24 噂の少女
翌日の昼下がり。レストラン『家猫』は妙な静けさと緊張に包まれていた。その原因は、一人の珍しい客人である。
「おい」
昼時を外すように、少し早めに来たお客で埋まっている店内で、厳めしい声で透を呼ぶ声がする。
「あ、はい!」
エルフィンのように間延びした可愛らしい返事はしない。バイトもしていたので、ハキハキと言う癖が付いたのか、大変、凛々しいと評判の返事を返した。
他の客から受けていた注文のメモを、メモ用紙から切り取ってカウンターに張り付けた透は、急いでふり返って声の下へ駆け寄る。
テーブルには厳めしい声にふさわしい、中年の渋い騎士が片手を上げて座っていた。
金か、胴が混ぜてあるのだろうか。薄い金色を放つ甲冑は青の布と白銀の縁取りがあり、表面にはたくさんの傷が刻み込まれている。
胴の甲冑だけは外してあって、足元に置かれている。インナーにはゆったりとした純白のブラウス――透のものとは違い、フリルは付いておらず、ゆったりとした上質の長袖といった感じのものを着こんでいた。
こういうオッサンいいね! ほんとかっこいいなぁ。
渋い中年男性に憧れる透は、なんとなく尊敬な念を抱きながらメモの用意をすると、途端に思いもよらぬことを聞かれた。
「お前が『暴壊の少女』か?」
「――はぁ?」
突然の意味不明な言葉に、思わず顔を顰める。……多分、相当失礼な顔をしてしまったのではないだろうか。 途端に、男が右腰の剣に手を置いた。透は瞬時に身を引く。騎士様はしばらくにらんできた後、落胆した様子でため息と共にこう問うてきた。
「……では、トオルという従業員は――」
「お――私です」
「では、貴様が『暴壊の少女』ではないかっ!」
思わず、『俺』と言いそうになりながら、間抜けな顔の透がひょいっと手を上げる。途端にカッと目を見開き、剣を抜きながら椅子を飛ばして立ち上がる。驚いた透が逃げるように離れた。
「え、ええっ?」
さっと透が降参するように両手を上げる。彼はこの時、初めて自分がなんと呼ばれているのか知るのだが、言われた直後では理解できずにいた。
目の前に剣が突き付けられると、剣の側面についた幾つかの大小様々な傷を見ることが出来る。きっと、この傷一筋一筋に激しい斬り合いがあったのだろう。鈍く光る剣の切先が透の眉間をとらえる。とても怖い状況に立たされている透も含め、店の中は緊張と静寂に包まれていた。
「……すいません、誰かと人違いではありませんか? 騎士様」
理解の範疇を越えて、半ば呆れ気味の透はなだめるように言うと、渋い騎士も少し気兼ねる気持ちがわいたのか、眉間に皺を寄せた困り顔で唸った。
「……頼まれたとはいえ……確かに、お前の様な少女と剣を交えるのはな」
言葉を濁しつつゆっくりと剣を下ろして鞘に戻す。
「……非礼を詫びる。すまない」
騎士が謝った事に、店の客はどよどよと声を忍ばせる。どうやら「騎士が謝る」という行為が恐ろしいほどに珍しいらしい。疲れたように言うその人は、どさっと椅子に腰を下ろした。黄褐色の少し日やけ気味の肌に刻まれた古傷と少なからずもある皺が、その顔を老人にも見えさせる。黒く濃い髪には短く立ててあり、顔と合わせて渋い。
『暴壊の少女』なんて、手に付くもの片っ端から壊す様な云われに覚えはないが、この中年の騎士が自分の為にここを訪ねてきたというのは分かった。
「……申し訳ございません。態々、足を運んでいただいたのに」
気の毒に思いながら謝罪すると、中年の騎士は頬の古傷を歪ませながら、首を振った。
「いいや、こちらこそすまない――注文はとれるか?」
「あ、はい」
「そうだな……」
透が頷いてメモとペンを用意する。中年騎士はテーブルに置かれたメニューに目を通す。
「……『食用獣ソテー』と、『キムナの実のスープ』。パンを貰おうか」
取り敢えず目にとまったものを、と言った感じにすぐに注文した。「畏まりました」と丁寧に一礼してカウンターに戻ろうとする透に、慌てて「ああ、飲み水も頼む」と付け加えると、頭を抱え込むように再びため息をついた。
そのため息を合図にしてか、聞き耳を立てていた店内のお客たちが次第にしゃべり始め、5分もしないうちにいつもの活気を取り戻していた。
「……。なんだか、苦労人っぽいなぁ」
「そういえばあの方、確か……昨日の夕方にも来ていらしたのぅ?」
彼の様子に思わず透は呟いていると、カウンターのすぐ近くで食事をしていた白髪の老人が言った。声につられて見ると、スープをしみこませたパンを口に頬張ろうとしていたところだった。老人の言葉に驚いて聞き返す。
「え? 昨日もいらしたのですか?」
老人はゆっくりと開いていた口を戻して、パンをスープの中に戻した。白っぽかったパンがスープを吸い上げて、瞬く間にコンソメスープの色に染まっていく。老人は構わず「ああ」と笑って見せた。
「町から送られるお金があれば、ここで毎日三食食べれるくらいのお金はあるんだ」
「え、あ、そうなんですか――では、騎士様が、昨日もいらしたのですか?」
勘違いしたのか老人は、自分のことを話し始めた。よくあることだ、と思いながらも透は少し困ったような顔をしながらも、丁寧に質問しなおす。一瞬、怪訝な顔をした老人だったが、ハッとして「ああ、そうですな。あのお方は昨日もいらっしゃった」と慌てて頷くとさらに付け加える。
「何せあの格好じゃ。風変りなハンターや旅人が来るといっても大体の種類分けの出来る外見が多いが、全身甲冑に立派な剣とくれば、早々おらんからの」
にやりと笑うと、透も「そうですね」と、笑い返しながら相槌を打った。ここでの仕事は、こういう些細な事が楽しみでもあった。
「そういえば、お爺さん。今日はいつもより早いですね? いつもはどちらかというと昼時を外して遅めに来るのに……」
透が何気なく言うと、やっと食べようとしていたパンを再びスープの中に置いた。もうぐちゃぐちゃでパンとは呼べない気がする。悪いことをしちゃったかなぁ……と透は申し訳なく思った。
「それはじゃな。一昨日、トオルくんに対して噂を立てた馬鹿がおるのじゃ。その所為で今日はゆっくりしてられないと――」
「噂? どんなうわさですか?」
「トオルくん」とは、エルフィンが客に接客をしている際、透の部屋着について何気なく話題に上げた時、盛んに透のことを「少年」と呼んでいたことから、この老人の様な常連は親しみをこめて「トオルさん」から「トオルくん」と呼び方を変えていた。
透は、老人の言った『噂』がすごい気になり、同時に『立てた馬鹿』がすごい気になった。老人が騎士の方を盗み見た後、耳を貸すよう手招きする。
「……実はの」
屈みこむと老人が口元に、騎士の側に手の壁を作りながら耳打ちをしはじめた。
「騎士様の言った『暴壊の少女』というのはその噂なんじゃ。呼び名は、噂を聞いて勝手に出てきたものだが。おそらく、その馬鹿が街中のいたる酒場で言いふらしていたはず」
果てしなく迷惑な話だ、と透は思った。『暴壊の少女』とは……。呆れて笑ってしまう。
「どういうことなのか、噂の発端となった出来事があった現場の住宅区の人たちもほとんど見ていないから、『暴壊の少女』と噂されるトオルくんに挑戦しに来るのじゃ。確認のためにな」
一昨日。見られていないということは人通りの少なかった場所に加えて、老人の話からすると、住宅区で起きたこと。
……そして、『馬鹿』と称される人。
好意的でも、そうでなくとも、最後のであれば何十人といるが――透も一部の人には言われているらしい――他の情報を混ぜれば、途端に一人の人物が浮かび上がった。
「……あの変態か」
「まぁ、そうともいうかのぅ」
姿勢を元に戻し苦々しい顔で、途端に口調を変えて舌打ちをすると、老人が肩をぽんぽんと叩いてなだめた。
ありがとうございます、とお礼を言うと「いいんじゃよ、女子だから」とお茶目な笑みを浮かべた。わぁ、可愛いって得なのか、なんて少しがっかりしながらも、相手が老人だからそう不愉快に思わないのが不思議だ。
「……さてと。仕事にもどりますね」
長いこと老人と話し込んでいたので、エルフィンがとても鋭い視線を送ってきたところだった。
「声、震えておるよ」
「え、え? 大丈夫ですよ」
老人が透のおびえた様子を見て笑いながら言った。
今朝の惨劇を見た後だからなのか、なぜか体の内が急に寒くなる。そのうち凍りついてしまうのではないかと心配になってきたので、バラザームがカウンターに一セットになった料理のお盆を置いた瞬間、急いで取ってお客の所に持って行った。
「トオル、6番テーブルだ!」
「はい!」
バラザームの叫び声を返しながら指定のテーブルへ向かう。呼び捨てで呼ばれるのも手伝い中だけだ。
ふと、料理を見たとたん、思い当たるところがあり、良くも悪くも自分はなんてタイミングの良い人間なのだろう、と思った。 料理の品が、あの騎士の注文したのと同じものだった。六番テーブルといえば、店内の中央に近い、歩きやすい辺りとは比較的開けた場所になっている。
だからこそ、先ほど騎士が立ちあがりざま椅子を吹っ飛ばしても、周りのお客にぶつかって一悶着起こすという事がなかったのだが。
……まぁ、相手が騎士なら、そうそう文句は言えないと思うけどね。
「えーっと、『食用獣ソテー』と、『キムナの実のスープ』。パンとお水です。代金は四十七ウィックになります」
「一ヴァーリィでいいか?」
透がいつもの商売笑顔で言うと、男は腰の巾着から金貨を一枚出してきた。
――確か一ヴァーリィ=五十ウィックだよな?
単位の繰り上がり方を思い出しつつ、スーツパンツに作った専用のポケットから三ウィック取り出す。
「一ヴァーリィお預かりします。お釣り三ウィックです」
「いや、いい。先ほどは失礼なことをした」
「はぁ……」
三ウィックで何をすればいいんだろう……。ふと、この世界のお金の相場から考えて、日本円に換算してみた。
え〜っとパンと水はサービスだから、ソテーとスープで四七ウィックなんだよな? ここがそこそこの食事処だとして、ソテーは三〇ウィックと比較的高いし、スープは一七ウィック……。スープが……そうだな。メインのおかずとかに負けずの値段だから六八〇円位だとしよう。面倒だからステーキが一二〇〇円位。
じゃぁ、三ウィックは約一二〇円? ……缶ジュースが買えるな。
「ありがとうございます」
三ウィックをくれたサービスにとびっきりの笑顔を差し上げてあげた。いつも使っている笑顔といえば、口元を軽く緩ませる程度だから周りの人も驚いていた。 その瞬間、あってはいけないミスをしてしまったと後悔した。この状況は、お金を渡されてとっても喜んでいるとしか思われてない。……面倒な事になるだろうな。
透の心配をよそに、店の前の通りでは店内を覗き込む輩が増えてきて、お客の間でざわめきが立ち始めた。ただ単にお客がのぞきこんでくることはあるが、皆武器を持った強そうな人間だったからだ。
しばらくすると、そのうちの一人が進み出てきて……
「頼もう! ここに『暴壊の少女』なる者が、従業員として働いていると聞いたのだが?」
なんて古典的なしゃべり方なのだろうか。軽い感じのしゃべり口調からしてノリで話している感じだ。顔立ちも悪くない……というよりかっこいい方。
彼が『プレイヤー』だと確信した。透はその面倒なのを一瞥してため息を漏らすとm騎士に「ごゆっくりどうぞ」と愛想よく言って彼らの方へ歩いて行った。
こういうのには関わらない方がいい。一昨日の強盗団との体験――どちらかと言えば、その後の理不尽なアーウィンの説教――にほとほと嫌気がさしている。彼の様な『プレイヤー』とは関わりを持たない方が得策だ。
「すみませんが、当店は食事処ですので、その様な者は――」
透は、相手の神経を刺激しないよう丁寧に言葉を選ぶ。だが――
「ハイハ~イ、そこの彼女がそうですよ〜」
「――そうだ、私が噂のトールだ」
いつの間にか隣に立っていたエルフィンが爽やか、且つ華麗に透のことを指差すので、思わずキリッとした表情に、親指でクィッと自分を差して言ってしまった。
透の芸人魂的なノリを噛ましていると、店の方から笑い声が聞こえてくる。透もつられる様に笑いながら、店の中の客へ笑いを止めるように手を振って合図を送る。 しかし、そんな合図など打ち合わせていないので、客からは照れ笑いをしているようにしか見えなかった。
「お客様方」
笑いもそこそこに退かせて、営業スマイルを取り繕った透が彼らに向き直る。
「失礼ですが、そこに立たれるとお食事に来られましたお客様や、お帰りになさるお客様のご迷惑になりますので、入店なされるおつもりなら席が空くまでお待ちいただくか、申し訳ございませんが、表通りの方にも食事をなされるお店はございますので……」
とりあえず、やんわりと帰って頂く様に腰を曲げて申し上げると、青年はその様子を鼻で笑った。
「『暴力少女』……だったか? 勝負しろ」
『暴壊』は『暴力』に変換された。面食らった表情で透が顔を上げる。
――ええ? いきなり無視? しかも鼻で笑うって……何それ?
目を伏し、あくまで下手にでるつもりだった透の内心では、まさかの失礼な態度に頭を抱えて驚いた。
「……お客様、他のお客様に迷惑ですので、外にいってもらえませんでしょうか? ついで、お店の前で群がられるのは――」
「勝負しろ」
思慮の足りない言葉が所々について出ながらも、あくまで下手に出る透の言葉を遮って、彼は強めに言ってきた。あまりのことに透は暫く閉口する。
まだ駄目だ。取り敢えず、三度まで我慢しよう……。そう、自分に言い聞かせる。
一方でエルフィンは名残惜しいといった感じで奥にも戻って行く。奥からバラザームが「トオルにまかせて、エルフィンは店の仕事を」と叫んだのだ。カウンターには、運ばれずに貯まった料理が沢山並んでいる。
「……お客様、他のお客様に迷惑で――」
「勝負しろ」
耳を貸さずに淡々と繰り返すように言う。なんて人の話を聞かない奴なんだ、と透は思わず顔をしかめた。
そして、ふと思いついた。これはゲームなのだから『暴壊の少女』なんて呼び名を筆頭に噂が立っている透は、もしかしたらイベントキャラか何かだと思われているのではないか、と。
冗談で「トール」(巻き舌風に)なんて発音したせいで、和名だと分からなかったのかも……。
だとしたら、当然、相手がコンピューターだから、いくら失礼でも大丈夫だろうという考えをする人間がいても、なんら不思議なことではない。その考えが『プレイヤー』の評価を著しく下げる行動へ繋がっていくのではないか。
先日の強盗団、それに眼の前の青年。
――吐き気を催す様な、嫌悪感が体を渦巻く。
「いいから勝負しろよ。『暴力少女』なんだろ? あんた――」
「――っ!?」
青年の左腕の先が何気なく視界から見えなくなった途端、嫌な気配を感じ取った透は、瞬時に身を引かせると、青年の腕が腰を掠める。
こいつ……抱きつこうとしやがった!
空振りして手元に戻る腕を見ながら、顔をしかめて舌打ちをする青年に透があからさまに嫌な顔をした。
「……最後の忠告です。お店の外へ」
「断る。戦え」
気持ち悪さと腹立たしさとなめられていることの悔しさから、怒りが表に表れ始めた透は低い声で言うも、逆に愉快そうに青年が笑いながら後ろの仲間らしき者に振り返る。
瞬間、透は到頭、抑えきれなくなった。
「外へ――」
「?」
店の奥から通りの方へ風がふわりと吹き抜ける。青年の左腕が不自然に後ろ手に引き上げられていた。
その手を持ち上げているのは、背中合わせに両腕一杯伸ばす透。
「出ろって言ってんだろうがっ!!!」
一際大きい怒号が鳴り響かせながら、透が全身を使って青年の右腕を大きく振りかぶる。腰を入れ込まれ、崩し浮いた青年の体は宙を舞い、ゆっくりと回転しながら投げ飛ばされた。店の中では驚きの声。通りからは盛大な音と悲鳴が上がった。
「勝負しますよ! だから店の外に出ろと言ったのが分かんないんですか?」
透が怒鳴り声を上げると、仲間の手によって起こされた青年は、何が起こったか分からず、目を白黒させていた。
そこへ、エルフィンの声が聞こえてくる。
「少年ー、朗報よー? 騎士さまが役所で特定区画での催し物の許可を取ってるらしいわ――つまり、存分にやって大丈夫よ!」
振り返ると、騎士の隣にエルフィンが立っている。騎士は食事をしながらもこちらを見ていた。……なるほど。先に役所で許可を取ってきたということは……予定では店の前で乱闘騒ぎをするつもりだったのか、あの騎士様。
呆れた透が思わず半笑いしてしまう(まわりからは凶悪そうにニヤリと笑っているように見えた)。
ふと、思い出したように人垣の方へ目をやった。
「聞きました? 良かったですね、相手になりますよ。少し待ってて貰えます? 得物を持ってきますで」
嘲笑うように見下して言うと、店の中に戻っていく。店に入ってあたりを見回すも、残念な事に常連のハンターはまだ来ていない。騎士の剣に目がとまった。
――いや、それはまずいか。
透は、騒ぎを起こしたあの日のアーウィンとの約束を思い出した。説教の中の一つに、町中で喧嘩をするときは如何なる時でも――せめて、この街の中だけでも、刃物の使用は一切禁止、と言われている。
何より、騎士から武器を借りれるのか? やはり騎士にとっても武器は重要な意味を持っているのではないだろか。
「トオル君、大丈夫なの?」
キョロキョロと武器となりそうなものを探していると、小さいお子様づれの奥さまが、心配そうに聞いてきた。あのご老人のように毎日通っているわけではないが、常連さんでも特に多い方だ。
聞かれた時、透はキョトンっとした顔になったが、すぐに微笑む。
「大丈夫です。礼儀知らずには制裁を与えなくては」
「……そっか。その調子だと大丈夫そうね」
強気の透に奥さまは安心したのかにっこりと微笑み返した。小さい二人の兄妹が可愛い声で「がんばれ」などと喃語混じりに応援してくれている。
それに触発されてか、応援の声がちらほらと聞こえてくる。……面白いとしか思っていないのが大半だと思うけど。 見世物にされているようで、少し納得がいかない気もしたが、もし自分が席に座っている客側だとしたら、自分も間違いなく面白がるだろうと思ったので、適当に返事をして気にしないことにした。なにより、悪くない気もする。
しかし、どうしようか。透は腕を組んで考え込んだ。由久も松之介も、街の外へ出て行ってしまっているので、武器を借りることはできない。取りに行こうにも、店の前にいるやつらは、あの様子だときっと了承しないだろう。
アーウィンさんも二人と一緒に行ったみたいだし……。だからと言って丸腰で出ていけるほど透には度胸がなかった。
そんな様子の透に、エルフィンが「仕方ないわね」とため息をつく。
「喧嘩に使いたくなかったけど……手頃な物があるの。持ってくるわ」
言われた直後、断るべきか迷ったが「お願いします」とだけ頭を下げた。エルフィンは頷くとカウンターへ歩いていき廊下の奥へ消えて行った。
「剣は使わないのか?」
中年の騎士が不思議そうに聞いた。立ち上がって隣に立っていた。あ~、と透は言いにくそうに後頭部をクシャクシャと揉み解す。
「いえ……使いたいのは山々ですけど……」
騎士の剣に目を落とした。透より身長のデカイ騎士が扱っている剣だ。どう考えでも、今の透には重量過多であることが否めない。
「この剣をかしていいんだが……?」
騎士もそれを感じているのだろうか。彼は少し言いにくそうに剣を差し出してきた。 洗練されたスタイルは、切先から見た時は鈍く感じた白銀の刀身、唾は黄金のように見受けられる金属で、蒼いコバルトブルーの三角形の宝石を主役に数種類の宝石がちりばめられている。 その格好良さは、まじまじと見せられた瞬間、透の眼の色が変わるくらいだ。
「……すみません。俺が扱うには少々、大きすぎます」
物欲しそうに目を奪われていたのを自覚しながら、それを振り払うように首を振り、透は騎士へ剣を押し返した。探し物を見つけてきたエルフィンが、近寄ろうとして驚いて立ち止まる。
「それに、力加減も出来ない未熟な自分が刃物を使えば、もしもの時、周囲の人に危険が及びます。約束もあって……街の中で刃物を使ってはならないと……」
「では、どうする? ――ナイフでも使うのか?」
色々と足りなくも、頭で纏めながら話そうとする透に、中年騎士は聞く。その一瞬、透が一瞥した先を見逃すことなく捉えた騎士がさらに問い詰めるように聞く。具現化させようとしている鋼の剣は、薄氷で出来ている様に脆い。自分の掌を見つめながら逡巡迷った透は、決心したように首を振った。
「最悪、無手でも」
透は静かに力強く言う。グッと握った拳からパリパリっと電気が迸った。
「そうか……」
騎士はクスリと笑って愉快そうに言った。
「よし、やはりお前と手合わせしたくなった」
透は驚いて見上げる。中年騎士はニヤリと笑っていた。だが、ふと真面目そうな顔になって店の外へ目をやる。
「――だが、その前に誰かに負けてしまっていては面白くない。代わりに吾輩に戦わせてはくれないだろうか?」
透は驚き、そしてなんだか嬉しく思った。堂々とした響きのある低い声。彼の目に、先程の侮りや落胆といったものはない。代わりに、何かこちらにまで奮い立たせる様な……。カリスマとは、こういうものなのだろう。
「いいえ」
透は目を伏し、首を振った。
「断ってばかりで申し訳ございません。……有り難い申し出ですが、少なくとも今は、当店のお客様です。大事なお客様に、代わりに戦わせるわけにはいきません。
それに、相手を望んでいるのは自分ですから。真情に従うとしても、退くわけにはいきません……――ですが」
顔を見上げてニヤリと笑む。口を開きかけた騎士は、続く言葉を待つように閉口した。
「ですが、食事が済み、食後に何か足らないとお思いでしたら――用意しましょう。自分はこのような体ですので……見たところ、全部は食べきれそうにないのです」
透が店の外の野次馬たちを一瞥する。騎士はふっと笑い、頷いた。
「そうだな……。ならば、頃合いが良くなるまで吾輩も落ち着いて食べるとしよう」
静かに笑みを含めながら言うとテーブルに戻って行った。お店は、今や完全に静かな――というよりも寡黙雰囲気に包まれている。
「……少年、一体どうなってるの?」
裏の倉庫部屋への廊下口に立っていたエルフィンが透に駆け寄る。普通に内容を伝えようとした透は、そこで一歩思いとどまって少しだけ遠回りの言い方を思いついた。
「いえ……ただ、あそこ騎士様と食後について話していたところですよ」
フフフと笑みをこぼしながら言うと、エルフィンが急に半目の色っぽい目つきになる。
「ふ~ん。少年、騎士様相手に大人のお遊びを――」
「……そういう冗談は、本当に嫌いなんです」
本当にこの人って……、などと軽蔑した目線を送りながら思う透。なにかと、そういう風に持って行きたがるんだから。
「まぁ、そう怒らないで少年。手頃な物を持ってきてあげたよ?」
そう言って差し出したのは柄の部分に包帯が巻かれた木の棒。大体九十センチ大の長さで、とても頑丈そうな木の棒は、本気で殴れば骨さえ折れてしまいそうだ。
「うわぁ……使いようによっては間違いなくナイフより危ないですよね? これ」
なんとなく剣道で言う「正眼の構え」で木の持ち具合を確かめながら言った。どうやら、由久の癖が移ってしまったらしい。反りの無い木刀に近い木の棒は、握り心地がよく、ぴったりと手が引き締まる。思わずスイカ割りでもしたくなる、透は思った。
すると――
「これで、カチピアの実を叩き割るのが、私のひそかな楽しみなの。イライラした時とか……割った後に食べてもおいしいし――」
「……なんとなく、その『カピチア割り』をするところが目に浮かびました」
キャピチアとも聞えたその果実を、透は見たことが無い。だが、スイカ割りの目隠しをしない状態だと言うのがなんとなく理解できた。木の棒のシミからして、果汁は紫~赤色系統であることが分かる。
うふふっと楽しげに話すエルフィンに、自分の思考回路が、この人の色に染められているのではないかと思ってぞっとした透は、ため息と共に彼女の言葉を遮るのだが……。
「まぁ! カピチア割りだって、良く分かったわね! さては知っていたな~? ――え、なに? どうしたの?」
適当にあたりをつけて言った『カピチア割り』なる造語に、喜々とした表情をしたエルフィンに、透はこの上なく絶望した表情を見せた。
「……もういいです。あなたが、俺にとって最も驚異的な存在であることはわかりましたから」
悲しそうに言う透に、エルフィンが首を傾げる。ため息と共に透は歩き出した。おお、と店内がざわめきだす。色々と応援を送ってくれる人たち……。
日陰から日向へ踏み出す際、後ろ手に透は腕を上げて答えた。
……さぁ。
「――お待たせしました。トオルです。どうぞ、よろしくお願いします」
外に出た透は、目の前にずらりと並ぶゴロツキのような男からプレイヤーと思われる優男まで見渡す。
「……さぁ、誰からですか? ちゃんと名乗り出てからにしてくださいね」
ざわめいて一斉に構える男たちに向ってひやりと言い放った。今度は、誰が最初に出るかでざわめき始める。ふと、手元にある棒が、単なる木の棒では面白くない気がした。どうせなら何か、良い名前はないか……。
腕を組み頬を指先で叩きながら、しばしの思考に耽る。 互いに我先にと言い出して罵声を吐き合っている彼らを放っておき、木の棒を観察し始めた透は、木目に薄く紫色のシミが、生々しい血ように思えた。はっとして煌めく。
「……この『エルフィンさんの処刑木刀』の相手となるのは、どなたですか?」
エルフィンさんという言葉に、店内の客たちは一斉に本人を見て、処刑木刀という響きに目の前の男たちの空気が変わる。少しだけ怖気づいたのもいるかと思えば、より一層、やる気を出している者もいる。
「営業妨害……高くつきますからね」
一方で透は一人、楽しんでいた。以前のエルフィンさんの真似をしてみたけど……これだから演技ってのはやめられないね! 声をあげて笑いたかったが、笑い方までエルフィンの真似ではさすがに気色悪い。かといって普通に笑うのも決まらない。
透は努めて抑えて、堪え切れない分笑うことにした結果――
「クックックックックッ………」
ざわつく群衆。その時はまだ魔法も使っていないはずの透の顔には、とても邪悪な影が見えたと、お店を訪れていた一部のお客は話した。




