25 お店の前の闘技場
快活に晴れた晴天の下、レストラン『家猫』の前には妙に広い空間と、それを壁の様に取り囲む人だかりが出来ていた。 闘志みなぎらせる激しい打ち合いが響き渡り、熱気に騒ぎ立てる群衆が野次を飛ばす。
制服姿の透が髪が降り乱れるのも構わず、挑戦者から一目も離すまいと捉え続ける。相手は、無精ひげを生やした日焼けの角ばった顔の男性。革製の鎧の表面に特殊な軽金属の板を釘で打ち合わせた軽鎧をまとい、松之介の物と比べると短めの剣を持つ剣士。
幾度か激しく打ち合いの末、透が一瞬よろける。その瞬間を狙ったの大ぶりの一撃を、咄嗟に屈む様に避け――あっと息をのむ声が沸き起こる――透は、距離を話しながら右手を翳した。
ゴウゥン――
腹の底に響く様な鈍く低い音と共に、ソフトボール大の青白い光の球体が現れる。掌から放たれ数本の光の筋を描きながら、それは挑戦者の胸に打ち込まれた。
バシュウゥゥ……
吹っ飛ばされる挑戦者の僅かに呻く声は、激しい空気の流出音のような音にかき消された。挑戦者の体が吹っ飛ばされる。鞘に収まって振るわれていた剣が、その手を離れた。
「――うぶっ!? あぐ、うぐぐ……」
僅かに宙に浮いてから床に叩きつけられた彼は苦悶の表情を浮かべた。勝利を確信した透が歩み寄っていく。顔を歪ませながら起き上る挑戦者の前に木刀――そして、透の手が差し伸べられた。
彼は木刀の先を見て僅かに眼を見開き、その横から差し出される細い女子の手に怪訝な表情しながら透の顔へ視線を移した。
汗を流し、ふり乱した髪を張りつかせたまま無表情だった透が、ふっと柔らかい笑顔を見せる。
「おつかれさん」
「――勝者『暴壊の少女』、トオル! ――」
その瞬間、司会役の青年の快活な声が響き渡り、盛り上げる野次馬の歓声がわき上がる。
「――っち、俺の負けか」
差し出される手を取り立ちあがった男は、悔しそうに苦々しく言った。「でもまぁ」床に落ちた剣を拾い上げる。
「掛け金なしの野良試合にしちゃぁ、中々楽しめたぜ」
透に向き直った男は、ニッと歯を見せながら笑った。
「――挑戦者ラィゼンナグス、とても素晴らしい戦いぶりでしたが……。通算十二連勝中のトオル。さぁ、次の挑戦者はだれでしょうか?!」
生き生きとした青年の声が、レストランの二階窓から声高らかに叫ぶ。
先日、強盗団に追われて逃げて行く時に出会った、とってもナイスな性格をしたあのお兄さんだ。 ひょこっと突然現れた彼は、観衆の中から独りでに司会じみたことをし始め、それがエルフィンの目にとまって二階に案内されたのだった。
今や、店の中も見物客であふれる中、二階の空き部屋は比較的静かに食事を取りたいお客様に解放されていた。その内の、店入り口側の一室の窓からあの青年が体を乗り出している。
「へぇ……おっちゃんも剣闘士なんだ」
透が感心したように言う。はは、と笑いながら「まぁな」と頷いた。
「他の国のでかい闘技場に行きたくて、ハンターになったんだ。国渡るのに金払わなくて済むからな」
「へぇ~」
(「――では、次の挑戦者を選びたいと思います」そう言って青年が「誰にしましょうかね」などと勝手に選び始める。)
「だが、こんな調子だと、まずは魔法の対処法を考えなきゃならねぇ……」
感心して頷く透に、首を振りつつさも面倒くさそうに言うと「ところで」と話を変える。
「お前、いくつだ?」
「ん? 十六だけど……」
何故? と不思議そうに答える。彼は「なら、おっさんなんて呼ぶんじゃねぇ」と愚痴ながら、透にささやかなサプライズをプレゼントした。
「俺は十八だぜ」
「え……!? あ……、えっ!?」
日焼けした無精ひげの男が独白すると、透は衝撃の事実に目を白黒とさせる。
「いくら年上でも、二個上におっさんはねぇな」
「え、ああ、すみません」
腕を組んで言う彼に、慌てて透は謝った。顔を上げた時、彼は「まぁ、言われ慣れてるけどよ」と笑い飛ばす。
「――俺は行くぜ。じゃぁな」
司会者の青年が「次はあなただ!」と盛大に叫びながら指名する。頃合いを見つけた様に手を上げて言うと、彼は人垣を掻きわけて歩いて行った。道を開けた人垣が再び塞いだ頃、透の視線の前に進み出るように男が名乗りを上げる。
「ジャゴン‐エッゼ・コルレットだ!」
真っ赤な赤髪の毛に、さっぱりと適度に散発されたショートヘアー。額と鼻筋に横へ切り裂かれた痕の様な深い傷がある。
薄い麻の半袖のシャツに、長い布を縫い合わせただけの様なズボン。裾口をブーツごと帯で巻いている。手斧には全体的に厚い布で、刃の部分に木の板のカバーが掛けてある。
見たところ、防具は付けていないようだが……。
彼の両腕のどこにもハンターの証明となる『水晶の腕輪』がないところをみると|冒険者(ルタエ‐ラザ)だろうか。あれは魔物を倒した時の記録計だが、そのほかでは時計の役割もある。ハンターたちにとっては身分証明の意味にもなるので、大多数にとって外しているメリットはない。
呆然とする透。勢いよく言う彼に、一呼吸置いて思わず噴き出しそうになった。なにより、決めポーズに斧を差し向けながら挑戦的な笑みを浮かべていたのが、笑いだしそうになったポイントだった。
「……防具をつけていないようですが?」
笑ってしまうのは失礼だと思いながら、彼の格好を指摘する。――が、そちらの方も失礼だったようだ。 ジャゴンと名乗った男が顔を顰める。
「あんたも防具つけてないだろ……それとも、防具なしだと俺はあぶないってことか?」
「いえ、そんなつもりじゃ……」
透が済まなさそうに言う。
「他の方々は普通に殺しに来てたので、つい……」
『他の方々』とはハンターの中でも『プレイヤー』の者たちのことだった。今のところ『プレイヤー』は二人挑戦しに来た。
一人は嵯峨野と名乗る青年。試合前の挑発(というなの稚拙な罵倒)を一方的に始め、聞き流している最中に不意打ち。危うくのところだったので思わず全力で反撃した結果、派手に宙を吹っ飛んだ末に床に強かに打ちつけられ、病院送りに。
もう一人は久我と名乗る青年。抜き身のサーベルを振り回している最中に、透が武器を打ち落としたのだが、その勢いの強いこと。運悪く彼は自分のサーベルに、自分の右太股を差された。武器の手入れが行き届いてあったおかげか、傷口は綺麗で、抜くときに案外あっさりと抜けた。……その後が大変だったが。
謝りながらも、反りのない木刀を構えなおす。ふと、目を伏して剣道の構えを思い出しながら真似ていた透は、思い出したように「あ」と声を出す。
「噂でながれていると思いますが……『暴壊の少女』とか、なんとか言われてるトオルです」
「ああ、聞いたよ。もっとも、俺がこっちに来る前に聞いた話は『面白いやつ』程度だったんだけどな。この街についてみれば、呼び名が随分と増えてるんだな? 『バケモノ』とか」
「噂話なんて酒のつまみに、呼び名は馬鹿騒ぎの口上に、ですよ」
透が呆れるように笑って返す。いつか言おうと思っていた台詞だったが、ここで使えるとは中々……と思っていると、ジャゴンも笑って「違いない」と頷いた。
「新しいもんは注目の的だからな。まぁ変な呼び名もそのうち立たなくなるぜ」
「どうも……で、始めません? 本業はお店の手伝いなので」
「そうだな……」
不敵に笑った透だったが、途端にギョっとして驚いた。ジャゴンがスタスタと歩いてきたのだ。何をするかわからない。合図らしきものはしていないが、これまでのことを考えると、他の一部の者たちと同じく、不意の先制攻撃を狙っているのかもしれない。
意図を理解できず困惑していると、突然、斧を持った右腕をバッと勢いよく差し出してきた。 驚いて身を退かせた透は、少しの間を置いてそれが攻撃でないと分かっても唖然としていた。その様子に、ジャゴンは首を傾げる。
「おい、知らないのか? 開始前の挨拶」
「あ、挨拶?」
「知らないのか?」
本当に? と彼は面食らった顔になった。
「いや、挨拶は知ってますけど……開始前のって……?」
透と彼の言う『挨拶』は少しばかり意味合いがズレている事を、透はしらない。
「あ~、良いから右腕出せ」
困惑する透に、催促するように右腕を揺らす。透は疑問符だらけになりながら、右腕をガッツポーズをとる様な形で差し出す。
「で、こうして――」
打ちつけるように右腕の中ほどをぶつけてきた。
「これが『開始前の挨拶』。わかったか?」
透は首を傾げる様に頷くが、不思議そうな表情は取れない。
「……これって常識なんですか?」
「いや、闘技場での仕来りみたいなもんだ」
「おお? やはり闘技場のでしたか!」
ニカッと歯をむき出して笑う彼に、司会の青年が反応する。
「『開始前の挨拶』をする闘技場と言えば、このあたりではルイッシュの町の闘技場でしょうか――なら、合図も僕がした方がよろしいですか?」
司会の青年が問いかけると、ジャゴンは元の位置に歩いて行きながら振りむき「ああ、そうしてくれ」と二階にいる司会の青年に斧を持った手を振りながら頷いた。
「そうですか! なら存分にさせていただきます! こう見えて僕はハクル・サイティオ出身なんですよ! ――闘技場には、ハクル・サイティオも出資管理してますからね――では、ハクル・サイティオ出身、このキタン・ヘイズ・カルバンドが司会並びに審判をさせていただきます!」
キタン・ヘイズ・カルバンド。そんな名前をしていたのか、と透は細く笑んだ。キタンって言われると、なんだかコソ泥を思い浮かべてしまうのはなぜだろうか。
「では、試合か――え? ルールを知らない人が多いから倒すだけでいい? ――でも彼は――……そうですか。なら、合図だけでも……」
横からひげを生やした小柄の老人が盛んに言うので、キタンは諦めてため息をついた。
「はぁ……。では! ――斬り伏すことに鋭意を込め『剣を掲げ』っ!」
透は思わず司会のキタンを見上げ、そしてジャゴンを見る。ジャゴンは手に持った斧を頭上高くに掲げていた。 剣とはつまり、武器のことのようだ。透は、良く分からないけど……と、首を傾げながらそろそろと木刀を掲げる。
「――『構え』っ――」
ジャゴンが腰を落とし、斧を肩に担ぐ様に構える。斜めに傾けられた体勢は、両足を肩幅よりも広く開いていて、こちらから見るとほぼ真横に見える。
空いた左手は、地面につきそうなほど低く構えられていた。
斧……を使うときの為の構え方だろうか。斧が顔に隠れて少し見えにくい。透は警戒しながら、気休めに正眼の構えの真似事をならすように構えなおす。
注視する……。はっとして透は気付いた。先程までの表情ではなく、引き締まった真剣な顔つき……そして、彼は湧きあがる何かを纏っている。
『構え』の合図から少しの間が空く。
シュボッという音と共に炎のように現れた青白い炎の様な魔力は木刀をソロソロとなめ上げるように覆い始める。青年は目を細めた。
……。……なんだろう。頬がチリチリするような感覚がする……。思わず、柄を握る手にギュッと力が入る。
「――『はじめ』ッ!」
緊張の張った声が耳に届く、途端に彼は走り出した。気負いしていた透は、出だしが遅れてしまった。――いや、気負いだけではなかった。
ハッとして気が付いた時には目前に跳び上がった青年と、その勢いに乗せた強力な一撃を加えようとうねりを上げる斧が迫ってきていた。
咄嗟に迎撃に横に構えかけた透は、行動を一転させて右へ ( ジャゴンの左側へ )横跳びに転がる。振り落とされる斧の風圧を足のすぐに感じた透は、体の芯が振るいあがりそうになった。
起き上がると、すでに、二歩ステップするように近づいた相手の二撃目が迫ってきている。立ち上がりかけた透の頭部に狙いを定められた斧を、反射的に屈んで避けると前のめりにバランスを崩した勢いで、左肩を入れ込むように構えて地面を蹴る。
ドンッ
透の腹にも振動が来るほどに強く体当たりする――息を少しだけ押し出された様な「う」と言う小さな呻き声が聞こえる。だが、それだけだった。
相手の体を押し、押し返される力で透が距離を取る。飛びのきながら構えながら木刀の剣先はすぐに斧に捉われた。
カンッと音を立てて、彼の木刀が右側へ弾かれる。ジャゴンの斧も同じ方向へ流れる。だが、追撃に左へ振られた右腕は、逆椀に伸びきるのも短く、早く。
七を数えるほどに撃ち合う。こちらは木刀なので、早さに有利なはず……だが、それでも相手の振るう腕に殆ど早さは違わない――いや、瞬間、負けた。
構えなおす透の木刀を、左下へ叩きつける。
「っ!」
手の感覚が無くなるほどに、手がしびれる。左手で木刀を握りながら、離した右手を相手に翳した。
「!?」
振りあげかけた腕の体勢のジャゴンの懐に透の魔法が打ち出される。煙が噴出した様な「ボフン」という爆発音と共に爆風が巻き起こる。
「ぐあっ?!」
よろめく彼に追撃の光弾を右肩にぶつけると、転がるように石畳の床へ倒れた。
「ふっ――」
すぐさま跳ね起きた先で、透が木刀を振り落とす。彼の右腕が跳ね上がった。撃ち合うと共に、魔力の込められた木刀から暴風が叩きつける――が、その腕は岩でも殴っているかのように、それ以上動かなかった。
「な……!? くっ……」
むしろ、押し返し立ち上がった青年に負けじと透が力を込め、そして気付いた。彼は片腕だけで、魔法込みの透の全力を防いでいるのだ。
しかも、その表情は余裕があった。空いた左手で顎を撫でる。愕然とする透。
「そうだなぁ……」
考え事をするように透を観察していた彼は、徐に口を開く。
「魔法使いがここらじゃぁ少ない分、ここら辺の連中は魔法に滅法知識がないから当然だろうな」
「くっ……」
透に、先程までの涼しげな顔はすでになく、本気も本気。歯を食いしばり、顔を歪ませて腕に力を込める。彼は首を振った。
「そうか……アーウィンが世話しているハンターって聞いたから、如何程のものかと思えば……か弱い外見に変わらず、力もないな」
彼の言葉にピクリと透の目元がひきつく。はぁっとため息をつく青年には、力押しでは斬り合いに勝てそうにない。
「誰が……」
斬りつけていたのを一転してからめ取るように木刀を滑らせる――が、彼は小賢しいといった具合にそれを振り払い、逆に透の木刀を持って行く。
だが、透はすでに自ら木刀を手放し、拳を振りかぶっていた。
「『か弱い』だぁぁぁあ!?」
ドンっ!
「っ!?」
肉を叩く鈍い音が響く。拳がジャゴンの鳩尾に入り込む。予想外の力に驚くも歯を食いしばりながら透の肩を掴んだ彼は、横に転げ投げようと力を入れ――
「吹っ飛べ」
透は静かに吐き捨てる。ジャゴンの腹の前で開かれた手と腹の隙間から閃光が迸る。
ドォオン!
「――ぐあッ!?」
ジャゴンの苦悶の声と共に、手斧が手元を離れて宙を舞う。爆音と共に宙に放り投げられた彼は煙を引きながらくの字に、放物線を描きながら地面にたたきつけられた。
転がり起き、咳き込みながらも手元から離れた手斧を追う――が突如として、その動きを止めた。
「まさか……」
彼の首筋に、光り輝く剣を突き付けられる。魔力によって作られた剣を驚愕の目で凝視し、冷や汗一筋、「なるほど、な」と強がりの笑みを口元に歪ませながら見上げる。
「――俺の勝ちだよね?」
影を負った透が勝利の笑みを携えて、見下ろしていた。




