のチャンスを逃さなかった。
「……まぁ、『少年』だから君も範囲の内だけどね」
「――っ!?」
忘れるわけもなくしっかりと、彼の耳元で息を吹きかけるようにエルフィンが揶うと、不意を突かれた透は顔を真っ赤に染め上げた。
「ば、馬鹿なこと言わないでください!」
「あっはっは! お顔真っ赤よ?」
先程とは違って可笑しそうに笑うエルフィンに、透はそれ以上何もいうことが出来なくなってしまった。
「~っ」
声にならない唸り声を洩らしつつ、彼は再び外へ視線を向ける。持っていたグラスから少しばかりテーブルに零れていた様で、「あっとっと」と慌てて彼女が布巾で拭きとる。 透の様子に、クスクスと余韻を残していたエルフィンも「ふふ、ごめんなさいね」と笑いを含みながらも謝り、外の観戦に移った。
店の前で闘うギリアムは、今や五人を同時に相手取り、次々と流れる様に相手を倒していく。どうやら、諦めるまでは挑戦していい様だが、一本を取る前に打ち抜かれた木刀の打撃の痛みに心が折れるらしい。何度か立ち向かう彼らも、暫くして息を荒げて倒れたまま、立ち上がろうとしなくなる。
五人全員が倒れると次の五人が前に出る――。
「――すごいですね。さすがは本職と言うべきか」
外を眺める透は、実力の差に思わず引き攣った笑みになりながら呟いた。 晴天の陽光に眩しく見えるほどの外に、昼なので殆ど明かりを付けずに外からの明かりに頼る店の中。若干薄暗い店内と明るくハイライトに照らされた外は、まるで劇場の客席と舞台の様に思える。
「そうねぇ」
隣に座って両腕で頬杖をつくエルフィンが、騎士の戦い様を横目に見ながら相槌を打つ。
「御歳の様子にも見えるけど、全然元気そうだし。戦いの経験も豊富なのかもね」
興味なさげにぶつぶつと言いつつ、彼女はため息交じりに「ま、素人相手だし」と言葉を締めくくった。その様子を透がじーっと見る。
ふと、透の視線に気づいたエルフィンがギョッとした。
「な、なにかしら?」
「いや……」
どう答えたものかと透が悩みながら言葉を探す。
「なんというか。珍しい物というか、新たな一面を見た様な気がして」
うーん、と腕を組んで唸りながら透が言う。カクッと彼女は肩を落とした。
「珍しいって……見世物じゃないのよ?」
「普段からあんなに目立っているのに良く言いますね」
ニヤリと透が嫌みじみた言葉を言うと、彼女は「貴女に言われたくないわね」と眼を座らせた。
「そういう貴女も大分目立ってるじゃない。お陰でこっちはペース狂い放題よ」
ペース狂い放題、とはお店のことであった。普段のこの時間なら、今は数人の時間外しできたお客さんがゆっくり食事をしている時間である。
しかし、今日は様相が違っていた。客席はほぼ一杯のままなのである。食事よりも、観戦する人が多いので注文は変わらずゆったりとしたものであったが、この時間帯を休憩時間にしている方にとっては、いつ大量の注文が入るか気が気でなかった。
「確かに、これが連日続くのは辛いですね」
透が声を潜めて言った。
今日はエルフィンが当番になっているのでフロアは二人だったが、彼女が休みの日もある。フロアが一人の時に、こんなに大勢お客が居ると、それぞれ疎らに注文に頼むにしても、ほぼ働きっぱなしだ。
「――さてと」
スティルの働きっぷりを眺めていたエルフィンが手を叩いた。
「ずっと休憩しているわけにもいかないし、ちゃっちゃと着替えちゃいますか」
透の制服はすでに水でも被ったかのように汗を吸っていて、タンクトップのインナーと胸前のフリルがあるおかげで透けて見えないものの、ぺったりとくっついた肩や腕は肌色が浮き出ている。
エルフィンの制服は、透のものと違って着重ねしているので透けると言うことはないが、インナーが汗をすっているらしい。
「そうですね」
べたべたとした気持ち悪さを否めない透が頷いた。
その後、スティルに一言告げると、二人はそれぞれの部屋に着替えようの制服を持ってシャワーを浴びた後、制服を着替えて店の手伝いに戻る。 それから終日まで普段よりも客数が多いお店を、一階はエルフィンが、二階は透が担当してどうにかこなす。
客数が少ないので楽だろうと言う判断の下、エルフィンが二階の担当を頼んだのだが、むしろ二階に通されて食事する客は、純粋に食事をしに来た客なので注文する量が多かった。 何より、食事をし終わって少し経つと帰って行くお客に、料理を持ってくれば注文を頼まれ、注文を伝えて戻ってきたら今度は清算を頼まれたりと非常に忙しい。
時刻は瞬く間に過ぎて行き、夕方を過ぎると、さすがに暗くなってきたことで自然と騒ぎは沈静化し、二階の即席客室も閉めることになると、ようやく忙しさは普段のものへと戻って行った。
透は気が付く――正気に戻る、もしくは我に返る――と、閉店し終わった薄暗い店内で次は何をするかを考えながら突っ立っていたところだった。




