19 夢の目覚め
外では、電車が走っていく騒音が聞こえてくる。 震動が机を揺らし、ふと、目を向けると、黒のマスクをかけたような窓に区切られた光が一本の帯状になって過ぎて行く。
ちらつく薄暗い部屋の中、スタンドライトに照らされた机の前に一人、少年が座っていた。 電車から漏れ出てくる光で、床に散らかった本やプリントなどが露わになる。
椅子に凭れた透は、カーテンをし忘れていたおかげで、電車の窓下半分から閑散とし始めた車内をみることができた。不意に口の奥から耐えがたいものがこみ上げ、固まった体を伸ばしつつ欠伸をする。
ここは透の部屋。高校生でいながら、本人たっての強い希望でものにした、憧れの独り暮らし。
寮制度のある高校へ入学した方が現実的ではあるのだが、彼はそうすることが出来なかった。その理由の一つが、友人の存在であった。 透にとって今のところ中学時代は、とても重要な割合を占めている。現在の彼と言う人間は、その頃の人間関係によって築かれた。
今の高校へ入学を決めたのも、友人の多くが固まってその学校へ入学することを聞いたからだった。
椅子の背もたれにぐったりと寄り掛かりながら、中学時代の友人らを思い出すと、その情景は夢の中に反映されていった。
卒業する日、一緒の高校を受験したが、落ちてしまった仁山と丹葉。 仁山が「これが運命か」などと変なことを口走り、丹葉が「……残念ですが、彼はもう」などと、医者じみた演技をしている。二人とも、もうすでに立ち直っていたのか妙に明るふるまいだった。
場面が切り替わる。二年生の時の修学旅行……、初めて由久や松之介、丹葉と話した二年生の一学期。
『あんたの名字、夜茂木沢っていうんだって? 変な名前だな』
『おれは樋野 松之介。俺の名前も結構珍しいだろ? 古めかしいっていうか……。まぁ結構気にったんだけどさ』
『夜の、茂みのなか、木のした、沢のわき……ついでに透、か。エロイな。エロのオンパレード。今日からエロ沢と呼ぼうか?』
春休みのちょっとした遠出……。一年生のとき、突然話しかけてきた仁山。窓辺に立ち、なんとなく遠くへ目をやっていた透に、彼が方を叩く。
『はじめまして夜茂木沢君。席変えで前の席になったんだ、よろしく。君って珍しいと言うか、レアものだね? 色々と』
目元を隠すように伸ばしたぼさぼさ髪の仁山が笑いかける。ニッと出た歯が見えたかと思うと、それは突然暗闇の中へ、ねじれて吸い込まれる様に消えた。 辺りが暗く沈みこんでいく中、ふと嫌な気配を感じた時、目の前には小学生の頃の自分が立っていた。
「……また、この夢か――」
透が奥歯を噛み締める。少年の顔は、真っ黒に塗りつぶされていた。
「――……ォル、トオル!?」
「!?」
耳元で危機迫った声が聞こえ驚いて目を覚ますと、そこには心配そうにのぞきこむエルフィンがいた。
「あ? ああ、エルフィン……さん?」
「……大丈夫? 顔、真っ青よ? こんなに冷たくなって……」
透が起き上がる。彼女がぼんやりと見上げる彼の前髪を払いつつ、頬に手をやった。触れられた手はとても温かい。暫くの沈黙の後、透は口を開いた。
「何故、この部屋に?」
彼女の手を下ろさせつつ、不思議そうに聞き返す。エルフィンは膝立ちから、透の隣に座ると「あなたが起きてこないからよ」とため息をついた。
「松之介は?」
「彼は早朝から、ルーさんに稽古をつけてもらっているわ。しばらくしたら、この部屋に来るから」
彼女は、そこまで言うと黙り込む。真っ直ぐ見つめ返してくる彼女の視線に耐えきれず、彼は「そうですか」とだけ答えると、向かい側のソファーの方へ視線をやった。透は、何か話さなければならないと思いながらも、その切り口を見つけられずに沈黙が流れる。
「……大丈夫?」
彼女は透の肩へ手をやりながら、静かに言った。透は逡巡思考した後、ふり返って「ええ、まぁ」とだけ答える。
「夢見が悪いと、寝起きってどうもしっくりきませんよね?」
「そうね。でも……」
笑いかける透に、彼女は頷きながらも何か聞きたそうに言いかける。
「話さないといけませんか? 単なる夢の話ですよ」
「……嫌、かしら」
「夢の話ですから」
透は気乗りしない様子でため息をついた。
「俺が本当のことを話さないかもしれませんよ? 本当かどうかなんて関係ないですから」
「……そう。あまり良い話ではないのね」
「夢なんて、そんなものですしねぇ」
彼女は肩から手を離す。彼女を直視するのがつらくなってきた透は眼を伏せさせて「すみませんね」とバツの悪そうに笑いながら謝った。
「……ま、話したくないならそれでもいいわ」
彼女はため息をした後に、両腕を上に背筋を伸ばしながら言う。
「どうせ夢だしね?」
「アイタッ!」
はははっと笑いながら振り落とされた手は、透の背中へパシンっと良い音を発たせた。痛みに透が飛び上がり、あははっと面白そうにエルフィンが笑う。
「ッいったいですよ! 何するんですか――」
飛び上がった勢いで立ち上がった透は、エルフィンの方へふり返って抗議をしかけるも、彼女の用意する物を凝視して、思わず絶句した。
エルフィンがとびっきりの笑顔で透を見上げている。その手にはまさに『中世ヨーロッパ』の世界を連想させる様な、ドレス服を取り出してきたのだ。
彼女が透を起こしに来た本来の目的はそれだった。
それを見た瞬間、透は顔をひきつらせる。
「ふふふ」
満面の笑みで彼女は笑う。ズリっと後ずさりをすると、ザザザっとエルフィンがその倍の速さで反応した。
「は、ははは……。悪い冗談だ」
「冗談なんかではないわ。今日はこれを着てね。とびっきりに厳選したやつなの~」
もうひきつった泣き顔に近い透に向って、エルフィンが可愛げにいう。その様子に、透は背筋に走るものを感じた。
「そ、そのような気品のある衣装など滅相もございません。私めには――」
「つべこべ言っちゃいやん♪」
にじりにじり近づいて来るエルフィンに愛想笑いを必死に取り繕いながら逃げる隙を窺う透。 数分もたたぬうち、透の拒絶する声がエルフィンの高笑いによってかき消された。




